fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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狭界への澪標

 フランシス・ドレイクは、妙な感慨を以て1室を見回す。

 大テーブルがあったそこには白いロングデスクが並び、正面には壇上が一つ。真正面には巨大なボードが掲げられていた。

 「まぁよく作ったもんだねこれ」

 「雰囲気づくりって大事だからね」

 デスクの内の1つ、椅子に座ったライネスは今日2杯目の紅茶を静々と注いでいた。少し垂らしたブランデーの飴色が、もうもうと湯気立つ湖面に宝石のように煌めいている。

 最も、ドレイクが眺めているのはそのアルコールの雫だけであるが。彼女としては、ブランデー入りの紅茶よりも紅茶入りのブランデーの方が性には合っている。いや、というよりも、ブランデーだけでいいまである。

 「結構アンタ、凝り性だよね」

 「別に。やるからには全力でやるのがモットーなだけよ」

 ふい、とつんけんして答えたのがメルトリリスだった。普段とは違う“普段着”姿で部屋の端っこに座る彼女は、何やら黒髭と真剣に意見交換している様子である。

 「いやあでもバ●ダイのプラモ技術はイカれてますよ。長年ガンプ●開発してる技術を感じるっていうか」

 「●ンプラはまだ手を出してないのだけれど、何が良いかしら。初めてなら」

 「バ●ルとかいいんじゃないっすか。造りやすくてめちゃ動くし。完成品ならメタルビルドも良さそうな」

 「値段がネックかしら。でもランチャースト●イクのウェポンラックは良いアレンジだと思ったわ」

 「でもランチャーがビームサーベル持っちゃったら最強すぎでは???」

 「万理ある」

 ちょっと何言ってるかわからない。ライネスは幾ばくか懐かし気な感じだが、果たしてそういう趣味があるんだろうか。なんとなく聞く気になれないドレイクである。何せあの黒髭がキャッキャしているのだから、多分碌な話ではない。

 「座ってたらどうだい、フランシス・ドレイク」

 ひょいひょい、と手招きするライネス。僅かばかり持て余す気持ちを見透かされたようで、ドレイクは妙な気恥ずかしさのような感情を惹起させた。

 「緊張するかい」

 「緊張ね」差し出されたカップに視線を落とす。動作はなんだか不格好でソーサーに零れた水滴が躍っている。「正直、何を感じてるかわからないって感じ」

まじまじとカップの中味を見下ろす。黄金色にも見える紅茶が大半で、ブランデーは垂らした程度しかない。これじゃあ飲んだ気がしない、と思いながらも、ドレイクは行儀悪くずるずる音を立てて啜った。ライネスは一瞬整った眉目を動かしたが、特段咎めるような目つきもしない。マナーの倫理性は、海賊には無縁のものだとよく心得ていた。

 「まぁそれ言ったら、トリムが居なけりゃ人にお茶も出せない私の方がだらしないものさ」

 「なんだって?」

 「独り言」

 するすると、ライネスは無音で茶を嚥下する。動作一つとっても洗練された陶芸のようだが、もちろんドレイクの琴線には触れる様子もない。

 だが、ドレイクとしては思うところもあった。そんなライネスの動作を注視していると、彼女は、あの人を自然と思い出していた。

 「なぁ、一つ聞きたいんだが」ドレイクはあっという間に100ccの紅茶と数滴のアルコール飲料を飲み干した。「フジマルリツカだっけ、アイツはなんなんだい?」

 「リツカがなんだい?」

 「いや、別にどうってわけじゃあないんだけどね。なんとなく、恩人に似てるんだよねぇ」

 ドレイクの脳裏に浮かぶ、人物が一人いた。

 フランシス・ドレイクが、恐らく唯一頭が上がらない人物。一介の海賊に過ぎなかったドレイクの復讐心を結果的に補助し、果ては海軍提督の座にまで上り詰めるきっかけを与えた彼女は、英霊フランシス・ドレイクを語る上で決して外せぬ要素の一つだ。

 当時のイングランドの女王、エリザベス1世。知悉と勇敢さを兼ね備えた女傑と、あの自堕落な藤丸立華の姿は、一見して重ならない。

 自分でも、何故にそこに何か似ていると思ったのだろう。温厚そうな雰囲気に、場違いな郷愁を感じたのだろうか。それだけフランシス・ドレイクにとってエリザベス女王は特別な人物なのだけれど。

