fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

190 / 243
Ⅳ-3

 2日後、早朝。

 トウマは、この日誰よりも早く目を覚ました。

 AM3:42:21。

 ひとまず、冷たい感触に身体を震わせる。今日も雨だ、と直観的に理解する。いそいそと厚手の毛布をどけて上体を起こし、ベッドが設置された壁際の古ぼけた窓から、外を除く。こつんこつん、間断なくガラスを雨粒が叩き、しじまの騒めきを細波のように痙攣させている。曇りのあるガラスの向こうでは、分厚い黒雲がのっぺりと沈殿しているようだった。果たして暗いのは、まだ日が昇っていないからなのか、それともこの重厚たる雲のせいなのか。それとも、何か主観的な焦燥が、物理的な暗さ以上に世界を陰鬱に見せているのか。トウマには、判断しきれない。

 今日が、あの()()の日だ。こちらでもモニターを行うが、現地に参加するメンバーは主に4人になる。あのリツカなら不測の事態に陥るとも思えないが、それでも不安を惹起させるのは、自分が未熟だからだろうか。全身の肌を淡く擽るような、やきもきとした焦燥が、どうにもあくせくとした窮屈さを感じさせる。

 「今日も、生きてる」

 ぼそり、独白する。霊子情報体として装備する強化戦闘服が、トウマのバイタルデータを視野投影映像に表示している。体調は万全。血圧体温に異常はなく、酸素飽和度にも問題ない。幾分か心拍数が早いのは、彼の心配がより科学的に集計できる現れとなっている、ということか。

朝のミーティングまで、時間はまだ十分にある。まだ寝ていても良い時間だが、自然と、目が覚めてしまっていた。普段なら気ままに散歩などするのだが、こう雨ではどうにもならない。そもそも、今の彼に、独りで動いて良い権限はない。

一度ベッドに横になって、十数分。しばし悩んでから、トウマはそろそろとベッドから這い出した。喉が渇いたな、と思った。ソファでは、クロと玉藻の前が薄い毛布に包まって、座ったまま寝ていた。忍び足で入り口まで行くと、ぎぎ、と軋みをたてる音を苦心しながら開けた。

 廊下を挟んで、向かいがもう一室だ。主にリビングとして設計された部屋である。ここを通らないと、キッチンに行けない。やはり慎重にドアをあけると、隙間から、暖色の灯が硬く漏れた。

 広さにすると8畳ほど。L字型に配置されたソファの内、大きい方のソファに横になっているのは、マシュだろうか。であれば、丁度ドアに背を向けるように配置されたソファから覗く頭は、多分、アリスのものだ。灯は、アリスの丁度右斜め上にぼんやりと浮かぶ丸い光源から広がっている。プロイキッシャー、という使い魔の一種だろうか。光そのものが丸く宙に浮かんでいる、という絵は、妖精か何かが戯れているかのようだ。

 彼女は寝ている。こくこく、と頭を前後に動かす様を見れば、多分そうだ。ここでも抜き足差し足で部屋を横切っていく。

 ソファを横切る際、トウマは行けないことだと思いつつも、アリスの横顔を伺った。

 あ、と思った。彼女は、ただうたた寝をしていたわけではなかったらしい。寝ていることは寝ているけれど、テーブルの上に、慎重に置かれたそれは、彼もよく見覚えのあるものだった。

 黄金の剣(カリバーン)

 淡い光を受けているせいか、何か秘めやかに煌めく選定の剣。あの時、“ショバ代”として慎ましやかな太々(ふてぶて)しさとともに受領していった剣である。

 その前には、何やら本が開いたまま置いてある。魔導書、というよりは、現代の文庫本のような外見だ。

 食い入るように彼女の横顔を眺めてから、トウマは足早にキッチンへと向かう。

 19世紀末のロンドンのキッチンコンロは基本的にあこぎなもので、ガスはほとんど出ない癖に、一定時間すると強制終了し、継続してガスを出すには、手近なコイン入れに硬貨を入れなければならない、という始末である。加えて衛生的に全く安全でない水道水。そんなこんなで、普段から玉藻の前はウエストエンドに出向いては綺麗な水を調達してきて、自らの魔術で火を熾してはカルデアから移送された保温ポッドにお湯を貯めている。その内の一つを開けてから、トウマは棚から湯飲みを3つばかり取り出して、リビングへと戻った。

 湯飲みにそれぞれティーパックを入れてから、お湯を注いでいく。茶の入れ方などとんと知らないので、おおよそなんとなくだ。緩やかな湯気がふわりと沸き立つこと3つ。盆に乗せた湯飲み3つをテーブルの上に並べてから、トウマはそろそろと床に正座した。

