fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅲ-4

 エリザベス女王の朝は、基本的にあまり早くなかった。生前は立場が立場なだけあって早く起きることも多かったが、それから解放されたサーヴァント生活では、自堕落な生活をしてやろう、とヤクザなことを試みたりしていた。と言っても遅寝遅起きがその自堕落というのだから、彼女は本質的に善人としか言いようがない。

 早くなかった、と過去形にしたのは、現在は割と速めに起床するからだ。なんとAM4:00。流石に早すぎたかしら、と姿見の前に立ちながらも、エリザベスの表情はどこかウキウキしている。

 その原因は単純で、姿見に映る自分の恰好がとても新鮮で、かつ人目で気に入ったからだ。

 黒いフォーマルなミニワンピの上から、純白のエプロン、というスタイル。いわゆるメイド服である。妙に丈が短い……というか太腿くらいまでしかないジャパニーズメイド服に対し、エリザベスは大変好意的な印象だった。

 当然、彼女は生前こういった給仕服など来たことはない。イングランドという国を世界の中心にまで引き上げた大国の女王が、どうして他者のかしづくことがあり得ようか。幼少の頃は不遇であったが、それは本意ならぬ生活でもあった。太陽すら撃沈させる女の上に立つ者は、後にも先にもいない。不遇な幼少期とても、やはり他者に使役される生活とは無縁だった。まぁ敢えて言うなら、お金には頭が上がらないのだけれど……。

 「これも神様の思し召し思し召し」

 ふんふん、とハミングしながら、くるりと一回転する。ふわりと浮かんだプリーツスカートの動きが可愛らしく、エリザベスはニコニコと相好を崩した。

 確かに、エリザベス女王は女王故に尊き人物である。それは印象論や感情論ではなく、尊き地位に君臨するという意味でのことである。のだが、それはそれとして、彼女は大らかで、且つ宿命論的なものを信じている。というより、柔軟に、且つ篤い信仰心の持ち主というべきか。何にせよ彼女は自分に降りかかってきた物事を受け止め、かつそれをきちんとこなそう、という健やかな精神の持ち主だった。加えて、今依り代になっているこの活気にあふれる少女の気質も相まって、とにかくエリザベス女王は色んな物事へのやる気に満ち満ちていた。

即ち、彼女に与えられた使命は、この屋敷の管理だった。アリスに加え、玉藻の前までホワイトチャペルに滞在することになってしまったのである。その間の屋敷の管理や食事の提供などを誰がやるのか、という問題に対し、勇んで手を挙げたのがエリザベスだった。

 「じゃ、まずはお掃除でもしましょうか」

 実に30分。じっくり自分のメイド服姿を堪能し終えると、エリザベスは程よく、且つ形よく膨らんだ胸を張った。

 確か、掃除用具がある倉庫は1階ロビーの脇だったか。腰に結んだリボンの形をもう一度確認し、再度満足すると、確かな足取りで部屋を後にする。スニーカーにしたのは正解だったかな、と調子よく階段を降りて1階へ。しん、と静まった屋敷の空気に、エリザベスはちょっと複雑な気分だ。早朝の王室に感じる、活気の前兆とも言うべき厳かな緊張感に似ている。そんな感慨の一方で、思い出すのは戴冠の前に一年過ごした幽獄での日々である。果たして、今目の前に横たわっているのは、どちらの静寂か。どちらにしても悪いことにはならないか、と思い直し、倉庫のドアノブに手をかける。

 倉庫の広さは、思ったより広かった。倉庫というより、ちょっとしたドレッサーくらいの広さだ。自分の王室のそれは、一体どれくらいの広さだったろうか。思い出そうとして思い出せず、幾ばくか情けなさを惹起させつつ、エリザベスはモップと雑巾の入ったポリバケツを手に取った。

 「これ、捻ったら水がでてくるのよね」

 ううむ、と唸るように蛇口を一瞥。未来は凄いな、と感心しながら、バケツ2つに水を注いでいく。半量ほどたまったあとは、ゴム手袋を装着して倉庫奥から消毒液の入ったボトルを1つ。少量入れて次亜塩素酸水の希釈液を作ると、ロビーに出た。

 チチチ、と小さく啼いた青い鳥が視界を過る。ロビーの固定電話の上に止まると、その小鳥は不満そうにエリザベスを見返した。正確には、不満そうだが致し方なし、と思っているらしい。そこに加えて、どうやら管理者代行としてちゃんと仕事をしているか、監視する腹積もりらしい。

 アリスのプロイキッシャーの一つだ。とは言え、彼女の意思で動いているわけではあるまい。好意的に表現すれば、尊大な自尊心と臆病な羞恥心のままに動くあのプロイの肥大化した自意識のもとの行動だろう。

