fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
黄金が視界を埋め尽くした。
そうとしか言いようがなかった。目にもとまらぬ速度で肉薄してきた菫色の影が振るった聖剣を目前に、トウマが抱いたのは、恐怖ではなかった。殺される、という恐れはなく、また畏怖ですらなかった。もっと穏やかな感触。凪いだ内海を掬する穏やかな手触りだった。
ぐら、と視界が背後にぶれた。首根っこを掴まれたらしい、とぼんやり理解したトウマの視界は正面から天へと向いていく。緩慢な思考のまま、視界に飛び込んだのはもつれ合う2つの影だった。
1つはあの黝い外套を纏ったセイバー。そしてもう1つは、今まさに空間の裂け目から這い出して来るあの怪物だった。
硬質な何かがぶつかり合う甲高い音が周囲に圧し広がる。爪を突き立てようとする獣の腕を聖剣で阻んだセイバーは、身体ごと獣に突進、一塊になって広場の向こう側に転がっていった。
真にあの化け物が現れた。沸騰しそうな思考のまま立ち上がったトウマは、しかし掣肘するように手を差し出した背後の人物を見返した。
ライネスの空色の目は、一瞥をトウマにくれると声を張り上げた。「02、04、撤退するぞ!」
「でも折角」
「冷静になれ、私のマスター。今ここで目的が不鮮明なまま戦闘に突入するのは、どう考えても筋悪だ。2人を危険に晒す価値はない。撤退するなら今しかない!」
戸惑う様子のエリザベスに対し、クロは心得たというようにトウマを抱き上げにかかっている。
広場の中央で睨み合うセイバーと化け物。ふ、と息を吐いたトウマは、わかった、と苦っぽく頷いた。
「リン、こっちに併せて!」
「了解!」
エリザベスも素早くライネスの身体を米俵のように抱きかかえる。2人が何事かを投擲したのはほぼ同時。半瞬ほど早く得物を投げたクロが、その剣の真名を解放した。
その剣、『
宝具そのものを破壊し、内包する高密度の神秘を燃料に惹き起こす大爆発。同時に2つの条件を満たしたベガルタは爆破と同時に周囲に殺傷性の光刃を撒き散らし、爆破の余波を押し広げていく。
エリザベスが投擲した宝石が飛来したのは、ベガルタが破裂した直後だ。宝石が砕けるのを合図に、瞬間的にV字型に展開した不可視の結界が爆破を包んでいく。包まれた爆破は結界の出口へ向けて殺到し、その様はさながら指向性爆破そのものだった。
膨れ上がる爆破とエネルギーの余波を見ている暇はない。脱兎のごとくに飛び出した2騎は、それぞれ人を抱えたまま、ロンドンの空を駆けあがっていった。
※
「やれやれ」
爆破が巻き起こした衝撃波をエネルギー風の中、セイバーは洞の内側で素直に讃嘆の意を表していた。
時に襲い掛かる光刃を剣で撃ち落としながら、セイバーはその場を動かず、爆破の彼方を幻視する。
ここしかない、というタイミングでの見事な逃走劇。演出したのはあの金髪の小娘か、それともマスターか。前者が箴言し、後者がそれを受け入れたのだろう。どちらも見事な判断だ。あわよくば、あの獣をセイバーに押し付けようという算段も見える。気分が良くなるほどの悪辣ぶりだ。
それに、この逃走手段。爆破で足止めしつつ、加えて煙幕替わりにして退避経路を悟らせない念の入りよう。しかも、この煙幕はただ目くらましというだけではない。
セイバーは、しばし離れたところで佇む獣を一瞥した。獣は追撃せんと身構えているが、動こうとするたびに煙幕の向こうから精密狙撃が襲い掛かっている。下手に動こうとすれば反撃する、という意思表示。しかも煙幕があるから射線が不明。素早く、かつ的確な判断だ。
──強いな、と思った。指揮官も優秀なら手勢も優秀。以前、従えていた麾下の騎士たちと共に戦ったとて、そう簡単に勝たせてくれないだろう。
敵への素直な賞賛は、そこまでだった。すぐに思考を切り替えたセイバーは、目前の敵を注視した。
全高、およそ3mの巨躯。それ自体、まだ神代に属していた彼女にとって、そう珍しいものではない。異人や獣との戦いはむしろ日常で、巨獣狩りは彼女の得手ですらあった。
だが、その獣から感じる圧力はまったく別種のものだった。人知を超えたものに対する畏怖に似ているが、全く異なる異様な感慨。あれは人知を超えているのではない。人智と全く関わりのない深淵からやってきた、何かだ。
だが、さりとてセイバーの闘争心が削げるわけでもなかった。未知なるものとの戦いこそ、今を生きる彼女の本懐であり、また使命でもあった。
不可視の鞘には居れず、彼女は聖剣を構える。刀身から発した光子が光を結び、仄光を放っている。自らの背に隠すように下段に剣を構えたセイバーは、今まさに飛び掛からんと両ひざに自重を乗せた。
乗せてから、ふと、違和感に気づいた。獣は恨めし気に噴煙を見つめるだけで、こちらを一切気にしていない。先ほどあの少年マスターを狙った舌を斬り払ったのだから、よもや認識していないことはあるまい。
ふらふらと何かを探し求めるように彷徨う獣。まるで夢うつつに惑うようなその素振りに、セイバーは思い当たる節があった。
まさか、と周囲を見回す。闇夜に翳り始めた霧の都の中、ふと、何か白い影が視界に紛れた気がした。
疑念は確信へ。剣を非実体化させたセイバーは、一歩後ずさった。矢の追撃は、もうない。
「今は手を出すな、というわけか」
ともすれば独語のような言葉を発する。微かにざわめいた
遠くで見ているであろうマスターに視線で合図を送ったセイバーは、地面を蹴り上げた。
軽々と宙に飛び上がる黒衣の剣士。眼下に広がるロンディニウムの街並みを目に焼き付け、セイバーは、複雑な、それでもベクトルはポジティブに情動に身動ぎした。
今回短いので、近々もう1話投稿します