fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「先輩?」
む、と彼女は声を漏らした。野犬が情動を凝らせる唸り声に似た寝ぼけ声のよう。微かに視線が集まるのを自覚したのか、彼女は微かに決まり悪そうに身動ぎした。
戸惑うように視線を彷徨わせてから、リツカはマシュに眼差しを合わせた。気まずそうに肩を竦めながら、ちょろりと舌を出して見せる。寝てた、と口パクで伝えると、彼女はモニターへと視線を直した。
人理保障機関フィニス・カルデア、シミュレートオペレーションルーム。筐体に入室、鎮静剤と薬物、VRを併せて仮想空間上での模擬戦闘を可能とする戦術演習システムの戦術モニターには、2人の人物が野を駆けている。
マシュの他、カルデアの戦力として運用されるもう一人のサーヴァント、クロエ。そして同じく、“先輩”とは別のマスター、立華藤丸。高い丘の稜線、その遥か手前に陣取り弓を構えるクロエに対して、トウマは稜線の丁度際あたりで身を屈めている。
かれこれ、体感にして5時間。2人は同じ体制のまま、微動だにせず、期を待っているようだ。
マシュは、手元のタブレット端末のタッチスクリーンを指でなぞる。今回、2人の目標は丘の斜面に陣営を這っている魔獣の巣を撃破することだ。特に、作戦想定は魔獣種の中でもゲイザー───巨大な眼球が浮遊しているかのような、薄気味の悪い生物2匹の討伐が要点だ。
ゲイザー種。魔術回路が張り巡らされた巨大な眼球を駆使し、主に魔力を熱に変換して眼差したものを焼尽させる。ある種、魔眼そのものが生命を得て動き回っているかのような太古の獣種だ。危険なのはその射程の長さで、多くのアーチャークラスのサーヴァントの有効射程距離を超えるレーザー照射は、ある意味でサーヴァント以上に脅威度が高い。さらに今回の作戦想定。別動隊のサーヴァント4騎が平野を進行する前に、障害となるゲイザー2体を撃破する。それが、2人の主目的。
「あとは待つだけかぁ」
リツカは眠たげに、大型モニターに表示された戦域マップを眺めている。気配感知能力の高いゲイザーからの被発見リスクの低下及び、魔眼の“視界に入らないと効果が発動できない”特性を逆手に取った稜線越しの曲射、というトウマの戦術判断は、恐らく正しい。あとはゲイザー2体がクロエの曲射砲撃の破壊想定範囲に集まるのを、待つだけだ。
「結構肝が据わってきたよねぇ彼」
管制コンソールの前に座るダ・ヴィンチは、楽し気にモニターを見上げている。趣味レーション内では状況開始から既に5時間。稜線から僅かに身を乗り出し、同じ姿勢のまま身動ぎすらせず数時間も待機する──技能の凄さとかそういうのではなく、ただひたすら精神的な強靭さを感じさせる出来事だ。外見はともかく、歴戦のサーヴァントであるクロエが矢を構えたまま数時間微動だにしないのは驚くに値しないけれども。
「4つも特異点を踏破してるんだし。“実戦経験”は十分だよ」
「あとは練度、ね」
ダ・ヴィンチの流し見に、リツカは微笑とともに肩を竦めた。戦闘者の優劣を決めるのは、主にどれだけ反復訓練を繰り返したか、に依存する。天性の才能など、こと殺し合いにおいては下駄にはなれど上澄みにはなり得ない。夢の中ですら繰り返すほどの無限の反復でしか、人間と言う冗長なシステムを戦争機械には錬成し得ない。
リツカ自身の言う通り、実戦経験という点において、トウマは十分に達していることは疑いない。冬木から始まり、オルレアン、セプテム。そしてあの神代の海を越えた実績は、否定しがたいだろう。時に悪竜と、時に魔性の名を冠する怪物と、時に神代ギリシャの英雄と相見えたことのある人間など、恐らくこの世のどこにも居はしまい。
肝は据わっている。なら、後は戦うということそのものの経験値を文字通り積み重ねる他無い。
──それは多分、自分も同じだな、とマシュは思った。彼女も、トウマと同じように4度の特異点を超えている。実戦の経験、という点では申し分はない。そのように、客観的に理解している。
なら、後は戦闘経験の反復だ。幸いというべきか、カルデアのシミュレーションシステムは極めて優秀で、且つクロエというもう1人もいる。強くなれる根拠は、十二分に存在する。
そう。
強く、ならなきゃいけない。あの日あの時。崩落する管制室の中で、一歩間違えれば轢死していた。リツカがいなければ、瓦礫に潰されて即死していた可能性だって、あったかもしれない。そんなあったかもしれない未来を跳ね退けて助けてくれたリツカのためにも、私は、立ち塞がる障害を倒すだけの強さを手に入れなきゃあいけない──。
