天子様の無茶ぶりに、私は今日も血反吐を吐いた   作:沖縄の苦い野菜

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天子は地上に降り立った

 

 

 青い星が、紅魔館の目と鼻の先に落ちた。

 衝撃波に館が震え、窓が割れ、大地はささくれ立って花弁のように円形上に広く抉れた。どう考えても、自然にできたクレーターではない。

 

 その光景を見ていた館の門番、紅美鈴は毅然と腕を組んで門の前に佇みながら、背中に冷たい汗を流した。

 

(……これはまた、厄介なことになりましたね)

 

 許される限り事前に練丹を行い気を研いだ。指一本一本の感触を確かめて、拳を開き、握りを繰り返す。

 

「天は寛容ながらも、全てを許すわけではない。

 ある時は、怒り猛って豪雨によって全てを流す。

 ある時は、雷によりその怒声を鳴らし、力を落として鬱憤を晴らす。

 ある時は、豪雪をもって冷たく生き埋めた。

 緋想の天は龍よりも寛容だが――お前たちは、数少ない私の逆鱗に触れた」

 

 チリチリと、肌を表面から焼くような荒々しい気を、美鈴は感じ取っていた。

 いや、文字通り当てられた気によって肌が少しずつ爛れていくのだ。血肉を焼いた時のような錆臭さが鼻につき、今なお焼かれるような痛みさえ無視して、その身に気を纏う。痛みは少しだけ和らいだ。

 

「くすんだ極彩色では私は塗れない。真に安寧を求めるなら、昼寝でもするがいい。そのきらめきを取り戻したいのなら、井の中から飛び出し、闘争に身を置くといい。死にたいなら、ここで私に立ち向かえ」

 

 嫌というほど伝わってくる。差し迫る殺し合いの足音が。

 およそこの世に斬れぬものはない、と思えるほど鋭くなった真紅の瞳。

 刃の無い柄を握り込む手が、少しずつ力んでいく様子。

 かつ、かつ、と苛立つように地面を蹴りつけるブーツの踵。

 

「……返答は聞かない。死にたければ邪魔をしろ」

 

 美鈴の答えを待たず、少女は大胆に足を運ぶ。剣呑な様子を隠す気などなく、まるで嵐が近づいてくるかのようだった。

 彼女を中心に、気質が乱れ狂う。ふと気を抜けば、美鈴自身の扱う気さえ根こそぎ持っていかれるかもしれない。理不尽としか言い表せない力が、彼女を中心に荒れている。

 

 すぅ、と細く息を吸い、その空気を頭に染み渡らせる。思考は澄み渡り、心は凪いで、静の姿勢をとった後。

 

「……本気でいこう」

 

 もう一つの嵐が、その気を極彩色に染めて天まで渦巻く。守っていた鉄の門はぐしゃぐしゃに潰れて吹き飛び、解放の余波だけで魔法で強化されていた塀が半ばまで……まるで噛み抜かれたようにごっそりと削れ落ちた。

 

 

 

 紅美鈴は門番ではあるが、よく博麗霊夢や霧雨魔理沙の侵入を許している。異変の時も、時折魔導書を盗みに来る魔理沙も、みすみす通すことがある。

 弾幕ごっこの勝敗のせい、というのも確かにあるだろう。事実、異変において美鈴はどう頑張っても二人を追い返すことなどできない。弾幕ごっこを強要される異変では、彼女の本領はどうしても発揮できない。

 

 しかし、平常時には話が別なのだ。

 異変ならともかく、殺さないのであれば、スペルカードルールを用いない力づくでの物事の解決も許されている。例えば、泥棒していく魔法使いを片手間に捕まえて叩き出すくらい、訳はないのである。

 

 ここで問題になるのは、主人であるレミリアの意向であった。

 彼女は常に暇を持て余している。まだ若輩の、遊びたい盛りの少女だ。平穏無事より好奇心が勝り、常に変化を求めてやまない飽き性のきらいがある、わがままな大妖怪だ。

 そんな彼女が、せっかく館に侵入して変化を起こしそうな相手を前にして。変化どころか館への侵入さえ許さず追い返すことを、よしとするのか。

 

 答えは、否。

 もちろん、有象無象はふるいにかける。そんなのが館に侵入できたとあっては、紅魔館の沽券に関わる。変化を起こす見込みさえないものにまで寛容になる気は毛頭ない。

 

 紅美鈴。その門番としての役割は、何人たりとも館へ通さないなどという、つまらないことではない。

 紅魔館に通してもいいと思える実力者を程よく通し、有象無象を追い返す。

 不落の門ではない。試練の門、その門番としての役割を、彼女はその身に請け負っている。

 

