fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅳ-7

 金時の感じていたものは、今はただ、己の心音だけだった。鼓膜の内側から響いているのではないか、と思うほどに強烈な心音が脳髄を揺らし、酩酊にも似た錯覚が全身に取り巻いている。全身の感覚はなく、にも拘らず、全ての感覚が鋭敏になっていた。

 「本当に来たね」

 ぼそ、と呟くような声が耳朶を打った。背後に控えたリツカは、目の前の出来事に素直な感歎を覚えているらしかった。あぁ、と金時は応えつつ、大鉈の切っ先を広場の中央に佇む蒼褪めた怪物へと……あの人狼へと、向けた。

 真実、あの獣はやってきた。宝具の真名解放を合図に、そしてモリアーティとダ・ヴィンチが作成したマップの通りに出現したのだ。あの少年の推測は、当たっていたのだ。

それは良い。喜ばしきこと、と素直に理解するだけのこと。だが意外だったのは、その怪物は、何故か広場の中央に陣取ったまま、特に何をするでもなくその場に佇んでいることだ。

いや、意外性はその前から生じていた。あの転移直後、あの人狼は誰を狙うでもなく広場に躍り出、ただ何事かを探し回るようにうろつき始めたのだ。リツカの直上から出てなお、あの獣は彼女を襲おうとはしなかったのだ。

 端的に、あの獣はこちらを外敵と見做していない。それが、金時の直観するところだった。獣が敵を害する際、主に取り得る感情は防衛反応だ。獣にとっての遊びが人類には脅威になることもあり得る。あるいは捕食行動か、そのどれでもない純然たる害意か。あの獣の様子からは、そのどれも感じない。Dランクとは言え【動物会話】を持つ坂田金時ならではの、端的な直感だった。そして、恐らく同じ結論に、リツカも至っている。彼女は恐らくその観察眼で、人狼に何某かアグレッシヴな情動がないことを理解している。

 「どうやら、私たちのことは認識しているらしい」

 すっかり毒気が抜かれたように、リツカは広場をきょろきょろ眺めやる人狼を表した。確かに、あの人狼は何事かを探しているらしいが、こちらとの相対距離は意識しているようにも見える。リツカが少々近づくと、あの人狼も少々距離を取る、といった具合だ。

こちらのことは認識しているが、攻撃する対象ではない。それが、あの人狼の今の行動規範なのだろう。

 「モニター、できてる?」

 (しっかりやってるよ)ロマニ・アーキマンの声も、幾分か呑気さが漂っている。(映像も音声も記録、とれてる。ライブラリと照会してる)

 (こちらも問題ない。“名無しの森”も問題なく機能している)

 (こっちも問題ないわ。でも、放っておいていいのかしら)

 「大丈夫」周囲で観測しているエリザベス女王に対して、リツカは至って落ち着き払った様子で応えた。「むしろ、相手を観察するチャンスだから」

 それもそうね、とむしろ自答するように呟くリン。金時も今更に放り投げた鉞を回収して肩に担ぐと、リツカの言う通りに、まじまじと人狼の姿を注視した。

 時は平安の世の日本に、人狼という幻想種は定住していなかった。人狼は主に欧州の地に起源を持つ古い幻想種で、深い森の奥にひっそりと住まうものである、という。肉体は壮健で智に敏く、古くから“森の人”と呼び慕われ、且つ畏れられていた生物たちである……という。平安の世にそういった物の怪はあまりなく、金時としても“人狼”なる怪異は興味深くもある。

 が、目の前のそれは、どうにもリツカから聞いた人狼像とは一致しない。蒼褪めたほどの体毛は、風光明媚な艶やかな毛並みとは言い難い汚らしさだ。前傾姿勢はどこか畸形じみていて。酷く鋭角的な頭部は、出来損ないの猟犬と言う風貌だ。退化したのだろうか、目らしい器官は見当たらない。酷く鋭い歯が並ぶ口腔内からは、どろどろとした原形質じみた体液が滴っていた。それでいて、うろうろとする様からは妙な知性を感じさせる。さりとて、森の人という名にふさわしい良識はそこになく、ただ奸智だけが異常発達した狡猾な悟性が、身体に漲っている。そのように、見受けられた。

 何より、金時の【動物会話】を以てしても、ほとんど印象が残らない。元々ランクは高くないスキルだが、野の山を駆ける動物たちならば、もう幾ばくか確固とした雰囲気が伝わってくるのだが、あの獣からはそれがない。もっと漠然として不確かな印象だけが、ほんの微かにだけ伺い知れるという消極ぶりだった。ただ、相手がコミュニケーション行為を拒絶しているからではない。もっと根本的な部分で、認識そのものに齟齬があるような。この齟齬は、ある意味で鬼種と相対した際の感触に近い。あの獣から伝わるものは、それをもっと徹底したようなものだ。

 間違いないない。

 人狼、という古き幻想種ではない。()()はもっと根底から、この地球の産物とは異なる異形そのもののように思われた。

 ()()は、この世に居てはならぬもの。精神的には穏便な金時をしてそう思わせる何かが、あの人狼もどきには、ある。

 「動いた」

 何か天を探し回っていた怪物が、虚空の一点を注視した。眺望する仕草から何事かを察したらしい、と伺いしれた。

 瞬間、獣の体躯が沈んだ。今まさに猪突をせんとする前傾姿勢を取るや否や、獣は四肢を以て駆け出さんと──。

 「金時君、宝具!」

 ざくり、と明瞭なイメージが脳髄の奥に突き刺さった。まるで令呪による絶対命令もかくやといった言語の拘束力は、金時をして目を見張るものだった。リツカのマスターとしての適性値の高さ……というより、経験値の高さ故か。そのイメージを疾く理解した金時の瞬発力は、一時的にでもあの獣を上回った。

