fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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沈思する智栄Ⅱ

 「本当に良かったのか、オデュッセウス」

 声の音は、酷く冷たかった。

 神殿入り口。地下からの階段を上がり、上部構造たる神殿から外へ出る。

 絶海の孤島に建てられた神殿。四方を海原に抱かれた島は鬱蒼と森が茂り、まだ日が高いというのに、陽の光は中々届かない。原生の魔獣に加え、ヘラクレスの宝具『十二の栄光(キングス・オーダー)』で呼び出された古代ギリシャの幻想種が跋扈する密林は、天然の要害と呼ぶに相応しい。最も、高い練度を持つサーヴァントが攻め込んできたなら、この防御も到底堅牢とは言えないだろう。それこそ、あのアーチャーが使おうとしていた宝具。対城宝具すら生温いあれで あれば、こんな特異点などひとたまりもあるまい。

 漠とした思考を巡らせながら、「カイニスか」と応えるオデュッセウスは、不満げな男の顔を見下ろした。

 柱に身を預ける痩躯の男。星々のような金の髪が、一際に目を惹く。セイバー、ディオスクロイの片割れたるカストロの視線に対し、オデュッセウスは身動ぎすらしなかった。

 「カイニスは強力なサーヴァントだ。癪な話だが、それは事実だろう」

 「最終的に我らが聖杯を手に入れればいい。それでヘラクレスの槍は啓く。それだけの話だろう」

 「戦術的判断に誤りはないと言いたいようだな」

 「仲間殺しの時も海賊狩りの時も、俺が間違えたか?」

 カストロは、無言のまま鼻を鳴らした。呵責もない仲間殺しという言葉への不快感か、それとも別か。逃げるように一瞬視線が泳がせるカストロの背後、ふとその姿が目に入る。

木陰からこちらを除く影。ポルクスだろうか。オデュッセウスに見られていることに気づいたか、ひょこりと頭を下げると、森の中へと駆けていく。

 「お前は人間の割には信頼できる」

 カストロは、幾ばくか決まり悪そうに言った。決まり悪いことが決まり悪いとでも言いたげな顔だ。

 お前も人間だろう、とは言わなかった。あるいはそう内心で呟いたのを見透かしたか、カストロは再度刹那の無言を刺す―――。

 「そんなことよりももっと大事なことにを遣ったらどうだ」カストロの肩を叩く。「俺はこれから魔獣どもの様子を見てくる」

 何か言いたげなカストロより早く言うや、オデュッセウスは急くように足早に立ち去る。

 背後は見ない。ぽつねんと佇むディオスクロイの片割れを感じながら、オデュッセウスは空を見上げた。

 そうだ、何も間違えていない。聖杯がヘラクレスの宝具を解放する条件だというのなら、それより先にヘラクレスをあのアーチャーに殺させるしかない。

 鬱とした樹々に差し込む、蒼褪めた金の陽。その光とかつて旅を共にした男の髪色が重なって、オデュッセウスは、肩を竦めた。

 忘れはしない、あの黄金の日々を。忘れはしないのだ。たとえそれが。異聞に生きたオデュッセウスの肉体を基幹としていても。全てが夢に消えるようだとしても。

 

 

 「♪~♪」

 機嫌よく慣れない鼻歌を鳴らしながら、ポルクスはちょこちょこ足取りで小路を駆ける。素足に感じる苔むした足元の冷たさに、天から落ちる瑞々しい緑の陽。うーん、と伸びをすると、森を抜ける青々とした微風が肌を撫で、彼女は柔らかく頬を緩ませる。

 この特異点に召喚されて、どれだけの日が経っただろう。仲間同士で殺し合ったりするのはいい気分ではないけれど、こうして自然の瑞々しさを感じられるのは自然と力が抜ける。神霊とは人間によって表徴化された自然でもあるからだろう。彼女自身の神性が、碧い自然の豊かさを心地よく感じさせているのかもしれない。

