fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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酒飲んで書きました、手直しも酒飲んでやりました


魔宴

 「さぁてお前たち、わかってるね? 最初に潰れた奴ぁサメの餌だ!」

 「はぁ~~~~? なんでBBAが仕切ってるんですか~~~~~????」

 「なんだい、アタシの酒が飲めないってのかい黒髭ェ!」

 「飲めねぇわけねーだろバーカ! むしろありがとうございます!」

 「ほんとなんだいアンタは……相変わらずよくわからない情緒だねぇ。まあいいや、そんじゃあ野郎共―――思う存分、騒ぎ倒しな!」

 「「「うぉぉぉおぉぉおお!!! かんぷあぁぁぁぁぁいいい!!!!」」」

 ……大体、4時間前の出来事である。主に黒髭の宝具、『アン女王の復讐号(クイーンアンズ・リベンジ)』から派生して召喚される霊体やらどこから集まってきたか魔獣やらが食料を漁ってのどんちゃん騒ぎは、まだまだ当分終わらなそうだ。

 立華藤丸(タチバナトウマ)はぽやぽやした気分のまま、その乱痴気な様子を観察していた。

 そう、彼は酒が入っている。何を飲まされたか不明だが、とりあえず片頭痛やらは起きていない。悪酔いはしていない、という客観的理解が脳髄の表層でふわふわと漂うかのようだ。

 酒を飲んだことは、とりあえずある。母親からケルシュ風ビールを戴くことがあったりしたが、上手い事言えば“嗜み”の程度だ。今日みたいに飲んだことはもちろんない。

 「おータチバナ殿、確か21世紀日本の法律だと16で飲酒は不味いんじゃあないですかぁ?」

 ぼけっとしたまま丸太に座るトウマの隣、どかりと腰かける偉丈夫。猛々しい髭面に埋もれた顔は、しかしそれとは全く異なる剽軽さだ。

 「んー……まあいいでしょ」

 「剛毅ですなぁ。ささ、これもぐぐっと」

 「うぃー」

 いつの間にやら手に持っていた木のジョッキには、何やら泡立った飲み物が。多分麦酒だろう、という思考は相変わらず、ふわふわと脳髄の表面を滑っていた。

 「それ誰に聞いたんす?」

 「リツカ殿が。出身地同じなんでしたっけ」

 「まぁ、いちおー?」

 「呑むペース早くね? もう少しゆっくり飲まんといかんですよ」

 「むう、そうなのか?」

 「いやだからはえーってオイ」

 思考停止気味にジョッキを呷るトウマの手を止めると、黒髭は「ほらこれ食って」と口の中にそれはもう無造作になんかの肉詰めを押し込んだ。

 「馬」

 「魔獣っすよ」

 「いや旨いなって。ってか魔獣かよマジかようめえなオイ」

 「いやーお褒め戴き恐悦至極ですなぁ」

 「え、なにこれくろひーが作ったのマジでうめえぞ草なんだが」

 「はぁ草ですか」

 「www←のことや。ちな草に草wwwやったらあかんで、殺されるんや」

 「それはもちろん」

 「こんな見習わなくていいから。あ、もっとちょうだい」

 「はいはい慌てなくても無くなりませんよ」

 「ワーイ」

 黒髭の皿からとりあえずホットサンドを取り出したトウマは、腹が減ってるのかすら不明だがとりあえず食い物を胃袋に収めていく。

 ふわふわする。自我が前頭葉の中で揺蕩う癖に、脳幹で理性が昼寝をしているような感触。揚げ焼きしたジャガイモらしきものを栗鼠みたいに口に頬張っては、手のひらについた塩分をべろべろ舐めていた。

