fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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煉鉄の小悪魔(終)

剣が、地に落ちる。

脆く砕け散った黄金の剣、その刀身に照らされ―――クロは、のたうつように、仰向けに体勢を変えた。

ぎょろりと、赤い目がクロを見下ろす。鋼のような肉体は未だ壮健で、バーサーカーは、ただ静かに彼女を見下ろしていた。

立とうとして、クロは地面に転がった。左腕と左足、まとめて斧剣で轢断されたせいで、上手く動けなかった。

バーサーカーは、直後消滅した。風に吹かれ、飛ばされて宙に舞う灰のように光琳を散らしながら、消えていった。

自分が倒したわけでは、ない。キャスターとマシュが上手いことやったんだろう。

クロは、芋虫のように身体をくねらせながら、トウマの下へと向かった。

ずるずると血を撒き散らしながら、投げ出されたトウマの手を、取る。山門に寄りかかる彼は、まだ、気を失ったままだ。

当然だ。バーサーカー……ヘラクレスの殴打を食らったら、一般人などそれだけで挽肉になる。それこそ、つい数時間前までただの高校生に過ぎない男の子だったのだ。マスター、は。

そう。彼は、つい数時間前、単なる高校生だったのだ。士郎()がそうであるように、当たり前の日常を暮らすだけの、高校生だったのだ。

なのに。

なのに―――。

カリバーンは、折れた。僅かに一合撃ち合って、斧剣に打ち砕かれたた。だが、それはトウマの言葉に虚偽があったわけではない。

今なら、わかる。

カリバーン。勝利すべき黄金の剣。

かの剣はただ王の剣にあらず、精神を見定める剣。その心根に濁りなくば、かの聖剣にすら達する選定の剣。もしその剣が折れる様なことがあるならば、それは―――。

(やぁトーマ君、アーチャー、まだ生きてる!? こっちは大変だ、とにかくレイシフトするぞ! 意識を強くもって、意味喪失はなんとか避けるんだ! そうすればサルベージくらいは―――)

 

 

知らない天井だ、なんて独り言がある。

元ネタは、某有名なロボット(?)アニメの主人公のセリフである。気を失った人物が目を覚まし、そして新天地に辿り着いたことを端的に示す言葉として、度々流用されてきた言葉でもある。

立華藤丸(タチバナトウマ)が目を覚ました時、彼の目は見知らぬ天井を捉えていた。

シミ一つない―――嘘。ちょっとシミはあるけど、十分清潔感を感じる白い天井。LEDの蛍光灯は、それはもう綺麗な光を発している。

だが、彼は知らない天井だな、と思うより前に、なんか病院の一室か学校の医務室みたいだな、と漠然と思った。そうしてぼんやり眺めること10分。なんか死ぬほど怠いな、と思って10分。そろそろ起きるか、と思って10分。目を覚まして計30分経って、ようやく思った。

知らない天井だな―――。

トウマはまるで重油にでもひたされたかのような倦怠感に細やかに抗いながら、のそのそと身体を起こした。ゆっくり右の側臥になり、左手でベッドを押し、右肘でさらにベッドを押して、身体を持ち上げる。重たい頭も持ち上げようとして、結局力尽きると、そのまま側頭部を枕にめり込ませた。めり込ませる寸前、僅かに抗うように手を伸ばして、左手でベッド柵を握りしめた。

怠い。いや本当に怠い。何があったのかと思うくらい怠い。頭を働かそうとしてもなんだか考えはまとまらない。意識を溶かしながらトウマが見たのは―――。

―――隣のベッドを覆うカーテンの隙間。

誰かが寝ていた。栗色の目をした、眼帯を付けた女性が、すーすーと寝息を立てていた。

「何やってんの、君?」

綺麗な声が、耳朶を擽った。

なんとかかんとか、顔を上げると、なんだかどこかで見たことがあるような顔が、ベッドの脇からトウマを覗き込んでいた。

「なんだいそれ。寝相にしては酷く悪いね?」

訝る、というよりは面白がるように、その人物は顔を顰めた。

酷い既視感だ。いや、確かに見たことがある。学校の教科書か何かの写真―――というよりは、絵画で見たことがある顔だ。

「なんだい、私の顔に何かついてるかい?」

孔が空くほど眺めていると、にやりとその人物は笑った。

そう、知っている。この顔は―――。

 

A:モナ・リザ

B:フランシスコ・ザビ―――

 

