fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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ペルゾーンⅡ

 オデュッセウスがそこに着いた時、足を止めた。

 島の中央、神殿の柱廊。拍子抜けするような平穏に、オデュッセウスは思わず、足を止めた。

 キャスタークラスのサーヴァントにとって、そもそも戦闘行為は得手ではない。特に【対魔力】を有する三騎士との戦闘は、致命的に相性が悪い。それは神代の魔女ですら同じで、だからこそ手練手管を駆使せざるを得ない。いわゆる魔術師の工房や神殿はキャスターが他サーヴァントとまともに戦うための手段の一つで、如何に工房神殿に誘い込むかが戦闘の趨勢を決める肝ですらある。

 オデュッセウスの防具、アテナより授かるアイギスにはAランク相当の対魔力が付与される。それでも相応の覚悟を以て、きたつもりだったのだが。

 だがオデュッセウスは当然油断などしていない。むしろこの拍子抜けこそ油断を誘う罠、と了解し、オデュッセウスは慎重に先を進む。

 アイギスによって再現される英雄オデュッセウスの旅路、宝具『果てに至る黄金旅程(ステイゴールド)』。全射程にて十全な火力を発揮し、防御、捕縛、足止めとあらゆる状況に対応する汎用性の高い対人宝具である。それとは別に所有する対軍宝具も相まって、オデュッセウスの性能は高い水準を誇る。そんな彼をしての慎重さは、オデュッセウスという英雄の質を思わせよう。

 だが、予想に反して、何もない。

 柱廊から前室へ。普段メディアが居る場所にも、やはりない。空間歪曲の魔術によって外見以上に広いが、それだけだ。アイギスの走査をしてみても、何ら手応えがない。秘匿の魔術が成された形跡もない。メディアほどの魔術師であればアイギスの目を掻い潜ることもできようが。

 それはもう、詮の無いことか。

 異様に広い前室を通り過ぎ、オデュッセウスは足を止めた。

 主室の前に、巨大な扉を臨む。メディアはいつも、この扉の前に居た。固く閉ざされた門は、アルゴノーツのサーヴァント誰もが踏み入れたことのない領域だった。

 その扉が、開いている。当たり前のように両開きになった扉の奥で、何か蠢くような音が漏れている。

 何故か、オデュッセウスは躊躇した。異聞のオデュッセウスとしての記録上の心情というよりは、その肉体の底に淀むオデュッセウスの戦きか。口腔内にのたうった粘性の唾液を嚥下して、オデュッセウスは、一歩を踏み入れた。

 主室も同じだ。空間歪曲された部屋は、見た目を遥かに上回る広さがある。部屋を囲む松明が亡霊のように明滅している。いや、実際、そういった類の自然霊が居る。だが所詮は下級の霊体。サーヴァントに干渉できる代物ではない。当然、オデュッセウスは無視した。

 さらに、前へ。儀式に用いると思われる呪具が並ぶ。メディアの来歴を想えば、ヘカテに何かしら関与するものだろうか。オデュッセウスには、そこまでの知識はなかったが、何か禄でもないものであることは確かだ、と思った。

 その神殿の奥で、オデュッセウスは、制止した。

 居た。長い髪を一つ結びにし、女神ヘカテより授かったという特級の魔術礼装に身を包む、神代の魔女にして巫女。メディア、だ。オデュッセウスに対し、背を向けるように地面に小綺麗に座り込む姿は、隙だらけに見えた。剣をそのうなじに打ち込めば、あっさり首が墜とせる。そんな錯覚が幻視として網膜に像を結ぶようだった。

 だが、当然オデュッセウスは行動には移さなかった。ここはメディアの神殿の内。要するに、ここは女神のはらわたなのだ。敵迎撃の指揮も取らずに神殿に堂々と闖入する不埒な侵入者の姿は、当然認識している。背後にいることも。

 メディアが立ち上がる。緩慢な動作は恐ろしいほどの優雅さで、隙だらけのように見えて、何か虚ろな人型の孔が空いているかのような錯覚すら覚えるほどだった。

 「やっといらっしゃいましたか、オデュッセウス様」

 丁寧な口調。育ちの良さを感じさせる柔らかな物腰。振り返ったメディアのかんばせに、浮かんでいるのは莞爾だった。

 「何を企んでいるのかわからないが、これでお前の行為は終わりだ」

 冷静に、言ったつもりだった。実際その鉱物めいた硬質な声色に、感情を読み取れる人間はそういないだろう。だが、メディアは相も変わらずの小さな笑い顔を浮かべたままだ。

 「俺がお前を殺す。ヘラクレスはあのアーチャーに殺される。聖杯を何に使うつもりか知らんが、それでこの特異点は終わりだ」

 まだ、メディアは表情を変えない。能面に滲んだ不気味な破顔は、微動だにすらしていない。

 オデュッセウスは剣を構えた。およそ3間、オデュッセウスなら秒もかからずに強襲できる。アイギスの複合センサーアレイは周囲の状況を理解している。こちらに砲撃を加える術式は確認している。Bランク程度の火力を誇る魔術砲が10門。だがどれも脅威度は低い。アイギスの防御を抜くには威力不足だ。アイギスを貫くならば。あのアーチャーが使った宝具か、それともフランシス・ドレイクのスキル【星の開拓者】が必要だ。たかがBランクの宝具に迫る程度の攻撃など、相手ではない。