 ガチャン、と金属同士が咬み合う甲高い音とともに、鉞から空薬莢が飛んでいく。先ほど異なり、数こそ少ないが破壊効果を対人向けに限定した『黄金衝撃』は単体火力に優れる。カートリッジから放出されたマナが素早く雷に変化し、鉞の刃へと纏わせていく。ようやっと金時を“敵”と認識した獣が志向を切り替えた一瞬の隙めがけて、超重量の雷撃が横殴りに襲いかかった。

 そして当然のように、鉞の手応えは皆無だった。鉞が獣を打撃する半瞬の間に、獣の姿は虚空に溶けるように掻き消えていた。雷撃を纏った一撃はただただ宙を空振りし、得物を取り逃がした雷はただただ所在なく周囲に霧消していった。

 雨音が、ごうごう、と唸っていた。空しく振り抜いた鉞を地面に突き立てた金時は、前髪に滴る雨水を払うと、のそのそと熊のようにリツカの下へと向かった。

 「トウマ君の予測は、どうやら当たりみたいだねえ」

 ぎゅうぎゅう、と側頭部で一房だけまとめた髪を絞っている。前髪をかきあげると、リツカは幾分か大人びて見えた。

 「アイツ、どうやら本当にトウマを狙ってるみたいだな」

 金時の声に、気難し気に眉を顰めるとリツカは、空を漠と見上げた。ちょうど、先ほど獣が最後に志向した空。その方向、イーストエンドを眺望する空には、黒雲が陰鬱に堆積していた。

 「なんか特別な奴なのか、アイツ」

 「うーんそうだなぁ。彼、どこから来たのかわからないんだよね」

 「なんだそりゃ」

 目を丸くして呆れる金時に対して、リツカはちょっと歯切れが悪い。髪に指を巻きつけて弄る姿は、さっきよりも大分懊悩を感じさせる。

 「まぁちょっと厄介で情けないな話。私たちも、使える戦力を遊ばせておく余裕はないもんで」

 どこか独り言のように言うリツカは、それ以上の言及を避けているかのようにも見えた。彼女らには彼女らの事情がある、と理解して、金時は判然としない気分のままこの会話を中断することにした。リツカ自身も納得していないらしい表情なのだ。そして多分、あの少年は色々な都合を理解した上で、マスターなんてものをやっている。他人がどやどやと言うべきことではない、と、金時自身に折り合いをつけさせた。

 金時は、空を仰いだ。どす黒い曇天の果てに、微かに見える青白い光帯。ペルゾンの底に淀む無意識から浮上した覚束無い感情に、金時は我知らずに顔を顰めた。坂田金時は、基本的に素直な人物なのだ。世のしがらみや何やらに折り合いをつける大人っぽさは、おおむね苦手であり、不得手だった。

 「皮肉だよ」リツカは雨に打たれるままに、広場を振り仰いだ。彼女の視線の先を追うと、こちらに奔り寄る2人の姿があった。「正義を為すのに、不正義を以てするというのは」

 金時は、意外そうに目を見張った。雨を浴びる彼女のかんばせは、普段と変わらない。何を考えているのか判然としない、鬼種めいたあの顔。その顔からは如何なる感情も伺い知れないが、端的にその情動が脳裏に閃いた。マスターと交わした契約のパスから流れた情動。

 「なぁ大将」

 何、と尋ねるように、リツカが振り返った。もう、あの瞬間に感じたものは掻き消えている。パスの先に感じるのは、ただ無限に広がる虚無だった。

 「とりあえず、アンタのサーヴァントになれて良かったぜ」

 リツカは、不思議そうな顔をした。つい口を衝いてでた言葉だったが、確かにタイミングがよくわからない言葉だな、と思った。自分でも取り損ねた感情を誤魔化すように、あるいは探るように。金時は、気まずい照れ笑いのようなものを浮かべて、視線を泳がせる。

 彼女は、金時の言葉を誉め言葉と受け取ったらしい。あの判然としない顔に僅かな微笑を称えると、芝居がかったような口ぶりで言った。「マスターとサーヴァントの結びつきは、運命……らしいよ」

 「そういうものか?」

 「多分」

 その顔のまま、リツカは手を挙げた。駆け寄る2人に向ける彼女の顔に浮かぶ安堵が、ただ、無暗に痛ましく、そして誇らしかった。

 「……なんだろう、これ」

 ふと、リツカが身を屈めた。おや、と目で追うと、彼女は地面に転がる、何か、本を手に取った。

 当然、この広場にそんなものはなかった。と考えるなら、あの人狼が現れた後に、付随的に現れたと考えるべきだろう、か。似たような事例は、以前にもあったはずだ。ちらりと金時を一瞥してから、リツカは、その本を注視した。

 大分古ぼけた本だ。表紙はすっかり剥げて古紙が剥き出しになっている。タイトルは、かろうじて読み取れるレベルだ。タイトルは、そう──。

 

 『偽証と証明の支配者』

 

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