 そして、真に主人へ危険が及ぶ相手において。

 

「紅魔館が門番、紅美鈴――参るッ!」

 

 彼女は抑えていた力の全てを解放し、侵入者に全力をもって立ち向かうのだ。

 

 

 

 酷く緩慢な動きだった。

 まるで水を掻くように振られる両腕に、清流の如く近づいてくる少女の姿。

 

 決して、気を抜いたわけではなかった。むしろ、全神経を襲撃に備えて張り巡らせていた。どうせ戦うことになるだろう、といつでもその首を刎ねられるように気構えは完璧だった。

 

「二の打ち要らず」

 

 それなのに、まるで微細な意識の隙間に入り込むように、天子の注意全てを掻い潜り、紅美鈴の拳は彼女の腹部に優しく添えられていた。

 

「は――ッ!?」

 

 何が二の打ち要らずか。

 そう口にしようとした瞬間に、天子の体内が荒れ狂う。まるで、体の中に嵐をおさめ込んだかのように、内臓が、血潮が、ぐちゃぐちゃにかき乱されて止まらない。体は未だ美鈴の拳と密着したままだというのに、体内に収められた衝撃が容赦なく彼女を襲うのだ。

 

「――ふぅ」

 

 細く息を吐いたのは美鈴だった。彼女自身が絶対の自信をもつ、一撃必殺の武術。

 妖怪とは本来、その理不尽な身体能力と異形の力をもって強さを誇示するものだ。故に、その力というものは額縁通りのものであることが多く、間違っても“効率的に人体を破壊する”などという行為には傾倒しないのだ。何せ、妖怪同士の闘争において、人体の破壊を要とすることに意味などほとんどないのだから。

 

 その一方で、紅美鈴という妖怪は特異な存在だと言える。何せ対人間が絶対条件の、弱者が強者に対抗するために生み出された技を、自ら積極的に学んでいった妖怪なのだから。それは即ち、己の弱さを受け入れてでも前に進もうとする、確固たる意志がなければ不可能な所業。

 そしてその研鑽を続けていった先に奥義を修め、極意を見出し……いつしか、人類史において伝説とまで呼ばれる拳法家たちに並び、あるいは凌ぐほどの技を身に着けた。

 

 紅美鈴の能力は“気を使う程度の能力”だ。文字通り、“気”という武術において重要な生命エネルギーを扱う力のこと。彼女が研鑽と共に獲得した、努力によって身に着けた後天的な能力。

 彼女は、その極彩色の“気”を身に纏い、これを拳に乗せて直接相手の中に送り込み――送り込んだ“気”を以て相手の“気”を呑みこみ、生命エネルギーを簒奪しショック死させる。

 

 彼女の「二の打ち要らず」とは、生命エネルギーたる“気”を残らず奪い取る、即死の拳であった。もはや何者でさえ凌駕し得ない、最高峰の“気”を練り上げ、修めたからこそできる、紅美鈴だけの力技。

 これに付け加えて、敵の体内にのみ衝撃を通し人体を破壊する技を用いることにより、肉体的な即死にも至らしめる。

 

 生命の簒奪と肉体の破壊、この二つを以て、“必殺”とする。

 紅美鈴の武術とは、人間ではどうしようもない理不尽であり、如何なる防御の上からも当たれば即死。まさしく「二の打ち要らず」を体現する拳なのである。それは、人間と構造の同じ天人にも言えること。

 

 気配から、見た目から、手応えから。

 紅美鈴が培ってきたすべての経験から、目の前の敵が妖怪ではないことはわかっていた。人間にしては嫌に頑丈だとは思ったが、防御力を無意味と化す彼女の拳の前には些末なこと。何より、彼女の五感が敵は人間に類する者である、と確信に至らしめる。何万という人間と手合わせを行ってきた彼女が、間違えるはずもない。

 

 だからこそ。

 紅美鈴は――その虚を突かれた。

 

「効いたッ、効いたぞ、小娘ッ!」

 

 動くはずがない、そう思っていた相手が、刃の無い柄を返しの刃として振るってみせた。

 

「――えっ」

 

 左肩から右の腹まで斜めに斬り払われた肉体から鮮血が飛び散り、彼女の纏う“気”が消し飛んだ。

 紅美鈴は、自分が何をされたのか、理解に及ぶ前に大地を舐めていた。

 

「あぁ、本当に効いた。私が天人でなければ、この“緋想天の剣”を持っていなければ。今の一撃を以て間違いなく死んでいた」

 

