fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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 「手も足も出なかったな」

 そう口にした声が、不思議な感触で耳朶を叩いた。

 長い金の髪を流した、気品のある人物。初めて見る人物なのに、その名前は知っている。

 キリシュタリア・ヴォーダイム。千年の歴史を持つ魔術の名家、その次代を受け継ぐ若き当主だ。

 貴族主義に属する人物ではあるが、その眼差しはむしろ民主主義的に近い。家名ではなく能力に要点を置く彼の目はむく先は、〈私〉を見ている。

 「なんかすんません」

 〈私〉は意図せずして口を開いた。私と無関係に行動し、意志する〈私〉は、面目ない、というように頭を垂れた。

 無機質な見た目のそこは、なんとなく、私には以前住んでいた城のようだった。何もかも無感動で生命の感触が無い通路。〈私〉からは、それがカルデアという組織が所有する研究施設の、居住区画のロビーであることが伺い知れた。

 「いや、構わないよ。君の力量は既に理解している」

 ニコニコと朗らかに笑うキリシュタリア。大人びた精悍さを満たしながら、この金髪の麗人の如き男は少年のように笑う。“私”はすんません、としみじみと頭を下げた。

 ロビーのテーブルを挟んで3人。キリシュタリアと“私”は、テーブルの上に何か遊具らしきものを広げて遊んでいる。チェス、だろうか。賽の目が広がったボード上で駒を動かす様は、私の知識上はチェスのように見受けられる。

 とは言え、チェスとは違う。盤面は木製で、なんなら駒も木製だ。駒に書いてある字は私には読めないが、“私”には読めた。歩、金、銀、云々。将棋(ジャパニーズ・チェスゲーム)だ。盤面の読み方はよくわからないが、なにはともあれわかることがある。

 キリシュタリアとのゲームは、ほぼ完敗という形でゲームが終わっていたことだ。

 「まぁ、うん。人には得意不得意がある」

 なんとも歯切れの悪いキリシュタリア。ひやひやとした表情を向ける先には、むすっとした顔があった。

 「何も教わるものなんてなかったんですけど」

 眼鏡の位置をずらして一言。不機嫌さを隠しもしない黒髪の女性は、興ざめとばかりにキリシュタリアと〈私〉を見比べている。

 芥ヒナ子。黒々と艶やかな髪に山ブドウのような目をした女性も、やはり〈私〉の知る人物である。いつも本を読んでいるふりをして一日を過ごしている彼女も、キリシュタリアと同じくAチームの一員だ。

 「何が権謀術数よ。この小娘ができるのは小手先の手遊よ」

 「シミュレーターでボロクソに負けた人が言うセリフじゃない」

 「何よ?」

 「いえなんでも」

 額に青筋をたてるヒナコ。数日前に行われたシミュレーターで、確かに“私”とヒナコは適性試験も兼ねて模擬戦を行った。口が周る皮肉っぽい子供姿の作家系キャスターを引いた“私”に対して、最優と名高い仮面姿の北欧のセイバーを引いたヒナコの戦闘は、何故かヒナコの完敗というしょうもない結果で終わっていた。

 戦術もへったくれもないヒナコのぼろ負けを受けての|講義《補講』──ということで開催されたのが、キリシュタリア主催の将棋だった、わけだが。

「将棋とか初めてやるもんで」

 あろうことか、〈私〉はキリシュタリアに手も足も出ずに敗北した、というわけだ。戦術やら何やらを教える材料+〈私〉の出身国の遊戯、という両方を勘案したキリシュタリア・ヴォーダイムの鷹揚な提案は無残に潰えた。

 「第一アナタにデイヴィッドがいるのよ。それにあのいけ好かない臭いの男もね」ヒナコは気分を害したと言わんばかりの表情を隠そうともしない。「こんなちんちくりんを補佐に置くってのはどういうことなのかしら」