 「なんなんだろうね。私も正直、彼女のことはよくわからない」ライネスは静かにソーサーの上にカップを置いた。「間違いなく“良い人”ではあるけど」

 「あのガキンチョと同じように?」

 「どうかな。トウマ君は一生懸命だけど凡人。リツカはそうだな、ニヒリストだよ。ニーチェ的な意味でね。凡人の理性と良識はちゃんとある。魔術師のことはクソ喰らえ、魔術使いは肥溜めの屎尿と思っている、ごく健全な市民ってとこかな」

 ライネスは、存外口が悪い。育ちの良さを感じさせる品の善さとの乖離は、その“良さ”の意味が複雑多岐にわたることだろう。芯の強さ、というよりは芯の靭性の高さは、饐えた生活特有の臭気を感じさせる。時計塔とかいう馬鹿げた組織のご令嬢、というのがドレイクの雑然とした認識であるが、こういった“ゲロの臭い”がする点は好ましいと思う。

 「いっそ直接話したらいい。面と向かって」

 ニヤニヤと鋭く笑って見せるところとか、本当に性格が良い。け、と舌を出して見せるドレイクは、マシュに引きずられてのろのろと入室してきた寝ぐせまみれの藤丸立華の姿に物凄く複雑な表情をした。

 「ほら先輩、皆さんに挨拶をしなければ」

 「うぉー。コンニチハ」

 挨拶と言うより、最早吐露のようである。礼儀もくそもあったものではない姿は、あの清廉で強い意思を感じさせるかの女王とは全く違う気がする。少なくとも、一見は。

 「先輩、寝ぐせが」

 「マシュ直してよう」

 「はい、是非に。マシュ・キリエライト、任務了解です」

 近場の椅子に座ると、マシュは寝ぐせ直しのスプレーを懐から取り出すと、甲斐甲斐しくリツカの髪に手を入れ始めた。

 「なんとまぁ、我らがイングランドの女王は勤勉で、礼儀正しい。苛烈な経験を経た女王の風格、という感じだ」

 したり顔のライネスに、ドレイクは肩を竦めた。両者ともに不敵そのものみたいに顔を引きつらせた。

 やはり気のせいか。くうくうと寝ぼけた様子の藤丸立華の覇気の無さと言ったらどうだろう。確かに、エリザベス女王も質朴ではないが飾り気があるタイプでもなかったが。

 それとも、気のせいではなく錯誤だろうか。復讐心という、とても理性的ではない情動に猛るが故の、それは何か縋るような感慨か。

 そうだ、復讐心こそ、フランシス・ドレイクの根幹の一つ。苛烈且つ激甚、そしてある種の、執念深さ。ベラクルスの一件以降、スペインと言う国に抱き続けた心こそは、フランシス・ドレイクを彼女たらしめる要因の、大きな一つなのだ。

オデュッセウス。ギリシアの古き英雄にて、そうして、この不可思議な特異点の初期からアルゴノーツのサーヴァントを率いてきた英霊の真名だ。ケイローンから伝えらえれたアルゴノーツ側の内紛と、海賊狩りどちらにも関わり、その両者を瀕死に追い込んだ張本人。それがオデュッセウスという英霊なのだ。

 ドレイクが想起したのは、数多の英霊たちだった。アルゴノーツから離反して仲間になったアスクレピオスをはじめとするサーヴァントたちも当然、ジョン・ラカムやロバーツも。

 対価、というはあまりに大きな犠牲で、得られたものが少なすぎる。私略船の船長として、対価に相応しい収穫があるべきだと思うのは当然の思考回路だ。フランシス・ドレイクは現実主義者なのだから。

 やいのやいのと小さな喧噪が生まれ始めて、およそ20分ほど。開始5分前ぴったりに入室したケイローンが、この小集団の最後のメンバーだった。

 「よぅし、じゃあ始めよう」

 おもむろに、されど意気揚々と立ち上がるドレイク。全員の視線を一身に浴びながら、彼女はその視線一つ一つに視線を鋭く返した。

 相変わらずにやにや笑うライネス。緊張気味にそわそわするトウマ。澄ました様子のクロエ。2人が着くテーブルの上で、オリオンは何やら思案気なよう表情。寝坊助顔のリツカに心配そうなマシュ。メルトリリスのつんとした顔はクロエとよく似ているような、似て居なような。ドレイクとしてはようやっと馴染み始めた面持ちだった。

