fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
そう簡単にはいかないなぁ、と思った。
オールドストリートの広場。2日前、トウマ達がレイシフトを行った場所だ。人通りがないのはこの特異点の特徴らしく、温い風が吹く広場には自分を含めて4人しかいない。
(01、こちら03。特に目ぼしいものはない。残存魔力は検出するが、前回の戦闘の痕跡でしかない、かな)
ライネスの声が耳朶を打つ。硬質な声は、むしろ司馬懿のものだろうか。とは言え生真面目そうながら、語尾に感じる柔らかさは彼女のものに相違ない。なんだかんだ言って、彼女はエリザベス女王と上手くやっているのだろう。
屈めていた膝と腰を伸ばす。伸びやかに身体を天へと志向して、トウマはからりとしていながら、じとりと肌に吸い付く風に眉を顰める。
この場所に現着し、既に2時間が経過している。なにがしかの手掛かりを求めて着てみたが、結果はどうやら外れらしい。特に収穫もなく、ただただ時間だけが過ぎていた。
「あとは、そこの区画だけね」
隣に並んだクロも、若干だが飽きを感じているらしい。つまらなそうに前髪をかきあげると、彼女も大きく息を吐いた。「ヤな空気」
「もっと暴れたいなー、こんな地味な作業じゃなくて」
後頭部で手を組んで、鼻歌でも歌うように言うクロ。鈍く惹起し始めた飽きを払うように溌剌と伸びをすると、クロは晴れがましく見える顔立ちでトウマを下から覗き込んだ。
「何かあったの?」からり、と彼女は忌憚なく言う。「難しい顔してる」
クロは、本当に、勘が良い。というより、面倒見がいいのだろうか。こちらの感情の機微に関する感受性が高く、何かあるとすぐ感づいてしまう。
それでいて、距離のつめ方が巧い。子供らしい笑みを浮かべてみせながら、鼻歌交じりに隣を衝かず離れず歩く姿は、多分、言いたくないことなら別にいいよ、と言ってるみたいだ。
視界を掠める、黒い髪の彼女。アリス、と名乗ったキャスターのサーヴァント。あの時彼女が言った言葉が、鼓膜の内側、内耳から鋭く突き上がる。
微かな逡巡。癖毛を手梳きしながら、トウマは「どうすればよかったかな、あの時」と、ちょっとだけ、逃げた。
多分、逃げたことすらクロは察している。機嫌良さそうにしながら、ちら、と向けた一瞥は、なんとなく見透かすようだった。もっと言えば、見透かしたうえで、クロはさして気にしない素振りだ。
「気にしてるの?」
ひょい、とクロが脇腹を指す。そうだね、と軽く頷いて、トウマは「最適解は何だったかな、って思って」
「うーん。正直、相手が未知数すぎて判断できないわね。ステ差はあった気がするし、短期決戦狙いに切り替えたのは悪くないはずだし」
「マシュを待つ、って手は」言ってから、トウマは腕を組んだ。「精神汚染の懸念がある戦力を味方とはあんまり期待できないか」
「そうね。ただ、手なりで宝具を投影しちゃう時があるから、それはちょっと考えないとかも」
眉を緩く寄せて、考える様子のクロ。たとえ想定した会話でなかったとしても、彼女は真剣に考えてくれている。胸に、にがっぽい罪悪感が滲む。クロの好意に、いつも甘んじてしまう。エリザベス女王から渡されたポケットの硬質を感じながら、トウマは、甘んじる分くらいはちゃんとしなきゃ、と思った。
「投影頻度が高い宝具リストアップして、投影練度挙げるとかって意味あるんかな」
「どうかしら、そう短期間で変わるものかわからないけど」ちょっと思案気。それからトウマに向けた顔は、花やぐ白百合のように、とても愛らしかった。「いいかも」
本当に、彼女は頭がいい。自分のような半端なマスターには、とてももったいないサーヴァントだ。知悉に富み、戦術眼に優れ、ステータス差を覆すだけの戦いができる。突撃するしか能のない自分よりも、きっとリツカのサーヴァントとして戦えばトップサーヴァントすら軽々と打ち倒す逸材足り得るのでは、と思わされる。
