fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「先生ェ! 7時方向にでけえゲイザーだ!」
コロンブスの声と、斬撃が視界に迫ったのは同時だった。
槍のような、剣のような兵装。ケイローンが知る中では、いわゆる馬上槍(ランス)が近いだろう。だが大きさは大型の刀剣類に近しい。端的に、言ってケイローンの知らない装備だった。
宝具ランクにすれば、およそC~Bランク程度の装備。直撃すれば、サーヴァントとて屠殺し得る。
防御行為は必須。だが、ゲイザーは捨て置けない敵だった。特に重攻撃型のゲイザーの熱線の斉射は、大型目標に対して高い攻撃性能を誇る。たとえば拠点、たとえば艦船。その意味で、海洋に展開する2隻にとって、ゲイザーは天敵ですらある。事実、かつての戦闘でブラックバートの船を沈めたのは重攻撃型ゲイザーの飽和攻撃だった。
ケイローンたちの任務は混乱した戦線の中、ゲイザーを可能な限り殲滅することも含まれる。艦砲射撃で5割は撃殺できる想定だが、残り5割はまだ生存しているのだ。
戦術行動は、即座に策定した。
まだ、弓は引かない。視界は逃れ去るゲイザーの背へ、同時に斬りかかる刀身めがけて左手を差し込む。斬撃がケイローンの体躯を捉えるより早く、剣を持つ手を左手が握りこむ。把持と同時、ケイローンは右の半身を前へ、さらに左半身を逸らす。一挙に銀の鎧の敵を自らの裡へと引き込むや、牢乎と硬くした右の拳を心臓へと叩き込んだ。
ごしゃり。鈍さと甲高さが同居する、奇怪な音が耳朶を打つ。ただの拳一撃で正体不明の鎧兵破砕し瀕死に追い込み、次いでケイローンは右の拳をさらに掬い上げ、立て続けに宙に浮いた騎士の胴体に右の蹴りを横薙ぎに撃ち込んだ。
軽々と、重装甲の体躯が宙を舞う。放物線を描いた巨体がゲイザーの背に直撃し、人間の眼球を思わせる体躯に銀がめり込む。
もつれこむ2体は、直後死亡した。銀の装甲を貫いた矢はゲイザーの熱線器官たる巨大な眼球をも貫徹し、膨れ上がるように一瞬膨張するや破裂した。
「クリス、下がってください!」
さらに、弓に矢を番える。弦引き絞り、矢を射出する。木陰から弓を構えていたもう1騎の装甲兵の首に鏃が突き立ち、もんどり打つように背後へと倒れ込んだ。
倒したのか。いや、多分倒していない。直後別方向から飛来した矢がケイローンのすぐ頭上を掠め、背後の岩塊に突き刺さった。
「メアリーも下がってください! アン、援護しますよ」
「了解、結構、思うようにやらせてくれませねぇ」
視線の先、兎が飛び跳ねるようにカトラスを振るう影1騎。ケイローンの声に機敏に反応するなり、阻まりつつある包囲網から転げるように抜け出した。
「アン、10時方向アーチャーを!」
僅か、後退するメアリーを狙うように岩陰から身を乗り出す弓装備の装甲兵。既に矢は番え済み、射出までは残り1秒未満。
弦から矢が跳躍する。速度は音速。雨降りしきる森林を駆ける矢の一閃の狙いは正確無比で、敏捷値にしてAランクに達するメアリーの挙動に対し完全な見越し射撃を撃ち込んだ。
矢がメアリーの身体を捉える数瞬より早く、真横から叩き落すように別な矢が食らいつく。浅い入射角で迎え撃ったケイローンの矢は飛来した矢を破砕し、僅かに軌道がそれた先にキメラの脳天があった。頭蓋を砕かれ脳漿を散らした白いキメラは一撃で絶命した。
前後して、アンのマスケットがマズルフラッシュを閃かせる。雨天の中、密林という戦域状況において狙撃は至難の業だった。
だが、アン・ボニーの狙撃は正確だった。トリガーガードに指先を滑らせ、流線形を描くトリガーを軽く引き絞った。
撃鉄の燧石が火花を散らし、火皿の点火薬を燃焼させる。火花はさらに銃身内の炸薬へと点火し、爆発を推力として弾丸が迸る。物理的な作用、というより宝具としてのマスケットを射出するための一連のイニシエーションを経て、滑空砲式砲身から弾丸が吐き出された。
本来、
だが、アンは一撃は精密だった。気候条件を勘案し、弾丸の特性も理解し、己の愛銃の個性すら考慮に入れる。数多の条件を前提に居れた上での、アン自身による火器管制の果ての狙撃。ほぼ身体的直観によってなされる彼女の狙撃は、敵に狙いを定めてから実にコンマ1秒の世界で為された。
