fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「何って何よ。定時連絡を寄越せと宣ったのは貴方ではなくて? それとも塔に閉じ込められすぎて認知症になったんじゃない? 前頭側頭型認知症にでも。このジジイめ。
えぇ。動くみたいよ、彼女。もの好きよね。何もしなくてもこの世界は終わるのに、あの子は自分の手で終わらせるみたい。もう、揶揄わないでちょうだい。夢魔はこれだから厭よ。はいはい、確かに私だってそうします。あの王妃様と知り合いだったらね。私が愛しているのは、あくまで自国の人々ですので。わかってるわ。あくまで私は見に回る。猟犬に目をつけられたら厄介だもの。
それじゃあ、次はこの世界の終わりに」
※
次の視界の啓けは、いつもとは違う様相だった。
暗転から、いつの間にか明るい場所へと切り替わるかのよう。普段はもっと、じんわりと───世界そのものが目覚めていくように切り替わるのに、今回はかちりと映像が切り替わった。もしエリザベート・バートリィが2010年代に生きてサブカルチャーに関心を抱いていたならば、その有り様にアニメーションの場面転換を想起しただろう。
いつもの場所に、居た。陰鬱が四隅に沈殿する豪奢な部屋。相変わらず調度品だけは品が良く、かえってそれが隠し切れない陰鬱を際立たせている。
「どうしたの、突っ立てて」
声をかけてきたのは、リツカだった。テーブルの上のケーキスタンドからマカロンを摘まみながら、例の黒い金属の筒を呷っている。いかにもこの部屋の主であると言わんばかりの態度で、しかもそれが自然すぎるのが気に入らない。
朗らかな表情。あの時に垣間見た底知れなく昏い表情は、欠片も見当たらない。
「貴女がやったの?」
そうだね、と言うように、リツカは肩を竦めた。発話しなかったのは、丁度もしゃもしゃと菓子を食っていたからだった。
「貴女は、どこまでこの世界のことを知ってるの」
丁度、リツカは口腔内の食物を嚥下した。ぐび、とエナジードリンクを口に含み、思案するように視線を四方に向ける。
「別に知ってるってわけじゃあないんだ。ただ、ここがどこなのかはわかる。ここは、私自身」
言って、リツカは自分の頭を人差し指で小突く。妙に芝居がかっている仕草なのは、多分、気恥ずかしさを隠すためのものだった。何の? 喋ることそのものの。
「最初……コンコルド広場に放り出された時からずっと考えてた。此処はどこなのか? だってあの広場にはオベリスクがあった。なのに、マリー・アントワネットはそこで処刑を執り行っていた。多分、特異点とは違う何かなんだろう、ってのはわかった。少なからず、マリアが生きていた時代のフランスとは別。でも異聞帯ってのともちょっと違う」
異聞帯。そう口にするリツカの口調は、少しだけ危うい。知らない概念への評価に戸惑うようなそんな様子で、リツカはエナジードリンクを口に含む。
「受け売りだけど」エリザベートも席に着くと、グラスに注いであった透明な液体を口にする。まぁ、普通にミネラルウォーターだ。「魔術的術語における特異点(シンギュラリティ・ポイント)がそのまま剪定されずに継続してしまった、忌むべき可能性の歴史。それが
「学校のお勉強?」
「そう。所詮は学術的な研究っていうよりはオカルトの部類だったけど。それ含めて、その可能性は限りなく少ない」
どう違う、とは口にしない。手慰みに側頭部の髪をかき回しながら、リツカは自分の耳朶にぶら下がる宝石に、僅かに触れた。
「これが何にも反応しない。だからきっとこの世界は私に敵意的じゃない。この監獄は、多分本質的に私に害を為そうとしているわけじゃない」
リツカにしては、妙に自信ありげな言葉遣いだった。断定的、と言っても良い。彼女はもう少し、慎重に話しを進めるイメージがある──。
それをある種の危うさと誤解したエリザベートは、何気なく「どうかしら」と返した。
「貴女、別に魔術は得意じゃないんでしょ? サーヴァントの宝具、舐めないほうがいいわよ。そんな玩具、役に立つかしら」
言ってから、彼女は後悔した。酷く厭なことを言ってしまった、と思った。だって、ほんの一瞬だけれど、物凄く彼女は怒ったように見えたから。あの泥沼のような眼差しが、凄まじく濁って見えた。