 艶のいい山ブドウみたいな目に、エリザベスは挑戦と受け取った。この少女の肉体の気質故にか、彼女は生前よりも勝気になっている。また、負けん気も。元からそういう気分がないわけではないエリザベスだが、なんとなく、若くなった気分だ。

 その若さのまま、エリザベスは高ランクの【皇帝特権】のままにモップを振るった。

 

 

 「できた」

 アリスのか細い声が耳朶を打ったのは、おおよそ拭き掃除が終わった時だった。

 AM11:44。早朝、ホワイトチャペルのアパルトメントの一室に越してきたクロたちの最初の仕事は、部屋の掃除であった。

 ジェームズ・モリアーティが手配したここの住居は、彼の生前、悪事を働く際に使用していた一室だという。とは言え彼自身が寝泊まりしたわけではなく、例えば身分卑しき人物を犯罪に駆り立てる際の一時の住居とさせたり、そうでない人物の潜伏場所として供与していたという。こういったアパルトメントの一室をロンドン市街だけで数か所、さらにイギリス全土にもいくつか持っているという。

 そんな犯罪組織の温床というだけあって、まぁ、掃除が行き届いていたいのは自明な話だった。一通り家具だけは揃っているが埃だらけ、という状況に堪えかねたアリスの主導で掃除が始まって、およそ3時間。マシュと玉藻の前、トウマは別件で外に出ていたため、残った2人でとりあえず荷物を整理して掃き掃除・拭き掃除をこなしているうちに、時間は丁度昼時を迎えていた。

 「アナタ、そんなの食べるのね」

 普段の礼服姿は変わらず、頭巾と不織布マスク姿のアリスがぼろのソファに腰かけている。テーブルには円錐状のカップがおかれ、剥かれた蓋からもうもうと湯気が立っていた。

 カップラーメンである。アリスが料理する、と言い出して、出てきたものだった。クロも後頭部で結んだ頭巾を解くと、アリスと相対するようにソファに座った。

 クロに対しアリスは特に応えず、プラスチックのフォークを麺に差し込むと、そのままはむはむと音もなく食べ始め、

 「アツイ」

 「そりゃそうでしょ」

 不肖々々、とでも言わんばかりに眉を寄せ、アリスはテーブルの上にカップラーメンを置いた。もうもうと湯気を立てるカップラーメンに対し、アリスは行儀よく膝の上に手を置いて、まるで早く冷める呪文でもかけるかのようにじっくりと眺めている。ともすれば、そこだけ時間が静止しているかのようですらある景色だ。

 ぐるぐると割り箸で内容物をかき回していたクロは、多少の熱さも気にせずにずるずると頬張っていく。西暦2016年、日本円にして250円。付録のTCGが付く週刊漫画雑誌くらいは買える金額と、若干割高な非常食はそこそこ美味だ。レモン風味の効いたピリ辛ヌードル、という味付けは、ちょっと特徴があると思うけれど。

 相変わらず無表情のまま、例によってクロを眺めている。「じい~」というサウンドエフェクトがどこからともなく聞こえてきそうである。詰問するような、というより、何か不公平感に不満を感じているような表情だった。

 無論、クロにアリスの微妙な感情の機微など捉えようもない。構わずにずるずるとカップ麺を啜るクロは、むしろ、全然別なことを考えていた。

 むしゃむしゃ、ごっくん。口腔内で食塊となった麺類を嚥下し、インスタントのコーヒーを啜る。決して濃いとは言い難く、また美味でもないコーヒーだったが、舌に馴染む感触は、どこか物悲しい愛嬌がある。

 ようやっとカップヌードルに手を伸ばすと、アリスはおそるおそる、顔を近づけた。心なしか湯気が減っているように見えることもあって、アリスは静かにフォークを突き入れた。

 「ジャックと、以前一緒に戦ったのよ」

 ふうふう、と息を吹きかけるアリスに、クロも特に表情も変えずに麵を啜る。ちょろちょろと味わうように啜りこむと、クロは無感動そうに見える表情のまま、くすんだ窓を眺めやった。外には、分厚いスモッグが立ち往生している。

 別に、だからどうということもない。そのまま無言でソファに座り込むクロに対し、アリスはパスタでも食べるみたいに音もなく口に頬張りながら、そんなクロの姿を眺めていた。

 「戦えないと」

 「別に。敵なら倒す。それだけのことよ」

 全く、感情の色香がない会話だった。事務的な事実を確認するだけの会話の後、アリスが口にした「そう」という呟きは、けれど、どこか湿気があった。

 何か、含みがあった。そんな気配を感じ取って、クロは黙々とヌードルを啜るアリスを一瞥した。そうして30秒、気のせいか、と思い直したクロがステンレスマグカップの取っ手に手を伸ばしかけたところで、待ちかねたかのようにアリスが口にした。「彼、どうなの」