 「イアソンを返してもらう!」

 そうして事実、オデュッセウスはメディアへと斬りかかった。

 音速に達する剣。空気を鮮やかに切り裂き首筋に迫る大魔女の剣は、あまりにあっさり、メディアの首を切り落とした。

 鮮血が宙を舞う。首を落とされた胴体は切断面から血と脊髄液を溢れさせ、開いた気道からひゅひゅうと二酸化炭素を主とした気体を吐き出している。ふらふら揺れながらも、死体は座位を保っている。

 床に落ちた首が、大理石の床面を転がっていく。ころころころころ、毬のように転がった生首は、床に空いた穴へと落ちていく。首を刎ね飛ばされた肢体は正座したまま、ちょこなんと座って血を吹き出している。

 穴?

 いや、ただの穴ではない。近寄ったオデュッセウスの目に飛び込んだのは、大地の底へと続くような、地下への階梯だった。

 地の底から、何かが響いてくる。悲鳴と呻きの境目のような音が、果断なく響いてくる。

 背後を振り返る。首から泣き別れになった胴体は、まだ行儀よく座り込んで、血を垂れ流している。

 倒した。にしては、あまりに手応えが薄弱だった。ただの擬制化された囮だったのか? その可能性は高い。だが何のために。

 疑念が頭の中を手繰っている。何を企んでいる。いや、そもそも何故この特異点を作ったのか。

 オデュッセウスは、階段に足をかけた。

 そこも、恐ろしく長かった。単なる空間延長だけではない。延長された空間の構造により、心理的作用すら及ぼす回廊だった。なまじっかの人間であればたちどころに発狂しかねないほどの産物だが、オデュッセウスには無意味だった。彼の下より強靭な精神性もある。アイギスによる魔術的作用への防御もある。物理的な心理的作用も、HMDに表示されるCG補正された映像の前にはさして無意味だった。

 とは言え、そのように設計された回廊である。延々と続く螺旋型の階段にうんざりしはじめてから、さらに、さらに降りていく。この世界が文学的であればその時点で目的地に到着してくれていてもいいものだが、何分真実とは散文的なものだろう。うんざりも加速して無心になりはじめて幾ばくかして、無心すら崩壊した状態もさらに過ぎたところで、ようやっとオデュッセウスは最後の段を踏みしめた。

 オデュッセウスは、足を止めた。

 目前に広がる光景を、オデュッセウスは理解できなかった。別に衝撃的な光景で理性が脱落した、というわけではない。ただ目の前の光景を理解する知識が、彼には持ち合わせがなかった。

 何か、非物質的な……プラズマにも似た何かが、渦を巻いている。直径は5mはあろう。多重化して渦を巻く様は、遠い空に浮かぶ重金属雲の惑星を思わせただろうか。超小型のガス惑星。目の前で蜷局を巻くものは、膨大なエーテル、だろう、か?

 直感的に、オデュッセウスはこの数多の有機化合物が淀むようなそれが何なのか、理解した。

 「はい、その通りです」

 咄嗟、オデュッセウスは周囲を走査する。

 声は特定の場所から発せられたものではない。全天周的に発せられた声は、メディアの声に相違なかった。

 「あなたの直感の通りです。惑星を産む力能、第五真説要素(真エーテル)に近しいエーテルの塊……敗退したサーヴァントたちの、肉体で作った肉団子です」

 声を喪った。今度こそ、それはオデュッセウスの理解の外の事象だった。

 「私もやっと肉を捨てられました。長生きなんてするものではありませんね」

 ころころと笑うような声。ふと気が付くと、足元に、メディアの首があった。虚ろな笑い顔を浮かべた顔は、焦点も合わぬままに転がっている。

 「貴方にはきちんと説明したいと思っていました。一番効率的にサーヴァントたちを殺しまわってくれたので、感謝しているのですよ。オデュッセウス。それに、この特異点の外から悔しそうに見ている人にも説明してあげませんと」

 「このエーテルで、星を産むとでも言うのか? 貴様の人生をやり直すためだけに」

 微かな、沈黙。失望というよりは明確な疑念を纏った沈黙の後、メディアの声は晴れやかにオデュッセウスを否定した。

 「いいえ、そんな非効率的なことはしませんよ。魔術式さんは逆光運河/創世光年(ラストアーク)に拘っているようですけど、私は別に死の否定なんて意味のないことをしたいとは思いませんし。魔法? というのにも興味はありません。私はただ、箱庭が作りたいだけなのです。イアソン様がもっと立派になれる箱庭を」

