fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
―ジャック・デリダ『友愛のポリティクス』より―
Ⅰ-1
ざらりと拓ける視界。暗転、というよりはむしろ白く漂白されながら、次いで色がついていくような感覚。
奇怪な時間感覚である。あ、と思ったときには、彼女はその場所に居た。
立ち並ぶビル群。群生し、屹立するコンクリートの巨木は一面のガラス張りだ。吹き荒れる風のふきだまりに、きしきしと軋むのは、果たしてただ物理的な事象に過ぎなかったのか。それとも、これから生じる波濤を前にした世界の戦きか。
一歩、彼女は足を踏みしめる。シールダーとしての礼装は既に展開済み。踵のヒールがセメントの大地を噛む。
だが、自然と音はない。かつん、という音は身体に薄く張るように展開したパワーフィールドでマスクされ、彼女は無音のままに近場の路地へと滑り込む。
相対するサーヴァントの性能は、スペック以上に値踏みする必要がある。アーチャーはスペック上は高位のサーヴァントたちには届かないが、その戦闘能力の高さはともに4つの特異点を戦い抜いた彼女が最もよく知っている。
クロスレンジでの殴り合いから機動格闘戦、遠距離での狙撃に異能の特性を利用した火力投射。高度に構築された戦術は、こと戦闘という面に限れば最優の戦闘者と言っても過言ではない。それが、彼女が信を置くアーチャーという少女の姿だ。
戦域状況を把握する。網膜投影されたマップには、自分を示す中央のブリップだけが閃いている。それ以外にはない。各種センサーに感知なし。気取られるような軽挙は犯さないだろう。
……一見、このビル群はアーチャーの特性を殺すように見える。林立する建築物は、アーチャー最大の攻撃手段たる狙撃・砲撃戦を著しく阻害する。もしこれが吹き曝しの原野であれば、彼女はたちまち制圧射撃の斉射で、死亡は間違いない。
だが、向こうもこの戦域設定で戦うことを承知しているならば、そんな不利は織り込み済みだろう。むしろ樹々生い茂る密林こそは、狩猟者の本領を発揮する戦場か。
とは言え。
シールダーの彼女が戦術的優位を確立できるならば、やはりこの市街地であるという一点に賭ける他ない。
ハムノイズが耳朶を打つ。瞬きの度に視界が暗転する。身体の冗長性か、指先が微動に震えている。
一瞬、呼吸が零れた。舌先を滑り唇から吐息が墜落した、その一瞬。息を抜くその刹那、彼女の体躯は一瞬で自らの
衝撃が背後から突き上げたのは、そのコンマ1秒後。上方から落着した砲撃がセメントの大地を破砕し、四方に飛び散るショックウェーブが彼女の肌を叩く。
敵、直上。
無音のまま接近してきた敵を視界に入れる。
太陽を背に、弓を構える騎影。防眩フィルターの作動と同時に空に浮かぶ黒影の形が明瞭な色彩を帯びる。
炒ったハト麦を思わせる黒い肌に、纏った赤原の礼装。雀鷹の鋭い視線が突き刺さり、彼女は思わずたじろぎすら覚えた。
だが、躊躇はあくまで内心のものに過ぎない。錬成された彼女の肉体は即座に地面を蹴り上げるや、高速徹甲弾もかくやと言った速度で天へと翔け上がる。
イメージは、自分の背中に円錐を広げる感覚。彼女の特性、魔力防御によって発生する力場を円錐に広げて推力を集約し、同時に円錐の底辺を絞り上げる。位置エネルギーの上昇を反比例するように驀進する速度エネルギーを乗せ、マシュは腰から銀の剣を引き抜いた。
狙いは一撃必殺、頸椎。抜剣と同時に、彼女の放った刺突が炸裂した。
当然、そんな見え透いた攻撃など彼女には織り込み済みだろう。次の一手は回避と同時に、既に投影した黄金の剣の一撃。その一閃の前に、敢えてさらに距離を詰めて接近戦に持ちこむ。ここで距離を離しては敗北は間違いなく必至だ。
だが、その終わりはあまりにあっさり訪れた。突き出された剣はあまりにするりと射手の頸筋を突き破った。
※
「やっぱり機動制御まではまだまだって感じかな」
ブリーフィングルーム、一室にて。
モニターに流れる映像を見上げながら、レオナルド・ダ・ヴィンチはぽやんと一言呟いた。手慰みのように顎をなでなで、映像の中で飛散する血に眉一つ動かさず、レオナルドはちらと背後を振り返る。
「思考制御には限界があるって感じ。自分の意思で動かすのは無理ね」
レオナルドに水を向けられつつも、ハト麦色の肌の少女──クロエ・フォン・アインツベルンは素直な感想を述べた。モニターに映る自分の頸が跳ね飛ぶ映像を、彼女は特に気にもせずに眺めている。
「まぁ人間の思考って基本、遊びが多すぎるしねぇ。アニメや漫画だと思考制御は最強って感じだけど。本当は、人間の思考って早くないんだ」
「そこは量子コンピューターに任せた方が便利ね。悪くはないけど、上位のサーヴァントと戦うには役不足ね」