 刺々しい言葉を向けられる“私”は、さして気にする様子もない。むしろ当然の対応だろう、と理知的に受け止めている様子だ。

 「どうかな。案外、私よりもペペやオフェリアの方が上手く突破するかもしれない。あるいはカドックのような男がね」

 「本気でそれ言ってるのよね」

 「本気さ。人の可能性とは無限だ」

 大真面目にキリシュタリアは言う。そうしてその眼差す先に、〈私〉を捉えた。

 「まぁ確かに」不機嫌さは相変わらずだが、ヒナコは鼻を鳴らした。「前の総当たり戦の結果は承知しますけど」

 「照れますねぇ、ヘッヘッヘ」

 「このザマは何かしらこのザマは」

 「すんませんでした」

 「しかしボードゲームが弱いとは。まぁいい。さて、それでは約束通り、ティータイムとしよう」

 「キリ様の茶と菓子が食える。それだけで生きてる価値があるでしょ」

 「生存の価値がそれって気楽すぎるでしょ。これだから人間は……」

 席を立つキリシュタリアに、まるで犬のようについていく〈私〉。呆れながらも一応ついてくる芥ヒナコの存在を感じながら、確かに、〈私〉は、別なものも感じている。

 これは、なんだろう──。

 

 

 「あれ」

 藤丸立華が目を覚ました時、まず思ったのは既視感だった。

 「知ってる天井だ」

 ありふれたテンプレ台詞……のちょっと変化形をはきながら、ベッドから這い出す。ひだひだの垂れ下がった天蓋ベッドからもそもそと抜け出すと、足元には丁寧に半長靴がおいてある。それは履かずに立ち上がると、リツカは慣れた様子で室内を見回した。

 あの部屋だ。ゲストルームのような。それでいて牢獄として格率する、不可思議な部屋。アヴェンジャー、マリー・アントワネットの宝具が形作る、牢屋だった。

 「起きたわね」

 むすっとした声で話しかけてきたのは、やはりエリザベート・バートリーその人? だ。ケーキスタンドの乗ったテーブルに陣取りながら、角の生えた彼女は訝るような目で見返してきた。

 「おはようございます」

 「何呑気に挨拶してんのよ」

 「いや、まぁ」

 既に結び終えていた左側頭部の髪をかき回しながら、リツカは困ったように首を傾げた。わけがわからないことだらけだが、取り合えず普段通りの行動をしている。泰然というように見えるが、ただ呑気なだけにも見える。エリザベートにはよくわからない。

 「寝たのは覚えてる」

 「寝て起きたのよ」

 「そう言えばサーヴァントは眠らないのか」なるほど、と得心。「寝て、起きた、と」

 言って、リツカは周囲を眺めた。

 昨日──昨日? となんら変わらない。変化に乏しい世界だ。天井ではじりじりと丸い暖色の光が揺れ、その癖に妙に明るく、されど部屋の隅には暗い影が落ちている。目を離したすきに忍び寄ってくる、そんな妄想が過るような、黒い影。

 「寝てる間は何もなかったの?」

 「そうね、特に何も」

 さらりとした仕草でエリザベートは言った。つもりだろう。うまく演技ができたと思っていたのはエリザベートだけで、正面に座るリツカには、そのなんとも気まずそうな表情はありありと理解できた。

 何か隠し事をしている。しかも恐らく、リツカというパーソナルに関わる事柄で。

 ふむ、と手慰みに顎を摩る。じい、と見つめておおよそ見当をつけたリツカは、まぁいいか、と爆発的に惹起した不快感を瞬時に屠殺した。

 いや、抑えきれないものは抑えきれない。むしゃむしゃと一つ結びの髪をかき回して、リツカはやや乱暴にケーキスタンドからケーキ一切れを鷲掴みにし、そのまま口にねじ込んだ。

