fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅳ-1 ”こんな子見た?”

 「ん?」

 ジェームズ・モリアーティはその時、少々優雅な時間を送っていた。

 時間は15時。アリスの維持する固有結界の中も、珍しく雨が降っている。しとしと、と霧の中から触れやる爽やかな露雨といったように窓を擽る水音は、どことなく聞き心地が良い。スモッグが立ち込めるロンドンの雨の汚らしさとは、まるで比較にもならないだろう。

 慎ましやかな自然の音色の中、自室で一人、女王陛下が淹れてくれた紅茶とスコーンを嗜む。贅沢な時間である。牧歌的な自然主義者でもないモリアーティであっても、気分が良くなる気がしてくる。そんな中での、通信端末からのコールだった。

 ちょっとだけ気を損ねながらも、モリアーティはまず紅茶を飲むのに専念した。プリセットされたコールの音からして、優先度は高いが緊喫の連絡でないことは了承していたからだ。連絡がきてからたっぷり30分。ティーポットの残りも飲み干し、スコーンも全て平らげると、やっとのことでテーブルの端に追いやっていた通信端末に手を伸ばした。スイッチを押し映像を空中投影。青白い画面が浮かび上がってから、その文字情報を眺めた。

 送信者はトウマだ。件名を一瞥してから、モリアーティは少々腰を浮かせた。

 口ひげを撫でながら、モリアーティは少々読みにくい文章に目を通していく。時折思考を巡らせるように背もたれに身を預けては、思考を取り纏め終えると再度身を乗り出し、文面を読み込んでいく。

 文面の内容は、大まかに要約すれば、あの人狼の空間転移の条件に関する考察である。まだ考察の段階に過ぎない、と前提を置きつつも、その文面には何やら確信めいたものを感じる。

 モリアーティは、学術に携わるものとして、こうしたときにおおむね慎重論に立つ。調子が良い時ほど、人は勇み足になりやすい。だからこそ慎重に、己の論点に何か齟齬が無いか気に掛けるものだ。それ故に、モリアーティはもろ手での賞賛はしなかった。だが、それは立場上のものだって、彼の個人的主観的な体験とはまた別な話だ。つまるところ、モリアーティは興味深くトウマのアイディアを一読し、価値があると判断し、その上で手抜かりがないか思案したのである

 思案しながら、彼はアトラス院のそれを思わせるように、思考を分割し、並列思考をはじめていく。立ち上がり、恐々した老体をゆっくりと伸ばした後、部屋を出た。

 「おぉい、ライネス君、リツカ君」

 大声をあげながら、モリアーティは階段を降りていく。がたがた、と1Fで何やら音がしているのは、多分部屋を片付けているのだろう。

 「どうかしたかな、モリアーティ教授」

 階段を降りて1Fホールに立ったところで、ちょうどライネスがリビングから顔を出していた。

 「後でそちらにデータを送るから目を通しておいてくれないかな? ちょっと面白いものがある」

 ライネスは何それ、とでも言いたげな、胡乱な顔をした。いや、実際は少々異なる。ライネスが胡散臭いものを見る目を浮かべたのは、何せモリアーティのその表情のせいだろう。

 ジェームズ・モリアーティは、無邪気な顔をしていたのである。学者にして往々にしてありがちな、知悉に極めて富んだ稚児めいた顔をしていたのである。犯罪皇帝だなんだと言われているが、モリアーティは、何よりもまず人智の及ぶところに到達することこそ最も興味がある事柄なのだから。

 

 

 「つまり、宝具の発動が空間跳躍の条件になっている……と」

 聞き返してきたマシュに対し、トウマは全く以て自信はなかったが、自信あるように振る舞った。大きく、頷いたのである。

 宝具発動を起動キーとして、あの人狼は空間跳躍を行っている。それが、トウマが思い至った結論であった。

 何か、論理的思考によってそこに至ったわけではない。ただ、映像を鑑みるにそう推論できる……という、だけの話ではある。それに、実際のところこの仮説には強力な反証が1つある。確固とした主張というには、まだほど遠い観測結果だ。

 「確かに、一見宝具を躱すために空間跳躍しているようには見えますけどね」

 「その逆、というわけですね」

 ソファの背後に立ちながら、玉藻の前が言う。2人がけのソファに3人……アリスにマシュ、クロ……がぎゅうぎゅうに座っているせいで、玉藻の前とトウマはソファの後ろに立ってテーブルの上に30インチほどの映像を見ている、というなんとも窮屈な状態だ。

 テーブルの上に空中投影された映像には、最初の遭遇戦が流れていた。ちょうど、クロがアロンダイトの真名解放を行い、そうしてあの人狼が跡形もなく掻き消えるという瞬間だ。

