fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Phantom Punisher-Ⅱ

 あ、という短音が、臓腑のどこかで漏れる。

 風が、吹いている。斑の白に彩られた音速を超える風。人が立つことなど敵わない。

 思っていたよりずっと酷い、なんていう思惟がぽやんと浮かぶ。精神が白くとける。鱈の白子がどろりと溶けだすように。身体も意識も無感動に崩れていく。

 崩れたそれが、継ぎ接ぎされる。量子力学的拡散に晒される肉体、が立ち現れて、集束して、また拡散して集束していく。日本のナントカとかいう哲学者の名前を言ってたのは誰だっけ、誰だっけ。大森正蔵?

 魔術回路と、回路に擬制化された肉体が接合されていく。切って、嗣がれていく。芋虫が蛹になるように身体の裏側が溶解し、別な生き物に、なっていく。クロエ・フォン・アインツベルンという存在者が脱落して、別なハイデガー的実-存に組み替えられていく。ドゥルーズ?

 眼球が潰れた。ぴゅ、と眼球の中の汁が飛び散った。肌が剥けた。リンゴの皮が向けるみたいに。舌を抜かれた。蕪でも引っこ抜くみたいに。鼻を千切られた。重症化した梅毒みたいに。耳を、抉られた。GPS誘導弾が直撃するみたいに。

 全てが無になっていく。

 覚悟、していたのではなかったか。無になる覚悟をしていたのではなかった。

 無為だった。クロエというものを塵の一つも残さず砕かれていく、その刹那の前に、覚悟なんて何の意味もなさない。クロエはただ何もできずに漂白されていく。

 拡散する現-存在の存在。蒼く染まる視界。

 その中で、あの人の、幻を見た。

 ずっと遠くで前を走る、蒼褪めた影。黒い髪でドングリ色の目をした、頼りない男の子。走る速さはものすごく遅くて、クロが奔ればすぐにおいついてしまいそう。

 あの時、何を願ったのか。生きたい、と願った少年の叫びを、聞いて、何を思ったのか。終われない、と前に進む少年の背に、何を抱いたのか。

 理由なんていらない。だって、その想いは、きっと当たり前のものだから。

 ──安心した。

 その想いがあるなら、大丈夫。きっと私は、頑張れる。

 凝固する私。機械的に、組み上げられていく私という自己以前、無意識ですらない存在の存在。

 誓いは、此処に。

 迷うことなく、手を伸ばす。大剣を振るうように手足は空を切る。

 「──見せなさいよ、貴女の、力」

 手が、少年の背へと届いた。

 ──甲板を踏み砕く。

 あまりの衝撃に、デッキがたわむ。竜骨が悶えるようにぎしりと呻き、肋材が慄き凍える。

 誰の声だったかは明白だ。後ろで見ている彼の、声。はためく背中の対の意匠は、女冠者の肉茎か、芋貝の口吻か。

 「天の衣──霊基が再臨した」

 その姿は、小聖杯の具現。紅蓮の如き天の衣に、少女の躯体は再臨した。

 「投影、開始(トレース)

 右手に現れる、黄昏の剣。ケルトは英雄ディルムッド・オディナが有した双剣の一振り。

 ヘラクレスが槍の石突を甲板に叩きつける。異界への門を叩く行為は、宝具『十二の栄光(キングス・オーダー)』の発動だった。

 沸き上がるように現出した影は4つ。嘶きを迸らせてクロへと肉薄したのは、4頭の人食い馬だった。

 計4頭。神代の幻獣は、クロへと食らいついた1秒後───斬殺されていた。

 まず、2頭。投擲されたベガルタが頭蓋を砕き脳髄を轢く。直後馬の頭部より剣を引き抜いたクロは、跳躍の気勢のままにもう一頭の頸に憑りつく。鬣に剣を突き立て一挙に振り下ろし、首を斬り飛ばした。

 もう2頭が背後から迫る。首を斬り下ろした瞬間のクロには、躱すこともできなければ迎撃することも不可能に見えた。

 だが、2頭の怪馬は何が起きたかすら理解できなかった。食い掛ろうとしたところで、一頭が絶命した。対の刃が馬の目を一突きで刺しきり、胴から腰部まで抉り殺す。刹那で肉片まで切り刻まれた肉塊が地面に飛び散り、水溜まりを作った。

 クロは、視認すらしていない。背中から生えた対の刃──腕足動物の肉茎に見えたそれは、聖骸布と天の衣が有機的に結合した礼装だった。オドの活性により礼装の構成物質・想念をイオン化させ、靭性と粘性を変化させることで聖骸布の防御性能を攻撃的に再配置させる特殊礼装。クロの意識に過敏に反応して自律可動する聖典の刃、人理に仇名すものへの殺害権を持つ礼装など、古代の馬には理解の外のものだった。

 そしてもう一頭。恐怖で立ち上がってしまった怪馬の懐に、クロの矮躯が飛びこむ。逃げることもできず反撃もできず、がら空きの胴体に少女の左腕が突き刺さる。外皮を貫き真皮を砕き骨格筋を裂く。ずるりと引き抜いた左手には、脈打つ心臓。血を吹き出す臓器を握りつぶすや、最後の牝馬は水風船のように破裂した。

 巻き上がる血煙。豪雨すら生温い血の雨を浴びた少女は、その眼に巨影を認識する。

 ヘラクレスの挙措が変わる。恐怖でもない、侮りでもない。クロエ・フォン・アインツベルンという存在者の魔術行為を敵と見定めた、敵対行為。敵意が、収束する。

 意識は、冴えている。あの時と違って、混濁はしていない。

 いや、あの時も、はっきりしていた。あの時だって、同じ想いで戦っていたのだから。

 「じゃあ、行くわよマシュ!」

 交錯する幻想。互いに食い合うように、錬成された神秘が激突した。




短めだったので連続で。次は今週金曜の予定です。

天の衣版クロは近々イラスト公開予定です
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