探るように、マシュは、隣に並ぶリツカを一瞥した。マシュより2cm小さい“先輩”は、眠そうな様子にしながら、何かを見ている。
施設で運営しているタブレット端末の画面だ。丁寧にナイトモードにセットされた暗い画面に、いつになく真剣に視線を注いでいる。
ちょっと、意外。マシュはよくわかっているのだが、リツカは、不真面目そうに見えて実際……不真面目なのだが、非理性的ではない。サボタージュを執行するときはそもそも出席しないという勤勉な堕落を見せるが、いざ出席するとなればきちんとしているのが彼女というわけだ。
「お、来たね」
コンソールの上で頬杖をついたダ・ヴィンチが言う。モニターの右上に表示された戦域マップ上、赤いブリップが2つ点灯している。
マップにマークされたサークルに、既に1つ。そしてそれにもう一つのブリップが接近している。ゲイザーを示す光の点は、徐々に近づいているようだった。
「やっと
「あとはトウマ君がちゃんとタイミング合わせられるかどうかじゃないですか」
「視覚共有くらいなら索敵されないと思うんだけどね、正直」
「どうですかね。念には念を入れる姿勢は正しいと思う。あとはその正しさを証明するだけだから」
そわそわとタブレット端末の画面を気にしながらも、リツカはちゃんと、モニターの状況を把握している。映像が分割されたモニターの中では、ただひたすらに弓矢を天に掲げる赤衣の少女と、稜線から顔だけを出しては、狙撃銃のアクセサリとして運用されるスコープを覗く泥まみれの少年の姿があった。
「許容時間も範囲内だし、まぁ既に合格点じゃない?」
うーん、と背伸びを一つ。ダ・ヴィンチのそれは、疲労と言うよりは飽きに対する緩和的行為だろう。非レイシフト期間中、施設運営のための最低限の人員を覗いて皆休養をとっており、その間の多くの施設業務はサーヴァントであるダ・ヴィンチが行うこととなっている。睡眠を含め、休むという行為そのものが基本的に不要なサーヴァント故の過労である。
無論本人も了承している──というより、そうせざるを得ない人員状況故に行っているわけで、冗談以外で不平を漏らすことはない。漏らすことはないが、飽きるのは飽きる、ということだろう。
「きっかり最初の2週間で、巣の位置の特定と行動パターンの把握までできてるし。クロエがいる、ってのはありそうだけど」
「それはまあ別の機会にってことで。おっ」
しっかりタブレット端末から視線を挙げると、リツカはその光景を、しっかりと見届けた。
稜線の手前に身体をずらすと、トウマはポケットから取り出した赤外線ストロボライトのスイッチを押し込んだ。
それが、合図。高低差800m下の麓で矢を構えたクロエは、人間の可視光域をずれた光を知覚した。サーヴァントであるが故のもの──ではなく、クロエ、というサーヴァントが本質的に魔術師に近いが故の、魔術の1つだった。
合図を受けてからの、彼女の次の動作は努めて短調且つ迅速だった。弓に込めた膂力はそのまま、左手の甲に添えた矢を抑える力をリリースする。それだけだ。狙いをつける必要は無い。否、既に座標は網膜投影される映像に表示されている。その地点めがけて、一部のずれもなく射を撃ち込む。
矢をカタパルトに、射出された剣が空を切る。稜線を超えると同時に徐々に重力落下を始め、その切っ先が目標へと牙をむく。クロエ、というサーヴァントの性能とその宝具の射程だけでは為しえない
落下地点には2匹の魔獣。直径4mはある巨大な眼球が浮遊しているかのような怪物、ゲイザー種。高い索敵能力を誇る獣は、素早く飛来する物体へと迎撃行動を開始した。
ゲイザー2匹の“直視”とほぼ同時、瞬く間に剣が燃え上がる。鋼鉄すら溶解する灼熱にさらされた剣は、しかし、全く意に介することすらなく虚空ごと炎を切り裂いていく。
その剣の真名、『
秒速2000mで落下するに対し、ゲイザーが次弾の迎撃を撃ち込む暇は当然なかった。魔眼の再装填か、あるいは回避行動か。逡巡ほどの思考だったが、あまりにも遅い判断だった。
ようやっと回避、という決断をした時には、既に亞音速などとうに置き去りにした螺旋の刃がオリーブドラブのゲイザー、その眼球に突き刺さる。宝具が巻き起こす烈風に加えて、発生した衝撃波は硬質なゲイザーの外皮を容易く砕き、剣の切っ先は当然のように眼球を貫く。余剰に 発生する衝撃波と烈風に加え、続けざまに迸った『
焔の大蛇がのたうつような、そんな光景だった。英霊たちが振るう尊き幻想、宝具。内包する神秘の濃さは、およそ神代にあってすら目を見張るものであっただろう。その実、僅か2秒ほどだというのに、その破壊の様は長い映画をスローで眺めているように目を惹きつけられるものだった。