 「汚いわね」

 「糖分はストレス緩和に善的な効果を及ぼすんだよ」

 反射的に応える。エリザベートの非難の視線に納得すると、「まぁなんでもいんですけどぅ、どうでもいいことなので」と口にした。

 「じゃあどうでもよくない話」

 「どうぞ」

 素早いエリザベートの発言に、リツカも同じような姑息さで受けた。二人とも、思惑は同じだった。リツカは自覚的に、そして恐らくエリザベートは無自覚に。

 「ここからアナタを逃がす方法よ」

 「あぁそれ」リツカはのほほん、とマカロンに手を伸ばす。「宝具のブッパはなし。それがあなたの考え」

 エリザベートは一瞬目を丸くしてから、気味悪そうに「そうね」と応じた。

 「別に不思議なことじゃないでしょ」はむはむ、と菓子を咀嚼する。「一番手っ取り早い方法が火力のごり押しでしょ? それが選択肢にあるなら最初からやってる。同じ理由であのドアからの脱走もなし。つまるところ、イレギュラーな手段での脱出は不可能、ってことなのかなぁなんて」

 得心したように、エリザベートは頷いた。その頷きが正解で、「そりゃそうだよね」とリツカは背もたれに身を預けた。

 「そうね。アナタのいう通り、力技での脱出は不可能、無理よ」

 妙に力強く、エリザベートは断言する。リツカはふんふん、と軽く頷くばかりだった。

 「で、案はないと」リツカは、なんとなく壁の方を見やっていた。「まぁどう見ても考える力はなさそうだもんね」

 「アナタ、失礼よ」

 憮然とした表情のエリザベート。腕組みして、ふん、と鼻を鳴らしながらむすっと顔を顰める様は、どう見ても知悉に長けるようには見えない。

 「そういうアナタはどうなのかしら。アナタだって何も策なんてないんでしょ?」

 憮然とした顔のまま、エリザベートは蛇の舌のような視線をリツカに這わせた。

 「ないです」

 あっけらかん、とリツカは応えた。

 「ほらやっぱり!」

 「ないけど、でも考えはある。要するに、最終的な結論は、ここが固有結界に似たものだって言うならその核を壊せば全て解決する、ってことでしょう」

 そんなに、難しい話ではない。

 何かしらの魔術的作用を解除するには、その術者を始末すればいい。それだけの端的な事実を、より大きな規模の出来事に敷衍しただけの話だ。

 驚いたようなエリザベートの表情は、果たしてそんな簡単な事実に思い至らなかっただけの痴呆性なのか。それとも別な理由なのかはリツカには与り知らぬことだが、別に踏み込もうとは思わなかった。

 つまるところその事実──この宝具を展開しているという、マリー・アントワネットを殺せば全ては完了する。これは、そういう話なのだ。

 「要するに、マリー・アントワネットを始末すること。その目的に至るための手順を思考する。そういう理解で思考したほうがいいんじゃないかな」

 「結局、話の大筋は変わらないんじゃないの」幾分か、エリザベートは気分を害した様子だった。というよりも、なんだか、蒼褪めている。「だって結局ここを出る、ってことになることは変らないでしょ?」

 「概ねはそうだけど。まぁ、取り得る手段が色々になるってこと」

 言いながら、リツカはのそのそと立ち上がった。大儀そうな仕草は、人によっては驕慢傲慢の表れのように見えたかもしれないし、あるいは深い森や険峻な山に座す聖者のようにも見えたかもしれない。とまれ、リツカはのっそりと、部屋の隅へと向かう。

 似付かわしさなど最初から求めていない、時代錯誤の産物。その名も冷蔵庫である。現代の工業製品が、この古式ゆかしい一室にあるというのはなんとも珍妙極まりないが、リツカはさして気にするでも無く、ごく自然にドアをあける。1ドア式のこじんまりとした冷蔵庫である。マホガニーをイメージしたらしい色調のドアは、むしろ安っぽくて、かえって浮いている。そんな冷蔵庫なので、当然腹の中に蓄えているのも俗物きわまりないものだ。

