fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「そうねえ、お花なんてどう? 活け花、っていうのんだけど」
「華道、でしたか?」
真剣に頷く、シルバーグレイの髪の女性。そんな堅苦しいものじゃないわ、と柔和な表情とともに肩を竦める人物は──男女、という区別を気軽に越境しているらしい人物だった。
オフェリア・ファムルソローネと、スカンジナビア・ペペロンチーノ。カルデアのメイン・ライブラリルームのテーブルを挟んで、片や難し気な顔をして、片や大人の余裕を感じさせる楽し気な顔をしていた。
「どっちかというとフラワーデザインって感じ。華道、ってなると流派とかあるし、」
こくん、とテーブルの上のグラスを傾ける。ライブラリルームとは言え、ここに物理的形のある蔵書はない。飲食そのものは特段禁止されていなかったが、元来無頼のペペロンチーノはともあれ、古式ゆかしい佇まいのオフェリアは率先して飲料水を摂取しようとはしていないらしい。
「オフェリアは似合いそうだけど、和服とか」
そう、口にしたのは“私”だった。無頼──といよりは無法者といった在り方をする“私”も、ペペロンチーノと同じようにあの黒い缶を呷っている。何が旨いんだかよくわからない。
「そうねぇ。少なくとも、アナタよりは断然似合いそう」
長い前髪を指先で弄びながら、ペペロンチーノはお道化るように肩を竦めた。む、と口を結んだ“私”は、「そういうペペさんは」と言葉を滑らせた。
あら、と姿勢よく“私”の発話を待つ彼女───彼女?
口をぱくぱくさせてから、“私”はむぅ、と肩を落とした。
「どっちも似合いそう」
「そう? お世辞だとしても嬉しいわ」
にこり、と浮かんだペペロンチーノの笑みは快活そのものだ。毒気もない素振りは、彼女? の在り方を感じさせるものだ。
──温暖な排他性。それが、スカンジナビア・ペペロンチーノという人物の在り方だろう。“私”はほとんど誰にも親近感を覚えたことはないのだけれど、この人物だけはそれとなく近しいものを感じないことはなかった。とは言え、その近さは無限の隔たりの中にあるのだが。でも親近感というのは、そもそも絶対に分かり合えないという地点からしか生まれないのだ。
「買った方がいいでしょうか、その。和装?」
「型から入るのも大事だとは思う」
「でもアナタならそのままでも似合うんじゃあないかしら。興味が湧いたら手を出してみても良いと思うわ」
こくこく、と頷く亜麻色の髪の少女。ふさふさ、と揺れる艶のいい髪は、少しだけ羨ましいなと思う。“私”はそんなに綺麗な髪をしていない。
まぁ、そもそも手入れなどしていないのだから当然なのだが。天然の美質とは、こと人間にとっては称賛に価するものではない。手入れの行き届いた美質こそが、価値を持つのだから。“私”は、マルクス的な唯物論者なのだ。
「人生を卓越させることは重要よ。どのように卓越させるかは別だけど。ギリシャ哲学における倫理観は現代で見直されるべきだと思うわ」
「だそうですよ、[”私”の名前]?」
「私は卓越させてるし……堕落という卓越を追い求めているだけだし……」
「オフェリアの方がずっと尊敬できるわね?」
「否定できない」
品よく笑うオフェリアに、快活そのものといっていい表情のペペロンチーノ。むう、と口を閉じる表情は至って不満そうだけれど。
実際のところ、“私”はそんなに不満を感じていない。いや、確かに感じていないわけではないのだけれど、その不満はあくまで生そのものの営為を満たしてくれる類のものだ。生そのものを蝕む
不満──例えば文化的な最低限度の生活を脅かすものであるか、それとも卓越した生の構築を崩すものであるか、どちらか──ではない。
不安の無い生が善き生である、と定義づけたのは誰だっただろう。そう、確か、その名前は───。
※
流石に3回目ともなると、リツカは慣れたものだった。
