fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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開戦Ⅰ

 アルゴノーツ拠点より北西40km地点

 洋上 黄金の鹿号(ゴールデンハインド)、船長室にて。

 

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルテは、船長室の席で思いのほかくつろいでいた。

 これから最後の戦いが始まろう、としている。敵はあまりに強大だ。果たして、うまく行くのだろうか──そんな疑念は、当然ある。司馬懿の人格が裏に居るせいか落ち着きはあるが、それでもライネスはライネスだ。司馬懿の人格の多くを譲り渡された身としては、重責を感じないでもない。彼女は時計塔の政争では肝の太いところを見せられるのだが、流石にこんなスケールのデカい話ではビビる。

 まぁ、でもそれはそれ、と割り切れてもいるライネスである。彼女自身、この世界とは別な時間軸から召喚された依り代である。“客人気分”と言えば、その通りだ。

 無責任極まりない心情だが、無責任さとは放胆さを担保することもある。リツカが言わんとしていることは、彼女もわからなくはない。義兄をエルメロイの家系に縛り付けたのは、別に落ちぶれた家名を元に戻そうとかそんな気持ちからではなかった。

 最も、流石にここまで無責任を振りまく素振りはできなかったわけだが。その意味というか気楽さでは、リツカはちょっと、スゴイと思う。

 ある意味で、頭がいい。

 この世界の命運を担う、なんて言えばプレッシャーは凄まじいことこの上ない。精神構造がイカれている魔術師であっても気狂いになるだろう。そんな重圧を前に、リツカは建設的逃避を行っているのだ。しったこっちゃないわ、とヤケクソ気味に重圧を切って捨てた上で、無我夢中で任務に従事する。開き直りも度が過ぎていると思う。そして多かれ少なかれ、マシュも、クロも、トウマも、そんな気風に生きている。

 とどのつまり、現状のライネスのくつろぎは、まずもって、開き直りである。あるいは居直りか。

 「ま、ここまで来ちゃったんだからあとは野となれ山となれ、だ」

 決して座り心地のよくない饐えた椅子に身体を預けながら、ライネスはドライフルーツを一つまみ。甘みとともに酸性も凝縮されたキウイに眼やら口やら窄めると、ライネスはのんびりと腕時計を一瞥する。

 時刻は、AM0:20。予定時間まで、残り10分。

 (ういーこちらクイーン・アンズ・リベンジ、マイクテスマイクテス)

 なんともまあ気の抜ける声が耳朶を打つ。網膜投影される通信映像には、SOUND ONLYの文字が無機的に横たわっている。黒髭ことエドワード・ティーチは、いつなんどきも泰然としている。

 「こちらゴールデンハインド。感度良好」

 (美少女ライネスちゃんの……感度が……?)

 妙に、()()()とした声だった。罵声を浴びせる気も起きずにただただ黙っていると、自分の内側から交代を打診する声が耳朶を打つ。セプテムでは主人格を担いつつも、カルデアではすっかり後ろ側に退いてしまった司馬懿だ。こんな時は表に出てこようとする。ライネス自身は理解していないことだが、実のところ2人はよく似ているのだ。

 《良いよ別に。慣れた》

 《ならいいのだが》

 司馬懿の口調には一切の慮るところがない。善い気遣いとは、過剰な押しつけがましさがあるか、一切押しつけがましさが無いか、そのどちらかだ。

 (ちなみに拙者の感度も3000倍で良好ですぞゥ!)

 「ソウデスカホウコクアリガトウゴザイマス」

 わしゃ、とドライフルーツを鷲掴みにする。ミカンだとかレーズンだとかをまとめて口に放り込んでもきゅもきゅすること10秒ほど。とにかく雑多な甘みで口の中を攪拌し、紅茶で口腔内を流し込む。いっそ耳洗浄とかできないのかな、と思いながら、ライネスは眉間の皺を指でマッサージする。少しだけ、義兄の気持ちが分かったような気がする。

 (あーそれでですね)とりあえずふざけ終わったのか、黒髭はようやっと本題を話すことにした。(こちらは砲撃準備完了してますぜ)

 「了解。じゃあそろそろおっぱじめようか」

 (おっ……ぱ……? の感度が―――?)