 エナドリ。しかも3本。増えてる! と子供のようにはしゃぎながら2本取り出すと、まず1つプルタブを開けた。

 「一気に2本も飲むわけ?」

 「飲まない?」

 顰める表情も一転、虚を突かれたように目を丸くしてから、エリザベートは再び顔を顰めた。口にこそ出さないが、顔色にはありありと拒絶の色が浮かんでいる。悲し気に眉を潜めたリツカは、されど別に冷蔵庫には戻さなかった。やっぱ飲むんじゃない、と内心で思いながらも、エリザベートは黙秘することにした。

 「そんなことより」実はそっちの言葉の方がリツカを傷つけることに、エリザベートは無自覚だった。「はやく次の手段を考えなきゃ」

 勇み足そのままのように立ち上がるエリザベート。椅子に腰かけたリツカは、そのまま押し黙るエリザベートの顔をぼんやりと見上げていた。

 要するに、エリザベートには何か具体的な案があるわけではなかったのだ。むむむ、とリツカの視線を受け止めるエリザベートは、次第にいたたまれないように口角をわなわなさせ、顔を真っ赤にし出した。

 「まぁその程度よね。所詮は猿真似しているだけの駄竜では」

 ぴしゃり、と鋭い声が耳朶を衝いた。

 背中から肩を叩く、黄金色の凛とした声。おや、とリツカが丐眄すれば、例の彼女があきれ顔で蔑視をなげつけられていた。

 リン、だ。どことなく宗教的な印象を受ける赤いプルオーバーに黒いロングのプリーツスカート、というなんともギラギラした色彩の女性。真紅の稲妻のような佇まいは、なんとなく、君臨する、という言葉が似あう。

 「げぇ」

 「関羽じゃないわ。美髪なのは認めますけど」

 さらりとミディアムボブの髪を手すきして見せる。当然無風の室内にも関わらず、艶のある髪はふわりと踊るようだった。ニーハイソックスに2つ結びにしている……いわゆるツーサイドアップのせいで幼く見えるが、大人の成熟こそが彼女の本質である、という印象だ。

 「あなたは所詮、自分の快楽にしか興味がない非道徳的な化け物。かの王妃のように万人に共感を寄せるなんて真似事、できるわけないでしょうに」

 鮮やかな切れ味の批評だった。言われたエリザベートは顔を紫色にしていきり立っている様子だが、何も言えずにただただリンを睨むことしかできていない。そして当然、リンにはエリザベートの視線など意に介する様子も無い。ただ、玩具を見下す軽妙な侮蔑だけが揺蕩っているかのような視線で、エリザベートの怒気に応えていた。

 「そして、あなたも。ねぇ、凡人さん」

 にこり、と笑みを向けるリン。感情豊かなエリザベートに対して、リツカの表情は全く以て散文的だった。愚にも付かない、かといって無表情でもない晦渋なかんばせ。無限に底なしの、池沼を思わせる顔色だった。