目を覚ませば、もう見慣れた景色がそこにはある。古風なゲストルームの体裁をとる監獄。部屋の四隅に陰鬱な影が淀み、華美な部屋を蝕むように佇んでいる。そして古式ゆかしい調度品の中に混じって、当然のように鎮座する冷蔵庫。
頭をかきかき。むう、と起きると、以前と変わらずに屹立する家具やら何やらを眺めまわす。変わりないな、と認識してから、リツカは改めて、代り映えのないはずの景色にぽっかりと開いたものへと目を向けた。
昨日──昨日? まではごく自然に壁があったはずの空間が、抉れるように消えていた。もちろん、何故そんなものができているのか、リツカは自覚がある。彼女自身の意思で。一時的にサーヴァントとなったエリザベートに破壊の号令を下したからだ。
相変わらず小綺麗なベッドから抜け出すと、リツカは妙な躊躇いを感じながら──そう、確かに躊躇っていた、だが彼女の自由意志とは別なところで──、リツカは孔の淵に辿り着いた。
黒、暗黒、暗闇。そんな言葉がふわふわと脳裏を掠めるその景色は、実際、そうとしか言いようがなかった。
子どもらしく言えば真っ黒。気取った物言いをするならば漆黒が、ただただ無限のように視界の先へと延長している。
光が届いていないのだろうか。そろそろり、と身を乗り出してみるが、景色に代わりはない。左右上下、どこを向いても黒い。黒黒。試しに手を伸ばしてみたが、全て手先から逃れ去っていくかのような感触だ。虚無虚空なのではない。何かは触れる。己の手からの逃亡という動名詞がするすると指先を忌避していくかのようだ。
リツカは、小さく唸った。その黒い空間───果たしてそれは空間と呼ぶべきものなのだろうか、時空的なものなのか?──を眺めていると、正直に言って気分があまりよくなかった。ぞろぞろと蠢いている何か、遠い宙の淵源に撓む名状しがたい神涜的な沸騰の背後の鋭角がのそりと自分の裡に差し込んでくるかのようで──。
…。
……。
…………?
「ちょっとアナタ」
ぴしゃり、と鞭うつような声が耳朶を衝いた。
背後を振り返るまでもない。既に聞き馴染みになった声は、間違いなくエリザベート・バートリィのものだ。とは言え、リツカは2010年代後半日本の一般的倫理観と常識はそれなりに身に着けているので、振り返ることとした。
室内中央のテーブル、その周囲に配置された椅子に、彼女はなんだか居心地悪そうに座っている。じろじろ、と探るような視線は、嗜めるというよりは何かを躊躇しているかのように見えた。
「あまり見ない方が良いわよ」テーブルに肩肘をつき、指先に顎を乗せるような仕草のエリザベートは、妙に素っ気ないように言う。「あまり気分のいいものじゃないでしょ?」
確かに、とリツカは頷いた。もう一度だけ黒い世界に一瞥を投げてから、リツカは何か後ろ髪を引かれるような気分になりながら戻ってきた。
途中、例の冷蔵庫からエナジードリンクの黒い缶を取り出すと、特に何もなかったようにリツカは椅子に腰を下ろした。ぺきゅ、と小気味良い音とともにプルタブを押し込み口を開けると、ひやりと冷たいアルミニウムの感触に口唇を委ねた。
ごくんごくん、と飲みながら、リツカはちょっと困ったようにエリザベートを見やった。といり、見返した。そう、何が困ると言えば、さっきからずっとエリザベートがじろじろとこちらを眺めてくることだ。しかも、別に取り繕うともせずに。
「何かな」リツカは飲み干す勢いだったのをやめ、缶をテーブルの上に置いた。「あまり見たところで善い効能があるとも思えないけども」
「それはそうね。どこにでもいる凡夫そのものみたいな見た目だもの」
すげない物言いである。やはり女性というジェンダーをそれなりに受容しているリツカにとって、なんとなく、外見の不備に対する指摘は心に来るものはあった。ソッスカ、と悲し気な苦笑いを浮かべながら、リツカはちびちびとエナドリを飲むこととした。