 「ンブフッ……~♪」

 ……どちらかと言えば考えるより手が出るポルクスの本性は、あまり文化的な行為には通じていない。これでも練習しているのだが、中々上手にはならないものだ。オルフェウスみたいにはできないなぁ、と当たり前のように思いながら、ポルクスは一本の木の前に立ち止まった。

 根本が大分苔むしたアサイヤシの枝の上に、彼女は居た。

 樹々の緑に溶け込むような姿は、その在り方が天性の狩り人であると思わせる。アーチャー、アタランテは、枝の上で眠っているらしかった。

 サーヴァントは眠らないとは言うけれど。下がった耳に、枝から垂れた尾。身動ぎすらせずに枝の上で身体を横にしている様は、寝ているとしか言うほかない。普段なら、誰かが近づけば気づくだろう。

 はて、起こすべきか、そのままにしておくべきか。手慰みに、顎に手を当てたポルクスは「むう」と首を傾げた。

 人間としての情としては、どういう行為をとるのが正解なのか。

 なんてことを考える。半神ではあるが、父が父なだけあって、ポルクスの在り方はより神霊に近い。そんな彼女としては、“人間の感性”というのは知識としては、実践の中での習得中のものである。

 ”人間としては半人前”

 実体はともかく、ポルクスの主観的感情としてはそう理解している。カストロが聞いたら物凄い顔をしそうだな、と思っていると、ポルクスはアサイヤシの影から覗いた顔に顔を綻ばせた。

 「ここに居たの」

 ひょこひょこ。

 そんな歩様で顔を出したのは、中型犬ほどの四足獣だ。というより実際狩猟犬のように鋭い顔つきのそれは、実際犬だった。

 犬だが、当然この島にいるならただの動物などでは有り得ない。当然幻想種に相違ない。さらにそれは、野獣・魔獣などという下位種でもない。

 その名を聞けば慄くほかあるまい。冥府の門を守る太古の番犬。ランクにして幻獣、神獣にすら手が届き、竜種にも肩を並べる神秘の具現。

 ケルベロス。これがその、三つ頭の獣の銘だった。

 Gavgav、と鳴くなり、ケルベロスは小躍りするようにポルクスへと飛びつく。1頭は寝ぼけているのか鼻提灯を浮かべていたが、残り2頭は健やかにポルクスを舐めまわしていた。

 「くすぐったいですよ、もう」

 そのまま押し倒そうという勢いの2頭を両手で抑えると、べたべたになりながらも腰にぶら下げた巾着からパンを3つ取り出した。

 Gavgav、と元気よく鳴く2頭の口に放り込み。寝ぼける1頭の口にもねじ込むと、ケルベロスは機嫌良さそうにその場に座り込んだ。

 ──無論、本来はこんな愛玩動物然とした生物ではない。世界で最も名の知れた幻想種は伊達ではなく、ヘラクレスほどの英霊でなければ手出しできない怪物である。それこそ英傑ぞろいのアルゴナウタイの多くを内臓(わた)に収めたのは、他でもないこのケルベロスなのだ。

 この姿でいるのは、言ってしまえば自己保存の一貫だという。サーヴァントに使役されている都合、恒常的に全盛期の姿をとることはヘラクレス自身に多大な負荷をかけるのは、自明と言えば自明。この特異点とメディアのバックアップがあれば、神獣の核を7日程度維持することは可能らしいが、どちらにせよ平時に普段の姿を取る意味はない。さりとて即応性も必要で、常時ケルベロスは野に放っておきたいという戦術的要求の折衷案が、この愛玩動物という有り様である。

 「あ、ケルベロス。最近歌を勉強しているんですよ」

 ご満悦な顔から一転、「え?」とでも言いたげに顔を持ち上げる2頭。逡巡というか戸惑いのような顔色は、とてもではないが歓迎しているようには見えない。獣は素直である。オルフェウスの見様見真似で歌を披露したとき、とてもではないがケルベロスを満足させられなかったことは、結構ショッキングなできごととして記憶に刻まれている。