 「ハイハイ、通信終わり」

 さっさと通信を打ち切る。ぶち、と耳道で音が爆ぜ、ライネスは思い腰を持ち上げた。

 「うひゃあ」

 船長室から出たライネスの素っ頓狂な悲鳴は、たちまちに雨風に飲まれていった。横殴りの風雨が、ライネスの小さな身体なんて軽々と浚ってしまいそう。慌ててベレーを抱きかかえる。

 たちまちトレンチワンピースがずぶ濡れになったライネスは、ちっちゃな体躯も相まって濡鼠そのものだ。

 這う這うの体で階段を駆け上がる。甲板(デッキ)に上がった彼女を出迎えたのは、豪風暴雨の雷撃にも負けない万雷の叫喚だった。

 雨風もなんのそのとでも言うように駆けまわる亡霊たち。黒髭に付き従う亡霊たちの内の何人かがクルーとして乗り込んでいるのだ。

 宝具と化したゴールデンハインドの運営に、人手は要らない。それこそ本来の持ち主であるフランシス・ドレイクならただ1人で十全な運用を可能とするだろう。身一つで手足のようにこの黄金の牝鹿を操るはずだ。

 だが、ただ一時的に宝具を貸し与えられているライネスにはドレイクと同じ練度の操舵はできない。それ故、だ。

 最も、客観的に理解するならば、ただ2日でゴールデンハインドを乗りこなせるように自らを錬成したライネスの執念は凄まじい。魔術の精密運用に長けるが故ではあろう。

 再度、網膜投影される映像を一瞥する。タイムカウンターは残り5分。デッキでこちらを見送るクルーを見回し、ライネスは無線封鎖する4騎以外に無線のチャンネルを開いた。

 「総員傾注(おはよう、君たち)。こちらヘッドクオーター。とてもいい天気だと思わないか、君たち」

 無線の奥、小さく笑い声が広がる。あくせく動き回っていた海賊の亡霊たちも、今だけがライネスの声に耳を傾けていた。

 「あと5分で作戦開始だ。オペレーション・ヘーラなんて、気が利いてると思わないか?」

 笑う声が漣のように騒めく。満足気に手を挙げたライネスも、思わず小さな笑みを浮かべた。

 「さぁ、この作戦の意義を考えようじゃないか。君たちはこれから、人類史をかけた作戦に身を投じることになる。君たち海賊が、この人類を救う担い手になるというわけだ。

 大航海時代。君たちが世界を拓いたこの時代は、正しく人間の時代の開闢だ。狭き神の世界より出で、誰も知らない未知へと漕ぎ出した私たち人類の時代だ。決して古ぼけた老人たちの時代ではない。

 ギリシャの耄碌たちに教えてやろうじゃないか。海の本当の覇者が誰なのか。16世紀の海が誰のものなのか、教えてやろうじゃないか。

 私たちは絶滅しない、私たちが生き延びるために、共に戦おうじゃないか、人理に誉れ高き大海の群雄(つわもの)どもよ!」

 高く、ライネスは手を掲げた。

 一挙に高まる緊張。タイムカウンターは残り30秒、擦り切れるような焦燥の中、ライネスは視界の端でゴールデンハインドと並走するクイーン・アンズ・リベンジの姿を捉えた。

 「砲撃用意!」

 (砲撃用意!)

 視界の果て、黒雲の下に浮かぶ影。島の姿を捉える。

 (カウント開始。5、4、3──)

 他人事のようだ、と思った。

 吹き荒れる嵐も、遠くに飄逸する島も。あらんばかりに張り上げる自分の声も、緊張のあまり嘔吐しそうになる内感さえも。

 セプテムの頃は、その多くを司馬懿が担っていた。ライネスは人格の裏で、ただ眠るように傍観していたに過ぎない。だから、今もって戦場のリアリティが何なのか、わからない。いや、そもそも、リアリティなどこんなものなのかもしれない。アメリカのハリウッド映画の方が、まだ現実味がある光景。人類の存亡をかけた戦いなどという妙に誇大なキャッチフレーズにしては陳腐で、ちんけな大パノラマ。ライネスはそんな非現実感の中、視界を過った表情たちを、網膜に焼き付けた。

 聖杯戦争に赴いたという、義理の兄だろうか。身一つで神造兵装の影を操る兄の内弟子だろうか。それとも、獣性魔術を操る生徒の1人だろうか。それとも、同じく生徒の1人で、インチキ魔術ばかり使う天才バカだろうか。