アンの身長ほどもある長銃身のマスケットから吐き出された弾丸は、見事に、あるいは当たり前のように敵兵の頭部装甲を
「
「了解、カバーするよ」
素早く身を隠すアン。変わるように身を乗り出したドレイクが銃弾をばら撒き、接近する気勢を見せた敵に牽制射を打ち放つ。
「うー全然ダメだった」
ケイローンたちが陣取る地形に、這う這うの体といったように飛び込んでくるメアリーとコロンブス。ケイローンの目前に空中投影型のヘッドアップディスプレイ(HUD)が立ち上がり、2人のバイタルデータが表示される。
どちらも損傷具合は問題にならない。継戦は可能。そう判断を下しながら、ケイローンは雨で濡れる前髪をかきあげた。
状況開始から既に7分。時間としてはかかりすぎている。予定からの遅れは2分。本来であれば、5分で中央の神殿を制圧しているはずだった。
「手強いねぇ、メディアの報告にあんな奴らいなかったはずだけど」
憎々し気に舌を打つフランシス・ドレイク。彼女の焦れた心情は、彼女だけのものではなく、この場にいる全員の心境だった。
無線を聞く限り、全体の作戦の進捗は順調と言っていい。メルトリリスはリツカの思考通りにアタランテと戦闘に突入し、クロはヘラクレスとの戦闘を始めている。手順そのものは変わっていない。
「メディアが裏切ってるって説はねえのかよ」
「それはないと考えるべきかと」
眉を顰めるコロンブスに、ケイローンは顎をしゃくった。闇に蠢く雨の中、呻くような悲鳴と金属音が重なり、乾いた破砕音がそれに続く。戦闘音。しかも人間同士のそれではない。1つは人間の肉が削げる音で、さらに1つは幻想種の死に絶える音。そしてもう一つは竜牙兵、か。乱戦のようにもつれ合いながら、じりじりと漸減しあう消耗戦が展開している、らしい。
「全く統率がとれていません。もしオデュッセウスとメディアが協力して私たちを撃破するなら、状況が不鮮明です」
言って、ケイローンは思考する。
元々メディアの役回りは竜牙兵の叛乱とオデュッセウスにある幻想種への指揮権を攪乱、混乱した上でケイローンたちで制圧するという手筈のはずだ。ある意味でメディアの動きそのものは成立している。ならば、あの正体不明の敵を指揮しているのはオデュッセウスと判断すべきだろう。状況の遅滞は一重にあの銀の鎧の組織だった抵抗で、そのせいで魔獣が牙を向こうとしている。
オデュッセウスの宝具あるいはスキルに、あんなものがあるのか……という、疑念。
『オデュッセイア』にてともに旅をした仲間を召喚する宝具、というならば理解できる。だが、あの風体はなんだというのだろう。そしてここまで強力などということは、あるのだろうか──。
思惟が長考に傾き始めたところで、ケイローンは自覚的に思考を停止させた。秒単位で進行するこの状況の中で、数秒の思考時間など愚劣以外の何物でもない。
目の前に立ち上がるディスプレイ。戦域マップには、2km先にオデュッセウスがいるであろう場所の候補、神殿の位置がブリップでマークされている。その間を挟むように展開している銀の鎧兵。
頭の中で、プライオリティを順序立てる。
オデュッセウスをこの戦闘で倒すことは目標として重要だが、最優先事項ではない。ならばオデュッセウスの撃破という事項の優先度は、自然繰り下げる。
「全員傾注。作戦フェイズを進めます」
「オデュッセウスは放置しろってことかい」
「客観的に、拘る必然性がありませんので」
喰ってかかるようなドレイクの言葉に、ケイローンは努めて冷静に応えた。一瞬、雨音が静寂を埋めた。ケイローンが続けて声を続けかけたところで、「じゃあ」と声を重ねたのはドレイクだった。
「10時方向、あそこの守りが薄い。強行突破するならあそこを突くべきじゃあないか。ちょうど直線上にゴールデンハインドが位置してるし」
ドレイクの言葉が終わると同時、マップに仮定進行ルートが表示される。ケイローンが続けようとしていた言葉とほぼ同じ内容の言葉に、今度はケイローンが黙る番だった。