ともあれ、その破壊は実際2秒だった。死の風を振りまき破砕の衝撃を叩きつけ、灼熱の地獄を巻き上げた宝具の発動は、正しく機能した。
「モニター復帰、と」
独り言のように呟くダ・ヴィンチの声の後、爆煙が去った地表はほぼ、更地と化していた。かろうじて生存しているらしい四足歩行の魔獣も、身体の半分以上を千切られかろうじて生きているだけ、という状態だろう。
当初目標であったゲイザーも、1匹は即死。もう1匹も烈風に眼球を裂かれ、灼熱に内容物を蒸発させられ、ほぼ死にぞこないだった。かろうじて身動ぎしているが、あと30秒と生きてはいまい。いずれ、死ぬことは確定だった。
が、次の瞬間、もう1匹のゲイザーも死亡した。追撃とばかりに撃ち込まれた赤い呪いの矢が飛来し、数十の鏃に散らばって地表の残骸をまとめて吹き飛ばしていく。ケルトの紅き投擲槍を矢に変形させた面制圧用の宝具は、洪水となって生き残った獣たち全てを貫いていった。
「BS01、02。こちらコマンドポスト。状況終了だ。お疲れ様。何か甘いものでも用意しておくよ」
「それ、ロマンせんせのお菓子じゃ」
「まぁ別にいいじゃん」
モニターの映像の中、安心したのか手を振るトウマ。当然、というように済ました表情のクロ。どちらも堂々とした様子で、なんというか頼もしく見える。
「で、どうご覧になりますか?
「合格なんじゃない。最後の追撃が誰の判断かによるけど」
「流石にクロエなんじゃないかな?」
「そうかな、まあレポートを待とうよ。まぁ、何にせよ、二人で補い合えばいいか」
「クロエに明確な弱点らしい弱点、あるかな」
「良いところを伸ばす折り合いのつけ方もあるものですよ。トウマ君、戦術よりもっとミクロなレベルでの趨勢を見極める力は凄い好いと思うんだ」
「サーヴァント戦のプロ、か」
ぎい、とダ・ヴィンチは背もたれに身体を預ける。モニターに映る、あまり頼りにならなそうに見える少年を眺める目は、まだ全幅の信頼を置く目ではない。人間性については置いておくとして、だ。
最も、それは不当というよりは公正な眼差しだろう。元を辿れば、立華藤丸と言う少年の出自はよくわからない。どうやら、リツカと同じ日本の出身らしいが、何故この南極の地に居るのかは全く以て不明だ。正直に言って、怪しさ丸出しである。それこそ、今回の事件の犯人側の人物が送り込んできた刺客と見做すことすらできよう。そんな人物に対して、概ね高評価を与えているだけでも十二分に信頼しているだろう。
「はい完了。それじゃあ30秒後には覚醒するから、ちょい待ってね」
(はぁーい)
2人の間延びした声が重なる。バイタルデータを見るに、2人───特にトウマの消耗具合は凄まじい。体感時間にして2週間も戦地で動き回り、しかもその大半を隠密行動しながら敵の行動パターンの集積という地味且つ神経が磨り減るような作業をしていたのである。疲労困憊の表情はともかく、あのように平気な素振りをとりつくろえるだけ、精神的な強さは間違いなく身に着けている。
それに、本当に戦いで求められる強さは万全な体調で発揮される100の力ではない、という。むしろ絶不調極める中、どれだけ100に近い力を出し切れるか。その限界を超えた上での強さこそが求められる。そして限界を超えた時の力を出すための手段こそが、日々の鍛錬に他ならない──そんなようなことを、リツカは言っていた。
「当分休んだ方が良いね、トウマ君は」
「なるべくこっちも休んでほしいね」こつんこつん、とダ・ヴィンチはコンソールを指で叩いた。「私も、こう見えて暇じゃないんだぜ?」
ちら、と彼女? の目がマシュを掠める。自信に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチらしい表情に、マシュはすぐに思考を行きつかせる。
自分用に開発しているという新装備。まだ概要だけしか聞いていないけれど、今よりもっと、強くなれるのだという。そうすれば、きっと色々な役に立てる。今の戦力が気に入っていないわけではないけれど。
けれども、防御に特化しすぎている今の戦闘スタイルは、
「うん、そうだね」
リツカは何か、所在なさげに言った。
「私も、まず終わらせないと」
最後の言葉は、近くのマシュでさえ聞き取るので精一杯だった。
秘密めいた、囁くような発話。マシュは特に気にも留めず、さりとて何か気がかりを覚えながらも、暗転するモニターを視線で追った。