fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

193 / 243
大分間隔があいてしまいました。



Ⅳ-6

 聖堂教会、という組織は、あまりマシュにとっては馴染みのないものだった。元より、魔術協会自体が聖堂教会と反目し合う組織である。大枠で協会に所属し、且つこのカルデアの外で暮らしたことがないマシュ・キリエライトにしてみれば、聖堂教会という言葉は、学校やスーパー、コンビニエンスストアに携帯電話などと大差ないくらい実感のないものであった。データベースとしての知識は持っているが、言ってしまえばそれは、古い御伽噺と同じくらいの感覚である。どうやらカルデアの組織運営に聖堂教会が一部関わっているらしい、ということは聞いているけれど、どちらにせよ培養個体として生産されたマシュという存在は教会に秘匿されている。教義上禁忌そのものでしかないマシュは、露ほども関わりがない。

 要するに、マシュにとって聖堂教会というのは、どこか空想上の何か以上の知識ではなかった。オルレアンの頃も、教会らしい教会は見ておらず、全うな教会を目にするのはこれが初めてだった。

 ホワイトチャペル・ハイストリートの突端に、その教会はある。汚らしい街並みの中、厳かに聳える白亜の建物。貧しい者たちの中でこそ主は宿る、と理解すればいいのか、それとも貧困の中に無作法不躾な屹立する教会に傲岸を感じ取ればいいのか、マシュにはよくわからなかった。あるいは、そのどちらをも許容するのだろうか。尖塔が一つ、高く戴くバロック式の教会は、無言の荘厳さでマシュたちを出迎えた。

 「結構、狭いね」

 入ってすぐの礼拝堂で、トウマは不思議そうに周囲を見回している。彼も彼で、救世主の宗教については、知識で知っている以上のものはないらしい。

 「オルレアンの大聖堂は、もっと大きかったなぁ」

 しみじみ、と声が出る。なし崩し的にレイシフトした冬木と異なり、きちんと準備をして出向いたという点では、初の特異点攻略となったオルレアンも、もう半年近く前の出来事だ。

 懐かしいですね、と言うと、トウマはなお感慨深く頷いた。元からそのために産まれ、生きてきたマシュと異なり、魔術の「ま」の字も知らずに生きてきたのだから。その感慨はひとしおであろう。

 「観光気分だな」

 どことなくのほほん、とした空気に、男の声が響いた。席の並ぶ礼拝堂の中央、盤踞と立ち竦む男の物言いは、厳粛で幾分か揶揄する印象があったが非難がましさはなかった。

 「ちょっと物珍しかったので」

 そんななので、素直なトウマは、言葉尻を素直に受け取った。ちょっと照れたように頭をかく仕草なんぞは、なるほど少年らしい、と思う。こういう気分の人間だから、男も毒気なく、くつくつとした嗤笑を漏らした。

 「なるほど。『ちょっと助けてやろうかな』という気分を起こさせるのが上手いと見える」

 「そですかね」

 「その仕草がそうだと言っている」

 なんだかわかったようなわからないような、不思議そうな顔のトウマである。教会の中だというのにハットを脱がない男は、つばの下で、猛禽めいた顔に小鳥のような細やかな朗らかさを浮かべている。

 「さて」ハットの被りを深くしながら、男の目がひやりと動く。「本題に入るとしようか、異郷の旅人たちよ」

 ひた、と向いた先はマシュだ。明らかに空気の質……温度が変わったのを感じて、マシュは弛緩した気分を引き締めた。

 元より、マシュたちがここにいる理由……ホワイトチャペルに滞在していた理由だ。マシュに憑りついていると思しき怨念の残余から、人狼と異なる敵の正体に迫る。それが彼女に課せられた使命であり、今まさに人狼たちと矛を交えんとするリツカの傍にいない理由なのだ。

 「こちらへ。お前はそこで待っていろ」

 マシュを誘うように言いつつも、男は掣肘するように、トウマに視線を縫い付けた。

 「秘蹟は無暗に人に見せるものではない」

 取り付く島のない男の物言いは、真実正論でしかなかった。でも、と言いかけたマシュも、思わず口ごもりかけた。それでも言いかけたマシュの肩を、手が掴む。振り返ると、トウマは首を横に振っていた。「大丈夫、多分」

 「教会というのは、言ってしまえば自然と人為が入り混じった結界のようなものだ。なんらかの秘蹟を用いているわけではないが、ただそれが聖なるものであるというだけで悪しきものを遠ざける。そこな少年の言う通り、そうやすやすと害されることはない」

 男は神父らしく、厳かに口にする。どことなく獰猛さを拭えない男だが、口ぶりに宿る厳粛さは、彼が真実御稜威に対して信心篤いことを感じさせる。ならば、とマシュは頷くことにした。トウマを守ることは、今のマシュの主要な任務の1つなのだから。

