fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅲ-12

 「あったあった、これだよ」

 リツカがリビングのテーブルの上に本を広げる。屋敷の天気は相変わらずで、リビングの古窓には、曇天をかき分けて届いた日光がちらちらと光っている。

 リツカが広げた古ぼけた本は、如何にも古書とでも言いたげな見た目だ。四隅が解けて茶色の内紙が顔を覗かせ、酷く擦り切れている。タイトルは『秘密を見守る者たち』。マシュが書斎で発見した本で、乱心しているとしか言えない妄言がびっしりと書き連ねている。基本的にリアリストなライネスにしてみれば、無知蒙昧を書き連ねただけの文章など論ずるに値しないのだが。

 「これ、そうでしょ。《遼丹》って書いてある」

 これ、と微妙に震えるリツカの指先を追う。気が触れているとしか思えない文章の中に、確かにその文言が目に入った。

 「偶然、と片付けるのは少々楽観的だろうね」

 眉を顰めながら、ライネスはソファに身体を押し付けた。何故か知らないが、ヘンリー・ジキルが集めていた本でも、気が触れている書籍には妙な圧迫感がある。背筋が熱湯で凍結するような、異様な感触。SANITYが削られるようで、妙な恐怖感が首すじを舐める。魔術師でない一般人であれば、あるいは発狂しかねない圧力だった。

 「《遼丹》に関する記述があった本は一冊。アメリカの大学にあった本のタイトルは、こんなタイトルの本じゃあなかった」

 淡々と口にするリツカ。彼女が、この本から感じる異様な感触を味わっているかはよくわからない。

 「基本、魔術協会の蔵書は、ある程度学術的意義があると見做されたものだけだからね。こんなもの、漏れて当然ではあるけど」

 「妄言が時に真理を指すということか」

 「真理かどうかはわからないけど。でも、何がしかのヒントになる可能性はあると思う」

 不愉快そうな表情で、リツカはぼろの本を睥睨していた。震える指同士を握り合わせながら、リツカは続けた。「世迷言を書き連ねた駄文が、本丸の可能性はある」

 「気が滅入るなぁ」

 「そう言わないで」

 ライネスは、如何にもやる気がないという顔をしてむしゃむしゃとプラチナブロンドの髪をかき回した。リツカもそんなことを言いながら、表情はハッキリ言って気楽さを感じる陰鬱さにまみれている。どことなく天衣無縫な印象の強いリツカだけれど、その出自は結構真っ当な魔術師だ。傍流も傍流ではあるが魔術師の家系に産まれ、魔術協会の総本山た時計塔で学を修めているのだ。直観的に、学術的なものとトンチキ文章とは区別して考えているのだろう。

 「ライネスちゃんはもっかい重要そうなものとそうじゃなさそうなもの、区別してもらっていい? 私、中身見るから」

 「りょーかい」

 早速、と本を開くリツカ。ぱらぱらと速読していく姿を横目に、ライネスは一度顔を手で撫でた。気分は乗らないが、いつまでもイヤイヤしているわけにもいかない。ごしごしと拭い落とすように顔を擦ってから、ライネスは重い動作で立ち上がった。

 奇書……もとい、幻想風小説をひとまとめにした山は、ちょうどブラウン管テレビのすぐ下にあった。テレビ横の花瓶に挿された青い薔薇が、網膜に鮮烈な像を彩った。

 重要そう、とは言うけれど、実際のところライネスにはどれも些末な本としか認識できないのが正直なところではある。どれもこれも、譫妄状態に陥った戯けが書きなぐったとしか言えないものばかりだ。邪神がどうだの、古い支配者がどうだの、とても正気で書いたとは思えない。ライネス・エルメロイ・アーチゾルテは、徹頭徹尾現実的な人間なのだ。

