fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅰ-2

 ほんと、世の中って無責任よね。

 ──その声を、どこかで、いつか、聞いたような気がした。

 私みたいな女の子にそんなことさせるんだから。できることなんてたかが知れているでしょうにね。私に、何を期待していたのでしょうね。

────不気味なほどの郷愁を惹起させる声が、内耳から鼓膜を突き上げる。

 でも、しょうがないわよね。なってしまったものは、なってしまったのですから。なら、精いっぱい、頑張るしかないわよね。

──厭世的なはずのその声が。何故か、ほんの僅かな微笑が滲んでいた。

 

 

 暖かいな、と思った。

 ぽけーっとした気分にさせるような、温和な手触り。肌を撫でる感触は、南極6000m級の隠山に敷設されたカルデアの中では、決して味わえない。レイシフト先の特異点で僅かに感じる、太陽からの陽の光だ。

 もし何もなければ、そのまま深い眠りに落ち込みそうなほどの暖かさだ。実際にリツカはその温厚な天体の涙に包まれていようか、と思考放棄の末の普段の自堕落を決め込んでいた。

 だが、それも数瞬ほどの微睡みに過ぎなかった。泥濘に沈んだかのような暗い眠りの中、何かがざわめいていた。

 最初、それは小さく脳みその中で発生しているかのようだった。松果体の中で、宇宙の淵源に潜む名状しがたい冒涜的な生物がのたうちまわるような雑踏が蠢き始めるなり、だんだんとそれは人の絶叫のように変転していく。常人なら気が狂いかねないほどの音の坩堝の中、それでもリツカは気持ちのいい眠りにしがみついていた。

天性の自堕落さである。だが、その天才的堕落ですら耐えかねるほどの粘着質の甘い音に眉を潜めたリツカは、やっとのことで目を開けた。

 むくり。のっそりしながら、それでいて何か機嫌が悪そうな様子は、冬眠を邪魔された羆のようである。最も小柄なリツカなのでそんな威圧感はなく、精々穴熊が穴蔵から顔を出してきたくらいな雰囲気ではあるのだが。

 眠りを妨げられた羆……もとい穴熊は、まず普段の習性に従い、周囲を見回した。

 古い石畳に、古式ゆかしい建築様式の建物。なんとなくヨーロッパ風、という漠然とした印象でその家々を眺める。もしここにマシュが居たならば、建物から何年のどこ、というところまでたちどころに同定するのだろうが―――きょろきょろと周囲を見回してみるが、残念ながらマシュの姿はない。クロの姿もない。あと一応トウマ少年の姿も。

 ふむ、と一息。手遊びのように顎を撫でながら、リツカは自分のいで立ちも確認する。

 カルデアの施設内で着用する衣類だ。簡易的な魔術礼装として機能するが、とても特異点での運用には耐えられない。それを着ている。レイシフト前に必ず装着するバトルドレスユニフォームも着ていない。重ねて言うが、明らかに戦地に赴く出で立ちではない。

 当然、BDUを装備していないということはカルデアとの連絡も取れないわけで。幾ばくか途方に暮れつつも、リツカは「夢かな」と至極当然の思考へと巡っていく。

 此処に来るより前に連続した記憶はない。ということはあれだろう、要するに寝落ちて今は夢の中、みたいなものだろう。みょうちきりんな光景も、夢特有の突飛さと言えばわからないでもない。