「いやAだから。誰がザビエルだ誰が」

すぱーん、とその人物―――そう、モナ・リザ(ジョコンダ夫人)の顔をした人物の手が、鮮やかにトウマの頭頂部をすっ叩いた。痛い。

「おや、ジョコンダ夫人(その名前)で私を呼ぶ日本人は珍しい。なんだい、美術部だったとか?」

「いえ、単に授業で習っただけです」

「なぁーんだ、そうか。ま、どっちでもいいけどね。モナ・リザの方がわかりやすくていい。意味はまぁともかくね」

少し残念そうな顔をして、モナ・リザ顔の人物は肩を落とした。

それにしても奇妙だ。絵画で見た人物がそれはもう豊かに表情を変えている様というのは、なんとも言い難い―――おかしみを感じる。

「あの、これは夢か何かで?」

「残念。確かにこの私、ダ・ヴィンチちゃんの美しさは夢のようだ。絶世の美女が目の前に居たら驚くよね、わかる。でも慣れて。君の意識レベルは確かに正常だ。譫妄の様子も無い。なんならバイタルデータも確認してみよう。BP(血圧)117/73、PR(脈拍)72。HR(心拍数)60、KT(体温)36.3℃、SPo2(酸素飽和度)99。うん、至って健康だ。若いねぇ」

枕元の計器のパネルを一瞥。彼女―――ダ・ヴィンチちゃん、と名乗ったモナ・リザ顔の顔を持つ彼女は、うんうんと頷いた。自分の身体機能は問題ないらしいが―――何が何だかわからないことには、変わりなかった。

「なんだい、まだ思考能力は戻ってないのかな? まぁ仕方ないか、所長の護りは確かに優秀だったけど―――サーヴァントだよサーヴァント。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、見た目はちょーっと変えてるけどね。故あってカルデアに協力しているのさ」

さらさら、とダ・ヴィンチは言った。

所長、サーヴァント、カルデア。不意にぴりりと意識が明瞭になると同時、脳みその表層に揺蕩っていた記憶が奥底に突き刺さった。

そうだ。自分は、なんでかわからず燃えた冬木に居て、クロを召喚していて―――。

「あの、みんなは」

「元気だよ。リツカも、マシュも。アーチャーはちょっと怪我をしているけど、まぁ大丈夫さ」

安堵が、溜息となって漏れた。

生きている。見知った顔の人たちは、無事だ。アーチャー……クロが負傷した、という点は心配だけれど、でも、生きているなら、まずは安心だ。

痛ましく、思い返す。

バーサーカーに立ち向かったクロの背を、思い返す。腹部を切られて出血していたけれど。助けた後、彼女は首尾よくバーサーカーを倒したんだろう。

我ながら、よく、バーサーカーの前に飛び込めたな、と思う。あんな怪物を前に、よく足が動いたな、と思う。

彼女、オルガマリーのお陰かなぁ、と思う。彼女が武器―――魔術礼装を用意していたからこそ、上手く立ち回れたのだ、と思う。さもなくば、非現実感のまま突撃して、やむなく打ち殺されていただろう。

「オルガマリー所長は、元気ですか。お礼を言わないと、あれが無かったらク―――アーチャーのこと、助けられなかったから」

ちょっと、照れるように顔が強張る。彼女はなんだか我が強くて怖い印象が強いけれど、でも多分、悪い人ではないのだと思う。礼など言ったら怒るかもしれないが、それでもちゃんと言わなければ―――。

「―――死んだ」

「え?」

「いや、死ぬより酷いかな―――まぁ分かりやすい方がいいかな」

ダ・ヴィンチはちょっと目を伏せた後、しっかりと、藤丸の目を見返した。

「死んだよ、オルガマリーは」

 

 

