fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
びりびり、と重圧が肌を叩いている。怪物が咆哮をあげる度に大気が、世界そのものが痙攣するかのようだった。その衝撃の最前線の最中にいながらも、クロの挙措は一切鈍らない。
蠢くように駆動する、あの槍のような舌。鋭利な刃が頭蓋を狙おうとするなら、双剣の一薙ぎで叩き落し、豪爪が脇腹を抉ろうというならもう一方の剣で切り結ぶ。尾部が隙を狙うように忍び寄れば、踵を捻じ込んで黙らせる。突如現れた怪物の攻勢を、クロはほぼ完封するように迎撃していた。
というよりも──とクロは思った。
敵は、何か、攻めあぐねいているように見える。こちらの力量を測るでもなく、ただどう攻めて良いのか理解できていないように、見える。窮鼠に咬まれた猫のような戸惑いを、しているように見える。
抱き着くように両腕の爪を振るう獣の身振りは大きい。喰らえば致命傷、と理解しながら、クロは背後に飛び込むことなく、前へと地面を蹴り上げる。
狙いはがら空きの小脇。身長140cm未満と小柄なクロ故の猪突だ。反応が遅れた獣の脇をアヒルのように潜り抜ける間際、クロは身体を捩らせる。モーメントに併せて振り抜いた黒白の双剣が獣の脇腹を抉り取り、ばっと青い鮮血が散った。
耳障りな悲鳴が劈いた。どろどろと脇腹の傷口から臓物を零した怪物は一頻り吠えた後、じろりと背後のクロへと睨みつける。
──敵じゃない。
それが、現段階での敵性生物に対する評価だった。強敵であることは変りないと思うが、これまで戦ってきた難敵と比べれば大したことはない。狂戦士のランスロットやアルテラ、ヘラクレスの方が、遥かに強かった。マシュがやられそうになったのは、ただ精神的に圧倒されたから、それだけのこと。実力で負けたわけではない。
しかし、何故自分だけが精神汚染が効かないのか。思い当たる節は、一つしかない。内心、独り言ちる。自分の内にいる無言の何かはそれに応えない。
獣が、何か呻いている。意味のある言語なのか、それともただ獣の唸り声なのかは判別しない。クロにしてみれば、ただただ不快な雑音だ、という感想だった。
「それで、アナタ何なワケ? この特異点の真犯人?」
軽口だったが、その眼に油断は一切ない。【千里眼】と【心眼:偽】を併用する彼女の眼差しは、怪物の一挙手一投足を隙なく把握する。相手の攻撃パターンはおおむね把握済み。舌を伸ばすなら斬り伏せる。爪で抉ろうというなら腕ごと破砕する。それだけの話。
「さあ、早くゲロっちゃいなさいな」
白亜の剣を振り上げる。狙いは首。そこが急所なのかは不明だが、一般的な脊椎動物であれば首を断ち切られて困らない、なんてことはないだろう。
クロが剣を撃ち込まんとした時、また、獣は小さく唸った。
「c4t utjq@s6mZqt@、x@eoed8t」
──判然としない声だった。
はず、だった。
なのに、何故かクロにはその唸り声が、何か意味のある声、文明圏で発達した言語として理解、してしまった。
即ち、この化け物はこんなことを、言った気がした。
《お前は狩りの対象ではなく、あの唾棄すべき不浄のものどもと同じ、倒すべき敵だ》
ぞわ、と総毛だった。獣特有の荒々しい衝動が、明瞭な殺意へと集束する。
咄嗟、クロは掲げた双剣の片割れを手元に引き戻した。英霊エミヤを基幹とする卓越した戦術眼がそうさせたのか、それとも生前の激戦に加え、これまで4つの特異点を制してきたクロエ・フォン・アインツベルンの技倆がそうさせたのか、あるいはどちらもか。何にせよクロは首を切り落とすために掲げた白亜の剣と左手に持った漆色の剣を重ね合わせ、背後へと振り抜いた。
衝撃が全身を貫いたのは、その直後だった。虚空を打つはずだった双剣は、突如現れた獣の爪をあわや堰き止めた。
否、押し負けた。クロの小さな身体は巨大な質量が直撃したように吹き飛ばされ、赤い人影が宙を舞う。
ダメージはない。直撃を避けながら、背後に飛び退くことで衝撃そのものもほぼ逃がした。だが、クロが瞠目したのはそんな理由からではない。鈍い、硬質な音が鼓膜を劈く。一瞬前まで目の前にいたはずの化け物が、瞬きすらせぬ間に背後に回り込んだのだ。もう1匹、と思ったが違う。広場に佇む化け物は1匹。気配もない。なんらかの魔術を行使した形跡もない。であれば純粋な運動性能だけで、クロの動体視力を上回ったのか? そんな馬鹿げたことがあり得るのか? だいたい、あれはサーヴァントですらない何かだというのに。
駆け巡る思考、燻る焦燥。解答が出ぬまま、されど無策で挑む愚はおかさない。
両手の双剣を投擲。1000m/sで射出された剣1本が獣に殺到する。化け物はそれを平然と爪で叩き落してみせたが、そんなものは予想の範疇だ。
「
(クロ!)