 それにしても、対自的に夢を理解できる夢なんてあるんだろうか。意図的にぼんやりしながらも、とりあえず、彼女は声の方へと足を向けた。

 ついさっきまで、脳みその中で反響していた怒号。いつの間にか外から物理的な音響となって響き始めた声が、何か当面の手掛かりのように思えた。

 というより、その他に何も手掛かりがない。この世界が何なのか、見当もつかない。

 とは言え、歩き始めたリツカの足取りは軽い。夢なのか無意識なのかは判然としないが、特段の危険を感じない。ほんの一瞬の油断で死に絶えるような世界には、見えない。

 あるいは、それが油断なのかもしれないが。回避不可能な不意打ちで死ぬ、という可能性にまで気を回していては、そもそも戦地で動き回ることなどできはしまい。

 普段と変わらぬ、軽やかな足取り。ざり、と石畳を噛みしめるパンプスの感触の頼りなさも気にせずに歩き続けると、リツカははたと足を止めた。

 さっと視界が開けた。

 視界にまず飛び込んだのは、切り立った塔、だったろうか。古代エジプトの神殿に侍るオベリスク、のように見える。妙に周囲とミスマッチな景色の中、それはあった。

 巨大な刃が、暖かな陽を照り返していた。艶やかに煌めく銀の刃は、全く以て造形美に欠けていた。

 その刃の名前がギロチンであることは、誰の目にも明らかだろう。特にリツカの生活していた日本においては残虐さ、無慈悲の象徴と誤解されがちな処刑道具。断頭台があり、そこに聳える対の柱がある。柱に挟まれた刃がある。そしてその断頭台の前に立つ姿に、リツカは目を見開いた。

 何故か、そのいで立ちは白無垢を思わせた。にも拘らず、その風采に、何にも染まらぬ純白の衣、という気品さはない。むしろ病衣を思わせる窶れは、白無垢の淑やかな美とは全く対偶の黝さを惹起させる。

 「──マリア?」

 被ったキャップの下。病的なほどに白い頬に、蒼褪めた唇。死、という気配を濃密に纏いながらも、その顔を、間違えるはずはなかった。

 第一特異点、オルレアン。刹那のように短い間だけしか言葉を交わさなかった、豪奢で且つ可憐な百合の花を思わせる彼女。

 その名、マリー・アントワネット。

 時代の波に飲まれ、断頭台に最期を看取られたフランス・ブルボン朝五代国王ルイ16世の王妃、その人だった。

 何故、という思考が過る暇は、なかった。というより、より甚深な何故が津波となって押し寄せ、ただリツカは圧倒されたからだった。マリー・アントワネットが手を掲げる。細やかな百合の茎を思わせる繊細な手の動きに反して、断頭台を取り囲んだ群衆が怒声を迸らせる。はたして言語なのかすら不明な、原初的のような近代自我的のような奇怪な罵倒。その矛先が向かうのは、処刑台に佇む白い衣のマリーではなかった。

 マリー・アントワネットの仕草に応じ、一際罵声が鬱勃と立ち上がる。両脇を赤青のコート姿の男に挟まれて連れられたその人影に、リツカの内面の疑問符と明晰な思考が不気味に絡まり合った。

 病的な、痩せぎすの体躯。血を汁として蓄えたサクランボみたいな髪が力なく垂れている。同じように力なく垂れているのは、尻尾、だろうか。爬虫類じみた尾を引きずりながら断頭台に連れられた、その、彼女は──。

 藤丸立華の判断、そしてそこからの行動は、ただただ迅速だった。身を隠していた樹木から飛び出すなり、リツカは壁のように密集する群衆に突撃する。

 彼女の身のこなしの故か。壁に思えた民衆の群体の隙間をするするとかきわけていく。リツカの存在に気づいた青い正装の衛兵の手も軽々と潜り抜けると、〈強化〉を施した脚力でもって断頭台へと飛び乗った。

 既に、彼女は木枠に首をはめている。木桶に首を突っ込んだ亞竜の少女は、静かに断首の瞬間を待ち望んでいる、ように見える。

 止めに入った黒ずくめの男の頬へと、強かに殴打を一撃。吹き飛ばされた体躯が独楽のように断頭台から転げ落ちていく。構わずに首から木枠を外した瞬間が、最後だった。

 振り下ろされる手が断首の合図だった。

 ぶち、とロープが千切れる。重力落下を始めた刃が首元へと迫る。寸で彼女を抱き起したリツカは、ただ力任せにその細い身体を突き飛ばした。

 墜ちる刃、暗転する視界。視界に飛び込んだ白い相貌に映る情動は、驚愕、後悔、奇異、憧憬、そのどれもの中央値を象るものだった。

 ギロチンの刃が地面に食い込む。昏く沈む視界の中、呟くような声が耳朶を衝いた。

 「―――『死は冷たく明日を閉ざす(ラモール・エスポワール)』」

 どうして、泣いているんだろう。

 そう思った。

 

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