 彼女が、比那名居天子が助かった理由は単純であった。

 “気”の簒奪を、紅美鈴の特権さえ上回る“緋想天の剣”を以て寸前のところで妨害し。

 人体破壊の技を、呆れた頑丈さをもって耐え抜いただけなのだ。

 

 天子の頑丈さは、何も外面だけではない。内臓や血管に至るまで、まさしく人外と呼べるほどに丈夫なのである。

 

「虫ケラにしてはよくやった」

 

 比那名居天子は、傲慢な賛辞を残して紅美鈴を通り過ぎ。

 

 

 

 ついに、紅魔館の敷居を跨いだ。

 

「おや、うちの門番を倒したか。少しは手応えがありそうだね」

「……蝙蝠風情が。この私を見下ろすなんて、良い度胸をしている」

 

 刃の無い柄の先が、パチっと刹那のひらめきを見せる。まるで火花が弾けるかのように。

 空に浮く吸血鬼、レミリア・スカーレットに向ける眼光は、それだけで全てを切り刻むかのような激情に満ちている。

 

「怖い怖い。あぁ、太陽かい? 必ず相手の弱点を突けるのかい? 掠り傷でも灰になってしまうね」

「……その感じ。何か引っかかると思ったら、私の従者に似ている。何もしないのに万事知っているかのような、その態度がな」

 

 そんな視線を受けても、レミリアは涼しく微笑んで見せた。

 

「お前の従者は随分と面白い。うちで引き取ってもいいかね?」

「ふざけろ、愚鈍な蛭め」

「何か言ったかい、未熟な小娘」

 

 禍々しい紅の妖力と、緋色の気質が双方の中間で激突し、空間が歪める。場は既に戦場といった有様で、感情の鉛が空気に溶け込み、より一層、重圧が増していく。

 

「いつまでも部下がついてくるとは思わないことだな、寄生虫」

「いや、それお前が言うのかい? お前の従者、私でも哀れに思うほどボロボロだったけど」

「魂だけは逞しい奴だよ」

 

 その言葉に、レミリアは目を瞬かせる。愛らしく、童女のように目を丸くした彼女は、ついで眉をひそめ、そして眉間を解した後、その手のひらに赤い毛玉のような魔力を編む。

 

「……あぁ、そうかい。全ての元凶はお前か。何というか、そうだな」

 

 言葉に窮する。そうして深紅の瞳が映した感情は――憐憫であった。

 上から目線であり、傲慢であり、自分を信じて疑わない。相手が間違っていることを確信している。処置無しの相手に向ける、どうしようもなく無礼な感情。

 

「お前の従者。いっそ殺した方が彼の為ではないかい? お前自身の手でな」

 

 その言葉はレミリアにしては珍しく、真摯に向き合った助言であった。からかいも、遊び心も、気まぐれも含まない。幼い心からこぼれ落ちた純然たる善意の代物。100年に一度もない、運命から読み取った間違いのない助言。

 

 しかし、そんな言葉を向けられた天子は――その顔から表情を落とした。瞳孔を見開き、殺意だけに染まった瞳をレミリアに向けて瞬きもしなくなる。

 

「そうすれば、全て収まるさ。今ならお前の従者も、魂は無事なまま輪廻の輪に加われる。この大妖怪、吸血鬼たるレミリア・スカーレットの名において保証しよう。……不服そうだね」

 

 緋想天の剣がその刃を雷の如く猛らせ、烈火のごとく揺らめいた。

 

「従者の働きに、報いてやるのが主の務めだ」

「……やれやれ。どうやら、我々は通過点に過ぎないらしい」

 

 紅い魔力がレミリアの手に形を作り、槍と化す。

 神鎗グングニル。本人がそう誇示してやまない紅い魔槍は、彼女の能力も合わさり、その名に恥じない力を誇る。

 余談だが、傷が癒えぬ効果もあれば、彼女はゲイボルグ、とでも名乗っていたのだろうか。

 

「お前を殺すことは契約違反ではないのでね。精々、私の暇つぶしに付き合ってもらおうか。お嬢さん?」

「抜かせ。無事、私の従者を返してもらう。――お前たち悪魔を、切り刻んだ後でな!」

 

 紅い魔力と、緋色の気質が激突したとき。

 空は紅く緋に染まり、力の猛りに世界がひときわ大きく、みしり、と唸りを上げるのであった。

 





楔は打たれました
後はその因果を手繰り寄せるだけ
負けない貴方に勝つために、私たちは手を取り合いましょう
誰しもが望む、幸福な未来のために、ね?



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