ばっさり、クロは言う。その思考制御のシステムを組んだ本人を前に、忌憚のない感想だった。
最も、忌憚のない意見を前に、レオナルドは全く表情を変えなかった。素直にその批評を受け入れると、うん、と首肯した。
第3特異点オケアノスの最終局面で獲得した第三再臨。かの大英雄ヘラクレスと互角の凌ぎ合いを演じて見せた礼装がどれだけの性能を誇るのか。未知数の戦闘能力を測ることが、まずこの一連の模擬戦闘訓練の課題の一つだ。
今回は、特に第三再臨礼装の背中から生える独立礼装―――”悪魔の背骨”と名付けられた対の刃の運用評価が肝だ。礼装の主たるクロの意思に従って稼働するそれは、聖骸布から錬成された所以からか、神秘そのものに対しての否定性を有する。ヘラクレスが召喚した神馬をいともたやすく斬殺したそれは、投影魔術とはまた異なる彼女の戦闘の選択肢になるだろう。
そう目されての、前回のシミュレーターの結果は上々だった。そして今回の試験は、“悪魔の背骨”の拡張性の確認だ。いわば第二の手足と呼びうる“悪魔の背骨”をカウンターウェイトにする重心機動制御は、クロの長所の一つである機動格闘戦の性能を底上げすることにもつながるだろう、と提案したのは意外にもトウマで、その提案をもとにレオナルドが機動制御用のオペレーションシステムを作成・付与しての評価だった、というわけである。
「まぁでも完全に機械任せの制御ってのより、半々って風にした方がいいかもね」
独り言ちる。不思議顔のクロに得意げな顔をしつつ、レオナルドは「まぁ任せたまえよ」と朗らかに笑みを浮かべる。
「今回のデータを参考に、次の特異点までにはいいもの作っておくさ」言って、レオナルドはごく自然に次の言葉を続ける。「それまでに思考パターンのサンプリング、取らせてもらっても良いかな」
構わない、というように、クロは小さく首肯する。それに対するレオナルドの小さな微動が何を意味するのか、その場に居合わせたクロとその他3人──マシュにリツカ、トウマにはよくわからなかった。
「それで、マシュのデータだけど」
レオナルドは口早に、次の課題へと話を続けた。はい、としっかりした声で立ち上がったマシュ・キリエライトは、生来の生真面目そうな顔でレオナルドの続く言葉を待った。
「マシュ、疲れるだろうから座って、座って」
「え、あ。はい」
隣に座るリツカに促され、マシュはきょろきょろしながら椅子に座り込んだ。白い雪蛍を思わせる頬にぱっと赤みが指しながら、やはりマシュは生真面目そうに口を結んでレオナルドを見つめていた。
「宝具……というより、防御以外での応用性も増えてきたね。今回は魔力放出の制御かい?」
「はい、その。スタッフの方に教えて貰った……戦闘機? を参考にして」
「F-35かSu-57か」
うんうん、と頷くリツカ。ハテナ顔のトウマを他所に、マシュは「でも」と言葉を詰まらせた。
「私、というよりはトリムさんのお陰です。最適な出力で力場を展開するのは私では難しくて」
悔しさか、それとも力の至らなさか。小さく肩をすぼめる姿はどこかか弱さすら感じる。とは言え、悲嘆ばかりに暮れている様子でもないらしい。力の端緒はともあれ、力量が増加していることは変りないと認識しているらしい。
──シュミレーターを利用しての戦闘訓練の第二の目的は、そこだった。
マシュ・キリエライトの戦闘技法、その応用性の確認。彼女の特性──魔力をリソースとしてパワーフィールドを展開する【魔力防御】は、字の如く防御への使用こそが本領である。疑似宝具として力場を展開した際の防御性能は、それこそ対城宝具を退けるほどだ。およそ防御系宝具が数あれど、コンスタントな防御性能の高さと燃費の良さを鑑みれば最優の盾と言えよう。
だが、ただ防御に寄った性能には限界がある。特に特異点へのレイシフトから少数戦力での長期間戦闘に従事するサーヴァントに求められる性能とは、高度な
求められるのは運動性能、中長距離での戦闘性能。且つ、防御性能。単騎での運用性を引き上げるための着眼点が、【魔力防御】によって発生される力場を防御以外の用途に使用することだった。
「ま、でも確実に戦闘の選択肢が広がっているのは事実じゃないかしら」
真実、素直にクロは評した。先ほど仮想空間内で当のマシュに首を刎ね飛ばされたことなど、クロにはさして感情的になることではないらしい。
「今のところは射撃と瞬発力の補強はできてるって感じだよね」
「そうね。まだ、流石にアーチャーと遠距離で撃ち合うのは厳しいだろうけど」
クロとトウマの会話に、マシュはただ黙して小さな身動ぎをしただけだった。己の非力を噛みしめる、という情動は変わらずあるのだろう。だが、きゅっと結んだ口唇には、それ以上の堅い意思の滞留を感じさせた。
「今のところ、諸々大過なく進んでるってところで今回の計画を結ぼうかな」
