fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
PM13:55
ジェームズ・モリアーティは、普段と変わらぬ様子で椅子に座っていた。犀利を感じる落ち着いた表情、物静かに事物を観察する眼差し。時折、手慰みのように口ひげに触れる仕草は、健やかに熟成した老人という感を覚えさせる。とは言え、その眼差しに潜む怜悧さは、善的なものを求めるというよりかは、澄むような悪逆に耽るかのようだ。
(こちらカルデア)デスクの上の通信端末から、声が漏れる。空中投影されたディスプレイの1つに、長い髪を1つ結びにした頼りなさげな青年が映っている。(みんな、モニターできているかい)
できてるわよ、と応えた1つは、今イーストエンドにいる班だ。画面には、狐耳をひょこひょこと動かすキャスターと、手をひらひらとふるアーチャーが映っている。もう1つはダ・ヴィンチのものだ。できてるよ、と言いながら、彼?は何か忙しなく作業をしているらしい。
「こっちも問題ないヨ」
頬杖をついたまま、モリアーティは応えた。それなりに計器の触り方は覚えたものだ。
それにしても、演技が下手だな、と思った。この男……カルデアの臨時責任者を担っている、ロマニ・アーキマンのことだ。あまり特異点の現場に関わることがないので馴染みは薄いが、印象は変わらない。端的に言って、チキンだ。温和なふりをしているが、そそくさと手元を見回しては弄りまわしている様は、明らかに目前に迫った出来事におっかなびっくりしている兆候だ。元から、責任者などという器の人間ではないのだろう。
まぁ、いつでも最適な人員が配置できるとは限らないのが、人の世の常なることだ。代わりに、現場の責任を担うダ・ヴィンチやマスターのリツカが泰然と物事を構えていることで釣りあいが取れているならば、まぁ問題はないというところだろう。
(SS、こちらカルデア。そちらの準備は)
(特に問題ないよ。いつでも大丈夫)
(了解。じゃあみんな、気を付けていこう)
最後に荘重たる雰囲気で締めくくると、ロマニはむんずと口を結んだ。明らかに、力が入っている。なまじっか、他の人々が手慣れている雰囲気なだけに。
モリアーティは、頬杖をついたまま、人差し指で頬骨を叩いた。こつんこつん、と質朴なリズムで打ちながら、内心に感じていたのは───愉悦のようなものだった。元来数学者であり、ある程度物理学を嗜んでいるモリアーティにとって、“実験”というのはあまり慣れない操作だ。要するに、彼の専門外の出来事なのである。そうして、彼は新しいことに何やら挑戦するのが、愉しみであった。
「さて」
こつんこつん。ほんのコンマセカンドほど、リズムが早くなっている。早まったのは無自覚だが、早まった事実そのものに対しては自覚的だった。
「半と出るか長と出るか」
※
同時刻
PM13:55
イーストエンド、ホワイトチャペルの名前は、その名の如く教会に由来する。ホワイトチャペル・ハイストリート先の広場に、こじんまりとしながらも、粛然且つ厳然と佇む小さな教会。ずらりと連なるハイストリートの端、古ぼけた喫茶店の窓から教会を眺めつつ、トウマは、紅茶とは名ばかりの、濃縮尿色のぬるま湯を口にした。
「心配?」
ストリートに面する窓際のカウンター席。トウマの右手、入り口側に座るマシュは、無言のまま、複雑そうに困った笑みを浮かべた。
”実験”まで、あと5分。本格的な戦闘ではないにせよ、敵と相まみえることに相違はない。
「心配はしていませんよ、先輩のことですから。たとえどんな敵だったとしても、先輩は負けません」
マシュにしてはしっかりと、且つきっぱりと断言した。リツカに対する彼女の信頼感は、曇りなく、且つ清廉すら感じさせる。マスター選抜チームに先んじて……というより、試験を兼ねてマスターの運用試験に従事していたリツカは、デミ・サーヴァントの試験個体として完成していたマシュとは古い関係だ。クロやライネス、トウマもリツカに対する信頼は強いけれど、マシュのそれは、強いだけでなく、しなやかな信頼関係だ。
であればこそ、彼女はことこの時に、リツカの傍らに居られないことをもどかしく思っている……というところだろうか。しずしずと窓辺から外を眺めるマシュは、なんだか萎れて見える。