いや、黙っている暇はなかった。地形状況としても、朽ちた大樹や岩塊の掩蔽物が多く長距離からの狙撃を考慮から外せる。
「それで行きましょう。私とアン、メアリーで先行します。コロンブスは次に。ドレイク、殿を」
了解の応答は早い。3人の声を耳朶に、ケイローンは木陰から飛び出すなり、その敏捷A+の脚部でもって大地を疾駆した。
背後に続く2騎。弓を左手に矢を右手に、1kmを5秒すらかけずに踏破する。予見したはずの攻撃は存外になく、ケイローンは思いのほかあっさりと目標地点近辺の岩陰へと滑り込んだ。
同時、ケイローンは即座に身を翻す。ケイローンよりワンテンポ遅く走り抜けてきたアンとメアリーも、なんらの抵抗もなくケイローンの元へと飛び込んできた。
拍子抜けする顔のメアリー。アンも即座にマスケットを構えたが、やはりその感情は鈍い。
「クリス、来なさい」
おう、と応じ、どたどたとコロンブスの巨体が身を揺すって走ってくる。敏捷値が最も低いコロンブスのこの横断が一番の狙い目のはずだ。だからこそ、近接支援のできるアンとケイローンが先行したはずなのだが―――やはり、攻撃はない。えっちらおっちらとやってきたコロンブスが転がるように滑り込むのを合図に、ケイローンは手を挙げた。
あとはドレイクが来れば完了。ぜえぜえするコロンブスを後目に、ケイローンは遠く身を乗り出したフランシ・ドレイクの姿を認識する。
ドレイクの動作は、至って普通だった。なんら遅いところはなく、カトラスと拳銃を構えた姿が腰を落とす。
彼女の姿勢が、疾駆へと変わっていく。その最中の表情の変転を、
ドレイクから向かって3時方向に、彼女の視線が軋む。爆風が横殴りに襲い掛かり、散らばった金属片が雹のように降り注ぐ。音速で飛び散る金属塊の群れは、それだけで殺傷能力が高い。赤黒い爆風と金属の豪雨にドレイクの姿が飲まれていくのと、ケイローンの両脚が地面を撃ち込むのは同時だった。
仲間を助けなければ、という当然の拍動。弓には既に矢を番えている。ケイローンという英霊の全霊を以ての一射を、なだれ込んできた敵へと向けた。
金属の蜘蛛を思わせる躯体が、炎を挙げながらドレイクが居た場所へと転がっている。それに飛び掛かるように肉薄した巨体の頭部を視認したときには、既に中る確信があった。弓兵にとって、射、という行為は実のところ蛇足に過ぎない。弓を構える必要すらない。当てる、という意思すら不要。当たる、という自然的な確信があれば、あとは勝手に中る。
だから、射撃がその瞬間外れる定めにあると悟ったのはケイローン自身だった。
目撃してしまったのは、巨大な、蛇だった。いや、いわゆるワーム型の竜種というべきか。精々5mほどの巨体を揺らしたそれは、ヒュドラだった。
ヘラクレス退治に聞こえるレルネーのヒュドラではない。ヘラクレスの宝具から召喚されたかの大蛇は『アン女王の復讐号』の艦砲射撃の接射で身体の内側から爆殺され、木っ端微塵になっているはずだ。
つまるところ、未だ神獣の位には程通り魔獣クラスのヒュドラだ。
だが、その猛毒の備わるところ変わりない。そして何より、ケイローンにとってはヒュドラという存在は致命的だった。
英霊ケイローン。その末路は
「アン!」
悲鳴のようなケイローンの声は、懇願に近しい声だった。
アンは瞬間遅れた。事実上そのケイローンの一瞬の弱腰はむしろ戦術的合理性に貫かれたものでこそあれ、ケイローンほどの人物が狼狽えるということそのものが。ここに居る誰しもに予想外だった。
焦燥の中、アンの狙撃その正確無比は普遍だった。炸薬の起爆で打ち出された弾丸が横殴りにヒュドラの頭1つにめり込む。『
1頭が絶命する。一瞬だけ怯んだ素振りを見せるも瞬時に体制を立て直し、ヒュドラはその爆心地へと襲い掛かるように倒れ込んだ。
ぬたり。ヒュドラが重たく首を擡げる。奇妙に満足気な素振りで首を振ら憑かせてから、ぎょろりと双頭がケイローンを睨みつけた。
逃げなければ。切迫が頭の中を占拠している。ドレイクはどうなった? 炎が巻き上がる中、視界では生存の有無は確認できない。戦域マップを一瞥したが、高濃度の神秘が付随した炎のせいで識別ができない。
