fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
ぽかり、と開いた森の中。
木に寄り掛かったメルトリリスは、ただただ不満げな表情だった。
海賊に───ひいてはカルデア、とかいう組織に協力するのは構わない。特に亡くしても良い今回の命だが、救われたのならそこに義理や何かを感じないわけにはいかない。メルトリリスは人間的道徳観の持ち合わせこそ無かったが、却って彼女には強度の高い倫理性がある。怪物であることと無法であることは、同義ではない。
最も、その倫理観は、動機としては小さいけれども。むしろ彼女の倫理性としては、もっと重視すべきことがある。
なのに、何故彼女と離れなければならないのか。これでは何の意味もないではないか。メルトリリスは、あんな凡夫なマスターには、用はないのだ。
「ま、別に人の善き生にとやかく言いませんけど」
それとなく視界を過った赤い小柄なアーチャーの幻影に、一応口添えだけはする。趣向の破綻で言えば、メルトリリスの方が遥かに破戒的だ。彼女は即自的な生を生きているけれども、対自的で無いわけではないのだ。
そう、自らは破戒的。道徳の彼岸の中で、自らは生き、死んでいくもの。追求するのは自らの善き生への配慮、それだけだ。そう見れば、この状況は生への障害への排除か。何にせよ、あのアルゴノーツを斃さなければ何も進まない。この状況は、何も進まない。
身体を起こす。伸びを一つ。
性能に問題はない。この現実世界では『
「予定が進めば、あとは好きにしていいって言ってたわね」
空を仰ぐ。湖面のような蒼穹に縁取られた閃光の熱に、彼女は猛禽のように口角を釣り上げた。
「アタランテ、とか言ってたかしら。いいじゃない、私の経験値にしてあげるわ」
※
黄昏の陽を、アタランテは眺望する。
腐る寸前まで熟れた果実のような太陽が、海へと食われていく。橙色の空には境界線の無い侵襲が啓き、宙色の暗黒が噴き出すように広がっていた。その様は、果たして細胞膜が溶けた単細胞生物のようであっただろうか。あるいは、矢を打たれた人間から臓物が零れるようであったか。
あるいは感傷、だろうか。太陽の埋没とともにソラに昇るはずの月への、恐怖。己が信奉したはずのものへの、それは疚しさというべきだろうか。
「アタランテ。揚陸部隊の接舷完了した」
舳先に立つ仮面の男、オデュッセウスが硬質な声を発した。鉱物のような、取り付く島のない例の声。笑うべき生真面目さだったが、アタランテも同等程度の堅物さで「わかった」と返した。
腰の箙から、矢を取り出す。神弓に矢を番えば、アタランテは後ろ脚を大きく後ろへと引き、上体を逸らした。
矢の狙うは空の果て。番えた姿勢のまま、引き絞り、引き絞り、引き絞る。全身の筋肉が悲鳴を上げるほどの緊張の、中。
「太陽神に、奉る」
告解が口から滑落した。
「『
矢が天へと飛翔する。果てを貫くような呵成のままに、天を切り裂く一本の矢。一瞬ほどの間の後に、アタランテに応えるように、藍色にくすんだ空に陽が散らばった。水面に乱反射する天体の光は、そのまま滴涙の如くに地表へと降り注ぐ。
アタランテの有する対軍殲滅宝具。天より降り注ぐ無数の光矢は、無差別に敵を射殺していくはずだ。
敵の総数は不明。言ってしまえばこれは、敵を炙り出すための初手だ。あの森を焼き払った後、物量で圧し潰す。これまで何度も行った戦術行動だ。露払いのように敵拠点に火力を叩き込み、あとはディオスクロイとヘラクレス、カイニスが敵を磨り潰せば終わり、というだけの作業。アルゴー船のサーヴァントとして召喚された英霊たちを捻じ伏せた時も、海賊たちと戦った時も、こうして殲滅していったのだ。あの時を除けば。あの時、果敢に向かってきたあの男の時を、除けば。
何故、今、そんなことを思い出すのか。あの男を射殺した時のことを、思い出さなければならないのか。
こみあげるような悪寒は、嘔吐感に似ていた。あるいは、それは嫌な予感とでも言おうか。
脳内まで浸潤した暗闇が、切り裂かれるような、錯覚だった。
その光景に虚を突かれたのは、当然だった。
数多降り注ぐ流星矢。天より垂直に下った矢に向かって、島から何かが立ち上っている。無数に立ち昇るそれは、硫黄の如き火の柱のようだった。
いや、そんなヴィジョンは錯覚だ。アタランテの目をもってすれば、光の矢を撃ち落とすそれが何なのかを目撃していた。
矢だ。ただの矢。宝具でもなんでもない矢が、アタランテの矢を迎撃している。天より無数に降り注ぐ矢を、矢が撃ち落としているのだ。