 さりとて。

 「これは別にいいか……これは」

 彼女は、学的思考なるものを真剣に考えてもいる。これは、彼女本来の気質とは少々ずれる。元々名家とは言え傍流も傍流の血筋なのだから、そう真剣に学を修めようと思ってきたわけではない。では何故に現在真剣かと言えば、一重に彼女お気に入りの“兄上”が所以である。義兄からこの旅を任されたのだから、大変気は進まないが全力でやってやろう、と意地悪くも健気に考えるライネスなのであった。

 「なぁリツカ、このカエル面の野郎の話はいいよな」

 「あー。別にいいんじゃないかなぁ。もう一回、これ読むか」

 ぽい、と書籍を1冊放り投げては、次の1冊に挑む。ソファに寝転がって怪書を眺めるリツカの表情も、正直言って胡乱な様子だ。時折、側頭部で結んだ髪を指先で弄ったりしながら、集中している様子だ。

 フジマルリツカ。トウマと違い、初期からカルデアの一員として参加していた魔術師の1人だ。途中時計塔に出向しつつも、主にレイシフト後の戦闘に関してアドバイザーとして参加している。ダ・ヴィンチや技術部のスタッフと共同で戦闘服の試験も行っている。少々……いや、かなり、だろうか……ぼーっとしているけれど、理性と良識を備えた、なるほど碩学たる人物であろう。トウマも最近、ようやくマスターたらんとする責任を自覚し始めているけれど、やはりまだまだ安心できる力量とは言い難い。

 既に大器として完成されているリツカに、今まさに成長を遂げんとしているトウマ。なんとなく楽しく感じるのは、義兄の影響だろうか。いや、兄ならば歯噛みするだろうか。

 本を開いては目次をめくり、期待外れだなと思っては閉じて放り投げる。お、と思ったらちょっと中身を検分する。そんな動作を、かれこれ20分ほど読んだところだった。

 ふと、ライネスの手は一冊の本の前で止まった。黒い表紙の、妙に分厚い書物。手を伸ばしかけ、一瞬手を止めた。何故? それは不明だ。だが、何かその襤褸の黒い本から、何事か奇怪な感触を覚えていた。

 本の山に積まれたままの状態で、恐る恐る本の表紙を注視する。タイトルはない。というより、タイトルは削られているらしい。表紙の一部、おそらくタイトルがあったと思しき場所は荒々しく削り取られており、茶色い台紙が剥き出しになっている。僅かに残った部分から読み取るに、何かの写し……要するに、写本らしいことは読み取れる。

 えいや、とライネスは手を伸ばした。分厚い表紙をめくると、むわ、と黴の混じった古い紙の乾いた臭気が漂った。

 目次を一瞥する。写本、というタイトルの通りというべきか、手書きの目次が3ページにわたって書き連ねてある。本のタイトル部分は、やはりと言うべきか、何か黒く塗りつぶされている。

 何がしかの、魔術書。目次を瞥見する限りの、ライネスの第一印象はそれだった。念のためぱらぱらとページをめくると、明らかにこれまでの妄言の陳述とは毛色が違うように感じられた。いや、内容は変わらないけれど、その文体が大きくことなるとでも言おうか。ただ妄言を執拗に書きなぐっただけの文面ではない。もっと体系的に、理性的に記述されている。中身はどうあれ、学術書として纏めようとしているように……見える。

 当たりを掴んだ。

 明滅するような直感に身震いしつつも、こういう時こそ冷静たれと己に言い聞かせている時だった。

 不意に、ソファに寝転がっていたリツカが勢いよく身体を起こした。ガバっ、という擬音語がそのまま聞こえてきそうなほどである。ぎょっとしたライネスをよそに、リツカは食い入るように本を注視しているらしかった。

 と、不意にリツカは本から目を離した。酷く顔を顰めたまま頭を押さえること10秒弱。大きくため息をはくと、ちら、とライネスを見た。

 「この記述、何か覚えがない?」

 これ、と差し出された本を、手に取った。

 

 “かの怪物は、自らの体液……これは原形質めいたもので、およそ地球の生物でこれに類するものは見つかっていない……によって、他の生物に対し、精神的に隷属させることを可能とする。あるいは、他の生物の特質を奪うことをも可能にする。その体液は、ともすれば濃緑色の膿か脳漿とでも言うべき粘性をもっている”