ある予感。あの赤焦げた鉄のような髪の女の顔が視界を掠め、ケイローンは臓腑の底から沸き上がりかけた恐慌を抑え込んだ。
射、一発。空を切る音すらなく豪雨を貫いた矢がヒュドラの咽頭に食い込む。痙攣するように身悶えする巨体。だがそれで殺しきれるわけではないことは、ケイローン自身もよく承知している。如何にレルネーのヒュドラより弱いとて、区別上は幻獣に相当するとて、ヒュドラの精強は理外にある。
速度は迅い。ケイローンが弓に矢を番えるよりも早く、ヒュドラの鎌首が肉薄した。
だがこれで終わりだ。アンが再装填するのはそれより早い。再度のHEAT弾射出の段取りは既に完了していて、後は打ち放つのみ。
刹那の猪突が、視界に飛び込んだ。
「撃ちます!」
「アン、待ってください!」
トリガーガードに滑らせたアンの指先が、寸で硬直した。首元まで迫るヒュドラの牙、ぞわぞわと身体が強張り、ケイローンは図らずも死の暗い淵を自覚してしまった。
ヒュドラの牙は、しかし、ケイローンには届かなかった。アンのマスケットが火を放つこともなかった。牙がケイローンの身体を貫く半瞬手前、びくりとヒュドラが見悶えた。
痙攣の直後、ヒュドラの躯体が宙に浮いた。尾を巨人に鷲掴みにされたように引きずりまわされたヒュドラ、およそ5m数トンの巨体が尻尾を起点にぶん回されるや、明後日の宙へと投げ飛ばされていった。
火が、雨に消されていく。燃料が燃焼するオゾン臭はたちまち洗い流され、こびりつくような焦げ付きの臭いが鼻腔に張り付いた。
暗い雨に打たれるその人影を、ケイローンは知っていた。天球思わせる白い衣も星光を思わせる金の髪も地と泥で汚れていた。渇いた蒼穹のような目だけは、以前よりもなお澄んだ蒼さのように見えた。
「お久しぶりですね、先生」
零れるような微笑が口角に浮かぶ。ケイローンは、彼女のことを伝え聞きでしか聞いたことはなかった。彼女の兄から聞いていた通りの柔らかな表情。親密圏の微笑に、ケイローンは妙な不安を搔き立てた。
「ポルクス」言いかけて、ケイローンは束の間空を仰いだ。
「兄様から聞き及んでいますよ。ケイローン先生は、厳しいですがお優しい方だと」
そうですか、とケイローンは頷いただけだった。不要な踏み込みは、疾しく意味のないことだと思った。
「遅ればせながら加勢します、先生。色々あったもので」
色々、という言葉が空虚な実を以てケイローンの耳朶を打つ。応えあぐねたケイローンに代わって応えたのは、背後からやってきたアンだった。
「あら、あの時の麗しい剣士様」
「その節はどうも」
「いえいえこちらこそ、お兄様にもお世話になりました」
妙に人間臭いやり取りをするアンとポルクス。後からやってきたメアリーは、不思議そうにポルクスの長身を見上げていた。
「えーなんで?」
「まぁまぁ、いいではありませんか、メアリー。ディオスクロイと言えば私たちには有難い方ですよ」
「ふーん。ま、いいか」
興味は失った、とばかりに鼻を鳴らすと、メアリーはひょこひょことポルクスの周りをひょこと動き回っていた。「可愛くてデカい。アンみたいだ」
ごく自然に、2人はなんの頓着すらなくポルクスを受容した。そういうものか、とケイローンは思い直す必要もない。メディアの手で海賊たちの下へ逃れたケイローンたちも、彼女たちは特に蟠りもなく受容したものだ。
それに。
「大将、やられちまったのか」
コロンブスの呻きに、ケイローンは応えなかった。戦域マップに、味方を示すブリップはない。ローカルデータリンクの表示は通信途絶。だが、消滅の合図はない。
眼球の奥、盲斑からずるりと蠢くように人影が滲む。赤焼けた金属を思わせる髪の、気の抜けた様子の彼女。藤丸立華の姿に、ケイローンは慄くような畏怖を惹起させた。
ここまで読んでいたとでもいうのだろうか。そこまで理解して、フランシス・ドレイクではなくケイローンに指揮権を与えたのだろうか。そしてドレイクは、この状況をわかった上でそれに従ったのか。
悪魔的というべきか、否か。ケイローンはそこで思考を停止させた。
「ではポルクス、ついてきてください。予定通りに作戦フェイズを飛ばします」
駆けだす4騎5人。
ケイローンは微かにだけ、雨音が遠くなり始めたような、気がした。