 「いやでも意外ですわ。黒髭さんが料理上手なんて」

 「まぁそういうスキルみたいなもんですよ。皇帝特権みたいなのあるんで」

 「あーなんだっけ……あの、人によって態度を変えるというか適切な接し方をするみたいな」

 「そうそう。まぁそれの一貫で、一応日常生活レベルならある程度のことはできるって感じ」

 むしゃむしゃセロリのピクルスを食べながら、一方で黒髭が「タチバナ殿が料理出来ない方が意外ですけどな」と付け加えた。

 「ほら、普通ライトノベル汎用主人公って料理得意そうじゃないっすか。キャラ付けのために」

 「まぁお父ちゃんがいるんで。俺の出る幕ないっす」

 「専業主夫って奴ですか? 時代ですわなぁ」

 「母上の稼ぎと不労所得で十分食えるって奴ですかね」

 「なるほどー……なるほど?」

 黒髭が言い淀む理由は、なんとなく、酔っぱらった頭でも理解できる。

 人理焼却という未曽有の事態にあって、いわゆるカルデアの外側……端的に言えば、南極の一部山奥以外の地球全土が量子力学的拡散状態に近しい状態にある。らしい。つまるところ、この出来事が無事完結しない以上は、全人類が焼死したような状態という訳だ。無論それは、この特異点で孤独に戦う最新の人間、その家族も例外ではない、というような認識が、黒髭の中に成立しているのだろう。

 最も、事実はそうではない。立華藤丸は元はこことは全く異なる世界──並行世界論的に分かりやすく言えば、恐らく主幹からして異なる異世界──から来たまれ人でしかなく、当然この事件と両親の安否は全くの無関係だ。

 いや、もっと言えば、トウマにとって、全て無関係なのだ。カルデアの懐事情としては、とてもトウマをただ持て余しておく余裕はないだろうが、あの人のよさそうなロマニ・アーキマンである。マスターであることを降りると言えば、多分、降ろしてくれるだろう。そんな予感はある。

 何の意味があって、こんなことをしているのか。何の為に、自分の命を投げ出そうとしているのか。オデュッセウスだけではない。これまでセプテムも、オルレアンも、冬木も、もし何かを間違えたらあっさりと死んでいただろう。それは間違いのない、話だ。

 「まぁでもなんつーんすかね。あ、これ食べます?」

 「あーうんどうも」

 「正直オレとしても、人理がどうこうってのはそんなすげえ大事じゃあないんすよ。そんなデカい話されてもなーっつーか。まぁ同人文化守るぜみたいなことは思うけど」

 一杯、ジョッキを呷る。げふ、と温い息を漏らすと、黒髭は酷く赤く腫れぼったい目で空を仰いだ。

 「ちゃあんとタチバナ殿やフジマル殿とか、あとカルデア? に居る人らを家に帰してやらなきゃなあ、と思うとやる気もでてくるもんですなぁ」

 黒髭の言葉は、酷く軽薄に耳道を潜った。髄液に漂うような言葉がふわふわの思考を侵襲し、じわりと脳みその襞に染みていく。

 視界を過る、灰色の影。赤い相貌に謹厳な表情をした音楽家の声が、内耳の奥から鼓膜を叩いた。

 手のひらを、見た。特に大きくもなく、柔らかな肌の手のひら。握りしめれば伸びた爪が肌に食い込み、ちょっと、痛い。

 「終わらせないとなぁ。ちゃんと」

 舌先に凝る朴訥な言葉。

 多分それを、義務感と言うのだろう。情熱的な知性の失神か、あるいは怜悧な本能の躍動か。何にせよ余人に理解し難い情動の惹起を感じたトウマは、疚しさのような居心地の悪さに、ぎこちない口唇の痙攣に羞恥心を覚えた。浮上した表情は。笑いの表情に強張る笑みのような、ただただ不定で不気味な顔色だった。

 沈黙は多分、実際のところ半瞬すらなかっただろう。ただ、茹だるような根の無い感情が浮動する感触は、酷く間延びして感じた。

 「気楽にいけばいいんすよ、気楽に。可愛い女の子に囲まれて、世界の命運とかいうのを背負って必死にやってりゃいいと思いますヨ? 世の中、そのくらい無責任にデフォルメした方がわかりやすいもんですぜ」