 旧来、共に戦ってきた仲間の顔は見慣れたものだ。不敵な顔の黒髭コロンブスに、不敵はそうだが幾分か朗らかさを感じさせるアンとメアリー。落ち着き払ったケイローン。改めて見回すと、これでも全盛期の半分いるか居ないかという数だ。決して敵拠点を攻略する数としては多くない。敵の戦力を考えれば、この3倍の数はサーヴァントが欲しい、と思う。戦術家として、ドレイクはまず、そんな当たり前の前提を内心で確認した。

 だが、状況を変転させる要因が一つある。

 それはこの部屋の一画、隅に小さく座り、何やらおっかなびっくりしたような油断ならないような仕草で座る、みょうちきりんな恰好のサーヴァントが1騎。初めて見た時、トウマとクロエが「魔法少女だこれ!?」と騒いでいたのが印象的なひらひらした装いのキャスター、メディアだ。本人が居るわけではなく、あくまで像だけをこの場に現出しているだけだとか。超長距離からの遠隔操作の精密さとしては尋常ではない、らしい。一通り魔術を嗜んでいる人ら──ライネスやクロエだけでなく、あのリツカすら卒倒しかけていたのは印象深い。神代の魔女の異名を恣にする英霊、という名前は伊達ではないということだ。なにやらそわそわしているトウマは、必死に情報を整理しているようだった。

 「現状は既に情報を共有していると思うので省くが、構わないね?」

 皆、一様に頷いた。冗長な会議にならないようにする秘訣は、つまるところわざわざ情報共有の時間を設けないことだ。もちろん、そのための会議はほぼ、無意味でもある。

 つまるところ、彼ら彼女らが既に共有している情報は、以下の2点。

 

①:現状の戦力比

②:敵戦力の概略

 

 両者とも、ケイローンからの情報によっての確度の高い情報である。メディアの言葉も信頼性を、ある意味で裏付ける。

 そしてこの前提までたどり着いたからこそ、最終攻略地点に駒を進められたのだ。即ち、味方の戦力の増大と、敵戦力の漸減。衒いも何もあったものではないのだが、戦術や戦略というのはそう難しいものではない。単純な話、敵より味方の方が

 「まず皆に理解してもらわなければならないことだが」と言って立ち上がったのは、ライネスだった。「敵の狙いは……要するに、意志的な意味でだけど……正直よくわからない。神代へ戻ること、という目標はあるらしいが、今この特異点は中途半端な状況だ」

 皆一瞬、ただ肩を竦めた。当たり前と言えばそうだが、この特異点で繰り広げられたのは、ある意味で表面上の戦闘だけだ。つまるところ、敵戦力を減らしはしたが、そもそも何故この特異点を発生させたのか、という命題には何も触れていない。

 「この聖杯が何を作ったのか、すら不明だからね」

 そう言って、ライネスは至極乱雑にふところから取り出した金の杯を地面に放り投げた。

 からん、と厭に甲高い音を立てて、黄金が転がる。甲高さは虚ろの証明か。ただ高次世界から“こちら側”の世界にほとんどすべて落ち込んでしまって完全に物質化してしまった聖杯など、ただのアクセサリー程度の意味しかない。あるい優れた呪物になるかもしれないが、既にサーヴァントという超高次元の存在者になってしまったライネスには、聖杯(アートグラフ)の残骸などさして必要なものではなくなっているのである。

 「まぁ酒の入れ物にしちゃ悪くない」ひょい、とコロンブスは杯を持ち上げると、背後のマシュへと手渡した。「首の入れ物にしちゃあ、ちょい小ちゃいからな」

 「マシュにはちょっとアクが強すぎると思うかな」

 おっかなびっくり手を伸ばしたマシュから遮るように、朗らかなリツカが手を伸ばす。手の軌道は、明らかにマシュを守るようにも見える。だが、そんなリツカの手よりも先に、マシュの手が聖杯を掴んだ。

 「あまりその、ブラックジョークのようなものは苦手で」

 マシュは申し訳なさげに、小さく頭を下げた。コロンブスとリツカ両名に対する動作だろう。ちょっとだけ嬉しそうな表情のリツカは何も言わず、コロンブスはわざとらしく口角を下げた。

 「ハラスメントって奴か」困ったような表情……というには、なんだかコロンブスの表情は、リツカと同じように、ちょっとだけ緩んでいた。「時代ってのは、前に進んでいくもんだ」

 「いいことじゃねえか? まぁ、俺たち海賊みたいな連中の居場所は、なくなっちまったけどな」

 「多分そうだな。少なくとも、悪いことじゃねえ」コロンブスは、何の頓着もなく笑った。「止まらずに前に進むから、人間ってのは人間なわけだ。あと俺は海賊じゃねえ」

 なぁ、とマシュに話を振るコロンブス。トウマと同い年くらいに見える、あまり自己主張とは無縁そうな少女は、コロンブスを伺うような覗き込む視線で、そうですね、と控えめに応えた。