「ただ、よく見てられたなと思って」
「そう?」
「アナタ、4時間も眺めてたわよ」
一瞬、リツカはエリザベートの言わんとしていることが上手く理解できなかった。
4時間。そんなに眺めていたのか? そんなに経っていたとは思えないのだが。とは言え、エリザベートが嘘を言っているようには見えない。というより、嘘を言う理由がない。
一つ結びにした髪をかき回す。思案気に視線を彷徨わせてから、リツカは、なるほど、と頷いた。
「アタシ、10分だって見てらんなかったもの」
「確かに
エリザベートは、じろりとリツカを睨んだ。そういうことじゃない、と言いたげな視線だ。確かに時宜を弁えていないというか、ズレたコメントだったな、と思った。
「それで」何か別なことを言いかけたらしいエリザベートは、一瞬だけ迷ってから別なことを言い出したようだった。「アナタのご所望通りに風穴開けました。これで満足?」
今一度、リツカは淵源を眺めた。
黒い、黒。不気味な黒い廃棄孔。視線は張り付けたまま、リツカは曖昧に頷くだか肩を竦めるだか判然としない仕草を返した。「一応、満足」
「そう、意外。まさかあそこから外に出よう、とか言い出さないでしょうね」
「出たいの?」
「厭よ、趣味が悪そうじゃない。あんな真っ暗」
黄金色のエナドリを飲み終えると、リツカは器用にロングのアルミ缶を潰していく。側面に3か所、斜めに軽くへこみを入れたら、あとは地面において踏みつぶす。カラン、と軽い金属音とともに、アルミ缶は元の大きさからは想像もできないほどの扁平に潰れた。
そいつを床から拾い上げて、リツカは孔の中に投擲した。放物線を描いた金属の塊は孔の中に飛び込むなり、すい、と飲まれていった。
自由落下したのか、それとも上にでも飛ばされていったのか。そんな知覚すら追いつかぬ間に、いつの間にかアルミ缶は存在を消していた。
とても中に飛び込んで安全だとは思えない。いったんエリザベートと視線を合わせてから、リツカは肩を竦めた。
「座して待つしかないってことかなぁこれ」
ぽつり、とリツカは独り言のように漏らした。というより、実際それは独り言だっただろう。特にエリザベートのリアクションを期待するものでは更々なく、別に思考を取りまとめるためのものではない……質朴な、独語であった。だから、だろう。そうね、とやはり独語のように返したエリザベートの声に、リツカは吸い寄せられるように目を向けた。
微かに、俯くようなエリザベート。病的な白い肌は、オルレアンの時から同じだろうか。禍々しい捻じれた角に、豪奢ではあるが気品はあまりないパンク風ないで立ちは、あの頃から変わらない。いや、その変わらなさは、単に同じ形をしているという以上の印象を覚えさせる。
「厭なの?」
「何がよ」
じろりと動くエリザベートの目線とかち合う。だが、実際のところ、彼女の対決でもしようと言うような一瞥は、逃避以外の何物でもなかった。威嚇とでも言おうか、それとも虚勢とでも言おうか。どちらにせよ、リツカはミリほども動じなかった。
「またマリアを殺すのが」
リツカは、ぽやんとした目でエリザベートに応じた。声色も、在り方も、全て無感動にも似た温和さの色調を帯びていながらも、その言葉の鋭さは何よりエリザベート自身が善く知っていることだった。不機嫌そうに眉を顰めながら、エリザベートは「当たり前じゃない」と小さく応えることしかできなかった。
「まぁそれはそうだ」リツカも、何の気なしに天井を仰いだ。「人殺しに厭さを感じるのは、普遍的理性に叶った考えだろうから」
さらり、とリツカは言う。複雑な──それは怒気とも困惑とも、あるいは自己嫌悪にも似た激甚を抑えた複雑な──表情をしたエリザベートのことは、それとなく理解しながらも気にも留めていなかった。無論、リツカはある種の無知からの発言をしたわけではない。彼女は16世紀ハンガリーの「血の伯爵夫人」の史実を、愛すべきサーヴァントと最近知り合ったマスター仲間から又聞きながらも了解していた。