「大丈夫、アレは使わないわ!」
敵戦力を修正。もし仮に敵が運動性能だけでさっきの機動をしてみせたのなら、控えめに言って敏捷値はEXランクに達する。それはサーヴァントのスペック上限値を超えるため測定不能、を意味するEXランク。要するに、魔術世界における最強の使い魔、ゴーストライナーを優に超えた怪物ということだ。
過大評価のきらいはあった。だが、過小評価して敵の戦力を過つよりは、遥かに良い。
故に、クロは投影する。あれに対抗し得る兵器を脳裏に描く。
過剰か、という疑念を、身体が軋む疼痛ごと捻じ伏せる。敵が予想以下の雑魚ならごり押しで斬殺すればいい。さもなくば、この剣を以てようやく互角の敵のはず。
幻影の手触りが手のひらを撫でる。じり、と脳髄が焼け付くような感触も気にも留めず、クロは現出した幻を両手で構えた。
黒い、両刃の剣。彼女の小さな身体で振るうには大きい。かつてオルレアンで死闘を繰り広げた湖の騎士、ランスロットが振るった神造兵装。『
思った通り、投影の精度は上がっている。微かに息を荒くしながらも、当然のように聖剣を投影してみせたことを再認識する。
……元よりクロ、ひいてはイリヤがアーチャーのクラスカードから引き出して運用する投影魔術は、正確には投影魔術と異なる。小聖杯そのものですらあるクロの身体的特性も含めて、こと投影する武装の多義性という点では英霊エミヤを凌駕し得るのが、クロの投影魔術だ。投影するプロセスを省略する、という特性と身体的特性を併せた上での神造兵装の模倣が、その最たる例。英霊エミヤでは限定条件下しかできない武装を、彼女たちは再現する。
しかも、とクロは自ら作り出した剣を見、思う。
投影品そのものの性能劣化が改善している。通常、投影した宝具は刀剣類であってもワンランク性能が落ちるのが常だ。この聖剣もランクは確かに落ちているが、あくまでワンランク未満の低下に収まっている。単純な性能に限れば、真作と謙遜がないほどに。
やはりあれのせいなのか? そう理解する他ないが、そもそも今、そんなことはどうでもいい。この目の前の敵と戦わなければ。
「SSリーダー、こちらBS02。バンデッド01の挙措に著しい変化を認む。ステータス予測値をそちらに送るわ」
(こちらSSリーダー了解)リツカの声が耳朶を打つ。(マシュが行くまで踏ん張って)
「了解。BSリーダー」言ってからクロは、もう一度、マスターの名を呼んだ。「トウマ」
(バイタル、確認してる)
「そ。じゃ、タイミングは任せるわ」
構えは八双のまま、クロは静かに、眼球への強化を開始する。
仮に、さっきの超機動が純粋な運動性能によるものだとしたら、とてもではないが補足すら不可能だ。故にこそ、全ステータスを向上させる上、防戦に強い幸運判定を付与するアロンダイトを選んだ。魔量値向上により高精度化した視力の強化は高速で動く敵をより補足しやすくし、視認した敵の攻撃に確実に対応するための一手だ。
だが、それだけではない。防戦はあくまで手段の一つにすぎない。こと戦術レベルの勝利とは敵を殺すことにあるのだから、ここでクロが勝ちきるには致命的打撃を確実に撃ち込む必要がある。
あらゆる要素を加味して選出したこの聖剣を構え、クロは静かに、眼前で低く唸る敵の挙動を待つ。
1秒、2秒。じりじりと焼け付くような時間の流れの中、ほんの微か、化け物が身動ぎした。
それが、合図だった。肩に担ぐように聖剣を構えたまま、クロの体躯がワンテンポ遅れて石の路面を踏み込む。
瞬間、並列して魔術を執行。
発動するのは“空間転移”。自らの身体を半径100m以内、任意の座標に瞬時に移動させる、という単純かつ強力な魔術。自らを霊子情報にまで分解し、指定座標に移動する……霊子テレポート。それが、彼女の扱う空間転移、だった。
視界がぶつりと千切れると同時に、拓くように視界が切り替わる。視界の先には化け物の背。無防備な痩せぎすの背を捉えるや、
「『
魔剣より引きずりだした英霊の技倆を以て、彼女は真名を解放すいる。
小聖杯として、彼女単独ですら夥しいまでの魔力量を誇る。その膨大な魔力を、一挙に剣へと注ぎ込む。超高圧縮されたマナによって生じた位相差光が十字を象り、怪物の腰部へと、横一文字の剣閃を撃ち込む。
剣術において、二足歩行をする生物には回避しにくい部位がある。腰部はその1つ。一度行動を始めたその部位は次の行為の移るに難しい。隙と言えば隙だろう、しかし時間にすればコンマ1秒すら冗長なミリセカンドの攻防において、一瞬ですらない隙だった。
だが、クロはその隙を衝く。英霊としての技倆と性能、聖剣の格。自らの戦闘センス、積み上げた訓練からのサルベージ。あらゆる集積の果てに撃ち込んだ、必殺の一撃だった。
畢竟、この一撃でこの化け物に致命傷は負わせられる。焦燥もなく驕りもなく、アロンダイトの一閃は、間違いなく腰を切り飛ばした。
はず、だった。
剣より漏出した光子が唸り乱舞する光の中、ゆらりとこちらを振り返った化け物は、何故か、嗤っているように見えた。
クロは、両手の感触に瞠目した。剣は、何にも触れずに宙を切った。舞うはずの血飛沫もなく、飛び散るはずの肉塊もなく、ただ悪戯に発散したアロンダイトの光子が光の波となって、宙にさ迷っていただけだった。
(クロさん!)