 そう聞くと、大分いい生活はしていると思う。大変で過酷だとは思ったけれど、投げ出そうとは思わないのは……多分、みんなの、お陰なのだ。

 笑みに強張った表情のまま、それでもトウマは「そうかもな」と応えるだけは応えた。

 

 

 「で、貴女はこんなところで見てていいのかしら」

 意地の悪い癖に、妙にサバサバした声だった。

 それで誰なのかはよくわかる。あの神霊(ハイ・サーヴァント)、メルトリリスとかいう奴の声だと理解したクロは、少しだけ口端を結んで背後を丐眄した。

 「アレ?」

 これから陰鬱な口争いが始まる……と言う予感を他所に、まずクロが発したのは素っ頓狂な声だった。

 メルトリリスの繊細な傲慢さと大胆な卑屈さに富む自尊の表情があるはずの空間は何もなく、それより30cmくらい下にようやく例の粘着質の陽気な視線が反射した。

 「……何よ、その恰好は」

 「私服」

 いつにも増して素っ気ない物言いのメルトリリスは、ちょうどリツカより少し大きい程度の身長に縮んでいた。

 足が違う。あの物々しい剣状の踵はなく、酷く質素でメタルな脚部に、すっぽりかぶったポンチョパーカーらしき姿には、なんらあの変質さが見当たらない。肌の色と言えばそれこそ顔くらいなもので、あの肌丸出しの格好とは明らかに違う服装だ。

 いや、違うな。多分これは、あの姿と本質的に同位のものだ。あの露出しているみたいな恰好は実は秘部を隠したもので、実際のところは露出とは真逆の趣向。つまるところ、メルトリリスの主観的体験としては、あの素っ裸とほとんど変わらない格好は、貞淑の証なのだ。そうして、執拗に肌を隠したこの姿はある意味で同じようなもの、というわけだ。

 「ふぅん、まあまあ理解の解像度が高いじゃない。見直したわ」

 「伊達にあのトーマのサーヴァント、やってないんで」

 メルトリリスが肩を竦める。その表情は笑みというよりは笑い顔で、もっと言えば嘲笑9割9分、残り1分は……妬ましさと未分化の、羨望、だろうか。

 メルトリリスの声色は変わらない。表情すら変わらないが、微かになんとなく眉が上下した気がする。クロはまず1発先制を取ったな、と思っ

 「アナタ、一見阿婆擦れに見えて結構貞淑よね。遊びと本気は別ってことかしら」

 素早いカウンター。顔を顰めたクロに留飲を下げたか、メルトリリスはつんとしたまま、少しだけ口角を持ち上げた。

アナタに言われたくない、とも、言わなかった。同族嫌悪的な発言と認めたら、1発反撃を加える代わりに余計に凶悪な一撃を認めるようなものだから。むむう、と唸るにとどめたクロは、所在なさげに居住まいを糺しただけだった。

 「ま、人のことは言えないけど」

 さっさと愉悦感を捨て去って、メルトリリスはちょこなん、とクロの座る丸太に座る。パーカーの袖口から手も出さず、ちびりと掴んだコップを啜る仕草は、ひな鳥が餌を啄むようにこじんまりとしていて、その上で、妙に貪婪だった。

英霊複合体。アルターエゴ、とか呼ばれる神霊(ハイ・サーヴァント)。それがメルトリリス、という存在者の概要──トウマから伝えられた言葉が頭を擦過する。神霊だ神代だなどというものにあんまり善い思い出がない身としては、多少の色眼鏡を持ってしまったりする。まして伝えられた情報的に、どこをどう視ても善人の類ではない。どちらかというと理性も良識も居眠りしているタイプである。