 「でも、そのアートグラフを相手は探してるんじゃないの?」

 クロは背後の席から、マシュの手元を覗き込んだ。少しだけ嫌悪的なのは、気のせいだろうか。

 「そうなる。少なくとも、明確にアルゴノーツがアタシらに攻撃を始めたのは、その飾り物をキルケーが奪ってきてからの話だね」

 「ただ、ここまで消費された聖杯をどう活用するのかは正直検討も付かない。サーヴァントの魂を回収して高次に存在する座への孔を啓く機能と、それを活用した願望機の性能くらいは維持できるかもしれないが。正直、いわゆる大魔術師くらいでもなければ無理だ。少なからず、私には無理だね」

 匙を投げる、というように、ライネスはお手上げポーズをする。つまるところ、普通の人間には、この聖杯は無価値というわけだ。

 「一応なんだがね、メディア。君以外に、残りのアルゴナウタイに優れた魔術の使い手はいないんだよね?」

 「無い、と考えるのが自然かと思います。ヘラクレスとディオスクロイ、アタランテ、3人にはその力はありません。ただ、オデュッセウスの逸話と結びついた神体結界(アイギス)の機能は私でも把握できていませんが」

 メディアは微かな懸念を幼い顔に滲ませながらも、「あくまで可能性としては、低いと思います」と付け加えた。

 「それで、メディアはこちらの味方。じゃあ、残るは、敵の親玉ってわけだ」

 「イアソン、ねえ」

 思わず、と言ったように、ドレイクはそのなじみの薄い名前を呟いた。

 イアソン、という英霊の名前程度は座の知識として知っている。人望厚い類まれな英雄として生き、そうして最後は惨めに死んでいった、哀れな人物。人類史において、海洋冒険の黎明を拓いた人物と言えよう。まぁ、ドレイクとしては特に尊敬も何もないのだが。

 アルゴー船とイアソンの名は不可分である。それだけ結びつきの強い名前ではあるが、この特異点で、イアソンという存在は妙な靄の中に淀んでいる。

 「メディア、アンタもイアソンとはほとんど喋ってないんだろ?」

 「はい。最初は私たちの前に顔を出してくれていたんですが、内紛のごく初期から神殿の奥に籠り切りになってしまって」

 「開けてみたら蝉でも出てくるんじゃないかい?」

 メディアは身体を小さくして、申し訳なさげに俯いた。英霊の座に昇った後のメディアとイアソンの関係性は不明だが、やはりこの2人の関係性も強固なものがあるはずだ。そのメディアが何も喋れてない、というのは、如何にもおかしい。

 「アンタもかい?」

 「そうですね、私もほとんどイアソンとは喋っていません」対照的に、ケイローンは冷静な様子だ。「ただ内紛初期の時点で、相当面喰っていたようです」

 「仲間の離反ってことかい?」

 「恐らく。ただ、ヘラクレスは仲間についてくれましたから、最終的には」

 「神代に戻るっていう動機についても聞いてないかい?」

 「えぇ、そちらも特に」

 メディアは同じような仕草で、やはり頭を下げるだけだった。

 畢竟、まだ見えているのは敵の漠然とした目標だけで、その目標に対する動機は見えてこない。それにこの事件の要石にもなるだろうイアソンも、表に出てこない。

 「まぁ、だが正直に言えば、その動機やら何やらは関係ないんだ。要するに、敵を倒しさえすればそれでいい。別に、事件が解決せずとも、倒すべき敵を倒せばいい。私たちは、別に、誰かと違って“名探偵(エルキュール)”ってわけじゃあないしね」

 誰か、と言うフレーズだけ妙に強めにライネスは口にする。特に誰も気にした風もなく、ただ意外そうな視線だけが彼女に集まっていた。

「 敵の動機はともかく、最終的な着地点が見えている。逆に言えば、動機や何やらがなんであれ、神代への回帰という目標さえを潰せば終わりってことさ」

 ライネスは椅子に腰かけながら、別な人物に一瞥を渡した。

 次に、おっかなびっくり立ち上がったのは、立華藤丸だった。えぇと、と妙に吃っては手元のタブレット端末を無意味そうに弄ってる。隣に座るクロに小突かれてようやく気を取り戻したらしいトウマは、わざとらしく咳払いをした。