 舌触りの良い言葉で言えばつかみどころの無い表情に、されどリンはさして気にするでも無く隣の椅子に腰を下ろした。

 奇妙な滞留。情緒的というにはあまりに散文的で散文的というにはあまりに情緒的な間延びした行き交いは、実際のところ一瞬のことだった。

 「まぁそうですかね」つかみどころの無い表情のまま、リツカはぼそりと零した。「これ飲みます?」

 「あら、何かしら。未来の飲み物?」

 「リポDの最強進化系みたいな奴ですかね」

 「リ……?」

 不思議そうな顔で黒いアルミの缶を手に取るリン。小首を傾げて見回してはリツカの持つ缶と見比べて、ようやくリンはプルタブを開けた。

 ぺきゅ、という小気味の善い甲高い音に顔を綻ばせて、リンは勢いごきゅりと薄い黄金色の液体を飲み込んだ。

 「まぁ」

 「お口に合いませんかね」

 「ちょっと刺激的ね」目を白黒させたものの、こくこく頷く姿からは拒否的な感は受けない。むしろ好意的という印象だ。「酷く甘いし」

 「でも良いわ、こういうものもたまに飲むのは身体に良さそう。毎日飲んだら飽きそうだけど」

 「ソウデスネ」

 とても毎日複数飲んでる、とは言えないリツカである。マシーンのような無表情でただ応えるしかなかった。

 「それで、どうするおつもり? あなたは」

 ちびりちびりとエナドリを口にしながら、リンが言う。覗き込むような伺う視線は、純粋な興味のような志向性を感じさせる。そうですね、と応えたリツカはその探るような視線を自覚しながら、わざとらしく背もたれに仰け反った。オーディエンスの期待通りに思考している仕草をしているのか、それとも本心から思考を開始しはじめたか、外見からは判別できない。

 「試したいことが一つ」

 「あら」

 声を上げたのはリンだ。意外そうに眼を見開きながらも、実際のところ何を考えて居るのかリツカには察しがたい。

 が、何よりアクションを起こしたのはエリザベートだ。がたがたと椅子を倒しながら立ち上がったエリザベートは、食い入るようにリツカを注視した。

 穴が開くほどの視線にまごまごしながら、リツカは「まぁあまり意味がないかもなんだけど」と一拍置いて、

 「エリちゃんに宝具ぶっ放してもらおうかと思って」

 一瞬の沈黙。期待が失望に転換していく寒々とした感触だった。困ったように髪の一房をかき回したリツカは、なんとなく気回り悪く「解決策じゃないから」とぼやいた。

 「あのねぇアンタ。というかエリちゃんて」

 「いやだって、エリちゃん」さらりとエリザベートの非難を受け流すリツカ。「エリちゃん、宝具で強行突破とかそもそも試してないでしょ。もっと言うと、そもそも出ようとも思ってなかったでしょ」

 一転、エリザベートは目を丸くした。それは、と顔を顰めたのは、非難と言えば非難だが八つ当たりに近かった。

 つまるところ、エリザベートはこの監獄からの一番簡潔に思われる手段──破壊系宝具による強行突破、という手段を試みてすらいない。さらに言えば、彼女自身はこの監獄からの脱出を考えてすらいないのだ。

 「まぁ別に理由とかはどうでもいいけど」

 特に興味もなさそうに言いながら、リツカは堂々とリンを一瞥する。反応の一挙胴を根こそぎにするような、平凡に見えて抉る視線だ。それを理解しながら、リンのとった仕草は特になんでもなかった。直接缶に口を衝けて飲むのが不衛生と思ったか、いづこから取り出したティーカップに注いだエナドリを結構旨そうに飲むばかりだ。

 つまるところ、看守を名乗るこの女性は、宝具による強行突破を敢えて止める気はないらしい。それだけで諸々結果はわかるというものだが、ともかく、リンの承認は得られたというわけだ。

 「第一、宝具の魔力なんてどうするのよ。言っておくけど無駄撃ちなんてしたくないわよ」

 怒りっぽい口調で、エリザベートは口にした。怒気は、けれど対象が不鮮明で、実際のところは気負いのようなものを悟られまいとする虚勢のようなものであった。

 「それは別に。ほら、もう契約してるじゃん」

 ほらほら、と右腕を翳すリツカ。掲げた手の甲には、爛々と煌めく赫い痣が浮かんでいた。

 言うまでもない。サーヴァントとマスターの結びつきの証。信頼か、あるいは隷属か。それともどちらもか。毒々しく赤い燐光を漏らす痣は、むしろ後者を想起させた。

 「!?!?!?!?」

 「まぁ理由はしらんけど」リツカ自身も、不思議そうに痣を眺めている。歪な角を重ね合わせたような痣は、エリザベートとの契約の証に相応しいように見える。「宝具1発分の魔力はこれで補うから」