自然と湧く、申し訳なさ。中耳に凝る、アリスの声。
だが、彼は愚かではなかった。
「俺、なんかできるかな」
「あのね、アナタは私のマスターなんだから。投影のコスト管理とか、宝具の選定なんかはむしろ参考にしたいじゃない、鯖戦のプロなんだから」
「今の調査終わったらやろうか」
「さんせい」
それが多分、自分の役割で、今できることなのだ。価値のあることかどうかはわからないが、それは後からわかること。今は思考で足を止めるべきときではない。
「じゃ、ちゃっちゃと終わらせちゃいましょ?」
ざり、と彼女の靴底が砂利を咬んだ。
最後は、広場からリージェントパークの裏へ抜ける小径だ。トウマたちがまさにレイシフトしてきた裏路地は、あの時と変わらずに陰鬱そうな濃霧が立ち込めている。
クロは地面に手を当てると、魔術的措置の解析を開始する。構造物の異変・変調への察知の正確さはクラスカード譲りの特性で、魔術に対する感度の高さはアインツベルンのホムンクルスとしての性能故。その間のトウマの役目は目視での走査で、あまり優先度としては大きくない。
視覚を強化して地面を流し見る。金時の打った宝具の余波で路面は微かに歪んでいて、砕けた欠片がちらほらと散らばっている。それ以外は特に何もなく、やはり無駄骨だったか。
と思いかけた時、ふと、特に何でもないものが目に入る。
路地の端に転がる丸い何か。相対距離は7mほどか? 小さく丸まったそれは、一目ではゴミに見える。一般市民は滅多に外に出ないが、浮浪者の類はそこそこ姿を見かける。そうした人々が残したものはそれなりに散見される。それも、そういったものだろう。
手に取ったのは念のため。掴んでみると、紙をくしゃくしゃにして丸めたものらしい、と知れる。慣例にならって紙を拓いてみると、しわくちゃになった古紙にびしりと数式が並んでいた。裏を見てみる。こちらは古いラテン語が整然と並んでいることが伺い知れる。
「えーと」一応古代ギリシャ語・ラテン語は読めるようになったが、流石にスムーズには読めたものではない。辞書か何かがあれば問題なく読めるのだが、まだまだ習熟度は満足いくものではないのだ。「これは……魔神?」
「魔神柱、ウェパル。ソロモン王が使役したと言われる72柱の悪魔の1つ、だね。それは『ゲーティア』の一ページかな?」
耳元の声。思考は0、判断はコンマ1秒以下、すべきことは明白だった。
「
※
「うはっ!」
“彼女”にとって、その射撃は予想の範囲内だが意外だった。
左の肩先を掠め、灰銀の髪を揺らす大出力の魔術砲。焼け付く感触は、ガンドのそれか? しかもこれほどの出力となると、“フィンの一撃”にすら匹敵する。対魔力がないサーヴァントであれば、十分な打撃を与えることが可能だろう。自分如きでは、間違いなく死を迎える必殺の一撃だった。
「ダ・ヴィンチちゃんの差し金か? やってくれる!」
ひりつくような感触に口角を歪め、一足飛びで背後に跳ぶ。不慣れな身体強化はそれなりに成功し、蹴り上げた路面が衝撃だけで破砕される。
急速に遠のく視界の中、あの少年も同時に背後に飛び退いている。しかも指差しは第二撃をこちらに志向。もう一射、“フィンの一撃”が来る。
黒い魔術礼装に淡い光が血脈のように浮かぶ。魔術刻印を思わせるそれが腕に巻き付くように展開し、加速するオドが指先と言う名の銃口へと向かって疾駆する。
中る。回避運動は不可能、と悟る。あの礼装。極地用戦闘礼装に近しいあれには、高度なFCSの補正がある。アーチャーをモデルに作成された戦闘補助AIの射撃補正は、この距離なら間違いなく当てに来る。そこに術者自身の技量は関係なく、撃つ、という気構えさえあれば、必中のガンドは間違いなく敵を貫くのだ。咄嗟の迎撃で撃ったさっきとは、状況が違う。