 「もっと練習して、上手くなったら聞いて欲しいです」

 さらに一転。ケルベロス同士顔を見合わせると、コクコクと頷いた。

 重ねて言うが、獣は素直である。彼らはポルクスの控えめに言って稚拙な歌を聞きたいとは全く思っていないが、さりとて彼女が頑張る姿を快く受け入れているのである。

 そんなポルクスの姿を好ましく思うのは、ケルベロスだけではない。いつの間にやら頭上の樹から滑り落ちてきた多頭の大蛇も、のそりと彼女の肩へと乗っかっていた。

 こちらも同じくは、ヘラクレスの宝具から産み落とされた多頭の蛇。ケルベロスと胎を同じくする蛇も、表情こそ正確に読み取れないけれど、ポルクスの肩で脱力する様はひどく間抜けに見えた。

 なんだか、酷く弛緩した空気だな、と思う。生前、星座になる前は、戦い続きの生だった。この特異点に召喚されてからも、どちらかと言えば戦うことの方が遥かに多かった。こんな時間はほんの束の間の夢のようなものでしかないと、良く知っている。だが、この泡沫こそに価値があると思えるのは、神霊であるが故だろうか。久遠の時を裏なる世界に生きた神霊は、刹那の時への情動の起き方が極端になりがちであろう。瞬間の出来事など無価値と見向きもしない者も居れば、刹那に住まうものもいる。アルテミスなどがその例だろう、瞬きの情熱に狙撃された女神は、ある意味で極北だろうか。

 ポルクスは、少しだけ自虐的に笑みを零す。他人のことは言えないなぁと思ったところで、彼女は不意に襲い掛かった怖気に身体を起こした。

 首から落ちた大蛇を腕に抱き、右手を腰の剣に手を伸ばす。柄を掴んで鞘から抜きかけたところで、ポルクスはその怖気の先を認識した。

 見下ろす、獣じみた視線。葉陰の裡、淀む青藻のような双眸が()()()とポルクスにまとわりついた。

 「む。なんだ、お前か」

 一瞬、空気が霧散する。瞬きの後には、翡翠のような目にジェミニの片割れが映っていた。

 「寝ていた」

 しゃなりと起き上がる。そうしてぴょん、と軽やかに地面に降り立つと、アタランテはしげしげと周囲を見やった。

 「宴か何かでもしてたのか」

 身を屈める。ケルベロスの顎を順繰りに撫でつけてはわしゃわしゃするアタランテの顔は、なんだか温和だ。先ほどの、ねばりつくような険峻は欠片も感じさせない。

 気のせいではない。アタランテは何か、裡に抱えている。この特異点に召喚された頃は依然と変わらなかったが、いつの間にか、彼女はこんな風になってしまっていた。原因は明らかで、それ以降、彼女は変わった。

 ポルクスはそれに触れようとも思わない。それはきっと、彼女自身の問題だから。他者が、とやかく言うべきことではない。それに、解決できない問題が、世の中にはあるものなのだから。

 「あ」

 「なんだ、さっき散々私で暖を取っていたじゃないか」

 のそのそとアタランテの背に乗る大蛇。腕やら首やらに巻き付いて、多頭の蛇は呑気そうな顔だ。アタランテもただ、為されるがままで退けようとは思っていないらしい。

 「ケルベロスに歌でも歌いに来たか?」

 「違います。もっと練習してからにします」

 「それがいい」

 また難しい顔をするケルベロスに小さく笑い顔を漏らすと、アタランテは「じゃああれか」と立ち上がった。

 「また、何か人間の食事でも作っているのか」

 「はい、兄様も美味しいと言ってくれて」

 「そうかそうか」

 そう言って、アタランテは素朴な笑みを浮かべる。曖昧な表情。ポルクスにはその意がうまく理解できなかった。

 「林檎とか使ってないだろうな」

 「もちろんです。アップルパイと同じ轍は踏みませんから」

 身体に巻き付く蛇竜を抱きかかえる。あたふたよじ登ろうとするラドンを手で制すると、彼女は多頭をさわさわと撫でつけた。

 「早いところ、聖杯を手に入れて昔に戻りたいものだな。ずっと、昔に」

 