ただただ圧倒的だった。無数の矢を、文字通り矢継ぎ早に撃ち落とす射線。放った矢の爆風も兼ね、全てとは言えない。むしろ6割は撃ち漏らしている。だが、逆に言えば無限にも見えるアタランテの矢、その4割を迎撃しているのだ。アタランテをしてあり得ぬ超絶技巧、彼女の理外とすら言えるほどの早撃ちと狙撃の併用だった。
記憶を掘り起こす。海賊にはアーチャークラスに近しいサーヴァントこそ居るが、弓の使い手はいない。であれば海賊へと寝返ったケイローンの仕業だろうか。いや、いくらケイローンだったとしても、矢を矢で撃ち落とすことなどできるのか。しかもこの物量を。少なからず、アタランテには不可能だ。
ならば、あの射手は己以上。英傑集う古代ギリシャにあって、最優の狩り人であったアタランテすら超えるほどのアーチャーが、敵に居る。
あの時途中で参戦してきた、カルデアとかいう戦力か。それともあの不届きな神霊モドキの仕業か。あるいは───。
巡る思考。だが考慮すべきは、そんなことではない、と彼女は理解していた。
「オデュッセウス、ダメだ。迎撃された、期待すべき効果はない」悄然を抑え、アタランテは素早く仮面の男に言いかけた。「上陸は一旦待った方が賢明ではないか」
オデュッセウスが、小さく身動ぎする。僅かに首だけで振り返ると、すぐに、男は島へと視線を戻す。組んだ腕はそのままに、沈黙する様は、何事か思惟を巡らせている仕草。の、はずだった。
「いや、構わない。このまま行こう」
「オデュッセウス?」
「この島。発見したのは偶然だが、あれだけのアーチャーがいるなら要衝と見做すべきだろう」
言って、オデュッセウスは組んだ腕を解いた。そうして身を翻すと、アタランテの傍を通り、船内へと向かった。
「俺も出る。今後のためにも、敵の戦力はこの目で見ておきたい」
※
「痛ったぁ……」
へたり、と視界が下がる。それに合わせて、希薄な浮遊感が身体を包む。生前、ほとんど経験したことのない感覚に四苦八苦しながらも、オリオンはクロの頭の上にしっかりとポジショニングを取っていた。
「4割撃ち落とせただけ上等。ってか、すげえな嬢ちゃん。本当にやっちまうとはよ」
徐々に宙が侵食する天を一度見上げ、オリオンはクロを見下ろす。玉のような汗を浮かべたクロは、喘鳴を漏らしながら「当然でしょ」と強がって見せた。
───オリオンの役目は簡単だ。対ヘラクレス戦を見据え、アーチャーに徹するクロのサポートに回る。それが、彼の役目だった。
古代ギリシャ最高の狩り人とすら名高いオリオンだが、現状の霊基ではほとんど戦うことなどできない。魔獣程度ならなんとか死なない程度に立ち回れるが、サーヴァントと戦うなど不可能だ。事実、メアリー相手に手も足も出なかったのは、オリオンにとってはショックだった。
そんなオリオンが存在意義を発揮できるのだとしたら、これしかない。己が召喚された必然性は理解しているが、この有り様じゃあ何もできない。誰かに頼らなければ、己の責務を果たせない。
「アンタも大丈夫か?」
「うん、なんとか」
引きつるように口角を挙げながら、トウマが手を差し出す。クロはその手に掴まると、勢いよく立ち上がった。
「しっかし、無茶な命令するなぁアンタ」
「でも合理的。私たちが地の利を生かすならね」
「無茶なのは、確かだった」トウマは額に滲む冷や汗を拭うと、やつれたように肩を落とした。「ありがとう、2人とも」
トウマは、足をふらふらにしながらもしっかり笑みを作って見せる。無数の矢が襲ってくる、という光景は、英雄として名をはせたオリオンだったとしても肝を冷やすものだった。それがたかだか一般人には、刺激が強すぎるなんてもんじゃなかっただろう。
それこそ、クロの宝具には盾もあるという。だが、この少年は撃ち落とすという選択肢を選んだ。また大局的にも少年はあの殺戮を打ち返す選択をしたのだ。森の中でアンブッシュの指示を受けた2人を守ることにもなる、と確信して。
それだけ、場数を踏んだのだろう。見た目は頼りないただの凡人で、神性など一切ないただの人間が。ただ場数を踏んだだけで、そういう決断をして見せたのだ。
クロも、クロだと思う。
トウマの
───なら、この感情は、間違いなく。
「敵、あがってきたみたいだ」
「おっけ。じゃあ予定通り動くわ、オリオン」
「ほいほい。適当に捻って捩じって、折り畳んでやるとしますかねぇ」
揺れる視界。振り返れば、眼下に揺れる銀色に紛れて、少年の姿が目に入る───
───なあ、アルテミス。
どうしてお前は、俺をこんな姿で呼んだんだ?
今週は無事金曜日に投稿できました