 「お姉ちゃんムーブするのは結構ですけど、あんまり余裕ぶってると零しちゃうわよ? それがわからない貴女じゃあないと思いますけど」

 「なんでそんな殊勝なわけ?」

 「馬の骨を折りかけた責任。両片思いなんてヤバすぎるでしょ」

 ずず、とコップの中味を啜るメルトリリス。陰鬱そうに一瞥する視線の先では、トウマと黒髭がバカ騒ぎしながら口を丸々膨らませては嚥下を繰り返していた。

 「別に、貴女が好き放題暴れようが暴れまいが変わらなかったと思うけど」

 むしゃり。シュラスコを串から解しながら、クロは努めてなんでもないように言う。

 客観的レベルで、メルトリリスがあそこで宝具を発動したこととトウマがオデュッセウスに襲撃されたことは、因果関係はない。元よりオデュッセウスはオリオンが示した場所を読んだ上で動いていた。なら、遅かれ早かれオデュッセウスはトウマを発見し、クロの到着の直前に嬲り者にしていただろう。見世物にするために。

そうして、あの場に到着して。

 ぞっと身体を強張らせた。

 あの瞬間のことはよく覚えていない。何か、自分の内側の裂け目から、黒い森の魔物の淀みが這い出して、身体に畝を掘る感触。それに、あの、感触。あの宝具を、この身体は覚えている。

 いや、この身体だけではない。クロエ・フォン・アインツベルンを構成するクラスカード、アーチャーにも、あくまで知識上の記録はある。

 剣の丘にない、剣と言うよりは杖に近しい原初の宝具。いや、そのどちらでもない宝具。言語という区別以前の、原始性。剣の丘から派生した異能では投影できないはずの、(ウア)を乖離する剣が、あの時確かにこの手の中に、あった。

 「アーチャー」

 「え? ひブっ!?」

 ごち、と鈍い衝撃が文字通り額を叩いた。思いのほか威力のある不意打ちのせいで丸太から転がり落ちたクロは、見下ろす視線に気づいた。

 同族嫌悪的に見えてその実真逆の、屈曲した情動。感情の前後に蟠る何かを肚で感じたように、メルトリリスは曖昧に表情を痙攣させただけだった。それを日常言語で何というのか、クロにはよくわからなかった。

 「貴女たちのどうでもよく、且つ気色の悪い交流がどうなろうと知ったことではありませんけど、うじうじして判断を誤るのだけはよして頂戴。迷惑だから」

 覚束無い様で立ち上がるクロなど知ったことでは無い、と言わんばかりに液体を喉に流し込む。その癖に、その場に根でも生えているかのように座り込むメルトリリスは、一切動く気配がない。

 「何よ?」

 「恋する女の子の必死さは傍目には醜い、と思っただけ」

 どかりと座り込むクロ。ぽかんとするメルトリリスの手中からコップを取り去るなり、ぐいと一気に飲み干した。

 「ホント貴女、嫌い」

 メルトリリスは無表情の、それこそ能の面のように白褪めると、苛立たしそうに口を結んだ。よし取った、と思った。

 「そう? 私は貴女、嫌いじゃないけど。妹みたいで」

 にへら、とクロは笑った。この戦い──というより、メルトリリスという存在者に対しての優位がある意味で決定したのを、彼女は確かに理解したのだから。

 「何トチ狂ってるわけ?」

 「えー? 何がー?」

 「黙りなさい。その口縫い合わせるわよ」

 「こわーい♡ ……てやめ、ここで本気になるな本気に」

 「ほらさっさと口を閉じなさいよ私のこのガラクタみたいな手でガタガタに縫い合わせてあげるから」

 「んにゃー! やめろォ!」

 「あーほらタチバナ殿ォ! 大根に薹が立っておりますぞ!」

 「なんでここ大根生えてんの……?」

 

 

 藤丸立華は、その時、ただただ静かにエナドリを飲んでいた。

 空は星と月。指先に感じるアルミの冷たさ。淡く肌を撫でる風は、感じれるギリギリの強度だというのに、確かな感触がある。遠い漣が囁きのように潮騒を奏で、広場で繰り広げられるバカ騒ぎの中に溶けていく。左手に握る硬い感触を、その手中で愛撫して。天幕のフレームの上でだらけるリツカは、眼下の喧騒を、朗らかに見下ろす。

