fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「そりゃあ考えてみろよ。アンタだって中央アジアの歴史なんて知らんだろう?」
悪びれもしないように肩を竦める黒人の男。元はアフリカ系で、アトラス院を本家とする魔術師の家系だという。が、現在は遠くアメリカの地で生きる彼にとって、そもそも歴史それ自体が興味の外の物事らしい。
カルデアの居住区画。南極の山奥などという僻地にあるせいか、この施設は全体的に無機質で冷たい印象がびっしりと沁みついている。色彩に乏しい廊下に、それでも時折現れる簡素なロビーは冷たい印象に微かな温和さを感じさせる。
テーブル2つ、椅子は合計4脚という手狭なロビー。クロエ・フォン・アインツベルンは偶然行きかったオペレーターの1人と、特に何をするでも無い会話を空転させていた。
「だからまぁ知らんのよ、イングランドの歴史とかな。まぁ興味がないわけではないけどな」
頬杖をつく大柄な男は、こじんまりとした仕草の癖になんか巨大だ。元はグラウラーのコパイをしていたのだけあって佇まいは粗暴というより知的で、普段の趣味は数学の証明問題を解くことらしい。夜間の電力消費削減のため、あまり最近は趣味に興じる暇もないと嘆いていたが。
「敬意がないわけじゃあないけどな」
少しだけ、男は決まり悪そうにした。英霊、という歴史の綜合体とでも言うべき相手に歴史を軽んずるかのような発言をしたことが、なんというか心苦しいらしい。
最も、クロ自身はさしてそんな身振りに不快さを感じるようなことはないのだが。何せ彼女は過去的な存在者でもなく、まして未来的な存在者でもない、どちらかと言えば現代っ子である。現代の英霊、というのも何か珍妙な話ではあるのだが、事実なのだから仕方ない。そんな彼女としても、実際のところ“歴史”とやらはあまり興味のない出来事だ。もちろんその来歴から魔術に関する歴史には関心があるが、いわゆる外の地域の歴史には関心が無い。例えばトルキスタンの歴史、とか言われても、現代日本女児であったクロにはよくわからん話である。
「まぁ、私なんて日本の歴史すら知らないけど」
「りっちゃんと同じ日本人なんだっけか、アンタ」
「まぁそんなところ」
こういう点で、クロはこのアフリカンアメリカンの男に僅かな親しみを向けられていた。異郷を祖国に定めた異邦人、という曖昧な越境性。どことなく純血という幻想に追いすがっている魔術協会は、男にはやや肩身が狭いらしい。
「ニホンにはまだスペツナズみたいなのが活動してるんだろう? 映画で見たぜ、危険な国だってな。出会い頭にソードマスターに襲われるっても聞いたぜ」
「忍者も辻斬りも、もういないわよ」
「マジか」
真面目にショックを受けた様子の男は、そうか、と肩を落とした。まぁそれっぽいのはまだ現代日本にも現存しているのかもしれないが──そんな伝奇みたいな話はそうそうないと思う。
──まぁそんな歴史談義になったのは、ここ最近マシュとトウマが行っている“勉強会”のお陰だ。元から歴史的なものに関心のあったマシュと、なんとなくそれに追従するトウマの2人で始めた歴史の学び直しは、それとなくカルデアの中でも広がっている。もちろんライブラリを参照すれば事足りることではあるが―――前回の特異点のように、カルデアとの連絡もままならないことはある。そう言ったときは当然カルデアのライブラリにアクセスすることも不可能で、そうなったら要求されるのは地頭の性能だ。レイシフト環境下で少数精鋭の長期任務に従事する彼女彼らは、そういった状況すら念頭におかねばならない。
……という作戦上の都合もあり。加えて、ただでさえ余興に乏しい環境下なだけあって、こういった催しそのものが日々の楽しみになりつつあるのだ。
もっと踏み込んで言えば、それだけこの環境の逼迫具合は激しい、ということでもあるのだが。
そういった苦々しい状況から自覚的に目を逸らせるのが、人間という生物の愚かで且つ優れた素質だろう。現実逃避とは、後ろ向きのままに前進するための啓蒙的ヒューマニズムの産物なのだ。
そしてそんな進歩的な人間主義を体現する人物が、のそのそと現れた。
ぼさぼさの髪のまま、
「おはようございます」
2人に気づいた魔王……ではなくリツカは、魔界から来たかのようないで立ちの癖に妙に丁寧にお辞儀した。
「あーうん?」
お辞儀の恰好から顔を挙げたリツカは、まじまじと2人を眺めた。穴が空くほどに注視してから、「あぁ、なんだ」と拍子抜けしたように肩を落とした。
「おはよ、リツカ」
「うむ。くるしゅうない」
クロの挨拶に、リツカはいつも通りの脱力で応えた。緊張感など一つもない、ほんわかした雰囲気。ぼりぼりと尻を掻きむしる仕草は、彼女の堕落さに輪をかけていた。
「うーん」
けれども、そんなリツカの仕草にほんの微かに違和感が混じる。普段の大らかで朗らかで間の抜けたような佇まいの中に、何か奇妙な鋭さが混じる。思案を加速させているのか、それとも別か。ようやくフジマルリツカという人間性のなにがしかを掴みかけ始めたクロにとっては、リツカのそうした漫然とする様子に混濁する鋭利さは理解するがその内実までは推し量れない。
しかも、その仕草は一瞬だ。仄暗く見えていたリツカの様子も一瞬で彼方へと過ぎこしていく。うーん、と気持ちよさそうな伸びとあくびを繰り返したころには、もう、リツカは彼女の本質だけを現前させていた。彼女の本質ですらない不気味さは、もう、存在していなかった。
「腹減った」
「食堂にまだ飯残ってるんじゃないか」
「今日の当番、ニナだったかしら」
「期待できるじゃん。行くわよ行くわよ」
ぼさぼさの風采のまま、リツカはひょろひょろと駆けだす。日々の食事担当は補給科の請負で、中でもイタリア人スタッフが作る料理は一番のアタリだ。
「呑気なもんだ」頬杖着きつつ、男はリツカの背を見送る。「あれで人類の半分を背負ってるんだからなぁ」
発言は、どこか憧憬のようなものを感じる。ただ、憧憬の裏にどうしても潜む疚しさと裏返しになった、そんな大人の情けなさと同位の憧憬。
大人であろうが子どもであろうが、無力とは時に罪悪だ。それが自覚的であるならば、なおのことだろう。贖い不可能に担い産むそれが、けれど、人間に一つの情熱を種付けるのだ。
クロも、漠とリツカの背を視線で追う。よたよたと歩行するリツカの後ろ姿は、ただただ不安定だった。