fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
《次、2発来る。2発とも胴、2発目のが威力高い》
ワンテンポ早く、声が耳朶を打つ。メルトリリスはその声の指示通りに魔剣を切り上げる。指示通りに飛来した矢は、剣の軌道に吸い込まれるように直撃した。
軽い衝撃。直後、より負荷の重い打撃が足を打つ。
アタランテとの戦闘開始から、1分経過。アタランテ、メルトリリスともに敏捷値はAを超える。
ミリセカンドの攻防において、1分は人間の体感にして、1時間に相当する。果てしない攻防戦の中、把握したのはアタランテの弓の特性だ。パワーをチャージすればするほど破壊力を挙げるアタランテの弓は、彼女の運動性能と併用して凶悪な武装だろう。逸話通りの敏捷値から繰り出される正確無比な弓の狙撃に破壊力が相乗する、凶悪なユニゾン。メルトリリスの刃を震わせるほどの威力は、Aランクの防御宝具すら貫徹するだろう。さらにその射撃が放つ衝撃波コーンの面破壊能力も相まって、並みのサーヴァント……いや、いわくのトップサーヴァントすら難敵になるであろう敵だ。恐らく、メルトリリスですら簡単に行かない敵の、はずだった。
《次、あの岩陰に隠れるつもり》
素早く思考を駆けるロゴス。考えるよりも感情よりも先に駆動するメルトリリスの肉体が、視界の影に飛び込む岩塊めがけて、不可知の斬撃を撃ち込んだ。
音速を優に超える速度で足を振り抜くことで発生した衝撃波を刃状に圧縮。志向性を持たせたうえで打ち出す。メルトリリスの戦闘技法【クライムバレエ】により編み出す中・遠距離での彼女の打撃手段だった。切断性に加えて衝撃波が持つ面破壊の破砕力は、宝具のそれと大差なかった。
忽ちに爆散した岩塊が四方に散らばり、アタランテは鋭く目を見開いた。自身の挙動を予知された驚愕。同時に飛来した岩塊の礫にさらされ、アタランテの挙動が一瞬止まる。
時間にしてはコンマ1秒もない隙。上級サーヴァントとて隙とも呼べない、一瞬の間隙。だが、今まさにアタランテが相対するのはメルトリリスにとっては、明白な隙だった。
アタランテに浮かんだ表情は、“しまった”に似ていた。だがもっと消極的で諦観的なアタランテの無防備な胴体に、メルトリリスの踵がめり込む。切断の感触すらなく脇腹へと食い込む。両断できなかったのはそれでもアタランテが身を捩らせて躱して見せたからで、だからこそメルトリリスは、連撃の蹴り斬りを撃ち込んだ。
横殴りの回し蹴り。鋭角に抉る打撃を、されどそれすらアタランテは防御した。天弓タウロポロスを盾にした。高い神秘を持ち、かつランクも高い宝具はそれだけで魔術に対する防壁になる。アタランテの防御はそれを見越したものだった。
だが、メルトリリスの刃が内包する神秘は、それ以上だった。旧約聖書に名を連ねる牝竜、レビュアタンの牙そのものですらある魔剣は、その弓すら濃度の濃い神秘の塊だった。
タウロポロスが魔剣を防げたのは、実に0.1秒。直後両断されるや、腕ごと斬り飛ばされたアタランテの身体は、地面に叩きつけられるやゴム毬のようにバウンドして、大木に激突した。
──歯ごたえとしては、上々。
メルトリリスは全く無傷のこの勝利に、相応の感触を得ている。麗しのアタランテが弱かったわけでは、決してない。彼女は唯、自分の得意とする戦闘領域に彼女を引きずりこんだ上で横綱相撲で押し切っただけのこと。それだけだ。
その上で、メルトリリスは別な感触も、得ている。背後でへなへなと座り込んで雨に打たれるがままにされている、鉱山排水の川底みたいな髪色の女、藤丸立華のリードの異常さを確認できた、機会だった。
そも。
メルトリリスがアタランテを相手に圧倒できたのは、性能差というよりは適所戦闘ができたからだ。もし遠距離戦に持ち込まれたなら、立場は逆になっていただろう。あの超破壊力の狙撃を無数に撃ち込まれたら、如何にメルトリリスと言えどもひとたまりもない。消耗戦に持ち込まれたなら、いずれ頭を撃ち抜かれていただろう。アルテミスの元にいる彼女の攻撃は、恐らく自分にも通じるのだから。