羨ましい、と思うのは、多分、己の未熟の裏返しか。異様に硬いパンにかじりつきながら、トウマは日本人形みたいな風合いのマシュの横顔を一瞥する。それこそ、リツカとマシュの関係性は年単位のものだ。出会って精々が半年でしかないクロとトウマの関係性は、過去よりも、未来に多くのものを負っているものであろう。半ば自虐的な自己反省をしつつも、陰湿さの薄い、トウマの反省だった。
……それにしても、硬いパンである。嚙み切るのも難儀であれば、咀嚼するのも難儀である。顎の疲労感が、半端ではない。
「タチバナ先輩、これはこうやって食べるものなのですよ」
にこりと笑みを浮かべると、マシュは皿から石のように硬いパンを手に取ると、大口をあけてかじりついた。トウマの認識の範囲内で、マシュは結構美少女の範疇にある。サメ映画のサメみたいに大口を開けても美少女として破綻しないのが、中々スゴイ。むしゃあ、とパンを食い千切る、猛虎か獅子じみた動作まで様になっている。むしゃ、むしゃ、と頬張りながら、マシュは決して美味いとは言えない1パイントの紅茶が入ったポットからカップに注ぐと、ぐい、とはしたなく呷った。口腔内でパンを紅茶でふやかすと、こくん、とマシュの喉元が嚥下動作を知らせるように上下した。
普段、アリスとティータイムを過ごすマシュの仕草とは、全く様相を異にする。マナーもへったくれもないが、この場ではこの振舞こそが自然なのであろう。それにしても、この場末の街……窓から見えるハイストリートでは、今まさに女性の浮浪者たちが聞き苦しい罵詈雑言を浴びせ合っており、店内でも卑猥な言葉が行きかっている……だというのに、マシュの存在は妙にここに馴染んでいる。いや、馴染んでいる、というわけではないだろうか。妙な、混じり合い方だ。
試しに、トウマも同じようにしてみる。口腔内に紅茶を注ぎ、唾液全てを略取してなお頑健なパンをふやかしていく。柔らかくなったタイミングが食べ時で、そうなるまで、ひたすら口の中でもごもごさせていく──。
一向にこない。そもそも、あまり美味しくないもの同士を掛け合わせているせいか、正直口の中は無残なことになっている。口一杯にしながら、マシュに困惑めいた視線を送ると、マシュもマシュでまだ口をもごもごさせていた。要するに、そもそも、このロンドンの場末の喫茶店で、美味しいものを食べようという考えそのものが、傲岸な発想なのだろう。
「これでも美味しいほうですよ」
嚥下したマシュの弁である。相変わらず、トウマは嚥下どころか口の中のブツを咀嚼すらできていなかった。
黙々と食べながら……というより、黙々せざるを得ない……、トウマは、特別何か気にする素振りもなくパンを食べて紅茶を飲み、付け合わせのハムとチーズを食べるマシュの横顔を、まじまじと見つめた。
何か違う。窓からストリートを眺めるマシュのかんばせは、何か、普段と違う。影が差しているようでもあるが、だからといって陰鬱が彼女に憑りついているというわけでもない。物憂げな泥濘に沈みながらも、すっくと伸ばした手が空を求めて宙をかくような……何故か、そんな具象が脳裏を過った。
なんとなく、マシュの視線の先を追った。
浮浪者がいる。襤褸の仕事着姿の男がいる。やつれた女たちが地面にしゃがみ込んで、何やら話し合っている。まるで子猿のような子供たちが、奇怪な踊りを踊っている老女と一緒に踊っている……。
不意に、そのマシュの表情が動いた。サッと、トウマへとするどく視線を向ける。ぎょっとしつつも、その意味はよくわかった。
トウマの隣の席に、黒ずくめの男が座り込んだ。まじまじと伺うことはせず、気にしない素振りのまま、ちょっとだけ、視線で伺いかける。
黒いコート姿の、まだ若い男だった。癖のあるらしい髪は、脱色したような白だった。擦り切れたコートのせいもあってか、何か酷くやつれている印象を感じさせる。コートから覗く十字模様を見るに、教会の人間らしい、と伺い知れた。
この男だ。直感的に理解して、トウマは動悸が早まるのを感じた。何か声をかけようと逸る気持ちを抑えつつ、トウマは知らんぷりしながら、パンをようやっと嚥下した。
「んぐっ」
……詰まらせた。何せ、内心焦る気持ちを抑えようとしただけに、体の動きがちぐはぐになってしまっていた。慌てたのはトウマもだが、マシュもである。トウマのカップをわたしかけたが、なんと空。なおのこと慌ててポッドに手を伸ばしたところで、彼女は取っ手を取り違えた。すっぽ抜けたポッドの内容物、残り1/2パイントほどの紅茶が宙を舞うや、