 調和、というよりは溶解。溶解というよりは、分離的。混濁しているようで象られた声が渦のように、広がっている。

 「あの、本当に私がお呼ばれしてしまって良かったのでしょうか……」

 「いーからいーから! やっとアイツらに一杯食わせてやったんだからさぁ、アンタにもようやく報いれたって! なぁ」

 「そうだね、メディアの情報提供がなければ先手は打てなかった」

 「ほらぁ! そら、もう一杯もう一杯」

 「ですから私はあくまでプロジェクションでいるだけなので飲食は……」

 ちびり、とエナドリを口にする。黒い空に満ちる月光に照らされ、綿菓子の雲が泳いでいる。

 「はーいそれじゃあもう一杯~」

 「そんなマシュに飲ませちゃ駄目じゃないかな」

 「大丈夫ですよう……これでも私、耐毒スキルとかあるんでぇ……」

 「全然大丈夫じゃないよこれ。ねぇアン、コロンブスも!」

 ふわ、とあくびをする。漏れた吐息は靄みたいに、天に浮かんだ。霧散していくあくびを見送って、リツカは無暗に手を伸ばす。

 「いやあ怖いってもんじゃなかったぜ。だってよお、あのヒュドラに突っ込んだんだぜ? 『あ、死んだわ』って思ったよねマジで。そしたらよぉ、BBAがゴールデンハインドで突っ込んできてくれてよぉ! 嵐の王(ワイルドハント)って感じだったよなぁ! あーやべ、思い出したら泣けてきた」

 「そら惚れますわ―――いやさ、やっぱこう、いいっすよねぇ。そういうの……なぁ!?」

 空を切る手。指先に感触はなく、リツカは不思議そうに、ただなにも掴まなかった自分の手のひらを睥睨した。

 「だぁー! それ反則! 何よ完全流体って! などと言いつつ突破できそうな宝具を投影する」

 「やめなさい、ゲイ・ボルグは洒落にならないから。やめなさいっての!」

 酷く乾いた手だ。ろくすっぽ手入れのされていない手は傷み、乾燥した指先は罅切れのように赤い肉が覗いている。乾燥しているせいか皮膚の柔軟性は皆無と言ってよく、手を握るだけで傷口が広がって、凍れるような痛痒が指先を奔る。