 

 もう一か所、とライネスが持った本のページを、リツカがめくる

 

 “かの怪物は、時空の狭間よりやってくる。それを我々は”角“と呼んでいる。奴らは角からやってくる……だが、それは角そのものではない。角こそ外なる世界と繋がる入り口なのだ。角そのものが問題なのではなく、その時空の入口こそが重要なのだ”

 

 本の表紙を、見やった。さっきの、『秘密を見守るものたち』とかいう陳腐なタイトルが、まざまざと網膜に焼き付いた。

 網膜の文字と、脳の奥に沈殿した情報がぶつかって、火花を散らして前頭葉で弾けたかのようだ。

 膿か脳漿。体液。ライネスは目視こそしていないが、それらの言葉から連想される粘性の液体は、ヘンリー・ジキルの家にあったものではなかったか。場所は、書斎と地下室に併せて2か所。

 そして、この時空の狭間という記述……さらに言うなら、この『外なる世界』という物言い。モリアーティとダ・ヴィンチが調べ始めているらしい、あの人狼の空間転移の正体と何か重なるところはないか?

 リツカと顔を見合わせる。無論、彼女も同じことを考えているに違いない。

 今まで獣の爪、という根拠しかなかったが、さらにあの獣がジキルを殺害したと考えられる根拠が現れた。しかも、場合によってはその正体にすら迫り得る可能性すらも。

 無論、2人とも慎重だった。まだあの人狼とこの書物に出てくる怪物が同一のものである、と見做せるほど考え知らずでもない。根拠が増えたとは言え、それはまだ間接的な状況証拠に近しい。

 だが、他方、2人とも漠然とだか直観し始めている。この獣の同定に際して、直接的な証拠など出てくることは恐らくない。あるのはただ蓋然性の高さのみで、如何にその蓋然性を高めるか、という点に尽きるのではないか。

 「しかし」リツカは眉間に皺を寄せながら、またソファに寝転がった。「怪物、としか言われてないと何とも言い難いね」

 「ライブラリのデータは?」

 「さっき依頼した」同じ姿勢のまま、リツカが言う。「あんまり期待してないけど」

 相変わらず手早い。感心しつつ、ライネスも「実は」と続けた。

 「この本、どうやら“神様図鑑”らしいよ」

 重々し気に、先ほどの写本を手に取る。へえ、と本から顔を出すと、リツカは興味深げにその本を眺める。

 「ごっこ遊びで作った神様の一覧表も載っているだ」

 幾分か揶揄的に言いながら、ライネスはリツカへとその本を投げ渡した。上手くキャッチすると、リツカは寝そべったまま本を開いた。

 「図鑑というとあれだがね」

 一応、補足。一覧表だけれど、写真はもちろん挿絵のようなものもないので、図鑑と言う物言いは不適当かなと思った。

 とは言え、些末事らしい。一旦先ほどまで読んでいた本を閉じてテーブルの上にぶん投げると、リツカは分厚い本を寝転がったまま眺め始めた。

 重要書の中味の検分は、あくまでリツカの仕事だ。わき目で彼女が不機嫌そうに文章を見やるのを瞥見しながら、ライネスは今一度山積みになった本に手を伸ばした。

 「千の貌を持つ──」

 リツカの独語が、耳朶を打つ。

 何故だろう。彼女が言わんとする言葉が、酷く闡明に、耳朶を打つ。

 耳朶を吐いた言語は何故か脳髄まで達すると言語野では黒く蟠っただけで、代わりに、視覚野で励起する。本来眼球から視神経を徹って脳みそに辿り着くことでイメージを描くはずの神経回路が逆流して、脳みそから這いずったその電気信号が視神経をのたうち、網膜に内側から像を結んだ……ような錯覚が、思わず惹起した。

 そうして浮かんだ姿、は。

 「──月」

 なんでか、不機嫌そうな義兄の顔だった。

 

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