「なんだい、いたのかいロマン」

レオナルドは、病棟を出るなり開口一番でげんなりと言った。

壁に寄りかかり、なんだかそわそわした様子の栗毛の優男。ロマニ・アーキマンは、いつもの優柔不断そうな顔だ。

「そりゃあ入ろうと思ったんだけど、君が先に入ってたからさ。いきなりドヤドヤおしかけたら患者に毒だろ?」

「尤もらしいご高説どうも。天才を試金石にするとは度胸のある奴だな?」

「まぁまぁ、いいじゃない……後でおはぎあげるからさ」

「私は甘味を左程好まないんだけどな。いや、でも貰うよおはぎ」

軽薄そうに、ロマンは微笑した。やれやれ、とレオナルドは嘆息を吐いて肩を落とすと、彼あるいは彼女も、通路の壁面に身体を預けた。

「まぁ、普通だな。現代的な普通の良識・倫理観を備えたティーンエイジャー。魔術に関しては素人に毛が生えた程度かな、まぁそれはリツカと同じじゃない?」

「誰なのかは聴いた?」

「まぁ、それも素直に話してくれたよ。日本で学校生活を送ってて、ちょっとした事故にあって気が付いたら特異点に居た、だって」

「うーん?」

ロマンは釈然としないように首をひねった。気持ちはレオナルドも同感だ。立華藤丸(タチバナトウマ)の語ったことは、要約すれば目が覚めたらいつの間にか変な場所に居た、と言っていることと大差ない。与太話以前の問題だ。

「でも嘘をついてるようには見えないんだよなー。話すとわかるけど、まぁ普通の凡夫っていうか。演技ができるようにはちょっと見えないかな」

「うーん……あのアーチャーが召喚されたことと何か関係があるのかなぁ。マシュの盾を介しない召喚なんて」

「ま、でも私としてはむしろ渡りに船、と思うべきかと思うかな。だってそうだろ? 確かに彼は妙な存在だ。でもAチームの6人含め、マスター候補のほぼ全てが死亡。生存しているマスター候補も冷凍保存してなんとか延命している状況だ。本人の人格的な欠損も無いし、マスター適性がある。貴重な人材だろ?」

ロマンは悩まし気に眉を寄せて腕を組んでいる。カルデアスに遺棄されたオルガマリーに代わり、カルデアの所長代行を務めるロマンの肩には、相応の重責が圧し掛かっている。本来、矮小でくだらないロマニ・アーキマンという人間存在にとって、明らかに荷が勝つ役職だった。

「オフェリアが意識を取り戻すまでのつなぎ、って風にも使うのもアリなんじゃあないかな。何よりほら、リツカもだけど、トーマクン結構主人公みたいな顔してるじゃん?」

「主人公云々はよくわからないけど―――わかった、君の言葉を信じよう。じゃあ」

「彼とアーチャーについては私が請け負うよ。タイミングからして”フェイト”か別な計器の影響だと考えるほうが適当だろう? なら技術部門の私の役目さ」

ロマンは虚を突かれたようにレオナルドを見返したが、すぐに肩を下ろした。多少の安堵を滲ませながら、ロマンは「問題ばかりだなぁ」と弱音を漏らした。

「一応アーチャーについての調査報告も聴くかい? これから報告書は上げようと思ってたんだが」

「いや、そっち見るよ。管制室から報告が来ててさ、特異点の座標、特定したから来てくれって」

 

 

トウマは、知らない天井を見つめていた。孔が空くほどに、見つめていた。

少しだけシミのある、白い天井。枕元のバイタルデータを収集する計器が、コンスタントに電子音を鳴らしている。すうすう、と聞こえてくる寝息は、カーテンの向こうで寝ている亜麻色の髪の女性のものだろうか。

瞼が重い。目頭に脂ができている。鼓膜の奥で心音が拍動している。唾液が分泌され、舌が自分とは生き物みたいに蠢動する。時折無意味に手の指先が戦慄く。爪が伸び始めている、手が動くたび、シーツと擦れ合う。腹が、減った―――。

ぞわり、と居心地の悪さが脊索を走る。胎動するように身動ぎして、トウマは―――。

「やほー、起きてる?」

ひょこり、誰かが顔を覗き込んだ。

宝石(ルビー)みたいに、綺麗な目が覗き込む。二つ結びになった銀の髪が、動いた拍子に揺れた。朝焼けの空みたいに浅黒い肌の小さな女の子―――クロエ・フォン・アインツベルンは、普段とは異なる私服姿なことも相まって、無邪気そうな顔だった。

なんとなく、直感的に理解する。彼女は、サーヴァント。自分と契約したサーヴァント、だ。

「元気? まだベッドから動けないって聞いたからさ」

「ちょっと怠いくらいかなぁ。それ以外は特に、大丈夫」

つらつらと、言葉が舌を上滑りする。薄い殻の包まれたかのような、奇妙な乖離の感覚だ。

クロが、手を伸ばす。ベッド柵越しに布団に手を入れ、するりと手が背中に滑り込む。

彼女は、ちょっと顔を顰めた。眉を寄せたままうんうん、と頷くと、ゆっくりと首やら臀部やらに手を滑らせた。

「圧抜き。身体動かせないとキツイでしょ?」

「あ―――あ、確かに。ちょっと、楽になった」

確かに、腰と背中にかかっていた負荷が軽くなったかのような感覚がある。得意げに笑ってみせると、クロは、つとトウマを見据えた。

穏やかなような、なんとも言えないような。不思議に表情を緩めた彼女の手は、そのままそっと、トウマの頬を撫でた。あの奇妙な殻に触れて、ゆっくりと、熔解させるように―――。