「あっ!」
「げ」
「……」
びしゃ。
黒コートの男の顔面にぶっかかることと相成ってしまった。
双方、しばし沈黙した。あまりに凄惨な出来事に誤嚥したパンを飲み込んでしまったトウマは、とりあえず顔を青くするマシュの肩に手を置きながら、彼女以上に青い顔で隣の男を見やった。
怒っている。絶対に怒っている。ぽたぽたと長い癖毛から、水滴が垂れている。ぷるぷると震える肩は、もう見ていられなかった。
「すみませんあの……そうだこれを」
慌てて腰のウエストポーチからハンドタオルを取り出したところで、男がくつくつと笑い声を漏らした。きょとんとするマシュに対し、未だ顔を青くして事態を飲み込めていないトウマを、男がじろりと見やった。
「いやはや。遠き異郷の地の挨拶は随分刺激的だ」
男が、表情に嗤笑を浮かべる。身なりこそ綺麗とは言い難いが、精悍で奸智を感じさせる獰猛そうな表情は、男がこの街の繊弱な精神と身体の住人たちとは一線を画する。
だが何故だろう。男の面持ちは、何か、既視感があった。間違いなく男の顔は、この時初めて見たというのに。
「俺を呼んだのは貴殿らだな?」
乱暴さを感じる口調だというのに、その物言いには、何か精神的な落ち着きを感じさせる。それでいて、やはり顔を覗かせる鋭い眼光。決して敵意がないにも関わらず、その鋭利さは、何か身を竦ませるものがあった。
はい、と応えて名前を言いかけたところで、男は掣肘するように手を挙げた。タオルで顔を拭きながら、男は首を横に振った。
「名前はいい。名はその存在を指示する。下手に人に教えれば、お前の足跡を伝えることになる」
助かった、と言うように、男はタオルを突き出した。丁寧に畳んである。綺麗好きな人なんだ、と思いながら、トウマはタオルを受け取ると、右のウエストポーチに押し込んだ。
「手早く済ませよう。お前たちと異なり、俺は身分卑しき身だ」
言って、男の視線がマシュを捉える。はい、と頷くマシュの身振りは、何やら重々しく、それでいてしっかりしている。先ほど感じた印象と、その表情が重なった。
「場所を移そう。秘蹟を行うに、ここは人目に付きすぎる」
男が立ち上がる。慌ててパンとチーズを口に放り込むトウマに、男は呆れにも似た、けれど素直そうな笑みを浮かべた。「また喉に詰まらせるぞ」
何せ、あの頑健なパンを紅茶なしに口に放り込んだわけである。男にろくに返答もできず。齧歯類のように頬を膨らませたまま、こくこくと頷いた。
行くぞ、と不愛想に一言置いて、男が外へ出た。ごうごうと降りしきる雨の中、男は懐から取り出したハットを被る。後からでてきたトウマたちを一瞥ほどに振り返ると、黒い影が駆け出した。
男の行く先は、一路、ストリートの果てにある教会らしい。マシュと顔を見合わせ、そして頷き合ってから、トウマも雨の中を駆け抜けていく。
ふと、空を見上げる。大粒の雨が舞う中、何羽かの椋鳥が視界を掠めた。
※
(こちらBS02、BSリーダー目的の人物と遭遇。会談場所を変更するみたいね)
(アルファ、こちらも追跡する)
脳内に直接声が響くような体験は、金時にはまだ物珍しいものであった。まだこの感覚に慣れないけれど、とても便利だな、と思う。何せ、どこに居ても、誰とでも会話できるなんて戦いにおいてこれほど有利なものはない。戦闘単位が増えれば増えるほど意思の統率は困難になるし、戦域が広くなれば、意思を伝達する術がない。そんな中、リニアに、互いに言葉を交わし合えるというのは、これほど便利なものはない。
ただ、ちょっと思う。人と人の距離が日常から緊密に繋がってしまえば、きっと息苦しいだろう。リニアすぎる意思の疎通は、リニアであるが故に情感に欠き、誤解を生むようにも思える……と考えるのは、金時自身、どちらかというと、隠棲を好む男だからであろうか。
「了解。こちらは予定通り進める」
最も、それは使いよう、ということだろう。金時よりも、いや増しに隠遁を好むように思えるリツカは、穏やかに、且つ端的に返答すると、「向こうも順調みたいだね」と子供みたいな笑みを作った。
「じゃ、こっちも上手い事やろうぜ」
「待って、あと20秒」
「おっとすまねえ」