 これが、仮説を支える論拠の1つだ。そしてあと2つ。内1つは、同じくこの遭遇戦の折、坂田金時が放った『黄金衝撃(ゴールデンスパーク)』の回避。そしてもう1つが、2回目の戦闘の折、影なるセイバーが放ったあの剣の真名解放に併せての出現だ。

 特に注目に値するのは、3番目の事例だろう。前者2つと異なり、こちらは回避ではなく出現したという事例だ。しかも真名解放のタイミングでの出現、という一見非合理な所作も、トウマの仮説ならば説明がつく。前者2つだけから導ける妥当な結論……『真名解放という危険を回避するために転移を行っている』という結論だけでは、3つ目の行動は理解し難いのである。あの強大なセイバーを前に、しかも場合によってカルデアの戦力との挟撃されかねない状況で姿を現すのは、とても非合理的だ。

 「もしこれが本当なら、こちらで戦域設定しやすいわ」

 「モリアーティ教授の件もあるしね。戦いやすくなると思う」

 クロの言う通りだ。宝具の真名解放が条件だとするならば、こちらで条件を満たす自由度は極めて高いと言えよう。戦いにおいて重要なのは、如何にこちらが有利な条件で戦闘を始めるか、だ。どれほど強力な性能を持っていたとしても、その性能が発揮出来なかったり、弱点を突かれれたりすれば、たちまち敗北するものだ。

 しかも、どうやらトウマを狙っているらしい、という条件も重なれば、こちらの理想的な時間で、しかもかなり高い精度で出現ポイントを絞り込める。且つ、真名解放さえしなければ、あの敵は空間跳躍による回避行動はとれないのなら、戦闘も有意に進められるだろう。

 戦術・戦略両レベルにおいて、あの人狼相手に優位を得たといって差し支えないのだ。

 「でも、まだ正しいと決まったわけじゃない」

 極めて平静に、ともすれば冷淡さすら感じる口ぶりで、アリスが言う。彼女の言う通り、あの人狼相手に優位であることが、確定したわけではないのだ。あくまで、トウマの推論が正しい場合での話だ。現状はまだ仮説にすぎず、しかもこの仮説ではうまく説明できない事例、即ち反証事例が1つある。

 だから、トウマもアリスの声に、素直に頷いた。彼の脳裏にあるのは、その反証事例たる1つだ。

 何はともあれ、この特異点にレイシフトした直後の襲撃だ。宝具の発動すらなく、加えて言うなら何かトリガーらしき特別な行動もなく、あの獣は空間跳躍をしてきた。その上で、まずトウマを狙ったのである。宝具が空間跳躍の発動トリガー、というトウマの仮説では、一切説明できない事象だった。

 さらにそもそも論になるが、宝具の真名解放が空間跳躍のトリガーになっている、という推論も、そのバックボーンにある原理は全く不明としか言いようがない。何故その両者が結びつくのかは、一切不明だ。

 とは言え、その事象の背後にある原理の説明は、トウマの手に余る仕事であるし、また彼の請け負う仕事でもなかった。高度な知的作業を担うのは、今まさに幻想の館で頭脳を働かせる3人の仕事なのだから。

 これから、トウマの出した結論の是非はモリアーティたちが策定することだろう。後は、その結果を待つだけだ。動画の分析の仕事は、一旦終わりというわけだ。安堵がないわけではない。トウマはまだ16歳の少年で、戦いの経験自体も決して豊かとはいえない。そんな彼にとって、何事か貢献するというのは、結構嬉しいことだ。たとえばそれは、尊敬する両親に人格を褒められた時などに似ているだろうか。軽妙な高揚感……ふわふわと浮ついた気分が、否が応もなくトウマの心境を捉えていた。

 常人であれば、至って自然な感情の惹起であろう。自尊の感情が涵養されるのは、誰しも気分が良いものである。欠片とてナルシシズムを持たない人間が、果たして存在し得ようか。まして、その本性が凡夫に過ぎない少年とあればなおのことであろう。だが同時に、トウマは自分の陳腐さについては無自覚だが、客観的至らなさについては自覚的だった。浮ついた気分になりながらも、その浮つき以上に自分の狭量を理解していた。だからこそ、トウマは目の前の小さな自分の功績を手慰みのように内心で弄びながらも、かの人狼を打倒し得る戦術の考案に、早くも思考を傾きかけていた。幾分かの勇み足ではあったが。

 敵は自分(ないし、戦力的弱者)を狙っていること。出現ポイントが限定しやすいこと。宝具の真名解放は打撃として有効ではないこと。それらを全て綜合するならば……。

 あまり冴えているとは言えない頭脳を働かせながら、トウマは、干将莫耶に脇腹を裂かれる人狼の姿を、眼底に焼き付けていた。

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