fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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裁定-Ⅱ

 ……曰く。

 英霊アタランテ。彼女が聖杯にかける願いは、あまねく子供たちが善く生きられる世界という、大それた、それでいて質朴なものである。

 彼女の英雄としての生は、主に2つ分けられる。

 アルテミスが怒りによって野に放った神獣カリュドーンの猪、それを退治するカリュドーン狩りの逸話。

 そしてもう一つが、アルゴー船の乗組員として海を渡った逸話。

 そしてその英雄譚以前。正史においても女性であったアタランテの勇ましい物語とともに語られるのが、暗い幼小のころの話だ。望まれない形で産み落とされたアタランテは、野に棄てられた。憐れに思ったアルテミスによって育まれた彼女は月の女神に誓いをたて、その後の生を生きていくこととなった。

 2つの偉大な戦いに参加し、その他少壮気鋭の如き逸話を残したアタランテ。彼女の人生において、その後を語る史料はなく、神話上彼女の人生の結末がどうなったかは不明である。番った男と神域で情事に及び、女神の車を引く獅子となったとされるものの、そのエピソードもそれ以上の結末は何も触れていない。

 そんな彼女の人生の足跡の一つ。彼女の人生には、奇妙な断片がある。アタランテには息子がいた、という逸話である。相手は過日の競争とは別な人物であり、誰が父親であるかはいくつかの説がある。同じくカリュドーン狩りに参加し、アタランテに気を持ったメレアグロス、とも。そうして生まれた子を、アタランテは早々と山に捨てた。かつて自分がされたのと同じように、産まれて間もない子供を、彼女は山に放棄したのである。それが何故であるかは神話上にも不明である。ただ史料的事実として、アタランテは誰かとの間にできた子供を山に棄てた。

 アルテミスの加護を信じ、子よ逞しく育てかしと願ったのだろうか。それとも、アタランテは子供を育てるなどという行為で何をしていいのかわからず、混乱のまま棄てざるを得なかったのだろうか。あるいは、その間だろうか。望まない子供を施設やポストに預ける現代の一人親のように、子どもに対する親の責任を果たそうとしたのか、それとも単なる無責任の放蕩に、子どもを死なせようとして棄てたのだろうか。自分を棄てた父母と同じように。そのどれも、裏付けるものは存在しない。何物も存在せず、ただ事実だけが、ギリシャ神話に、奇妙な断片として遺されている。

重ねて。

アタランテは、世界の子供たち全員が祝福を受けられる世界を願っている。ある世界で、聖女を嬲り殺してしまいたくなるほどの憎悪にかれるほどの強度の、それは祈りだった。

 

 

【補遺】

アタランテはアルテミスを信仰していた。それは周知の事実だろう。だがアルテミスは、アタランテに罰を与えなかった。黄金の果実を囮に娶られた時も。異性と交わり、子を孕み、棄てた時も。カリストの時と異なり、あるいはアレトゥーサの時と同じように。処女神にして狩猟の神、そして母なるものを助ける月の女神アルテミスは、アタランテを罰することはなかった。少なからず、それを裏付ける歴史的史料は存在していない。

 

 

 

 じゅ、と何かが上腕三頭筋を抉る。鈍い神経すら震わせる、電撃のように走る疼痛。顔を歪めたメルトリリスは、即座にその攻撃の意味を解釈する。

 毒だ。どちらかと言えば毒と言うよりも疫病に近しい何かが傷口から血管リンパ系を通って身体に這いまわっていく。

 「私に毒なんて生意気―――!」

 体内に侵入した異物の抗血清を自ら精製し、秒ほどもなく毒物を無害化させていく。すぐさま治癒しきる他方、メルトリリスは瞬きすら許さずに襲い掛かる爪の連撃を舞うように皮一枚で捌いていく。

 不味い、と思った。アタランテの強さはさっきの比ではない。毛皮を被ったアタランテは既にただどす黒い肉塊のように変生しながら、コンマ1セカンドの中で進化していく。1秒たりとも同じ形質を維持しないまま荒れ狂うアタランテは、海上に吹き荒れるテュホーンと同位の猛威だった。メルトリリスをして、猛攻にただただ防戦に抑え込まれている。剣を放てば弾き返され、その倍の速度と手数の斬撃を叩き込んでくる。

 スペックでは同等。いや、異様な速度で進化しつつあるアタランテの性能は、メルトリリスのそれを徐々に上回りつつある。

 単純なスペック勝負に持ち込むのは不可能。ならば、と考慮する次の手も恐らく効かない。即ち“毒”を撃ち込んで自壊させる技は、メルトリリスと同じ手段で無害化してくるに違いない。

 ならば、取るべき手段は次。音速などとうに過ぎ去った爪が頬を裂き、ソニックムーブの弾ける衝撃が耳元を叩く。紙一重の回避の次、メルトリリスはアタランテのどてっ腹に膝の刺突を叩き込んだ。