軽く制止するリツカは、虚空をぼんやりと眺めるようにしている。もちろん、惚けてるわけではない。曰く、カルデアでは脳内視覚野を魔術的に刺激することで、まるで目の前に映像が浮かび上がるように戦術情報を表示しているらしい。視野投影魔術で表示される情報には、周辺の地図や味方の身体情報などあって、その内の1つにこの特異点での時間が表示されている、といいわけだ。金時のいた頃は12に一日を区切っていたけれど、未来では24に区切った上で、しかもそれぞれ60に分割され、その分割されたものもさらに60に分割されるという。それぞれ時間、分、秒、と分かれるというのだから、未来というのは細かいことを気にするわけだ。
「カウント開始。10、9、8……」
リツカが数字を数える度に、徐々に緊張が高まっていくのを感じる。なるほど、正確に事を始めることだけでなく、好い意味で戦闘の緊張感を高揚させるのにも向いているらしい。
ふわふわと消えていく数字を耳朶に響かせながら、金時は、背に担いだ鉞の柄に手を伸ばした。巻きつけた獣の皮の感触が指先に伝わり、我知らず、高揚と同時に情動が怜悧に研ぎ澄まされるのを感じる。
場所は、屋敷との境界面から最も近い広場だ。事前に人避けの結界を張り巡らせていただけに、周囲に人の姿は影も形もない。ただ、粒の大きい雨だけが、広場に犇めいている。空は相変わらず分厚い雲が広がっていて、あの天を横切る光帯すらをも覆い隠している。
「3、2、1……0!」
イメージする。金時の身丈ほどもあろうかという大斧に、細く小源を巡らせていく。細く延びるオドは、言ってしまえば紐のようなもの。それ自体で宝具を発動させるための魔力なのではなく、言ってしまえば呼び水だ。
細い紐を、鉞の中へと徹していく。底の底まで細い糸を差し込めば、それはある。宙に釣り下がった、湾曲した細い金属。それに紐をひっかけて、引っ張る要領。その一連のイメージを脳裏に描くと同時、金属同士が咬み合う甲高い音が連続して3発、耳朶を衝いた。
「必殺!」
宙を舞う空薬莢。坂田金時が得物、魑魅魍魎跋扈したる平安の世が編み出した人智の窮極たる鉞から、膨大な魔力を込めたカートリッジがマガジンから排出されたのだ。計数、3。薬莢に込められた絶大な神秘の塊たるエーテルを雷に変換したそれは、雷神の血脈の証明か。
「『
背負った恰好から、引き抜き様に巨重を振り下ろした。Aランク以上の筋力値がなければ振るうことすら許されない鉞の真名解放はただただ絶大としか言いようがなかった。A+に及ぶ筋力値から繰り出された『
「大将!」
膨れるようなオゾン臭の中、金時は背後を振り返った。金時の宝具の真名解放は、あくまで呼び水。どれほどの神威を見せつけようとも、言ってしまえば、異次元の回廊を繋ぐための鍵でしかない。
(SSリーダー──リツカ!)
遠くで観測しているライネスの鋭い声と、金時が腰にぶら下げた大鉈に手をかけたのは、同時だった。
金時の翡翠の目には、それが映っていた。リツカの直上に、あの妙な波紋のようなものが浮かび上がっている。直接これまで見たことはなかったけれど、映像では見ていた。あの獣が、この世界にやってくる合図だ。
トウマが言っていた予測は本当だったのだ。本当に、あの獣は宝具の真名解放を合図に異次元の扉を開いている。いや、扉そのものが真名解放で開くのか? どちらにせよ彼の予測は正しく、今まさに物の怪が顔を出さんとしている。
この時。
金時の初速は迅速を極めた。元よりBランクと高い敏捷値を持っているのに加えて、背後で炸裂した真名解放の衝撃がもたらすエネルギー波を推力にしたそれは、瞬間的にはAランクに匹敵する性能だった。獣か水面から顔を出す寸前にリツカの前に割り込んだ金時は、大鉈を鞘から引き抜いた。
やはり、金時の身長にも匹敵しようというそれは、人智の粋を極めた鉞とは異なり、ただただ頑健な鉈だ。だがその代の名工が、ただ敵を轢殺するためだけに作り出した武装は、ある意味で鉞とは対極に位置する武装であろう。機構上連続使用に向かない鉞に対して、鉈こそは彼のメインウェポンと言うべきものだった。
この鉈を振るうに、構えなど品のいいものはない。ただその重量と刃で斬り潰すだけのそれを担ぐように肩に乗せ、今まさに波紋から顔を出した獣の鼻っ面へ目掛けて──。
「金時君!」
じゅ、と蒼褪めた影が疾駆した。