 一歩。

 オデュッセウスは、足を引いてしまった。思わずの躊躇は、メディアの爽やかな気の違いというだけではなかった。

 多くの神話にて、世界の大地は肉体からできたという類型がある。メソポタミアにおける母神ティアマトがその象徴だろう。メディアがやろうとしているのは、それだ。

 そしてメディアは、その創世を為すだけの力量がある。

 女神ヘカテには数多の面がある。月の女神でもあるが、その側面には冥府の主としての側面もある。その教えを次いでか、メディアは黒魔術(ウィッチクラフト)でも先鋭化した死霊魔術(ネクロマンシー)にも才通ずる。クレタ島におけるタロス退治の逸話が有名だろう。死体をこねることなど、朝飯前に違いない。

 「貴方に出会って、思いつきました。ねぇ、異聞帯オリュンポスより来た異界のオデュッセウス。私を核にしたこの真エーテルを特異点に流し込んで別な世界にして、その世界にイアソン様を戴く。そのままだと赤ちゃんに焼かれちゃうので、高深度宇宙にヘラクレスにつれてってもらいます。そうして神霊になったヘラクレスの魂をこの肉団子の中のイアソン様の魂ととっかえっこすれば完成です! 生き残った人は、私たちの神代回帰をともに過ごす豪華特典をつけちゃいましょう。素敵な話だと思いませんか。誰が敵かもわからない、誰が味方かもわからない世界で一人孤独に戦い続けた英雄様?」

 「詐欺にもほどがある。皆が帰りたかったのはお前のジオラマじゃあないだろうに!」

 オデュッセウスは、思考放棄した。メディアの言っていることは正直既に彼の理解の淵をとうに超えている。聞くだけ無駄だと思った。

 「ここで俺がその粗びき肉団子を破壊する。気を違えた夢物語はそれで終いだ、王女様」

 アイギスの胸部装甲が左右に開く。左右に開いたアイギスの力場に固定されたエーテルがプラズマを迸らせる。

 単純な破壊力なら対軍宝具に手が届く。オデュッセイアーの最終工程、斧を射抜きアンティオノスを射殺した逸話の具現たる砲撃。これで、あの趣味の悪い肉塊を破壊する。

 「そうですね。オデュッセウスなら、そうするでしょう。スキュラの時もそうでした。カイニスを囮にした時も、この島にオリュンポスの臣民を放って誰彼構わず襲わせているのも、全ては私を始末するため。仲間の命でもあっさり捨てられるところは、この世界でもそちらでも変わりないのでしょう。貴方が異聞のオデュッセウスで、仲間意識なんて紛い物なんて事実は関係ありません」

 メディアの声色には変わりがない。昼下がりの温和さのまま言いながら、メディアは「ですので」と続けた。

 どろりと、球体から何かが染み出す。数多の色が折り重なってどす黒く淀んだ、汚泥のような何かが堆積する。ゆらりと擡げた身体から、何か、翼が、生えていた。

 「アルターエゴ。テレゴノスって言うんです。女神のハンバーグ(メルトリリス)を見て思いついたんですよ。貴方を効率的に殺すには、英雄オデュッセウスを殺した逸話を利用すべき。なのに貴方の息子、英霊の座には昇れない幻霊程度でしかなかったので。貴方にゆかりのある英霊千切ってこねて、テレゴノスの肉体にすることにしました。素敵な考えでしょう? 予行練習にもなりますし」

 屹立する亡霊。猛禽の翼を揺らめかせた人型の手に握られた、獣の牙めいた剣が閃いた。

 早かった。オデュッセウスが咄嗟に背後に飛び退くより早く懐に飛び込んだ敵の剣が、アイギスの胸部装甲を弾き飛ばした。

 力場が不安定化し、圧縮されたマナが暴発する。空気を伝って迸る衝撃に突き飛ばされたオデュッセウスは、壁面へと強かに背中を打ち付けた。

 ショックアブソーバーが作動。衝撃の大半をアイギスが吸収したお陰で消滅こそ免れたが、それでもオデュッセウスは気絶しかけた。

 よろよろと立ち上がり、オデュッセウスはその影を、睨むことしかできなかった。

 翼をはためかせるアルターエゴ、抽出した自我の錬成。英霊は自らの人生を裏切れない。ならばオデュッセウスの最期となった男の名前に、オデュッセウスは勝てない。英霊とはそういうものだ。たとえ如何に精強な英霊であれ、相性が悪いと遥か格下の英霊にも敗北する。英霊が名を隠すのは致命傷を避けるためでだ。

 『テレゴノイア』。それは本来、後付けの蛇足に過ぎない話であるとされる。オデュッセウスの息子テレゴノスが長き旅の果てに父オデュッセウスを殺害した話。テレゴノスが英霊未満にしかなれないのは、その原典の不確かさと信仰の薄さとでも言うべきなのだろう。

 だが、そんな幻霊でも、英雄を殺し得る。それが、霊体というものだ。どれだけ不確かで不正確でも、テレゴノスはオデュッセウスを殺した。その逸話から、オデュッセウスは逃れられない。

 「それではお見せください、英雄オデュッセウスの意地を」

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