ある種の、非難だったのかもしれない。殺人、という不正義──決して相対主義的言及で贖えない不正義を行った人物への、控えめながら仮借ない非難だったのかもしれない。藤丸立華という人物は、極めて平凡な感覚の持ち主だったのだから。
だが、同時に、その言及はある種の憐憫であったのかもしれない。何故なら、彼女は他人という存在が基本的にどうでもよいものであると思っていたのだから。どうでもよいものが彼岸の先で悩み苦しんでいる時、人は同情と言う名の憐れ──近さを感じるものなのだから。
「でも、やらなきゃあいけないからね。案外代わりは誰でもできるものなのかもしれないけど」
どこか尻切れな言葉のまま、リツカは立ち上がった。表情はあまり変わらない。眉間に皺を寄せて一つ結びに束ねた髪をかき回すその表情は、先ほどの複雑怪奇な瞋恚を蟠らせたエリザベート以上に苛烈に見えた。
「あら、どこに行くのかしら」
しゃん、と声が鳴った。
リツカはその声がやってくるのを、なんとなく確信していた。のそり、と緩慢な動作の大型爬虫類のように首を擡げると、あの凛とした表情の彼女が盤踞と佇立していた。
佇まい同様の名を名乗るリン、という彼女の目が、リツカの体表をなぞる。毛穴の隅々まで見透かすような目。鋭い、というよりは遠い目に、何故かロマニ・アーキマンの目が重なる。何故、という疑念に、しかしリツカはさしたる頓着もせずに深追いすることはやめた。
状況を理解するならば、看守を名乗るリンが妨害をしに来たと鑑みるべきだろう。
何の妨害か?
それは自明だろう。即ち、この豪奢な見てくれをしている監獄からの脱走を、だ。
しゃんしゃん、と音でもするかのようにリンは歩く。興味深げに品定めするように、彼女はあの穴の淵に立った。
とは言え、中をのぞいたのは一瞬だった。すぐに丐眄して2人を流し見たリンの表情は、旨く推し量れない。ただ、廃棄孔を眺めるのと同じ品評の目でリツカを見つめた。
「お出かけね」ふぁさり、とリンは後ろ髪をかきあげた。彼女の動作は、何故か須らく品性が宿っている。「それで、どちらに?」
「すぐ戻ってくるつもりだけど、マリアに会いに」
「そう」リンは、嘆息を吐いた。慨歎、だったが、それはリツカに向けられたものとはやや異なっていた気がした。「殊勝なことね」
「別に、普通でしょ。私のせいなら、なおのこと」
「早いわね」
「さぁ」リツカは、一つ結びにした髪を掻きまわした。「どっちかと言うと遅いんじゃないですかね。エリちゃん、行くよ」
ほら、とエリザベートの手を取るリツカ。引きずられるようにしながらも、エリザベートは1歩を踏み出してしまっていた。
「待ちなさい」
そういうリンの声色に、刺々しさはない。あの品評の目でリツカの目を覗き込むこと数舜。また、彼女は嘆息を吐いた。
「お戻りはいつ?」
「すぐ。別に、今すぐどうこうしようってわけじゃないから」
「そ」
素っ気ない一言は、多分同情だろう。恐らくリンとリツカは何か類似性のある人物なのだろうが、だからといって彼女たちは互いに共感しようとは毛ほども思っていないらしかった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 話が全然見えてこないわ」
「だからマリア……マリー・アントワネットに会いに行くんだよ。じゃないと、
廃棄孔の淵に、リツカは屹立した。握る手の冷たさは、エリザベートのものなのだろうか。それとも、己の手の冷たさなのだろうか。混交した身体感覚に、リツカは、煩わしさと疚しさが混濁した義務感を理解した。リツカは、手を、強く握った。
「Schwarze Milch der Frühe wir trinken sie abends──er schenkt uns ein Grab in der Luft……」
墜落した。宙の先へと、飛翔するように。