 

 オデュッセウスは、その光景に出会ったとき、まず圧倒された。次いで逡巡し、困惑し、そうして、得体の知れない闃然が胸郭に湧くのを感じた。

 孤島、神殿より北西30km地点。この島唯一の浜辺に、黒い巨塊が屹立していた。

 サーヴァント、ヘラクレス。クラスはランサー。頭から神獣の毛皮で設えられた裘被る姿のせいか、表情は伺い知れない。そのせいか、機械的な印象すら受ける。感情すら見せず、ただただメディアの命令の元に動く自動機械。それが、ヘラクレスという存在者。

 最も、顔色が不明なのはお互い様か。互いに身動ぎすらせずに観察し合うこと約五瞬、感情の機微すら見せずに、オデュッセウスはヘラクレスの隣に並んだ。

 「カイニスのことはすまなかったと思う」

 ヘラクレスは何もこたえぬまま、ただ小さく身体を揺らした。何の因果か、バーサーカーのクラススキル【狂化】を付与されたヘラクレスは、言語に通暁しない。地鳴りのような呻き声が、恐らく返事だった。

 オデュッセウスもさらに重ねる声はなく、ただ2人して沈黙だけを噛みしめていた。

 「わかっている。俺もお前も、結局あの日々に縛られてる」オデュッセウスはへばりつく何かを払うように首を横に振った。「クソガキだ。まだ、あの少年君の方が大人だろうよ。世界を救う、なんてのは俺には荷が勝ちすぎる」

 「サーヴァントの命なんて安いもんだ。最強の使い魔だとか言われちゃいるが、言ってしまえばただの無限コピー。贖罪として差し出すには軽すぎるな」

 ヘラクレスが肩を竦める。鉱山からそのまま削り出してきたかのような体躯が身体を揺らす様は、酷く窮屈そうだ。

 「なぁ知ってるか。俺は本当はオデュッセウスじゃあないんだ」

 初めて、ヘラクレスはオデュッセウスを一瞥した。いや、勿論表情は伺い知れないが、確かにヘラクレスは、何か気遣いの志向性を向けた―――気がした。

 あくまで気がしただけだ、かもしれない。あくまでこの人理……汎人類史の記録は、記録だけに過ぎない。ヘラクレスに対する主観的記憶の持ち合わせは、ない。あるのは無味乾燥で、ただ叙述的な記録だけ。だから、ヘラクレスの機微に対する理解は、どうしても解像度が低い。

 「いや真名は間違いなくオデュッセウスなんだが。別な世界……いや、時間か? 異聞帯とかいうものが混じっていてな。というより、異聞の俺にこっちの俺が混じっているというべきか」

 オデュッセウスは、そうして浜に転がっていた何かを拾い上げる。鳥の羽根だ。鹿毛色の翼の羽柄は白く、病弱な青白い肌を思わせた。

 オデュッセウスは、羽根を握りつぶした。指先が羽枝を砕き羽弁を拉げさせ、羽軸を圧し折る。脆い感触はアイギスが吸収し、ただ指先に残ったのは経年劣化してカルシウムの抜けた襤褸の骨のそれと大差なかった。

手を、墾く。足元から噴き上げた颶風が折れた羽根を巻き上げ、海の向こうへと浚う。忽ち視界から溶けていった鹿毛色の羽根を、オデュッセウスはどこまでも、遠く見送った。

 「俺たちは脳が足らない。いつも、いつまでもだ」

 ヘラクレスは応えない。いや。応えないことで応えている。確証はないけれど、きっとこの人智を遠く超えた巨体は、無言で応じてくれているように思えた。多分、という保留もつくけれど。

 それでいい。他人の情動など、いつも保留付きのものだ。他人はいつも、絶対に理解不可能なものだ。それが、物事のスタートラインなのだから。

 「待っていろ──イアソン」

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