 「誰ですかマシュに飲酒をさせたのは」

 「ゴメンナサイ」

 「クリス、そんな殊勝な顔をしても許しませんよ」

 「そんなぁ」

 「そうですよ、この顔芸おじさんにちゃんと言って聞かせてください先生」

 「いや貴女もですからねアン」

 やれやれだ、と表情を緩めて、手を掻きむしる。ごり、ごり、という音とともに爪が肉を抉り、新陳代謝された皮がぼろぼろと崩れ落ちる。

 「もっと早く私たちが来てれば、もう少しちゃんと戦略を組めたんだろうけどね」

 「しょうがないさ。アタシがもっと上手くやってればよかっただけだし……そうすりゃあ、バーソロミューの野郎も医神先生も、色男も死なせずに済んだんだけどなぁ」

 「しょうがないかと……正直、オデュッセウスとカイニスを相手にここまで生き残っている方がちょっと凄いというか」

 「そう割り切れるもんじゃあないのさ。キャプテンて奴はさ」

 爪の間にたまった垢をほじくり出す。ぱんぱん、と手を叩いてから、リツカはすっかりごわごわになり始めた髪に手櫛をいれた。

 「ドレイクさんドレイクさんあそこでBBA助けてくれなかったヤバかったってくろひー言ってましたよドレイクさん」

 「あ゛ぁ゛~!? アンタぁいつになったらサメの餌になるんだい!?」

 「いやちょタチバッ殿ッ……あぁ今から餌になってきてやるぜ! 見てろよBBAァ!」

 「タチバナくん、君酔ってるのか?」

 「あーちょっと……黒髭さんに飲まされてェ?」

 「えっとこちらが?」

 「うわ、メディアだ! メディア……リリィじゃん……あの衣装じゃん……」

 「え?」

 「あーいやえっとですね……」

 酷く脂っぽく、ねばつく髪の感触。当然手櫛をすれば髪が指にひっかかるし、時々頭皮を引っ張られて「イテ」と漏らしてしまう。

 「ほらさっさと行けキモ助が!」

 「行きますゥ~! こんな福利厚生のなってねえブラック企業で働いてられるかってんだ!」

 「と、止めなくていいのですか?」

 「いいんじゃないっすかねぇ。ねぇ?」

 「まぁ勝手になんとかなるさ」

 側頭部で髪を縛っていたヘアゴムを、解く。ゴムに引っ張られて、ぶちぶち、と何本か、鉱山排水に混じって流出した酸化銅みたいな色の髪が、抜けていく。

 「何々、これから何するの?」

 「エッイヤソノ」

 「何緊張してるの、少年君」

 「そりゃ当たり前だと思うけどね。いきなり濃厚接触(意味深)したんだからさ、タチバナには刺激が強いよ」

 痛いなぁ、と緩く痛む側頭部を摩りつつ、髪に手櫛を入れる。肩甲骨をすっぽり覆う長さの髪はやっぱり痛んでいて、毛先を見ると枝毛だらけだ。

 「あのーもう決着つきました? 」

 「ま、まだ……あと一発……」

 「やるじゃない貴女……赤いアーチャーなんて、それこそ芸の無い馬の骨ばかりだと思ってたわ」

 「クロエさん、メアリーがですね」

 「あ!? ヤロッ」

 「……正直あのガキのどこがいいのかわからないんだけど。ねえアン?」

 「そういうものじゃないですかぁ? まぁメアリーが何考えてるのかわかりませんけどねぇ。人の好みは好き好きですから」

 クロとか切ってくれるだろうか、髪の毛。鋏の投影はできる……だろうが、流石に美容師の真似事はできないか。

 「メルトリリスはこう、締まった体付きで綺麗ですよねぇ。美しい! って感じ」

 「そう? ま、確かにアナタ、着る服とか選びそうよね」

 「そうなんですよねぇ。背がデカくて胸がデカいって正直ーってカンジでぇ。しかも上半身結構マッチョで」

 「でもその恰好、善さげなんじゃない?」

 「そうですか? なんかあなたに言ってもらえると自信つきますね」

 まぁいいか、と言い聞かせる。もう少し長いとアンみたいにゆるふわのも似合いそうかな、とか、メルトリリスのように長めのストレートなロングも似合いそうかな、とか妄想も捗らせる。

