fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅱ-1”誰がむくどりを殺したのか?”

 ジェームズ・モリアーティの朝は早い。洋館のゲストルームに陣取ることはや4か月。寝心地のいい未来のベッドにももう大分慣れ、数時間の睡眠は快適の一言だ。布団を押しのけ、パジャマを脱ぐとシャツのパンツに着替え、最後にベストもきちっと装着。ベッドも掛け布団カバーをしっかり直してたたみつつ、シーツもぴっちり四隅を三角折にして整える。脱いだパジャマの皺がないようにしっかり畳んでベッドの上へ。満足すると、窓を勢いよくあけ放った。固有結界が再現する太陽から浴びる光は、本物のソレと大差ない心地よさだった。

 ただいま、時間にしてAM5:00。溌剌とした様子で、モリアーティは日光を浴びる。気分をリフレッシュさせるのに、太陽の光は一番良い。悪事とは、健康的な生活から生み出されるものである。それが、ジェームズ・モリアーティの考えであった。朝早く起き、ベッドメイクし、気持ちよく日光を浴び、朝食を摂り、食後はコーヒーか紅茶を嗜み、その後は散歩する。健やかな生活のふとした拍子に、世界を揺るがせにする惨劇が思い浮かぶというものである。悪食や寝不足では思考の速度は鈍り、凡庸な悪しか思い浮かばないというものだろう。

健全な精神は健康な肉体に宿る、という。逆も然りで、悪辣な精神もまた、健康な肉体にこそ宿るのである。そんな持論だ。

 今の段階は、前述における3段階目にあたる。普段なら10分、アルツハイマー型認知症患者もかくやといった様子でぼけっと日光を浴びるのが常だが、この日ばかりはやや様子が異なっていた。

 おや、と眼下の景色を目にする。霊衣姿の金時に、もう一人は一昨日やってきたカルデアのマスターだ。名前はトウマ、だった。綺麗に草が刈られた広場に出ると、いつの間にか描かれていたサークルの中央で2人して向かい合った。

 「八卦、用意!」

 気勢よく金時が言うなり、2つの肉体が激しくぶつかり合った。

 ジャパニーズ格闘技の相撲だったか。正確には神事らしいが、モリアーティにはよくわからない文化である。

 「よいしょ」

 「んげ!?」

 そうして当然、トウマは軽々と投げ飛ばされていた。軽く5mは宙を舞ったかと言うと、西部劇に出てくるあのなんか丸い草みたいに転がっていった。

 「ちなみにあれ、タンブルウィードっていうんだよネ。アザミがメインらしいけど」

 そうなんだ、知らんかった。

 「よお、あと何回やるよ。あんまり激しくはやんねー方がいいんじゃねえか」

 「あと2回」ひいこらしながら立ち上がると、のろのろとサークルの中へと入っていく。不格好に四股を踏むと「よろしくお願いします」

 「はいよ」

 他方、泰然と構える金時の身振りはなんとも様になっている。もうそれだけで力関係がわかるというものだ。

 「オラ」

 「うげー!」

 「そら」

 「アバー!」

 まぁ、御覧の通りに瞬殺である。盛大にタンブルウィードと化してくたばるトウマを後目に、金時はモリアーティの眼下の方へと声をかけた。「よお、嬢ちゃんたちはどうする?」

 「私はパス」おや、と真下を見ると、丁度薪の上に、赤い外套姿の女の子と、銀の騎士甲冑に身を包んだ姿があった。「暑苦しそうだし」

 小さいほうがアーチャーで、騎士甲冑の方はシールダーだったか。名前はそれぞれ、クロエとマシュ、といったはずである。普段から他者の人名などに記憶リソースを割かないだけに、こうして名前を思い出すのは重労働だ。

 「やらせてください!」

 「いいねぇ、威勢が良いってのはいいことだ」

 そうして始まる、マシュ・キリエライトと坂田金時のジャパニーズ格闘技。がっぷりよっつに組んでえいや、えいやと押し合う様は、なんというか、

 「これ何やってんの?」

 不毛である。

 少なからず、モリアーティにはそう見える。サーヴァントと人が取っ組み合って何か益があるんだろうか。サーヴァント同士が取っ組み合って、何か益があるんだろうか。どちらもジェームズ・モリアーティには不可解な事象である。

 「おお、すげえなマシュ! 力つええ」

 「頑張れ~」

 まぁ、気分が高揚するとか、そういう意味があったりするのかもしれない。そういう意味では、モリアーティが生前と同じように整理整頓を心掛け、健康的生活を送っているのとそう大差はないだろう。何せ、今日は調査が始まる日なのだ。

 と、理解することにする。窓枠に頬杖をついて相撲を観戦していたモリアーティがふと胸元から銀の懐中時計を取り出したのは、マシュが金時に放り投げられた時だった。

 「あぁ、いかんいかん」

 慌てて懐中時計の蓋を閉じて懐に仕舞い込むと、モリアーティは慌てて部屋を後にした。脳内スケジュールより10分も過ぎている。緻密に組み立てた計画に狂いが出るのは、あまり好ましいことではない。

 「もう1回お願いします!」

 「よっしゃ来い!」

 威勢のいい声を背に、モリアーティは老年特有のぎこちない身振りで、慌てて部屋を飛び出していった。

 転げる毬……それこそ枯れ草のように飛び出していく、肉体年齢60後半の男。サーヴァントとて、英霊の座の彼の評価はあくまで頭脳に限定されている。しかも、区分的には近代人。強いカリカチュアもなく、まして“知性派”の英霊である。肉体性能に関して言えば、耐久性以外は見た目通りなほどしかない。多少武術の類は学んでいるけれども、ジェームズ・モリアーティはハッキリ言うと、ジジイだった。

