fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
寒いな、と思った。
暗い森の中、ポルクスは泥に足を取られるのも構わずに駆けていく。
大粒の雨雫が頬を打つ。二つ結びにした癖のある金の髪も、しなりと垂れている。ソラに浮かぶ星のような、瀟洒な美質を感じさせる彼女のいで立ちも今はない。
もちろん、ポルクスとて英霊である。彼女の来歴は並みいる猛者に勝るとも劣らぬもので、ただ孤軍で大軍に囲まれたとしても彼女の戦意はなんら損なわれるところがないだろう。たかが悪天候に見舞われた程度で、何か心象を損なうことは有り得ない。
だが、この時ばかりは事情が違いすぎた。たとえどんな状況でも、いつもは心のどこかに兄の姿があったから、なんとかできていたのに。今はそれが、亡い。確かに合った繋がりは消えてしまって、ただ、孤絶の中に飄逸しているかのよう。
どうしたらいいのだろう。誰とも連絡が取れない。オデュッセウスとも、アタランテとも、メディアとも。こんな時、どう判断したらいいのだろう。
惑乱する脳髄。失神にも似た眩暈。覚束無い足取りのまま、思わず足をもつれさせた。
「しっかりしろよ、私!」
寸で、踏みとどまる。心臓を殴りつけ、顔を打つ。じくりとした痛みに目を開けて、ポルクスはただ、状況を整理するように沈思する。
間違いなく戦端が開いた原因は、さっきの砲撃だ。何故この場所が知れたのかは不明だが、どうあれ敵に発見されたのは事実だ。この悪天候も、奇襲を成功させるためにこの日を狙ったと考えるのが自然。
だが疑問は残る。それなら何故、今になって組織だった防戦が開始されていないのか。この島の防衛機構……小・中型のゲイザー種の砲撃が開始していてもおかしくないはずなのに、未だにそれがない。確かにこの雨天では大気中の減衰率は高く有効打にはなり得ないだろうが、砲撃しない理由になるのだろうか。それともそれすら何か戦術的な理由があるのか。オデュッセウスは、何を考えている。メディアは無事なのか。
沈思は、そこまでだった。不意に雑音を拾ったポルクスは、近場の木陰に飛び込んだ。
何か居る。森の中を、何かの一群が駆けている。魔獣ではない。魔獣の割には妙に人為的というか作為的な歩行音だ。だが竜牙兵でもない。竜牙兵にしては、足が“重い”。
なら敵のサーヴァント、と判断するのが妥当……いや。
瞬間、ポルクスは身を屈めた。数瞬遅れて横薙ぎに振るわれた斬撃が、あまりに容易く樹木を両断した。
見つかっていた。ぶわりと肌が粟立つ。大理石を掘りこんだかのような白い鎧の長躯に、ポルクスは何か言い知れない怖気を感じた。
何か、妙な感触だった。自分に馴染みの世界に、妙な沁みが広がるような、不快感。それが何かと思考している暇は、なかった。
振り下ろされる得物──剣にも似た槍の一撃を剣で打ち上げ、踏鞴を踏む体躯の鳩尾へと肘鉄を撃ち込む。怯んで無防備を曝したところで、敵の頸へと剣を振るった。
頭がずり落ちる。頸部動静脈から鮮血と暗血が噴き出し、覗いた脊椎から髄液が零れた。1騎撃破の余韻はなく、続けて襲いかかってくる敵の攻撃に剣を重ねた。
重い。腕が軋むような威力は、英霊のそれと大差ない。
剣を弾き返すのも無意味だった。間隙を縫うように肉薄するさらに2騎。一刀で2騎を振り払えば、その合間を縫うように別な2騎が放った矢が肩と足を抉った。
総数、5騎。1騎仕留めたが残り4体。
剣を支えに、立ち上がる。品定めするような視線を跳ね退けるように、彼女はずらりと睨み返した。
状況がわからない。この敵が本当に敵なのか、それすらわからない。
