fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
アタランテが崖に躍り出たタイミングと、砲撃の着弾は同時だった。
島を揺るがす、何度目かの激震。今の一撃で誰かが死んだだろうか。過る思案は脳内で停滞し、アタランテは吐き気にも似た感触を味わった。
暗く荒れた海、視界を切り裂く暴雨。その先に、黒煙を吐き出す船2隻を認めた。
あれだ。あれがこの島に火力を投射し続ける戦力。ブラックバートの船は沈んだはずで、ならばエドワード・ティーチのクイーン・アンズ・リベンジに、フランシス・ドレイクのゴールデンハインドに相違ない。
戦況は不明。オデュッセウスとは連絡が取れない。メディアともだ。しかも島の魔獣たちが不意に活性化し、目につくものを所かまわずに攻撃している。何をすればいいのか、アタランテにはわからない。わからないから、彼女はすべきと思った行為を執行する。
ぎりぎり。だがレンジ内。宝具で撃破できる。
箙から矢を取り出す。天弓タウロポロスの弦に矢筈を重ね、ぎこちなく力みながら弦を引く。
脊椎を逸らし、肋を伸ばす。左肩を上げ右肩は下げ。鏃の先を、曇天の空に持ち上げる。およそ弓術にあるまじき構えをとったアタランテは、厚く暗い雲の先にあるはずの星々を幻視しようとした。
だが、見えない。彼女が信奉していたはずの月が、見えない。元よりそんな資格もないはずだと思い知らされるようで、アタランテはただ悲嘆に暮れるように顔を歪めた。
「太陽神に、奉る」
わかっていたことだ、と歯噛みする。それでも追うべきものがあると妄念を加速させ、アタランテは強張る力を解けるように抜いた。
「『
矢、天翔ける。雨粒に打たれ朔風に煽られ、覚束無い軌跡を描いていく。訴状は届き、天よりアポロンの矢が届けば終わりだ。如何な宝具のガレーとて、矢の掃射に耐えられるほどはない。
それで終わって、その後はどうするのだろう。状況が不明すぎるが、とりあえずオデュッセウスを探せばいいのか。それともメディアなのか。いやそうではない。すべてが終わったら、やるべきことがあって―――。
宙に、神立が泳いだ。
剣閃が奔る。荒れる水面より飛翔した疾駆が、天へと翔ける訴状の矢を叩き落し、アタランテの傍に着弾するなり、ランクAの神秘を内包した爆風が巻き上がった。
一歩間違えれば、その爆炎に飲まれてアタランテは消滅していたかもしれない。だというのに、アタランテはその一歩を動かすことすらできなかった。
美しさは、いつも他を置き去りにする。アタランテの事情など全てを置き去りにする黒い弦月が、大地に落着した。
「みぃつけた」
ぎらり。鋭利な鈍器のような凄絶を笑みに引き連れ、黒い影が笑う。どす黒い不格好な姿は、
「ほら、さっさと降りなさいフジマルリツカ。
「うえぇスパルタすぎる」
「早く離れなさい」
「アイ」
ぐしゃぐしゃと地面になだれ込むもう一つの影。鉱山排水を浴びた岩が酸化したかのような髪色の人型は、メルトリリスの背中から地面に水溜まりのように蹲ると、のそのそと離れていった。
「こうして顔を合わせるのは初めてね。でも貴女のことはよく知ってるわ、散々私のこと射殺してくれたもの。とっても痛かったわ、ねえアタランテ」
しゃらん、と黒い醜鳥が首を傾げる。真雁が首を振るような仕草の野蛮さは、艶やかと奇妙な結合双生児を形作る。
この怖気はなんだろう。過剰な美質が特に醜悪であるのと、醜悪でないものは過剰な美質を持たない関係性。非合理な論理学的対偶を身に纏う姿は、否が応もなく心をかき乱す。この、怖気はなんだろう。
有り体に言ってその情動の名を、畏怖、と呼ぶのではなかったか。
「私を封じに来た、と言いたいわけか」
かろうじて声を引き絞り出したアタランテに対して、メルトリリスは幾ばくか失望したように眉を寄せた。
「そう。でもそんな戦術的な理由だけじゃないわ。だってあなた、月女神の関係者なんでしょう? あんな綺麗な射を見せてくれるのだもの。貴女、とっても、美味しそうだもの」
ずるりと舌なめずりする蒼褪めた黒影。デビークされていない嘴をかちゃかちゃ鳴らすように、ぬるりと肉薄する。
ただただ不気味。人形が人語を語っているかのような怖気は、決して話している内容によって齎されているわけではない。
胡乱なまでの視線、射し穿つような視線。アタランテという存在を責め立てるような視線が、ただただ苛立ちのような夥しい疚しさが惹起する。
アタランテは無言のまま、タウロポロスを構えた。箙から矢を取り出し射出するまで、ナノセカンドの閃光。その速度は、アタランテという英霊の出自を否が応もなく思い出させる。異次元の逃亡者として数多の英雄を置き去りにしてきた果敢なアタランテの逸話。彼女の俊敏を思わせる早撃ちだった。
だが、ただ速度があっただけだ。かつての競い合いのような勇猛はなく、ただただ、何かから逃れ去るようだった。指が矢をリリースした瞬間には、負けを悟った。一瞬でアタランテの近接戦闘領域(クロスレンジ)に侵略した黒い旋風が魔剣を振り上げ、放たれたばかりの矢を容易く切り落とした。
箙から次の矢を抜き放つ。逆手に握ったまま鏃を叩きつける。眉間へと迫る金属の切っ先を悠然と寸で躱して見せるなり、反撃の剣戟が掬い上げるように閃いた。
猛禽が強襲するような、伸びやかに引き絞る体躯の挙措。縦回転と同時に放たれた踵の魔剣はあわやで躱せず、アタランテの右前腕の薄皮を切り裂いた。
上皮から真皮へ、筋組織まで抉れる。あまりの剣の鋭さか、痛みもなければ血すらでない。ただごそりと抉れた肉質から、尺骨が覗いていた。
振るわれる踵の剣。左足を軸に、神楽のように舞う躯体、魔剣の狙いはアタランテの頸だった。
飛び跳ねるように背後に飛び退く。英霊アタランテの全力の逃避だったが、それでも遅かった。剣は喉元を切り裂き、この時は、呼気とともに鮮血が噴出した。着地するだけの余力すらなかった。自分の生み出した推力を制御できず、背中から地面に激突したアタランテは、肺から捩じり出した吐息を喉の傷口から血とともに吐き出した。
息が、苦しい。努力呼吸をするたび、ひゅう、ひゅう、と喉の裂傷から空気が漏れていた。
「いいわ。今のを躱せるなんて、とっても素敵。でも足りなわい、全然足らない。そんなんじゃあ、満足できないわ」
愉悦の睥睨が墜ちる。品定めする野卑な視線を隠しもしない素振りは、極まりの中で美質ですらあった。
「やめろ」
アタランテはただ、その視線から逃れるように踏鞴を踏んだ。後ずさりかそれとも哀願か。酩酊するように、ただアタランテは譫妄、のままに。
「私を、見るな!」
「満足させなさい、この私を!」