彼。もちろん、トウマのことだろう。偶然か、それともなんらかの必然か、カルデアの人員は女性性が多い。この特異点には一応男性性のサーヴァントが2騎いるが、それならわざわざそんな婉曲的な言いまわしはしないだろう。

では、どういう質問の意図か。思案すること1秒ほど、クロは「65点ね」となるだけ素っ気なく言った。

 「問題はどこに力点を置いて評価するか、ね。魔術師としてなら限りなく0点に近いと思うけど、この人理修復の旅において魔術師としての性能なんて誤差よ。それこそ、時計塔から冠位を頂戴する魔術師だって、サーヴァントが本気で潰しにかかれば相手じゃあないわけだし。こと戦闘、に限ってなら、サバイバビリティを担保できる戦闘能力さえあればいい。その点、カルデアのBDUが便利すぎてね。こっちのキャスターお手製のあれ、戦闘性能だけじゃなくて生存性もやたら高いし。多分、お腹全部吹き飛ぶか心臓破裂しても死なないようになってるから、その点でもマスター本人の性能はさして重要じゃあない。レイシフト適正がある魔術師で、且つあの戦闘服を着てるだけで及第点の50点ってとこね」

 カップラーメンのスープを飲みつつ、クロはぼんやりとした思考を口にしていく。万が一、トウマが通常の聖杯戦争に参加していたら、間違いなく第一に脱落するだろう。どうせキャスターあたりに謀殺され、死体を慰み者にされるのがオチである。生半可な正義感がある分、通常の聖杯戦争では死にやすい。

 だが、こと人理修復の旅に限り、一般的な倫理観や正義感は、評価できるだろう。それが加算分、ということだ。

 「当たり前の話だけど、“普通に善い人”って嫌われにくいしね。普通に善い人を嫌いになるような英霊は、そもそも人理修復にあたって召喚に応じないでしょうし、協力もしてくれないんじゃない。その意味で、現地のサーヴァントと協力しやすい人柄とは言えるかもね」

 こんなところかしらね、と興味もなさげに言う。納得したのかしてないのかは不明だが、アリスは無言のまま、身動ぎ程度に頷いていた。いや、頷いているモーションに見えるのは、もしかしたらラーメンをすする僅かな動作だったかもしれないが。

 ちなみに、このクロの評価は、彼女なりに第三者視点に立ったうえで、なるだけ個人的感情を廃したものである。主観的には戦闘訓練での技能向上など注目すべき点はあると思っているのだけれど、まぁ、でもそれがこの戦いにどれだけ寄与するのかはちょっと不鮮明だ。前の戦いのときの反応を見るに、多少なりとも役には立っているのかもしれない。

 アリス、ヌードルをむしゃる。クロの言葉でも咀嚼するみたいに麺を咬んでは、無言でヌードルを食べている。取りあえず、クロの返答に満足したのだろう。

 変な人。

 それが、クロのアリスに対する感想だった。ある意味、かなり魔術師らしい魔術師なのだろう。他者に心開かず、また開こうともしない。静謐そのものを黒衣として身に纏い、ただ深淵を見るように伏し目がちに生きる姿は、夜に住まう魔女、という言葉がよく似合う。ナーサリーライム、童話の総体そのものがサーヴァントとして形を成したというファンタジックな真名に、彼女の佇まいは似合っている。気が、する。

 だから、どうしてわざわざ、トウマのことなど聞くのだろう、と思う。他者に関心など抱かないように見えるのに、何故だろう。

 ──微かな疑念。すぐにその疑念は別なものに転じて、クロは盛大に嘆息を吐いた。ごりごり、髪を結んだ裏側の後頭部を掻きむしる。不思議そうにこちらを見るアリスの視線を今は敢えてスルーし、クロはのっそりと立ち上がった。

 ソファ裏の窓を、開けた。スモッグの漂う空はどう見ても、気分が晴れるものではない。

 クロは、基本的に賢い人間だったし、サーヴァントとして召喚された今もそうだ。感情論とは別に、物事を冷静に判断する目と耳を持っている。自分の感情の推移を、冷静に見ることができる。

 随分、少年に肩入れしている。兄とは別なベクトルと深度で。しかも、自分の存在とは無関係に。

 うなじのすぐ後ろから、何か、不気味な何かが忍び寄る感触を覚えた。ぬるりとした感触の宵闇の温度は生暖かい。不快さは、あまり、感じない。

 眼下を見下ろす。地上2階のアパルトメントから見下ろす通りには、何人かが行きかっている。

 「早く帰ってこないかな」

 益もなく、言の葉に上せる。さわさわとうなじを擽る闇の感触をなすがままにしながら、クロは、舌先に残留していた言葉が胸郭に堕ちていく余韻に、身を委ねた。

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