 「えーと、これってこうかな」

 ウエストポーチから取り出した端末を操作する。リモコンらしきそれのスイッチを押し込むと、向かって正面のボードに投射映像が浮かび上がった。

 「わースゴイ」

 「いや、そんなすごくはないです。ただのパワポみたいなもんなんで」

 無邪気そうに言うメアリーに、トウマは若干照れのような表情を浮かべた。そうしてまた咳払いすると、「えーと皆にはもう一旦情報は見てもらったと思うんですけど」

 さらに、スイッチを押し込むと、空中投影された映像枠に、諸々のデータが立ち上がった。

 「ヘラクレスの柱……」

覚えず、というように呟いたのは、マシュだった。そうです、と相槌を打つトウマの表情は、真面目というよりは深刻な色調だ。

 「ヘラクレスの十二の試練の内の一つを達成する際に行った、山割り。詳しい話はここではしませんが、要するにヘラクレスの柱は現世と異界を繋げるための門、あるいはそれを繋ぎ詰める柱に相当するものだと考えられます」

 「神代は世界の裏側へと逃れ去った。視方によっては、神代は現世の果てにある異界と見做すこともできる、ってわけか」難しい顔をしながら、ライネスは手慰みにつんと立った鼻頭を撫でる。「ある種、世界を繋ぎ詰める聖槍、か。神造兵装の可能性すらあるのかな、これ」

 「確かにあのヘラクレス、ランサーだったわね。つまり、ヘラクレスの宝具がその柱であり、その宝具の発動によって神代回帰は始まるってことかしら」

 「わかりませんけど。その可能性もあるんじゃないかな、って」

 意外にもメルトリリスの発言に、やや緊張した様子でトウマは応えた。

 つまるところ、動機はともかく、方法論としてはヘラクレスが神代回帰の鍵ないし要石そのもの、というわけだ。人理定礎が既に崩壊しかけ、異なる歴史へと進み始めるスタート地点、特異点(シンギュラー・ポイント)になりつつある16世紀。神代を解放しようものならば、崩壊は取り返しのつかない決定的なものになるだろう。

 だが、逆に言えば、まずヘラクレスさえ撃破すれば、敵の思惑を挫くことができる、とも言える。

 「私が言えたことじゃないと思うんだけど、宝具ありすぎじゃない? 普通、サーヴァントが持って来られる宝具って、1つか2つだと思うんだけど」

 クロは呆れた様子で肩を竦めた。確かに彼女は人のことは言えた義理ではない気もする。

 「『十二の試練(ゴッドハンド)』と『十二の栄光(キングスオーダー)』、その柱と『射殺す百頭(ナインライブス)』と考えれば4つですか」

「全部が全部インチキ宝具じゃない。そもそもさ、2番目の宝具が1個カウントなのも卑怯よ」

 「普通、真名看破したら致命傷になるのがサーヴァント戦なのですがね」

 いや増しに呆れる素振りのクロに、指折りで数えていたケイローンもただただ苦笑いするばかりだ。ケイローンの発言ももっともで、前2者の宝具だけで、いわゆるトップサーヴァントとて歯が立たない化け物であろう。それに加えてヘラクレスの技倆そのものが昇華した宝具に、おそらく超一級品……話を聞くに、神造兵装の可能性すらある武装。ここにいるサーヴァント全員で戦っても勝てなさそう、と思わされるサーヴァントだった。

 ヘラクレスを倒しきれば勝ち。ある意味シンプルな結末だが、その結末に至るのは困難極まりない。Plus Ultra、とは皮肉なものだ。

 「あのー、ちょい拙者から質問なんですが。それだとなんであの筋肉達磨、宝具を使わないんすかね?」

 「これは推測なんですが、あの宝具にはなんらかの発動条件があると考えられます。それが何なのかはわかりませんが」

 「その条件が聖杯かもしれない、ってことかな」

 眠たげな垂れ眼のまま、リツカが言う。多分だけど、と前置きして、リツカは覗き込むようにトウマを上目で覗き込んだ。身長156cmの小柄な体躯にちょっと照れたように表情筋を動かし損ねながら、トウマは頷きを返した。

 「聖杯と槍ってセットで語られるからさ。ロンギヌスの槍であれ、アーサー王伝説の聖槍であれ。ギリシャ神話とはあまり関係ないっちゃないんだけど、でも別な神話体系による模倣は、真性の再現よりも時に特異的な状況を発生させる傾向がある、みたいな学説があるんだよね。受け売りだけど」