 “さよならアルブレヒト”。アルテミスを起源とする疫病の表徴を発展させた毒を撃ち込み、相手を概念的に溶解・抽出することで最終的に吸収し、自らの経験値に還元するメルトリリスのスキル……否、id-esと呼ばれる、アルターエゴの特権。この物理世界において、神霊の権能にも匹敵するドレイン型スキルの最終到達点。“オールドレイン”というその別称の通り、あらゆるものを捕食し得る暴食性に対抗し得るものは、同じく権能クラスの防御を持つ神霊以外には在り得ない。

 だが、膝の刺突がアタランテの胸を衝いた瞬間にメルトリリスは裂けるように顔を引きつらせた。

 超高速の自己改造に近しいスキル。”オールドレイン”の吸収速度を上回るほどの速度での自己増殖と自己改造。

 メルトリリスが唯一、苦手意識を持つアルターエゴのがいる。そのハイ・サーヴァントが持つid-es、【ヒュージスケール】。あのアタランテの自己改造は、ほぼそれに等しい。加えて、あの核──古龍を捕食して獲得した神獣の核から供給される高次宇宙の真エーテルの、無限に等しいエネルギー供給は、【グロウアップグロウ】のそれに近い。物理的世界という制約上サイズそのものは変わらないが、より殺すことに特化した変態は或る意味【ヒュージスケール】よりタチが悪かった。

 つまるところ。

 あの宝具を発動した今のアタランテに、【メルトウイルス】は効かない。【オールドレイン】も効かない。まるでスポイトで海の水を吸うような徒労のイメージがメルトリリスの脳裏を掠めた時には、既に遅かった。

 ひゅ、という風を切る音がしたのは、腹部を貫く衝撃に叩きのめされ、彼女の身体が襤褸雑巾のように吹き飛ばされた後だった。

 脾臓胃破裂、大腸が千切れた。横隔膜が裂ける。地面への激突時に左腕が捥げた。白皙を泥と血で染め上げながら、メルトリリスは崖の上まで転がっていった。

 《メルトリリスだいじょ……ダメみたいだね》

 癪に障る、声だった。のほほんとしているくせに、心底心配しているのがムカつく。「貴女の指示通りに動いてることくらい、見ていたらわかるわ!」と怒鳴り返し、既にメルトリリスの目と鼻の先まで接近したアタランテの体躯を、新ためて、メルトリリスは識別する。

 ただの、黒いヘドロだった。内側から吹き上がる肉は、高次宇宙から現実に漏れ出た真エーテルが行き場を無くして肉になっている、酷い不格好さ。単細胞生物のようですらあるその不定の形は。

 人間の眼球近くの腺から分泌され、地面に墜落する、雫のようだった。

 気に入らない。あの麗しのアタランテが醜女に堕ちているという事実も、自ら堕としたその動機も。

 メルトリリスの視界の先に浮かんだ姿は、誰だっただろうか。藤丸立華が似ていたような、それでいて全然違うあの人。黙然とした唐変木というか、茶色い髪の彼の背、だった。

 その影が裂ける。正しく猪突をしかけたアタランテだったものがメルトリリスに掴みかかる。

 耳障りな哭き声が、鼓膜を突き刺す。歯を食いしばった。全身の傷口から、アタランテだった肉汁が侵食してくる。この短期間で、このどす黒いヘドロのような塊は学習している。このメルトリリスを、食おうとしている。英霊の身で神霊3柱の情報量を咀嚼すれば、いかに自己改造の上位スキルがあろうとも破裂するというのに。その自覚のままに、本能的理性が赴くままにアタランテはメルトリリスに牙を突き立てた。

 「……いいわ、アタランテ。そんなに罰して欲しいなら、私が貴女に与えてあげる。今回の私は気前がいいの。アルテミスは優しいから許してくれたんでしょうけど、今回のそれは、私が絶対赦さない」

 メルトリリスの挙動は、軽く、また小さかった。それは舞いのよう。踊りを主眼とする【クライムバレエ】と異なる挙動、まるで制止しているかのような時間の中、メルトリリスは、矢のような鋭利さでアタランテの胸だった場所を穿った。

 あの、アタランテの胸に発生した黒曜石のような核。ラドンから取り込んだ……あるいは取り込まされた神獣の核に、メルトリリスの矢が突き刺さる。彼女の全力の打撃をもってすら物理的に傷つくことすら能わなかったが──それで、終いだった。

 びく、とアタランテの肉塊が痙攣する。失神したかのように揺れると、猪突の気勢のままにアタランテとメルトリリスは崖の淵へと飛び出した。

 アタランテの体躯が内部から外側へと潰れた。単細胞生物の死のように、肉の膜が弾け飛び、内容物が四散していく。胃だった器官、肝臓らしき器官、大腸らしき器官、脳髄らしき器官、子宮らしき器官。溶解して破裂して液体と化しながら、アタランテだったものが溶けていく。べりべりとメルトリリスから剥がれ落ちたアタランテだった溶液は、落涙のように荒い波濤へと飲まれていった。

 神獣の核を、打撃した。彼女が行ったのは、要するにそういうことだ。物理的世界に存在する物理的肉体を持ちながら、高次元の世界に半身を置く神核。三次元より一軸多い場所に莫大に存在する真エーテルを、核を通して供給する、神性の核。その核こそは神霊に属するものの存在証明。神と呼ばれるものに膨大な魔力供給を可能とするそのシステムの弱点は、要するに高次世界に“落ち込む”ことで規定以上の魔力を供給してしまうことに帰結する。