だが、そうはならなかった。最初からクロスレンジの殴り合いに持ち込めた時点で、戦略的勝利は確定していたのだ。そしてその勝利を引き寄せたのは、他でもないリツカの判断である。
島の地理条件、植生、天候、アタランテ及び宝具の性能。数多の状況を判断した上で、アタランテの動向を読み切り、船への宝具攻撃の狙点へとメルトリリスを導く。そうしてアタランテの動きを封殺し、狙撃支援を妨害する。それが、リツカの仕事の全容だった。
言葉にすればそれだけのこと。だが、メルトリリスに掴まりながらとは言え、実に60kmに及ぶ距離を荒波に揉まれながら、リアルタイムで思考し続けるなど尋常ではない。あの宝具迎撃も、リツカの予想通りではあった。
戦う舞台は、リツカが整えた。今まで踊ることしか考えて居なかったが、舞台が立派であるに越したことはない。メルトリリスは、あくまで舞台の上で煌めく|一番星《スターライト・ロード」。煌めくための舞台が最高であれば、その煌めく自分星は自由の翼で誰より高く輝けるだろう。
畢竟。
メルトリリスは、この戦いをとにかく質の高い自慰で完了させたのだ。最高の舞台で、善い敵を撃破する。単純に言うと、気持ちがよかった。言い換えると、絶頂していた。
《ごめん、まだ治らない》
低体温症に加え、海面から飛び出す際の急激なプラスGによるブラックアウトから、まだ復帰できていない。極地用戦闘服及びインナーに装備するバトルドレスユニフォーム、さらに彼女自身が持っている礼装、魔術刻印による緊急治癒が始まっているのだろうが、まだ時間はかかりそうだった。
「いいわ。そこで眺めて居なさいフジマルリツカ」
メルトリリスは、ごく自然に言う。彼女にとって、己の在り方は己だけのもの。それを他者へと拓くことはない。あっても、それは特別な相手だけだ。
地面に蹲ったアタランテを見下ろした。血の水溜まりに淀んだアタランテの呼気は荒い。死んでいないのは、そういう風に、メルトリリスが痛めつけたからだった。
アタランテは、動く様子はなかった。動いたところで無意味と悟っているのか。いや、そうではない気がする。僅かに顔を覗かせる口元は、微かに、だが頻りに、何かを溢している。悲鳴ではない。静かに秘めやかな囁き声、鈍い耳に届いた声は。
謝罪、だ、ろう、か?
──それも、善い。
メルトリリスは静かに加虐心を励起させた。
「じゃあいただくわ。なかなか良かったわよ、貴女。私の魔剣がたわんだ瞬間なんて、最高だったもの」
舌を、舐める。デビークされていない家鴨の嘴がかちゃりとなるような舌の蠢きとともに、メルトリリスは魔剣を突き立て──。
《来たよ》
瞬間、大地が割れた。
愉悦に歪んでいた血まみれの顔が歪む。舌なめずりは舌打ちに、振り下ろす姿勢を無理やり変更して跳躍に。ぎぎ、と関節が軋むのも構わずに小型の鳥類さながらの素早さで飛び上がったメルトリリスは、眼下で屹立した巨体に一瞬だけの焦りを見せた。
地面を割って湧き出した多頭の巨竜。大蛇を思わせる太古の竜種。確かメディアからの情報に、あった。
ヘラクレス十二の試練が一つ、黄金の果実を守護する古の竜種、幻想種の区分けにすれば、神獣にも相当するだろう。
サーヴァント1騎では到底かなわない、そういう敵だ。如何にメルトリリスとて、単純な性能比べなら勝ち負けの勝負になる。重ねて、そういう敵。
メルトリリスは、舌打ちを終わらせた。自身へと迫る竜の顎を前に、両腕と両足を駆動させ、姿勢を制御する。
メルトリリスが捕食されたのは、その直後だった。メルトリリスの体躯を一飲みで食らった多頭の竜は、次の狙いとばかりに、やっと立ち上がったリツカを見下ろした。
敵意的な視線。親の仇のような鋭い、聖獣を親に持つ竜種の眼光を前に、リツカは平然と見返した。魔術に通ずるものであればショック死しかねない圧迫の中、平然と、リツカは屹立する。竜が鎌首を擡げてリツカを食い殺そうとしたその瞬間まで、リツカは眺めていた。
別に、リツカの精神力が強靭だとか、そういう事実があったわけではない。ただ、彼女は素直に確信していたに過ぎない。竜が不意に痙攣するのも織り込み済みで、その首が地面にずり落ちた瞬間まで予想していた。切り落とされた首の断面から噴き出した瀑布のような血の濁流を浴びたリツカは、無感動な微笑で以て、宙跳び天に朔月を描く白銀を見た。