でも、やはりそれは一瞬だった。普段と変わらぬ飄々とした居住まいに治ると、彼女は、自信に満ちた顔をした。
「大丈夫。これ作った人は私じゃあなくて、もっと優秀な魔術師だから」
そう、としかエリザベートには言えなかった。そんな悲し気な顔で、どうして自信満々に言えるのか、わからなかった。
いや、わからないわけがない。だって、私は知っている。“私”がどんなヤツで、彼女にどんな思いを抱いていたのか。秘密の花園の奥に誰にも知られずにひっそりと咲く、生命の樹の果実のような情動を、遠い彼岸から知ってしまったから───。
「まあ、そんなこんなで思ったんだ。ここは多分、私の心象──もっと言えば無意識の海の上に浮かぶ自我を象った特異点、なんじゃないかって」
「そう断定するには色々早計なんじゃないの」
「そうだね。でも私は優れた灰色の脳細胞を持ってないし、まして現実は探偵小説じゃあない。現実は確実性の中で静的に判断するんじゃあなくて、蓋然性の中で実存的な決断をしなきゃあならないことの方が多いんだから」
ね、とリツカは明後日を仰いだ。まさか、とぎょっとして背後を振り返ったエリザベートは、その人物にあからさまに顔を顰めた。
黒いセミロングの髪を二つ結びにした、凛とした女。瀟洒且つ豪奢という二律背反の不調和を体現したかのような佇まいは、自然、見る者をごく自然に圧倒する。
「そうね。確実な未来なんて、得てしてわからぬもの。確かにそれは、その通りだけれど」
そう言って、リンは嘆息を吐いた。呆れた、と言わんばかりの視線は、当然リツカへと向いていた。
「早すぎるわよ、貴女」
「何事も早すぎるってことはないでしょう。むしろいつも遅すぎるだけなんですから」
リンは幾ばくか躊躇した後、リツカに同意するように小さく頷いた。もう一度嘆息を吐くと、改めて、というようにリンは腕組みした。
「それで? 貴女は殺るの? マリー・アントワネットを」
「そうだね。そのつもり」
一瞬ほどの、視線の交錯。どちらも表情は変わらず、また言語すら発していない秒未満の間隙。だが、それで十分だった。互いに何かを了解し合ったのを理解したリンは、そうね、とほとんど吐息のような呟きを漏らした。
「それで、貴女は?」次いで、その視線がじろりとエリザベートを縫い付けた。「それで、貴女は覚悟ができたの? あの方を殺す覚悟が。ねえ、罪人のエリザベート?」
比喩でも何でもない。それは正しく詰問で、責を問う言質だった。
わかっている。もう、この遍く世界でエリザベートだけはわかっている。どうしてリツカが動こうとしているのか。それはきっと、マリー・アントワネットがエリザベート・バートリィに行った唯一無二の情動──共感と同情の間隙に産まれる、倫理的義務という名の情熱に、極めて類似しているのだろう。だが、類似していてもそれは多分、全き別の物なのだろうけれど。
そう言ったものがあるのか、とリンは問うている。エリザベート・バートリィというただの悪性の塊でしかない者が何をしでかそうというのか。
エリザベートは、言葉を喉に詰まらせた。わかっているのだ。所詮、自分はただ煌めくものに憧れただけで、性根はただの薄汚れた襤褸切れなのだとわかっているのだ。リツカを助けなきゃ、と思ったのは、ただの表面的なイデオロギーでしかない。俗流な唯物論を訳知り顔で振り回しているだけで、あの真性の唯物論を受肉していたマリー・アントワネットとは別物なのだ。猿真似というのは、得てして妙だ。
「でも、私は」
煮詰まった声を絞り出した時、エリザベートは、己をふわりと包む視線に気が付いた。あの泥の底のような鈍色の目が、酷く静かにエリザベートを受容していた。
微かに、リツカは身動ぎした。その動作はほんの微かで、正直に言えば動いたのかどうかすら不明だった、けれど。
「さあ、覚悟ができるてるかは知らないけど」慌てて、だったが。エリザベートは吐き出しかけた言葉を再度嚥下して、別な言葉を用意した。「覚悟なんて個人の感情だけで結果が善くなれば、苦労はないわ」