立て続けに脳内に響く警報音、視界の右上の戦域マップに閃く赤い光点。自分の背後に現れた敵性動体を示す表示に、全身が総毛だった。
アロンダイトを振り抜いた挙動の中、僅かに背後が目に入る。背後に、背後に、爪を突き立てんとする怪物の威容が屹立していた。
刃が迸る。鈍く鋭利な擦過音が甲高く押し広がり、飛び散った赤い飛沫が地面に染みを作る。ゴム毬のように吹き飛ばされた赤い矮躯は地面に墜落しながらも、寸でのところで剣を構える姿勢を維持していた。
霊衣の内側に着こんだ強化戦闘服の麻酔が圧迫注射され、左わき腹を抉られた激痛が脳みその意識領域から零れ落ちる。それでも脱落しきれなかった疼痛に顔を歪めながら、クロが考えたことは、「何故?」だった。
どうやって、何をした。それが一切不明だった。ただ現状明確なことは、正体不明の方法で背後に回った化け物の一撃を喰らって、自分はほぼ戦闘不能という現実だった。間一髪アロンダイトを振った慣性モーメントに乗せて背後に剣を振り抜かなければ、爪の一撃をもろに霊核に食らって即死していた。
だが、大差ないことかな、と思う。剣を構えてこそいるが、構えているだけで精一杯。こんな状態で戦える相手ではない。どうやらマシュがこちらに近づいてきているようだが、あまり意味はないだろう。彼女の射程距離と現時点での相対距離を鑑みれば、この戦闘に参加するまであと5秒。5秒などという長時間、とてもじゃないが持ち堪えられない。
化け物が、駆ける。片膝をついたクロは、しかし、次の一手のために魔力を回す。
がちがち、と聖剣が震える。夥しいまでの神秘を漏出した剣が、慄くように痙攣している。内包した神秘を自ら崩壊させる自爆技の作動まで、あと1秒。励起した神造宝具の志向性爆破は周囲500㎡を摂氏数千度で焼き尽くし、精々5秒の時間を稼ぐのみ──。
───“Diddle Diddle.”
爆破の間際。
不意に、地面から無数の白銀が飛び出した。林立もかくやといった有り様でせり立った銀の刃。銀のスプーンとフォークがクロと化け物の間に、さながら防波堤のように屹立した。立て続けに銀の垣根越しに閃く爆光烈風。稲妻すら巻き起こした魔力エネルギーの衝撃波が飽和し、無音の狂騒が膨れ上がった。
「ささ、こちらへ」
「あっ」
ぐい、と誰かが手を握る。乱舞する光の渦の中、軽々とクロを抱き上げ宙に浮かび上がった人影は、何と言うか場違いだった。
ふわ、と屋根へと降り立つ身振りは優雅だというのに、ひょこひょこと頭頂部で揺れるケモミミに、背後で揺れる尻尾がなんとも不調和のような、調和のような、ともかくなんかギャグっぽかった。
「風か光か稲妻か? 御用がなくともジャンジャジャーン! みんなの頼れる巫女狐、タマモクロ……じゃなかった、玉藻の前でございます! 危ない危ない、おウマな娘になるところでした……以後お見知りおきを、小さなアーチャーさん?」
ほにゃ、と子供っぽく笑って見せたケモミミのサーヴァント。そう、サーヴァント。玉藻の前はクロの身体を片手で抱きかかえたまま、続けて右手を天に掲げた。
「さぁバリバリ呪っちゃいますよぉ! 金時さん、女王サマ、やっちゃってください!」
頭上を擦過する騎影2つ。かろうじて視認したその姿に、今度こそクロは、場違いに素っ頓狂な悲鳴を挙げた。
金の髪を逆立てた若武者と、もう一人。赤いドレスに身を包み、宝剣を携えた剣士の姿は、どう見たって、
「!?!?!?」
あのあかいあくま、そのまんまだったんだもの。