 数多かける見知った顔。最後に、唐突に、あるいは必然的に過った影に、ライネスは強張りにも似た別種の表情を浮かべた。ライネスとは対照的な、白銀の髪。サイドでひとまとめにした、傲岸で、それでいて義務感に満ちた、自分と左程変わらない姿の彼女。この世界にもきっと彼ら彼女らは居て、そして今、轡を並べる”友人たちが居るのなら。ライネス・エルメロイ・アーチゾルテのやることは一つしかない。

 それが、エルメロイ家の次期当主の意地のようなものだ。

 (0!)

 「|撃てェ《ファイア」!」

 振り下ろす、彼女の手が合図だった。

 並走するゴールデンハインド、クイーン・アンズ・リベンジの左舷に搭載された砲塔、その数は40に達する。重なる起爆の音は耳を聾するばかり。暴風雨の音すら押しのけ、無数の砲弾が黒天を切り裂いた。

 

 

 「帰るか」

 降りしきる雨の中、カストロは陰鬱に地面を見下ろしていた。

 森の屋根に遮られてなお、雨粒は殴打のように痛い。大気を斬る風の絶叫に神立ちが迸り、樹々は悲鳴のような音を軋ませている。すっかりぬかるんだ地面は歩くたびに汚水が飛び散り、足元はすっかり泥だらけだ。暴戻のような天候が、島の上に横転している。

 びちゃ、びちゃ。歩くたびに足元で水が爆ぜる。前後不覚に陥りながらも、カストロは真直ぐ神殿を目指していた。

 神殿に早く戻らなければ。ポルクスは間違いなく、そこに居る。

 戻って何をする。いや、そんなこと、考える間でもない。とにかく謝らなければ。酷いことをしてしまったのだから。

 だが、足取りは重い。単純に、気まずいのだ。彼彼女らディオスクロイにとって、こんなことは、初めてだったのだ。意思の疎通すらうまく行かずにすれ違うことなど、なかった。

 どれもこれも、人間どものせいだ。下等な種族の癖に、永劫変わらぬ神を侵すなどまかりならぬことだ。

 だが、と首を擡げ始めた思考から逃れるように、カストロは遁走した。いや、何から逃れているのだろう。自分でもわけのわからなくなったまま走り続けたカストロは、足をもつれさせて、地面に頭から激突していった。

 泥水が口の中にまで入り込む。ただただクソ不味い汚水が口腔内いっぱいに広がって、カストロは嘔吐するように吐き出しかけた。だが、そうはしなかった。濁った水溜まりから顔を上げたカストロは、口の中の泥水を嚥下して、眼球にまとわりついた汚水を拭った。

 雨が酷い。殴打のような雨が痛い。星のように綺麗なはずの金の髪は文字通り汚水を被った汚さだった。

 ただ我武者羅に走り出したカストロは、それに気づけなかった。

 飛来する砲弾。宝具と化したガレーから放たれた先込め式砲塔から放たれた質量弾は、当然、サーヴァントとて耐えられるものではない。

 しかもその砲弾、放ったのはかのアン女王の復讐号。乗り合わせるものが多ければ多いほど威力を増す特性は、極めて高い耐久値を持つディオスクロイとても耐えられぬものだっただろう。

 普段の彼なら、仮にレンズシバとカルデアスを併用して行われる精密砲撃とて躱すことなど大差ない。躱せなかった理由は、いくつかあった。

 彼の精神状態。まずそれが1つだ。極めて不安定な……神らしくない不安というトンネルに迷い込んでしまったカストロは、いつもより色々なものが鈍かった。

 だが、それだけではない。そんな個体的な心情は、要素の1つだが、要因としては大きくない。

 最も大きい理由は別で、それこそが、この戦いが始まった条件でもあった。

 そもそも、この島は魔術・光学的に秘匿され、被発見リスクは極めて低い。その時点で、まず直接攻撃が加えられる可能性など想像もつかない。さらに、仮に発見されたとしても、やはり直接島内に打撃を加えるのは容易ではない。神代の魔女手製の結界は、物理・魔術的な干渉を妨害する。Bランクの宝具でようやく貫ける、という堅牢さ。