軽やかに宙を舞う弦月。着地した黒檀の怜悧に、リツカは、微かに頷いた。
レビュアタンの鱗を一瞬だけ再現する対粛清防御で捕食されながらラドンの体内へ。その上で、打撃を口腔内に打ち込む、“臓腑を灼くセイレーン”。メルトリリスが体内で蒸留した高濃度の毒を竜に撃ち込んだ、のだ。それで、終いだった。強大なはずの竜種は、ただそれだけで、死滅した。
メルトリリスは己の任務を貫徹した。アタランテを抑え込み、神代の竜種すら単騎で仕留めた。望外の成果を為した。
「ご苦労様」
全身真っ赤になったリツカは、朗らかに言う。何の感情の隆起も見せない奇妙な人間性。揺れない心。いや、揺れるべき心すら亡くしてしまったかのような佇まい。あそこで、もし竜がリツカを無視して襲っていたら、彼女は死んでいた。その上でその可能性が極めて薄いことを、理解していた。あの多頭の竜は、アタランテを庇うように動く。そう、理解した上でメルトリリスをぶつけたのだ。
ピカロの思考回路。手牌の中で最も効果的に敵を撃滅する手段を、戸惑いなく敢行する嗅覚。その“異常さ”に、メルトリリスは一瞬、あの人の姿を夢想した。
だが、違う。あの人に似ているのは“異常”であるという実の無いカテゴリーなだけ。その方向性は、全く違う。
「らしくないわ、フジマルリツカ」凝ったものを抱くように、メルトリリスは目を逸らした。「まだ倒してないわよ」
わかってる、とリツカは頷く。
そうだ、まだ倒していない。いや、ラドンは倒した。伝承をなぞられたラドンに生き残る術はない。瞬く間に神霊核を通して4次元宇宙Z軸上から注ぎ込まれる膨大なエーテルが行き場を無くし、加速度的に腐肉へと変わっていく。
イオン化して蒸発していく肉体の、そのただ中。
彼女は、居た。
獣。それも、猪。
端的に、メルトリリスが抱いた印象はそれだった。蹲るように4足で地面に這いながら、何かを必死に貪っている。ぐちゃ、ぐちゃ、という咀嚼音が雨音の中、不気味に響いている。
ゆらりと蠢く魔性の獣。ぎろりと睨むような目を戴いた顔立ちは、ただただ、雨に濡れていた。
ジュクジュクと腕が生えている。切断したはずの腕が生え、腐敗するように胸から肉汁が滴っている。
その肉が抉れたような胸から、何かが露出していた。黒曜石のような、黒く透き通る球体だった。
「下がりなさいフジマルリツカ!」
衝撃は、刹那の直後だった。
咄嗟に持ち上げた魔剣。英霊を人たちに斬り殺す剣から返ってきたのは、硬い金属音だけだった。
「貴女──アタランテ!」
メルトリリスは、その宝具を知っている。
本来アタランテでは使い得ない宝具、自ら神罰の獣に果てる終わりの手段。使われることは、完全な誤算だった。
だって、アタランテは──。
ぶち、と何かが切れる音がした。
繰り出す連撃、サラスヴァティの権能を以て為すナノセカンドの剣戟は、されど一発とて黒化したアタランテに触れなかった。掠りもしなかった。
反撃は僅かに一撃。素手で殴るだけの原始的な打撃。迎撃するように魔剣を拳へと叩きつけたが、メルトリリスは小鳥が嵐に揉まれるように跳ね飛ばされていった。
頭から地面に激突する。ごちゃ、という音は頸椎が砕けた音だった。びく、と身体が一跳ね痙攣すると、瞬時に地面に手を着いて身体を宙に飛び上がらせる。そのまま空中で後転しながら背後に飛び退き接地すると、メルトリリスは折れ曲がった首を無理やり引き戻した。
横殴りの雨が、2騎の間隙を埋めている。黒天の下で不定に肉を蠢かせるアタランテだった肉体。閃く雷が反射して、胸の黒いスフィアが照らされた。
アタランテの形をした肉塊が咆哮を挙げた。世界を揺るがすような神獣の咆哮。それだけで衝撃波が生じて、メルトリリスの神核を震わせた。
「ダメよ。ねえ、ダメよアタランテ。それだけは、ダメ。全てを忘れよう、なんて」
メルトリリスは、珍しく、怒っていた。ただただ哭き続けるアタランテが、苛立たしかった。
「貴女だけのポジションゼロを、簡単に明け渡すんじゃあないわよ……!」
荒れ狂う獣の怒涛、相対する漆黒のアルターエゴ。激突の余波が周囲に圧し広がり、衝撃だけで大地が砕け、天が割れた。