リンは発せられた言葉に、微かにたじろいだようだった。言質そのものの内容ではなく、エリザベートがはぐらかし気味に言ったことそのものが意外だった。どこか見通せない靄のような物言いにリツカを感じたのは、多分気のせいではない。
「そう。まあいいわ」
少しだけ癪に障るような気分になりながらも、リンも無為な言語活動は辞めることにした。リンは元より黄金の言葉を以て誰かを賦活する人となりだけれど、既に前を向く人物に言葉など不要なのだと知っているのだ。
「それで? もう、連れて行っても良いけど?」
こつん、とリンはドアを叩いた。へ、と呆気にとられるエリザベートの顔に、リンはありありとしたジト目を向けた。
「何よそのツラは。いっぱしの口を聞いたのはどこの貴族様だったかしら?」
「ち、違うわ! 違うったら」
「違わないわよ」
「話を聞きなさいって」
「貴女こそ話を聞きなさいな。どうせ大方『予定より早いじゃない!』とか仰るんでしょう? それがハリボテだってわからないかしら」
うぐぅ……。情けないことに思わず口を歪めたエリザベートは、実際リンが指摘したように言うつもりだったのだ。予定より早い、って。
まさしくハリボテである。ぐうの音も出ないとはこのことだと思う。いや、似たような音は出ちゃったけれども。
「まぁまぁいいじゃあない。人間、そう簡単に変わるもんじゃないですし。私たちが生きている現実は、漫画やアニメみたいな丁寧な
「ま、そうね。それに、真実は虚勢から生まれたりするものだから」
「貴女の実体験?」
そうね、とリツカに応えたリンは、恥ずかしがるようにはにかんだ。何の羞恥なのか、エリザベートにはよくわからない。よくわからないが、なんとなく、その気恥ずかしさには誇らしさとか、後悔とか、色々なものが煮詰まっているような気がした。気のせい、かもしれないけれど。
「オースティンだったかしら。真実は形式から宿ると言ってたのは」
「同じ時代の人ですか。結構近代の人?」
「座の知識、所詮は又聞き。まあそれでも知識は知識で善いものだけれど」
「さっきからわかんないことばっか喋らないでよ!」
うー、と今にも唸り出しそうなエリザベート。つん、とした表情のリンに対し、リツカも表情こそ苦笑いの同情的だが、特に説明する気がないのはリンと同じようだった。
エリザベートはなおも唸り声をあげかけたが、やはりリンの方が上手だった。「それで、どうするのかしら」と素早く切り返す凛とした声色に、エリザベートは蟾蜍が『ぐえ』と漏らすような音を漏らした。ぐう、ではない。
逡巡。どれくらいの逡巡だったか定かではないが、とにかく逡巡だった。伺うように睥睨を寄越すリンを見て、次に、リツカを見た。沼の底、酸化した金属を多分に含んだ泥濘の底のような目が、拒絶と受容の境目のものとなって佇んでいた。
拒絶。そう、それは拒絶。リツカは他者を拒絶している。自分の裡に誰かが入り込むことを、酷く拒絶している。
その癖に、彼女は他人を無限に受容しようとする。極度の拒絶と無限の受容性。人は、多分、そんな藤丸立華の振舞を見て、“普通の人”だと思うのだろう。
「いいわよ、行ってやろうじゃないの! ぶちまけてやるから連れて行きなさいよ」
「それが虚勢だと思うんですけどね。まぁ、いいわ」
リンは指を鳴らした。瞬間、さながら奇術のように、手枷が手首にまとわりつくように現出した。
「魔法みたい」
「魔法だなんて、軽々しく口にするものじゃないわ」特に考えナシに発言するリツカに、リンは嗜めるように言う。「別に、この世界のルールよ。一応私は看守でアナタ達は監獄の中の罪人。忘れないでよね」
「なるほど」
本当に納得しているのか、というかそもそも話を聞いているのかすら不明だが、とりあえずリツカは振り子のように首を縦に振っていた。
「じゃあ行くわよ。ほら、ついていきなさい」
軽く、リンが扉を押した。ぎぎ、と微かに抵抗しながら開いた扉の向こうには、あの、ただただ黒だけが延長していた。
「ほら、行くよエリちゃん」
軽く、エリザベートの背を押す手。押すというより触れるに近い、本当に軽い感触だった。
リツカの背。側頭部で揺れる一つ結びの髪。ひょこりひょこりと揺れる髪が、花園の中の灰銀の髪の彼女と重なった。