手元のリモコンを壁面モニターに向ける。シミュレーターの映像が暗転すると、レオナルドは「とりあえず、デブリーフィングはこれで終わり」と脱力したように言った。
「この部屋、まだ使うんだろう?」手元の資料をかき抱くようにすると、レオナルドは温い視線をマシュとトウマへ向けた。外見上は揶揄いに見えて、実際のところは8割くらいは健全な大人の温和さに満ちた微笑だった。まぁ、もっとも2割程度にはやはり揶揄いがあるのだろうが、それは人間的な紛れという誤差だろう。
「今日はなんだっけ? 19世紀ロンドンの話?」
「はい、前回フランスの話で、次は第4特異点の舞台の話です。時代は19世紀末期、産業革命を経たロンドンで──先輩?」
言いかけて、マシュは隣に立ち上がった人物を奇異そうに見上げた。
「あーごめん」リツカは幾分か気まずそうに、側頭部で一つ結びにした銅色の髪の房をかき回した。「今日はちょっと休ませてもらってもいいかな」
「あーはい、大丈夫っすよ」
意外そうにリツカを見上げるマシュに代わり、トウマは努めて朗らかな様子で応えた。
「夜更かしのしすぎじゃない?」
ニヤニヤと口角を歪めるクロに対して、リツカは珍しく「最近寝てるんだけどなぁ。寝すぎなのかな」と不思議そうな表情を返した。
「あとで資料とかもらっていい?」
「お任せください。マシュ・キリエライト、先輩から教わったわかりやすい資料作りを徹底しますので」
にへらとリツカは顔を緩ませる。なんだかその顔に力がない、と感じたのは、ある程度の年月顔を突き合わせているレオナルドだったからだろうか。
くしゃ、とマシュの頭を撫ぜりと、リツカは草臥れた様子でブリーフィングルームを後にした。
※
一路、彼女は自らの部屋へと足を向ける。
最近感じる身体の疲労。静かに足元から這い寄るかのようなそれに従うように、リツカは重い足を動かしていく。
生半な魔術干渉ならば、彼女はそれとなく察知する。彼女の素質による、というよりは、彼女が身に着ける礼装による探知だ。流石にサーヴァントの対魔力とまではいかないが、それでも簡素な呪詛程度ならば弾いてしまうし、弾けずとも、悪意を持った魔術的干渉を敏感に探知はしてくれる便利なものだ。
流石は、時計塔のロードたるアニムスフィアの当主手製の礼装というだけはある。本人としてはお遊びで作ったものなのだろうけれど、知識はともあれ技量に関してはさして特筆すべきものはないリツカにとっては、十分優れた魔術礼装だった。ルーン文字を起動キーとしているのも、使い勝手がいいと思う。
それに反応がないということは、少なからず敵意的魔術干渉が行われているわけではない、ということだ。つまるところ、この肉体疲労の感触は、真実肉体の疲労によるものなのだろう。
リツカは8割がた思考放棄しつつ、残り2割でうすぼんやりそんなことを考える。彼女は生来思考という人間的営みを七面倒くさいものだと疎んじていた。人間は考える葦である、という人間の悲惨と尊厳を説くパスカルの名句も、藤丸立華には説教臭いだけの、世捨て人の諦観以上のものには聞こえなかった。
そんな悲惨なことを考えるよりも、思考停止して不摂生な生活を送り、楽しむだけ楽しんだら早々と人生を終了させる。そっちの方が、よほど人間的であろう。天使と野生の生物たちは自ら堕落することはできないが、ただ人間だけが自由意志を以て頽落的生活を送ることができるのではなかろーか。
──まぁ、もっともそんな屁理屈をこねまわしているあたり、やはりリツカという人間の核に思考することそのものは根付いているのだが。半ば自覚しつつも、彼女は自分自身に見て見ぬふりをしている。
そんなことを益体も無く考えながら、リツカは居住区画に設えられた自分の部屋の前へ行くと、壁面のモニターを覗き込んだ。
ぴ、という小さな電子音が壁の中から漏れる。続いてがちゃり、という音が後を追う。自動ドアのロックが解除されたのを確認してから、リツカはえっちらおっちらと自動ドアを手で開けた。
いい加減、ダ・ヴィンチちゃんが何とかしてほしいとは思う。このゴタゴタが始まって以来、あれよあれよと節制生活だ。食生活はなんとかクオリティを維持しているが、その他エネルギー消費に関しては目に見えて縛りがきつくなっている。
まぁ最悪年単位で補給がままならないのだから、そうなるのは当たり前なのだが。
やっとの思いで重たい自動ドアを開けたリツカは、一目散にベッドに向かった。髪も解かずにベッドに飛び込み、枕元の化粧落としで顔を拭う。本当なら洗顔もすべきところだが、もう、彼女にはそんな気力すら残っていない。
喉が渇いたなぁ、とうすぼんやり思考する。エナドリはデスク下の冷蔵庫の中だ。ベッドに飛び込む前に持ってくればよかった、と思ったが、もう後の祭りである。猛烈な末脚で追い込んできた眠気の前に、藤丸立華は容赦なく差しきられてしまったのであった。
ぐぅ。