 エリザベートは難しい顔をした。顰めるような、気まずいような。覚束無い様子で彷徨わせた視線の先は、静かに鎮座するリンを掠めた。

 しずしずとティーカップからエナドリを摂取するリン。伏し目がちなまま、品よく金色の液体を味わう彼女は、余計な身動ぎをするつもりがないように見える。

 看守は、リツカの凶行を敢えて止まるつもりはないらしい―――その静観こそ応えのようにも見えたが、ともかく、リツカは自らの判断を実行に移すことにした。

 左手を持ち上げる。掲げる左の手の甲。淡く光芒を放ち始める痣に、エリザベートはしぶしぶといったように立ち上がった。

 「じゃあ、お願い」

 リツカの“勅命”は、あまりに味気なかった。エリザベートは拍子抜けした呆れを覚えながらも、自らの翼を広げた。

 蝙蝠の翼。あるいは、悪魔のそれ。夢幻のように展開した黒翼は、艶やかさと冷たさと感

 じさせる。エリザベートの背から生えた竜の翼は、力強く翼膜を押し広げた。

 伝承──というより史実的事実として、バートリィ・エルジェーベトはあくまで一般人でしかない。生理学的アプリオリな疾患──当時の貴族観に基づいた()()()()()()()()()──があったとは言え, 生物学的に人間であったことは間違いない。まして、こんな竜の血を色濃く引き継ぐ人間が16世紀に存在していた、とは考えにくい。

 いわく、英霊の座が実在性より語りによる伝承を重視し、再現するが故の転倒的な事象。史実的にどうであったか、よりも語れた逸話や神秘性を再現し力とする英霊の座に召し上げられるということは、そうした語りを再現し得る個体として登録されるということだろう。特に神秘の減退した近現代の英霊たちが、古代の英霊たちに比肩する力を持ちうる理由だろう。

特に、『無辜の怪物』はそうした英霊の座の特性が極端に顕在化したスキルと言えよう。称揚か、あるいは憎悪か畏れか。無辜の民衆が抱いた心情によって形を歪められることで逸話を再現するスキルが発現している。であれば、この羽根は竜というよりは蝙蝠のそれだろか。いや、もっと古い原初的悪性の発露か、古来竜は悪魔とされ、そして悪魔の羽根は蝙蝠の羽根であるというならば、そこにはカテゴリアの根底にある悪性が潜んでいる、というべきだろう。

 「言っておくけど、どうなっても知らないから」

 禍つ翼を広げ、エリザベートは睨むようにリツカを一瞥した。どこ吹く風というようにすんと済ましたリツカは、どうぞどうぞ、と手でジェスチャーを返した。

 ピン、と張った羽根が痙攣する。黒々と艶光りした翼膜の震えが伝わり、吸い込んだ呼気が胸郭を膨らませた。痩せぎすの身体が盤踞と屹立する様は、どうしようもなく宝具というものの凄味を感じさせずにはいられない。

 古き神秘の発現。英霊の座を介して顕現する英霊の本質。高貴なる幻想が、今まさに目の前で啓こうとしていた。

「『竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)』!」

 小規模とは言え竜の心臓から精製されるオドをリソースに、肺に超高圧縮された空気が放出する。

 本来は精神異常を主とする攻撃宝具だが、副次的に発生する物理的破壊力も相応に高い。古きハンガリーの竜種が操るとされた暴風雨の再現でもあるという息吹が炸裂した瞬間、まず視界が砕けた。続けて生じた振動は、ただ音が魔力だけで増幅したまさしく爆音だ。三半規管が混濁するほどの激震を撒き散らしながら押し広がった烈風に、リツカは軽々と玩具みたいに吹き飛ばされていった。

 ごろんごろんと転げまわったリツカの視界は、瞬く間に黒く淀んでいった。三半規管がかき乱されると同時に、テーブルの角に後頭部をぶつけるという間抜けを曝したリツカは、思いのほかあっさりと意識を刈り取られた。

 何故か──いや、むしろ予感の通りに、その時思った。

 なんだか、酷く不気味(Um-heimlich)だな、と思った。

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