だから、“彼女”は回避することは諦めた。敵戦力を見誤まっていたことを、素直に認めた。彼女の美質は2つあり、1つは素直に相手の力量を認めることにあった。あのマスターは強い。少なくとも、敵の可能性があるというだけで、躊躇いなくこちらを殺しに来るだけの度胸がある。自分なんかより、よっぽど、勁い。
「ファイア!」
疑似魔術刻印を加速し、収束したオドが呪いの魔術へと形を変えていく。北欧より伝わる指差しの魔術。その最終系、死の呪いにまで至る“フィンの一撃”が、銃口から咆哮を挙げた。
曳光弾代わりに照射されたポインターが“彼女”の心臓に一瞬先に触れる。可視化されるほどに強力な死の呪いが、あと2秒で飛来する。
ちなみに、彼女の美質はもう1つある。瞑目するまま2秒先の死を身構えた彼女は、自らのもう一つの美質、生き汚さを臆面もなく発揮した。
「セイバー!」
1秒後、漆色の突風が乱入した。
さらに1秒。サーヴァントの心臓すら抉る火力を前に、黝い影は蠅でも払うように不可視の剣を振り抜いた。
ただそれだけ。技巧も無ければ気迫もないただの動作だけで、必殺の筈の呪いは夢のように霧散した。
風が、柔らかく大気を裂く。ただそこにいるだけで盤踞と屹立し、世界が震顫している。
影なる剣士にしてみれば、木っ端の如き魔術師のガンド如きはそよ風に過ぎないのだ。
「遊ばれては困る。素人ではないのですよ」
ぴしゃり、と鞭うつような箴言。振り返りもせず、セイバーは不満そうに言った。
「ごめんごめん」
返す“彼女”の言葉に、セイバーは無言で身じろぎした。まだ言い足りない雰囲気こそあれど、無駄口を叩く余裕はない、と2人とも共通認識はできていた。
相対距離、20m。サーヴァント戦において、まさに目と鼻の先というべき距離感。一足踏み込めば頸を狙える距離だが、セイバーは不動のまま、敵を見定める。
敵、2騎。あの少年を遮るように、赤いサーヴァント2騎が剣を構えている。
「あのサーヴァント」
「セイバー?」
「いえ」微かに、剣先が揺れた。「顔見知りに、似ていたもので」
意外な言葉だった。ほとんど自分のことを喋らないセイバーの口ぶりが、なんとなく柔らかい。
無論、それで剣の鈍る彼女ではあるまい。「ランサー!」と張り上げた声色は、勇躍としている。
「マスターを安全な場所へ! 遠くからご照覧いただく」
途端、ぐいと身体が持ち上がる。「了解、騎士様」と揶揄的な微笑が耳朶を擽るなり、一挙に視界が飛んだ。
さっき、“彼女”が自分で強化をかけた時のそれとは隔絶している。気が付いたら、もう広場を脱し、豆粒みたいになったセイバーたちの姿をやっと捉えるくらいになっていた。
「全く、奔放なお姫様だ」
空色から墨が溶けだすように、幽らりと姿を現す黒い影。黒いローブに身を包んだランサーのサーヴァントは、嫌悪を隠しもせずに、抱きかかえる“彼女”を睥睨する。
「身勝手な女は嫌いだな」
「地の女主人がお好きと見える」
「小賢しいと言っているんだよ、マスター」
鼻を鳴らす影。獣の臓物でも捨てるように“彼女”を放り投げると、黒い影、ランサーはフードの奥の暗い洞の中で小さく笑うように嘆息を吐いた。やれやれだ、と言いたげに身動ぎすると、「懐かしい顔、というだけさ」
「あの赤いキャスター。イシュタルと同じ身体、なのかな?」
「よくよく聖杯に縁があるんだろうよ、あの
言って、ランサーはそのまま遥か視界の彼方で開始した戦闘を見下ろしている。どちらかと言えば現実主義的で冷淡な人、という認識だったが、それ以上にあの戦闘に関心があるらしい。
それは、“彼女”にしても同じこと。“彼女”の関心はあのマスターにはないが、それでもある種のキーパーソンである予感はある。
セイバーが言っていた。最弱こそが最強に至る途なのだ、と。骨身にしみた事実を思い返し、“彼女”は苦く、ぎこちない笑みを零した。
「セイバー、離脱のタイミングは任せる。こっちは切りが良いところで神殿に行く」
返答の代わりは、パスを繋げた際に鼓膜の奥をちりりと擽るクリック音だけだった。