 「神話は別な系統樹を取り込むって奴か。それこそ、教会の専門ってわけだ。どんなことが考えられる、リツカ?」

 「そうだなぁ」ライネスに水を向けられ、彼女は柄にもなく考える素振りを見せた。「御子の死を確認するために、ロンギヌスは肋を刺し、滴る血を聖杯は受け止めた。逆説的に、聖杯が受け止めるべき血、そしてその血が湧きだしたる聖なる槍で傷つけられた肉体は、聖性なる子ってことになるのかもしれないね」

 独り言というより独語にも似た語りのあと、リツカは、確信めいたことなど一切ないふわふわした声で〆た。

 「英雄としての側面ではなく、神性(主神の子)としての側面を強調したヘラクレスの再召喚。私なら、それを狙うかもしれない」

 凪いだ、海のような闃然が静かな波を打つ。明らかに荒唐無稽な話だが、現状、ただの飾りに過ぎない聖杯を、呪物として運用するならばもっとも強力なものになるだろう。そしてその現実は、可能性として、なお強力なヘラクレスと戦う可能性もある、ということだ。

 「でもどうなんだい? そんなごった煮宗教みたいなこと、ちょっと信じらんないけどねぇ」

 「そうだね、はっきり言って与太話だと思うけど、可能性は0じゃない。この世界はあくまで無限の傾向性の量子が広がっている……っていうとあれだけど、要するに、組み合わせや接続は全ての出来事に適応され得るんだよ」

 ほんわりと笑うリツカ。側頭部で一つ結びにした髪をかき回した仕草は、なんでもない、とでも言いたげだ。

 「まぁこの可能性は考えなくていいんだよ。というより、そこまでされたら負け。聖杯にせよ別な要素にせよ、ヘラクレスの柱が本領を発揮したら、そこで人理はお終いってことさ」

 「お終いなんだから、深く考えてもしかたない?」

 蠱惑的な鋭い笑み。そういうこと、と応じるリツカの気だるげな笑みに嫣然を浮かべたクロは、「リツカは変わらないわね」と続けた。

 「ドクターは微妙そうな顔してそうですけどね」

 「気持ちよく、無責任に、ですね」

 続くトウマもマシュも、いつものこととでも言うように、4人で顔を見合わせる。ライネスはちょっとだけ不思議そうな顔をしながらも、しょうがないな、とでも言いたげに吐息を漏らしていた。

 「いいねぇ、そういうヤケクソな感じ! アタシら狼藉者に似合いじゃないか」

もちろん、フランシス・ドレイクも基本的にはやけっぱちさではリツカと同等だった。というより優れた知性の反動とでも言おうか、海賊船の船長なんてやってるんだから当然と言うか。知性だけで、世界一周の航海などできたものではないのだ。

 「あ、そっすかねドレイク船長」

 「あ。うん、多分」

 とは言え、なんともリツカと接しにくいドレイクなのであった。ほんわりと表情を緩めるリツカはどう見てもあの女王とは重ならないのに、何故かちらついて仕方ない。らしくないように、ドレイクは苦笑いするばかりだ。

 「これまでの話を総括するなら、まずもってヘラクレスの打倒をしなけりゃならないってことだ。それで特異点が修復されるかどうかは不明だが、それにしてもヘラクレスを撃破しないことには始まらない。そこで次の作戦の戦略目標はヘラクレスの撃破、そこに尽きる」

 「もしこのくそったれな世界が終わらなきゃあ、そん時はそん時か。馬鹿にもわかりやすくていい」

 コロンブスの合いの手に、釣れない様子で頷くライネス。それで、と口にすると、彼女は背後の姿を丐眄した。

 「それで、ヘラクレスを撃破する手段は、クロ。最後は君がヘラクレスを倒す。そういう手筈で良かったかな?」

 「問題ないわ。ねえ、トーマ?

 クロの口ぶりは軽い。他方のトウマは、ただ厳めしいような顔で、頷いただけだった。いつもの頼りなさげな雰囲気は変わらないけれど、微かな緊張が滲んでいる。

 「よし、じゃあ私とドレイク。リツカと、あと……メディア。あとは、私たちの仕事だ」静かに、そして満足気に座り込むライネス。ちらと送った視線がドレイクと重なると、如何にも悪戯っぽい、それでいて悪魔じみた嫣然を口の端に惹起させた。

 「戦略は決まった。戦略目標を達成するための手筈も決まった。あとは、その結末に至る脚本(戦術)を書けば、あとは完成だ」

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