 要するに何が起きたのか、というと、慌てて階段を降りようとしたところで、盛大に足をもつれさせてすっころんだ。「うひは!?」なんて素っ頓狂な声を屋敷に響かせるに飽き足らず、階段の折り返しの踊り場まで滑落した振動は、少し屋敷を揺るがせた。

 しばらく、モリアーティは悶絶していた。何せ腰をぶつけたのだ。腰はキツイ。重いものをよっこらせ、するだけで怪しいのだ。それをこんな、階段から転げ落ちるなど致命傷である。

 やはり時間を守らないとこうなるのだ。憎々し気に己の無法を呪いつつも、さりとて益のないお気持ちに付き合うのも性に合わない性格である。思考の大部分を激痛に占有されながらも、残った微かな悟性で、モリアーティは必至にしわがれ声を出した。「誰か居ないかね、誰か」

 「はいはいまたですかお爺ちゃん」

 のっそりと1階から現れたのは、狐耳のサーヴァントである。胡乱げというよりはほとんど呆れた顔の玉藻の前は、しぶしぶといったように階段踊り場まで上がってくると「あなた本当にサーヴァントなんですかね」と不躾に言う。

 「いつもすまないねえ」不満を微かに抱きながら、モリアーティは努めて平穏な口調を心掛けた。「年齢は理不尽なものだよ」

 「はいはい。では失敬して」うつ伏せで臥床するモリアーティめがけ、玉藻の前は、掛け声一つして拳を振り上げた。

 「えい、えい」

 「あのぉーちょ、ちょー??」

 「むんッッッ!」

 「力技はアハァーン!?」

 ドス、と妙に鈍い音をたてる拳の一撃が腰部にクリティカルヒット。一瞬気絶しかけたものの、次の瞬間には腰の痛みはおおむね消し飛んでいた。

 「もう少し老人を労わってはどうかと思うのだが、君はどう思うかね玉藻君」

 「まさか呪術で~とか仰いませんよね? 治してもらってるだけありがたいと思っていただけると幸甚に存ずるのですけど???」

 よろよろと立ち上がる白髪の老人をジト目で見下ろしてから、玉藻の前はさっさとその場を後にする。なんと無情な、と言いかけたが、モリアーティはそれを口にはしないで置いた。

 「そう言えば」階段を降りたところで、玉藻の前は階段上のモリアーティへと振り返る。「今日はテラスで構いません?」

 「リビングは使っているのかね?」

 「いやー、そういう訳じゃあないんですけどね。いや、使ってるには使ってますけど」

 彼女らしくない歯切れの悪さである。はて、アリスが何か魔術の実験でもしているのか、エリザベス女王陛下と何か相談の最中か。そういうわけではないのかな、と思いつつ、キッチンへ消えていった玉藻の前を目端に、モリアーティは何気なくリビングに入っていった。

入って、すぐに理解した。

 なるほど、これは酷い。潔癖とは言わずとも、綺麗好きなモリアーティにはその光景は見るに堪えないものだった。

 リツカが、ソファで寝ていた。まぁそれはいい。床やらテーブルの上やらに本や空のアルミ缶やら三色ボールペンやらが散乱しているのも、まぁいい。いや駄目だけど、とりあえずよしとする。

 それよりなにより、この寝方はなんだというのだろう。背もたれに足を預け、座面に背中から首を座らせ、頭は床にだらりと下げている。手も足も大開になって、しっちゃかめっちゃかな方向に延びていた。

 「うーん、ちょっとした猟奇殺人現場」

 生前、モリアーティが使嗾して引き起こした連続婦女殺人事件を思い出し、少し「ウワっ」て顔になる。彼は悪事を計画し、悪が成されることは善いことだと考えるが、結果として生じる悲惨な光景には特に興味関心がない。

 なるほど、玉藻の前が言っていた理由がわかる。食事などとても摂れる環境ではない。

 「これどうしましょうねえ」後ろから顔を出した玉藻の前も、はっきり言ってドン引きしている。「起こしていいんですかね」

 「アリス君はいないのかね」

 「今日はもうお出かけになってますよ?」

 「見ていないというわけか」

 さもありなん。この屋敷の主も、モリアーティと同等かそれ以上に綺麗好きな人間だ。こんな風な光景を見たら、多分薔薇の猟犬でも解放して、即座に解体してしまうのではないだろうか。それか卵形の爆弾で爆散させるか。

 「夕方には戻ってくるみたいですよ」

 「まぁそれなら大丈夫かナ」

 とりあえず、モリアーティは見なかったことにしかけたが、ふと気づいて、散らばった資料に手を伸ばした。

 一枚、手に取る。一昨日、無数に渡した式の一部だ。正確にはそのデータへの解釈を、モリアーティが書きなぐったページである。

 考えつくだけの解釈がずらりと並ぶ。取るに足らない誇大妄想から、調子のいい楽観論まで。その中、赤丸でぐりぐりと囲まれた項目が目に入る。

 そのマークはモリアーティが施したものではない。その下に、青い文字で書かれた注釈も。

 

 “何者かが聖杯のピークパワーを転用している?”

  注釈:一番これが嫌な感じがするなぁ

 

 相変わらず、猟奇殺人現場を寝相で体現する人物を見下ろす。赤銅色の髪の女。年齢は19。そろそろ20になるという。

 「ここを片付けてから朝食を摂るよ」キッチンに再び消えていく玉藻の前に言う。「今日の朝食は何かな?」

 ハムエッグにトースト、という返答を聞きながら、モリアーティは満足気に、それでいて悩まし気に眉を寄せた。

 「何者か。そう、何者なんだろうね、アレは」 


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