 「あつ」

 もうもうと湯気を立てる湯飲みに口をつける。漠と思考停止しながら、トウマは膝を伸ばして、湯飲み2つをアリスとマシュの前に置いた。身を乗り出して湯飲みを置きながら、なんとなく、トウマは開いた本のページを、ちょっとだけ見た。アリスはおおよそ魔術師がそうであるように秘密主義者で、彼女自身が利益関係ありと見做した人物にしか、魔術に関する何某かのアドバイスなどしない。まして魔導書など、トウマの如き人物に披歴することは有り得まい。万が一、盗み見などがバレたら極刑ものである。そうしてトウマは、まだ純粋な魔術師というものに出会ってはいないのだ。それでもちょっとだけ見ちゃう、という程度に留めたのは、トウマの良心が一応はあったが故であろうか。

 幼稚な好奇心と軽率な良識の中、トウマが目にしたのは、けれど予想とずれた文面だった。何事か魔導に関する書物と思われたそれに書かれていたものは、それとは異なるものだった。

 

 “One, two One, two! And through and through The vorpal blade went……”

 

 一瞬だけ目に入ったそのセンテンスは、格式ばったものというよりか、踊るように軽妙なもののように見えた。何故そう感じたかまでは不明だったが。

 果たして、トウマが見たのはそれだけだった。やはり彼は、おおむね理性と良識を備えていた。それ以上は人道に反する、と理解して、彼はせっせと座り直した。

──現時刻、AM4:01:23

 窓を叩く雨音は変わりなく、鈍い音を響かせている。かたかた、と揺れるのは、風のせいだろう。ひょうひょうと壁から闖入する隙間風が、首元を擽る。思い出したように湯飲みを手に取ると、トウマは湯気だったそれを口にした。熱い。渋みが強く、爽やかさが空しいほどに削がれた、安物のお茶の味だった。旨かった。

 マシュは、まだソファで横になっている。厚手の毛布に包まって、すやすや、と慎ましくも可愛らしい寝息を立てている。アリスも、変わらない。前後左右、ふわんふわんと頭を揺らす彼女は、ヒュプノスの囁きに身を委ねたままだ。それとも、幻想的な子守唄だろうか。

 2人の前のテーブルの上に置かれた湯飲みは、まだ湯気を立てている。ただただ白く闇暗に筋を引いている様は、虚しくもあり、また細やかでもある。トウマはじい、と虚空に飲まれて消えていく行方を追いながら、ちびりちびりと安物の茶を散財した。温和に照らすアリスの灯が暖かく感じるのは、気のせいだろうか。気のせいだろう。身体が温まってきたように感じるのは、熱い茶を飲んでいるからだ。

 喧噪な無の静寂(しじま)を耳朶に打ちながら、トウマはただ、闇の中で茶を飲んでいた。暗いせいでどす黒く見えるそれを、ちびり、ちびり、と口腔内に含む。もう、舌が焼けるほどの熱さではない。

 前髪をかき回した。寝起きのせいで、普段以上に癖のついた髪が指先に執拗に絡まる。なおのこと髪をかき回す仕草は、果たして自分の思考をかき混ぜるようなものだったのか、それとも振り落とすためのものだったのか。さながら一角獣の如くに屹立するまで前髪をくしゃくしゃにすると、トウマはようやっと、擡げてきた眠気を感じた。後頭部の裏側。後頭葉から小脳、ないしその奥の脳幹をオリーブ油でも浸したかのような、軽やかに鈍い眠気だ。まだ温かい湯飲みを手に持ちながら、トウマは声もなくあくびをした。呑気だなあ、と思いながら、彼は弛緩した思考のまま、淡い仄光を網膜に受容する。すぐ背後に迫った暖かな闇黒に身を委ねるように、トウマは眠りに墜落していった。

 

 ※

 

 クロが目を覚ました時、まずもって目が向いたのは、空になったベッドだった。一瞬、早鐘のように心臓が波打つのを感じつつも、すぐに小さく息を吐いた。視野投影された映像データには、トウマのものを示すバイタルデータがパスを通じたローカルデータリンクで表示されている。マップを呼び出せば、リビングに彼を示すブリップが灯っていた。

 現時刻、AM4:22:34

 ちら、と珍しく隣で寝ている玉藻の前を伺う。「ご主人様……ワンモア、ワンモアプリーズ……」鼻提灯を膨らませてむにゃむにゃと寝言を宣っておいでだ。もう少しでひょこひょこ、と蠢く尻尾に包まれているのは大変居心地がいいのだが、外へ出ることとする。一度だけ尻尾を撫でてから、クロはベッドの壁際の窓を、見やる。こんこん、と打つのは雨音か。なら、小さく揺らすのは風だろう。灰色の雲から降りしきる雨は、そう強くはない。ロンドンに降りしきるいつもの雨だが、あと小一時間もすれば止みそうだ。雨雲も、黒雲というよりは灰色だ。とは言え、ちょっと寒い。手早く薄手のサマーカーディガンを投影してタンクトップの上から羽織ると、リビングへと向かった。

 まだ全員寝ているだろう、という予測に従い、音もなく歩いていく。フローリングの詰めたい感触が素足の裏を引っかく。

 果たして、トウマはリビングでうたた寝をしていた。ぼんやりと空中に浮かんだ光源は、アリスのプロイの1つか。淡い灯に照らされて、床に座り込んだトウマは項垂れながら、鼾を鳴らしていた。