 「それに、もう1人いるのであろう。人形遣いといったところか」

 「わかっていたんですか」目を丸くするトウマ。しまった、という気持ちよりか、素直に意外そうな表情だ。

 「何分、人から追われる身なのでな」

 またしても、男は毒気のない嗤いを漏らした。トウマの素直さに、まだ慣れきっていないらしい。「構わんよ」と言いながら、男は身を翻した。

 ついてこい、ということらしい。トウマと目を併せて頷きあってから、マシュは男の背に続いた。

 身廊を抜け、祭壇の前へ行く。男が数瞬ほど十字と救世主の像を見やった後、さっと祭壇の裏に回った。信仰心という点に関して、無神論者ながらも荘重たる祭壇の佇まいに圧倒されながら、マシュも男の後を追う。

 祭壇裏に回った時、マシュはちょっとびっくりして声を漏らした。何せ、ただ空間が広がっているだけと思っていたところに、ぽかりと穴が開いているのだ。よく見れば、奈落のように階段が下へと伸びている。さっさと階段を降りていく男の背を眺めてから、マシュはまじまじとその穴を見下ろす。

 夜闇がすっぽりと口を開けている。こつんこつん、と階段を降りる男の足音だけが、静かに響いている。マシュはしゃがんだ体勢から背筋を伸ばすと、恐る恐ると階段へと足を踏み入れた。

 何段ほどであろうか。さして深くはなかった。壁際で粛然と灯を漏らすランプに照らされながら、マシュは視野投影映像の喪失を認めた。地下空間では、カルデアとの通信は行いにくい。今通信手段があるとすれば、マスター・サーヴァント間のパスを利用した念話のみだ。いざと言う時の退路を意識するのは、彼女の戦闘巧者としての習性だった。

ただ同じだけの光景が続く様は、体感時間を鈍くする。感覚的には長大な階段を降り切ったと感じたが、より正確な体内時計は、実は精々2Fほどを下ったと示している。遠大と卑近さが綯い交ぜになる妙な感覚になりながら、マシュはぽっかりと空いた後継に、まず目を丸くした。

 ぽっかりと、空間が広がっている。暗がりで広さはよくわからない。ただ、壁際にはブランデーの瓶が何本もたてかけてあり、地面にはネズミらしき生き物が走り回っていたり、死骸が転がっていたりする。

 「カタコンベだな」独語のように、男が言う。「元は緊急時の待避所だったらしい。今は特に使われず、保管庫扱いだ」

 「あの、どうしてここに?」

 「魂は天上に昇るのが常だが、悪しき霊は地の獄へ向かうのが習わしだ」男の口調は相変わらずだが、何故か、厳かな口ぶりに奇妙な親しみのようなものが混じる。「怨念に近づくには、その習わしの通りにするのが良かろう」

 その親しみは、一体なんだろう。この暗い洞窟そのものに対する、どこか望郷を思わせる親しみだったように思える。厳粛極まる男の身振りから覗く身体性と、しかもそれがこの陰鬱そのものと言うべき洞穴という事実に、マシュは少々困惑した。

 そんなマシュの心情を察してか、男はほんの僅かに微笑したらしかった。世界の事物そのものを小気味良く睥睨するあの嗤笑とは違う、もっと年齢相応を思わせる笑みだ。それこそ、この男の旧い時代、幼少の頃を覗かせる笑みはすぐにハットの奥に消えると、男は顎をしゃくって岩くれを指した。そこに座れ、とでも言うように。素直にマシュは従った。ごつごつとした岩はとても座り心地はよくなく、何度か居住まいを直した。

男は、胸の前で十字を切った。胸元に刺繍された十字模様をなぞるような仕草を見上げたマシュは、初めて男の顔を、まじまじと注視した。

 意外に、若いな、と思った。厳めしい口ぶりとは相反して、男は病的な色白さだった。さりとてひ弱な印象を感じないのは、その眼光のせいだろう。重く鋭い眼差しは、内在する苛烈のその甚深たるやをありありと語っているように、見える。

 十字を切り終えると、男は左手で胸元からペンダントを取り出してそれを握り、もう一方の手でマシュの頭上に手を伸ばした。何事か、マシュの内面を抉り出そうという手つきである。ごつごつと節の太い指先は、否が応もなく男の人生の荒々しさを示しているように思えた。

 何か、男が声を漏らした。一言ではなく、連綿と続くセンテンスの延長は、恐らく詠唱だろう、と思われる。あくまで保留付だったのは、その言語がマシュの耳に聞きなれないものだったからだ。英語でも、またドイツ語でもない。だが、古い失われた言語というようでもない。言葉そのものはあくまで現代にも残るもので、単純にマシュの言語理解にない言語で語られているのだ。