 「マシュ、その、私の髪を引っ張るのはやめていただければと思うのですが」

 「おうそうだぜ嬢ちゃん、先生の髪はだなぁ……って痛え!?」

 「いいぞぉ! そのまま斧みたいな髭を引っこ抜いちまいなマシュ! ついでにこのでっかい髭もじゃも海に投げ捨てておいで!」

 「酷い!」

 「アグレッシブだなぁマシュ」

 「どうかされましたか?」

 「いいや? 兄の教え子を思い出してたってだけさ。賑やかなのはいいことだな、とね」

 「時計塔、というのでしたか」

 「そ。ま、君のような神代に魔術……というか魔法を学んでいた人からすればお遊びだろうがね。時計塔なんて」

 「そんなことはありませんよ。その、過去に戻るというか、原初性に価値を見出す意味はあまり実感できませんけど。私もお師匠様に教えを受けた身ですから」

 髪を束ねる。手と同様、ろくすっぽ手入れのされていない脂ぎった髪を、側頭部でひとまとめにする。

 「んーでもボクは別にいいかなぁ、3人でも。クロエだってアリかナシかで言ったアリでしょ、3P」

 「ま、まぁ自由なのはいいことだと思うわ、まぁ」

 「それにボク、応援してるよ? 所詮ボクもこの特異点が消えたら消滅するしね。別に忘れて貰ってもいいしね」

 ヘアゴムで縛り付ける。濃い記憶の中に像を描く彼女と同じように左側頭部に髪を一束ねにすると、よし、とリツカは、最後にエナジードリンクを呷る。

 「だからねぇ、正直もっと上手くやれたんじゃないか! って思うところはホントにねぇ……ロバーツがあそこで身体張ってくれなかったらアタシら全滅だったさ」

 「バーソロミュー・ロバーツ……でしたっけ。最後で最大の海賊、っていう」

 「そ。ある意味でここにいる全員の後輩みたいなもん。いやまぁコロンブスはそもそも海賊じゃないってか海賊よりやべーことしてるけど……奴隷に関しちゃアタシも人のことは言えないか……にしてもアンタ物知りだね。アタシのことも知ってたんだろ?」

 「そりゃあまぁ。原作キャラだし」

 「何か言った?」

 「あいえ、独り言みたいな」

 「こんな話聞いて楽しいかねぇ? 恥みたいなもんだし」

 「いえ、まぁその、やりたいなーみたいな」

 「ふぅん? まぁいいけど。あーそうだ、アンタ、今もあのメルトリリスのマスターなんだろ? 踊りの一つも踊ってくれって頼んでくれよ」

 「うーんどうですかね……というか意外ですね」

 「生前の因縁みたいなもんさね。アタシの雇い主、文化とかそういうもんが好きだったからねぇ」

 「エリザベス1世、ですか?」

 「そう。スペインのクソ野郎どもをぶっ潰すチャンスをくれた、ありがたーい人さね」

 ウェストポーチから、軟膏の入ったチューブを取り出す。エルフの頭皮脂、とかいう名前の薬品で、時計塔でちょっと流行った整髪料だ。デイビッドから貰ったものも、残り半分くらいになってしまった。

 「フォウゥ……ミー」

 「いやだから絡むなよ……俺は別にアンタを狩りに来たわけじゃねえんだって」

 「フォウ~?」

 「本当だって。冠位だなんだ言ってるけどまぁこんな姿だし」

 「お、おい……助け……」

 「あ? なん……ってうぉわ!?」

 チューブから手に薄く伸ばして、髪に撫でつける。もちろん妖精から精製したものではないはずだ。伝承科とは言え、流石にそんなものをほいほいとは作れない……と思いたい。

 「せんぱぁい……せんぱあい」

 ……藤丸立華は、眼下の声に吸い寄せられるように志向を向けた。

 うーむ、これはどうなったのだろう。ひとまずリツカは、眼下の光景に頭をひねる。

 歯茎剥き出しの凄絶な顔で地面に転がるコロンブス。何故かその逞しい髭をむんずと掴んで引きずりながらわんわん泣いているマシュ。ケイローンの髪はもちゃもちゃで、オリオンとフォウと一緒になって遠巻きに眺めているというこの図は、どんな経緯があったら成立するのだろう。

 一つ結びにした髪をかき回す。ううん? と小首を傾げたまま、リツカはもう一方の手で、小さな水晶で手わすらする。

 「コロンブスさんが動かなくなっちゃいました」

 「生きてる?」

 「多分生きてまぁす」

 「ならいいけど」

 「よかねえよ!? バーサーカーすぎるだろ」

 普段は白磁のような透き通る肌を真っ赤にして、マシュは大声で泣いていた。サイコすぎるよなあ、と思って、リツカは思わず小さく笑った。

 多分あの場に飛び込むのは自殺行為だろう。酔ったマシュがこれほどとは思わなかった。大人しい女の子に見えて、その実どちらかというと社会性に若干難があるだけの愉快な人物なのだ。彼女は。

 リツカは、器用にフレームの上に立ち上がる。マシュの黄色いような声色に照れて赤面しながら、しょうがないなぁ、と顔を綻ばせた。

 右手のアルミ缶を握りつぶす。左手に握った硬い水晶──空白(ウィルド)を彫った水晶を、プリーツスカートのポケットに押し込むと、リツカは天幕から飛び上がった。

 藤丸立華、19歳。150cm。どちらかと言えば小柄な彼女は、サイドテールにした髪を宙に靡かせた。

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