 「おはよう」

 テーブルの傍に寄った時、不意に耳朶を打った声にぎょっとした。声の方を向くと、無表情に押し黙ったアリスが、こちらを見ていた。

 「雨」

 押し黙り気味なのは、眠いからだ、と今更に気づく。鉄面皮のような表情に見えるが、明かりに照らされた顔をよく見ると、瞼がいつもよりも重たげだ。

 「早いわね」

 こくん、とアリスは頷いた。どこか不平不満を感じさせるように、口元が結んである。じい、と眉間に皺を寄せる視線の先には、毛布を被ったトウマが鼾をかいて眠りこけている。目の前のテーブルに置いてあるのは、アリスの屋敷から持ちこんだ湯飲みだろうか。それとなく中を覗き込むと、1/3ほどがまだ残っている。どうやら、すっかり冷めているらしい。というか、よく見るとアリスと、それとソファで寝ているマシュの前にも、それぞれ湯飲みが置いてある。マシュのものは当然残っているし、アリスのものもまだ手を付けた様子はない。

 ちょっと、申し訳なさげにアリスに瞥見を渡した。彼女は“特に気にしない”とでも言うように、無表情のまま首を横に振った。

 「何してたの?」くい、とトウマの方を顎でしゃくる。さあ、とアリスは小さく肩を竦めて応えた。

 大方、眠れずに目を覚まして手持無沙汰になった結果、一服しようとして眠落ちた、というところか。呆れにも似た淡い情動が凝るのを感じて、クロは癖のある……というか癖が酷い髪を、微かに撫でた。なんかユニコーンみたいになっている。

 「優しいのね」無音が、耳朶を打った。続く言葉もあったらしいが、それはアリスの口唇を震わせて外へ出ることはなく、口腔内で消化されたらしい。クロは、少し半身を翻して、アリスを見た。どこか漠とするアリスは、多分自分で口にしたことにも気づいていない様子だ。独語だったのか、それとも独白だったのだろうか。なんとなく決まり悪くなったクロは、視線を逸らした。

 「ねえ」

 口にしてから、しまったな、とちょっと思った。何か話さなければ、と気を揉んだのだが、クロとアリスの接点は、おおむね微小にしかない。何、と伺うような視線が向くのを背で感じながら、何か話す話題に気を伸ばした、その時だった。

 咄嗟、クロは1F玄関口の方に鋭い一瞥を投げた。リビングとダイニングの間の廊下から顔を出し、すぐ直下の階段から玄関口の方を見下ろす。微かに眉間に皺をよせてから、クロは視線だけをアリスに渡した。彼女も、もう寝ぼけた様子はなく、犀利な眼差しに戻っている。

 ──投影、開始(トレース・オン)

 右の掌に、手馴染みになった変哲もない大型の近接戦闘用短刀(バヨネット)を投影させる。そして、もう一つ。細長く、尖端が二股に分かれた“得物”を投影すると、ナイフは逆手に構えたまま、音もたてずに階段を降りていく。

 残り、4段ほどになったところで、クロは足を止めた。耳を研ぎ澄ませる。【千里眼】のスキルは、ただ視覚情報が極端に向上したものではない。その他雑多な感覚を。視覚という感覚器官で綜合することで、“視る”ことに多様な性能を持たせるのが、【千里眼】の本質だった。要するに、クロは玄関越しに、外の気配を視野で追っていた。

 誰もいない。おおよそあたりをつけながらも、クロは慎重だった。さらに2段ほど降りてから、クロは投影したもう一方の得物……酷くチャチなマジックハンドを投影した。多分、100円均一ショップで売っているような。彼女の元になった英霊の投影魔術は、刀剣類に限り宝具の投影すら可能とする一方で、それ以外のものを投影することに関しては不得手である。構造物が複雑であればあるほど劣化するのだが、この程度のものであれば造作もない。

 階段上でこちらを伺うアリスから胡乱な視線を感じつつも、クロはえいや、と左手に握ったそれを、玄関口の床へと伸ばした。

 狙いは、玄関の隙間から差し込まれた、紙片だった。白い封書を巧いこと掴むと、ひょい、と持ち上げる。

 宛先はもちろん、宛名もない。封蝋も、なんの印もないスタンプで押されているらしい。ただ、一文だけ、走り書きのような文字が端に滑っている。

 黒いインクで書かれた文字を見るなり、クロは足を踏み込んだ。そのまま玄関口まで足早に駆け降り、玄関をあけ放つ。ざあ、と降りしきる雨が頬を打ち、浚うように蠢いた風が前髪を浮き上がらせた。

 ぽつぽつ、と黒ずんだ人影だけが、広場を彷徨っている。そう遠く離れていないはずだが、それらしい人物は見当たらない。雨音が、遠く、遠雷のように空に凝っている。

 漠と佇むこと十数秒。踵を返したクロは玄関に入ると、再び、封書に奔る射干玉(ぬばたま)色のテキストに視線を落した。

 

 “Diamond is Unbreakable”

 

 「──奇妙な?」

 「違うと思う」

 背後から覗き込むアリスにツッコミを入れていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。