にぎっ。

「えい」

「イタぁ!?」

ぐに、と頬が歪んだ。細腕とは言えサーヴァントである。かの錬鉄の英雄と同じ筋力Dから放たれた頬つねりは、それこそ万力と大差ない。

「あ、ごめん。力加減が……」

「いや、ダイジョウブ。うん」

ぱっと手を離したクロは、ちょっと戸惑うように手をにぎにぎした。

「ま、でもいい薬になったでしょ? 心療外科的な?」

クロはなんだかよくわからないことを言うと、2度首肯を繰り返した。

「シケた顔してたじゃない? 笑顔になってもらおうかなぁーって」

ね、とクロは小首を傾けた。ぴしゃりと“殻”に撃ち込まれた声音に、トウマは彼女を見つめ返した。

そうして、一度、知らない天井を見上げた。少しのシミがついた白無垢の天井を目に。瞑目を返す。ふぅ、と溜息を吐くと、トウマは、改めて、クロに顔を向けた。

そして、2人は同時に「あのさ」と言い合った。

互いに見つめ返すと、小さく笑った。多分、言わんとしたことは同じなんだろう、と奇妙な確信があった。

クロは頷きを返すと、一歩引きさがり、薄く目を瞑った。と思った次の瞬間、ふわりと彼女の体躯を光が覆う。

瞬き一つの間。思わず目を覆ったトウマが目を開けると、赤い礼装に身を包んだ姿が、そこにあった。

「どう? 魔法少女の生変身」

くるりと、彼女はその場で身を翻して見せる。

背に広がる蝙蝠みたいな黒い外套、どこか扇動的な外装。それは間違いなく、いつもの―――彼女の、固有の出で立ちだった。

トウマは、こわごわとしたまま、手を伸ばした。伸ばした手は左、手の甲には三角の令呪が、確かな輪郭を刻んでいた。

彼女も手を伸ばす。互いに手を握り合った。

「よろしくね。私は、貴方のサーヴァント」

「うん。君は僕のサーヴァント」

ぎこちなく、表情が緩む。照れ、羞恥。淡い雪桜色の情動が、表情筋を解れさせ―――。

「なぁに、照れてるの?」

「―――イっタぁ!?」

スパン、と小気味良い音。背中を叩いた小さな手に子犬みたいな悲鳴を上げたトウマに対して、

クロは莞爾(にやにや)と小悪魔めいた媚笑を浮かべていた。

「まぁ、改めてだけど」

ころん、と小首を傾げて見せる。口角に奔る嫣然と同時、酸化銅の被膜みたいな目に、立華藤丸の姿が反射した。

「これからよろしくね、トーマ」

 

 

彼女は、まだ冬木大橋の上に居た。

アーチに座り、足を宙に投げ出す。あと少しで崩壊する特異点の只中にあり―――彼女は、何をするでもなく、山間を眺める。

崩壊の始まった特異点の中心地。抉れるように崩れた円蔵山に屹立した黒い太陽を、彼女は眺めている。

まるで、是は夢のよう。

いつか夢みた光景。決して届かないはずだった幻影。虚空に延ばした手はどこまでも届きそうで、それでいて、未だ半径85センチメートルしか届かない。

だから、彼女は、立った。

既に黒い太陽すら、崩壊に飲み込まれようとしている。人を呪い殺すことに特化した人類悪の胎児すらをも、この崩壊の前にはどうしようもなかった。

アーチの上に立ち上がった彼女は、胎児に囁くように、獣の遠吠えのように啼いた。

「じゃあ、行こうか」

そうして、彼女は跳躍()ぶ。暗闇の天へと墜落する少女の体躯は、そのまま。




これにて序章、完となります。
ここまで読んでくださった読者様に最大限の感謝を。
第1章については実は書き終わっているのですが、今後の部分を踏まえてすり合わせている部分があるので、次回投稿は一か月ほどかかるかもしれません。

それでは皆様、次章『邪竜協炎戦奏オルレアン ~竜の聖女~』にてお会いしましょう。

P.S. 
照れ隠しで僕って言っちゃうトウマ君かわいい、主人公かよ。
主人公だったわ。

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