 メルトリリスの打撃は、ただの打撃ではない。露出した竜の神核を“向こう側”に押し込むことで過剰な真エーテルを供給させた。秒単位で可変する彼女の自己改造ですら処理しきれないエネルギーを押し込められれば、あとは肉が破裂するように自壊するだけだった。

 「あとは一生、ちゃんとしっかり罪を抱いて進みなさい。ラドンが祈ったように、逃げるのもいいかもしれないわ。だって、それも進むことなのだから。人間の権能は、前であれ後ろであれ、進み続けることにあるのだから。何もかも忘れてやり直すとか、そんなのは貴女に託した全てに失礼よ」

 落下する、アタランテの肉体。全てがメルトリリスから禊ぎ落ち、彼女は唯、暗い闇夜のような海を、憐れむように見つめた。

 「今度は間違えてはダメよ、アタランテ。貴女だけの運命(ポジションゼロ)は、貴女にしか似合わないのだから」

 落下する、メルトリリスの身体。彼女に最早、跳ぶ力は残っていない。ただ自由落下するに任せ、メルトリリスは薄く瞑目した。

 ふわりと浮かぶ浮遊感、足元にとられる束縛感。空へと墜落する感触の中、メルトリリスは手を伸ばした。

 分厚くどす黒い雲の裂け目。顔を覗かせた光に照らされて、来るはずのなかった影が手を伸ばし返した。

 絡む指先、抱握する手。ぎち、とメルトリリスの身体を繋いだ細い手が、崖の上から延長していた。

 鈍い指先の感覚は、ただただ冷たい。いや、冷たいのは自分の手だけだろうか。伸ばし返してくれたその手もきっと、同じくらいに冷たい。そんな手を当たり前のように伸ばしてメルトリリスを掴んだ彼女──鉱山排水の銅が沈殿したかのような髪色に、腐食鉄を思わせる鈍色の目の彼女は、朗らかな笑みを浮かべていた。

 「早く持ち上げて、フジマルリツカ。私、結構怪我してるの」

 「そんなこと言ったって、メルト結構さ」

 「結構、何?」

 「いいえなんでも。ふんす!」

 「いた、いたた。ちょっと、岩にぶつかってるわ」

 と必死の形相でリツカはメルトリリスの身体を持ち上げた。ぜえぜえ息を切らしながら崖の上に引き上げると、リツカは転げるようにひっくり返った。メルトリリスもメルトリリスで、アタランテに相当やられたせいですぐには動けなかった。一応予定の時間より早くアタランテを撃破したことを確認して、予定時間内であれば休めることを、確認した。時間で言えば、1分ほど。

 足を延ばして長座の姿勢をとりながら、メルトリリスは仰向けで転がるリツカを睥睨する。既に雨は止んでいる。口を開けて呼吸する様は、なんだか死にかけのゾウかカバみたいだなと思った。

 「ねぇフジマルリツカ」

 「何?」

 「私、好きな人がいるの」

 「へー」リツカはほんわり思案するように、空を仰いだ。「じゃあ、未来の片思い相手」

 「何よそれ」

 「メルトは未来の神様なんでしょ? だったら、その好きな人はこの世界には生まれてないってことじゃん。でも、未来に生まれるわけで」

 「そうかしら。根本的に違う世界だから」メルトリリスは見透かすリツカの目から、柔らかく目を逸らした。「でも、0ではないのかもね」

 「未来の片思い相手が生まれるかもしれない世界だから守るって、クソデカ感情すぎるでしょ」

 「神様なので人の理解は超えているのです」

 「説得力ある」

 でも片思いは余計というか、なんでわかったのだろう、と文句を言いたくなる。

 「そりゃわかるよ。メルトは私と同じ、人でなしだから。恋人なんてできっこない」

 ははは、と寝転がりながら、リツカは馬鹿みたいに朗らかに笑う。メルトリリスはむっとしながら、そうよ、と清々しく肯定した。

 「でも金ぴかのクソ野郎に言われたわ。友達ならできるかもねって。死ぬ間際に、だけど」

 「なんだそれ。アドバイスになってなくね」

 また、リツカはガハハと笑う。呑気で、頓着がなくて。その癖人間味に薄い、奇妙な現-存在。灰色の荒野の中に生えて萎びた、罌粟の花のようだった。

 リツカはむくりと身体を起こすと、雨やんでる、と今更に言った。

 「『わたしは、鳥どものいろんな生活ぶりをじっさいに観察して、あの美しい羽毛にとざされている心の中を、研究してみたくて、たまらなくなってくるのでした』」

 「キジと山バト?」

 「そう」

 「ネコものがたり、好きよ」

 「あー」

 「貴女は好きな人、いないワケ?」

 「マシュ・キリエライトちゃん」

 「はいはい」

 それは多分、友愛のポリティクス。これから始まる殺戮を前にしての、恋でも愛でもない、異物同士の、無意味の底の戯れ(ガールズトーク)だった。

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