これら2要素から、島内に攻撃がくるなど全く以て理外のことだった。いずれその可能性はあるかもしれない、という予感はあれど、可能性そのものは薄い。来たとしても、遠い未来のことの、はずだ。

だから、カストロに躱すことなどできはしなかった。Aランクに匹敵する【直感】でもあれば話は違ったが、どちらにせよカストロにはそんなものはありはしない。畢竟、カストロにはその不意の砲撃を躱すことは、不可能だった。

 あ、と思ったときには既に遅かった。振り返り、大質量の砲弾を視認した1秒後には、もうカストロの肉体は挽肉になる運命を避けられなかった。

 迸るような叫喚が、横殴りに唸った。カストロを突き飛ばしたのは、巨大な黒塊。滾るような声は霹靂のよう、ダンプカーが突撃するような衝撃に気絶しかけたカストロは、ただ、その光景を眺めていることしかできなかった。

 直撃する砲弾、砕ける骨肉。顔面を砕かれた2つ首はそれで即死し、残り1つ首も頭蓋を破砕され、致命傷だった。

 力無く萎える巨躯。首一つで大岩ほどもある、浮遊する三つ首。神獣ケルベロスが本来の姿、冥界の番人は見るも無残な姿で朽ちていった。

 カストロはただ、その骸へと駆け寄った。

 ほぼ、即死だった。霊核は既に高次へと退去し、急速に腐敗を始めた血肉が泥濘のように地面に広がる。泥水と混ざり合って、ケルベロスの肉体は消滅を始めた。

 唯一、霊核が消滅しているにも関わらず、三つ首の内の1つがウウウ、と唸り声をあげた。頭部を砕かれ青紫色の脳漿が飛び散り、視神経が繋がったまま眼底から零れ落ちた眼球が、幽らと風雨に弄ばれていた。

 どうすることもできなかった。高位の魔術師、それこそメディアであっても、これほどの致命傷はどうしようもない。カストロはただ、加速度的に覆滅していく神の獣を傍観している他なかった。

 まだ、獣は低く唸っていた。自らの命を絞り出して嘔吐するみたいに息を漏らして、残った一つ首の、まだ生きている眼球が、カストロの姿を捉えていた。

 犬、は表情筋の発達の都合、顔で楽しいという感情を表現できない。尾で感情を表現するが、神獣ケルベロスの神体は、ただ首だけが浮遊しているという姿だ。何を想い、何を感じているのか、カストロには理解し得なかった。ただ彼に出来たことは、じっと見返してくる魔犬の目を、見返してやることしか出来なかった。

 時間にしてみれば、わずか10秒程度。カストロがようやっと何かを言いかけた時には、白く濁った眼球が、そこにあっただけだった。もう、ケルベロスではなかった。ポルクスに懐いていた、ケルベロスでは。

 そうして1秒後、巨体は瞬く間に消滅した。蛍の燐光のような霊基の残照も、すぐに大気に溶けていった。

 カストロは、彼女の名を口にした。強張るような口角からなんとか声を絞り出し、

 今度は、その気配を知覚した。背後から襲い掛かってきた気勢に対し、即座に円盤を叩き込んだ。

 「これは」

 あまりに果敢無い手応えとその砕けた残骸に、カストロは目を細めた。

 降りしきる豪雨、揺れる密林。轟くような音に紛れて、きしきし、と何かが群れている。人間とは異なる骨格が剥き出しになった、奇怪な形の兵士。竜牙兵の群れは、カストロに対して明確な敵意をぶつけてくる。

 「メディアの造反か。いや、轡を違えたのは、オデュッセウスもか?」

 既に骸と化したケルベロスを背後に思う。

 幻想種の多くはヘラクレスから呼び出されているが、その指揮権はオデュッセウスに一任されている。あの男の完全な統率があったなら、ケルベロスはカストロを助けるなどという愚行はしていなかったはずだ。カストロ1騎よりも、神獣ケルベロスの方が遥かに強力なのだから。

 何がどうなっているのか。判断材料はなにもない。判断材料がなにもないなら、ディオスクロイの片割れがすべきことは一つしかない。

 踵を返すカストロ。以前なら、あれほど感じられた妹の存在が、感受できない。なら、彼女の下へと走るしかない。

 地面を蹴り上げ体躯を前に。天に煌めく星のように、カストロは泥の大地を踏み抜いた。

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