にも関わらず、マシュは何故か、その詠唱に何事か聞き覚えがあるように思われた。

 いつだろう。微かに過っただけの思案が、瞬く間に沈思へと落ちていく。心地よい泥濘に飲み込まれ、咀嚼され、分解され、細胞の一つ一つにまで解体され、膜が溶解してより小さな粒になり果てた自分は、果たして素粒子の1つなのだろうか、それとも単子(モナド)になったのであろうか。ただ一つ何にもならず、それでいて宇宙全てを映し出す鏡のようなものに……。

思考が思索に純化し、大いなる渦に注ぎ込まれていくよう。恍惚にも似た苦難か、あるいは苦難にも似た恍惚か。対極が同極に混交していく嘔吐感、まさしくサルトルが言わんとしていた、あるいはそれ以上の、抽象的現実感が五感の底、プラトーに侵襲的に浸潤していく。

 カオスから覗く混沌という天にひたすら堕落し続けた最果てで、不意にマシュはマシュ・キリエライトの自我が浮き彫りになるのを感じた。そう言えば、男が口にしていた言葉は、かの聖女の詠唱のリズムとよく似ていた、ような気がした。

 酷く、寒い、と思った。朧げな視界はほとんど判然とせず、五体の感覚もはっきりしない。精々もがくことしかできないが、もがこうにも混然とした身体感覚は掴みどころがなく、妙に心細い。寒くて、暗くて、とにかく心細い、と思った。

 なんとなく、この感覚はどこかで覚えがある。彼女にとって物心ついた時……無菌室でひたすら観察対象になっていた時に、似ている気がした。あの時は、ただ無暗に寒い、という思い出だけがあった。あの後、自分は、ロマニ・アーキマンとダ。ヴィンチに救い出され、“先輩”の下に着くことになった。あの時朧気ながら感じたもの寂しさは、もうない。

 けれども、この時想起させられた怨念にも似た侘しさは、ただ、端的に断絶した。下水にでも押し流されるように、あるいは、且つ、ないしは、ゴミ溜めにでも放り投げられるように、その情けない侘しさは、唐突に中絶した。だが、それは終焉ではなく開闢だった。幾ばくかの悍ましい虚無の後、また、不意に、且つ必然的に、あの果てのない侘しさが身体の形に凝った。凝った侘しさは行く当てもなく身体に遍在的に拡散し、瞬く間に身体という名の細胞膜を浸透圧差で抜け出していく。べりべりと引き剥がされるあのどうしようもない索漠と寂寞が硬質な冷たさにかき出され、偏在していた心細さは千切れ千切れになって下水の中へと転がり落ちていく。そうして、また、あの侘しさが身体の形に凝固していく。延々と繰り延べられ、遅延され、延長されるエクソダス。少年少女が糞尿の中でのたうち回りながら交尾するほどの厳かで吐き気を催す耽溺の中、最後に転がり落ちた情動は、得も言われぬ不定さだった。それをなんというか、彼女にはよくわからなかった。今まで彼女は、そんなものを考えたこともなければ、悩んだことも、焦がれたこともなかった。幾百、幾千にも折り畳まれた感情の坩堝に落ち込みながら、ただあがくように手指を蠢かせた。べちゃ、と何かが手にまとわりついた。ぬるぬるとした、体液のようなものだった。何故かそのぬるぬるがどうしようもなく心地よく、手が面前の何かを、手繰るように漁る。あれかこれか、とぬるぬるがついた人肌を撫でまわし、焼き尽くすほどの感情のままに切り裂き、その中の艶々したものを、無心で……そもそもこの存在者自身、徹頭徹尾無心なものではなかったか?……漁りまわった。ぷちぷちと千切り、中をかき回していく。かき回せばかき回すほどに安堵が膨れ上がり、同じほどにあの感情が底を抜けていく。無我夢中で何かを探していたそれは、指先に、コリっとした硬い感触を味わい、狂えるほどにそれを引き千切った。手触りだけで、それはそれがそれだと理解した。ぐちゃ、と鈍い反動が指先から腕へ、腕から肩へ、肩から延髄へ、延髄に伝わり、脳溝の中に射精されて脳幹から排卵された卵子に徹甲弾のように貫通するほどの形而上学的絶頂が胚胎と中絶を繰り返していく。両手は、紅蓮の華のように赤かった。どろどろした赤い液が滴っていた。掬するように添えられた両手の上に転がるそれ。拳より少し小さく、てらてらと夜の星光を反射する生暖かい肉茎。それは異様にそれが愛おしく、支える手が震えていた。望郷。恐らくそれが、あの感情の銘。素朴に純朴に、ただハイムへと還ろうとする純度の高い妄執だけが、この存在者の行動原理だった。震えるほどの望郷のまま、それは、その臓器を、古い民族が死した長老を召し上がるように、喰らっ




少しきりが悪いしカオスな文章で終わっているので、続けて明日投稿予定です
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。