こんなところで、朽ちるわけにはいかない。神代に戻るとか、そんなことはどうでもいい。ポルクスには、そんなことどうでもいい。ポルクスにとって重要なのは、もっと別なことだった。
何にせよ、今やるべきことは変わらない。この4騎が何者であれ、ポルクスの内面性など知ったことではないのだ。思いだけで何かが変わるほど、殺し合いは抒情的ではない。そして、それはポルクスにとっても同じこと。こちらに牙を剥くならば、何者であれ殺しきる。それだけの話、だ。
斬り落とされた切り株に身体を預ける。耐久値A++のポルクスにはさした傷ではないが、運動性能そのものの低下は否めない。
切り抜けられるか。いや、切り抜けるしかない。構える剣。飛来した矢を切り落とし、襲い掛かる敵の剣戟を叩き切る。差し込むような刺突が左の三角筋を抉るのも構わず、ポルクスは1騎に張り付くように猪突した。
寒いな、と、思った。
※
「てめえらさっさと装填しろ! とにかく火力を投射しろって言ったろうが! ゲイザーの重光線なんて食らっちまったら今のこの船じゃ持たねえんだぞ!」
檄を飛ばす濁声。先込め式砲塔に砲弾を押し込む亡霊たちを見回しながら、黒髭は黒い影のように浮かぶ島を見眺める。
今次作戦において、黒髭たちの役割は単純だ。最終的な目的がヘラクレスを打倒することで、必要な条件はまずヘラクレス単騎にクロをぶつけること。そのためには敵戦力を抑えつける必要があって、言ってしまえば
宝具化した”海賊船”の特性上、単純な砲撃戦での火力はゴールデンハインドを上回る。英霊黒髭と轡を並べるサーヴァントが多ければ多いほど火力が向上するという特性は、現在の海賊たちに都合がいい。物理的に船の上に居る必要もない、という条件も相まって、その火力は神代の幻想種すら撃殺し得る。
だが、敵の根拠地に火力投射できているのは、一重にメディアのお陰だろう。島を覆う結界が残ったままであれば、如何に『
いや、それだけではない。その他にもメディアが種々手を回したが故に、この作戦は始まった、と言っていい。
「なーんか、気に入らないんだよなぁ」
黒髭は風体通りの黒い髭を手慰みにした。エドワード・ティーチにとって、そもそも裏切りという行為があまり好きではない。彼の生前の話、というよりはフランシス・ドレイクの逸話からの感傷だが、何にせよ人心にそもそも忌憚ない尊重が無いだけに、むしろをそれを損ねる裏切りという行為にある種の嫌悪感を持っていた。
女王メディア、あらゆる策謀に通じた神代の魔女。あんな可憐な見た目をしているのだって、単にBBAが若返りの薬でも使っているだけなのかもしれないのだ。
何を考えてんだろうな、とは思う。字義通り、アルゴノーツのサーヴァントを殲滅させるように動いているように見えるが。果たして何か腹に抱えているのか、それとも本当にこちらに協力してくれているだけなのか。後者があり得ないと思うのは、海賊として生きたが故の自らの狡猾さ、というだけのことではないのか。
考えても詮の無いことだった。というより、そういう陰謀策謀へのカウンターは、自分ではなくライネスたちの考えることだろう。舷側の砲門から一斉射を吐き出したゴールデンハインドを横目に、黒髭は装填完了の合図を上げる亡霊の姿を捉える。
「よぉし離れろ、砲撃用意!」
厳めしい声とともに、高らかに掲げる手指。張り詰めるような指先が天を衝くように持ち上がった、その瞬間だった。
何かが来る。海賊黒髭をして肌が粟立つほどの衝動が飛来した。
宝具となった船体にまで、黒髭の神経は行き渡っている。要するに船が感受する情報は直接その持ち主たる黒髭へと伝達される。即ち、その突き上げるような拍動はアン女王の復讐号の船体を打った、微かな音の波だった。
「おいおいおいおいこっちはガレーなんだぜ、対潜兵装なんて」
直下、迸った。