fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「編成に何か?」
「特に。外連味のない、リツカらしい考えじゃない?」
2日後、アリスの屋敷にて。
2Fのゲストルームが並ぶ廊下を歩きながら、クロとライネスは明日の作戦についての話をしていた。
2日前の試験に加えての、トウマたちの“会談”はその後のデブリーフィングも含めて恙なく終了していた。あの人狼の一番厄介な点である空間転移の条件および出現地点の判明。そしてジキル邸で襲ってきた敵の素性の精査。数少ない情報だけで敵の核心に迫れたのは、一重にこちらの頭脳集団の優秀さのお陰だろう。勝利とは、偶然もたらされるものではない。幾重の条件をクリアした結果として手繰り寄せ得る必然的契機なのだ。例えば補給線であったり、兵力の運用であったりだが、その大きな位置を占めるのはやはり情報だろう。どれほど矮小だとしても未知の敵と戦うのは危険で、対してどれほど強大な敵であろうとも熟知していれば打倒するのは可能。それが、戦いというものなのだ。その意味で、今回は敵に大きく先んじている。
「もう黒鍵は渡したのかい?」
「そりゃ渡したけど。本当にやる気なのかしら」
「やると言ったならやれるだろう」そう言いながら、ライネス自身もちょっと信じ難いという表情だ。「伝承科(ブリシサン)上がりの手際を視る良い機会さ。そう見れたものではないよ」
「あの子、本当に魔術協会の人間なのかしらね」
「所詮魔術は道具ということだろうさ。だから黒鍵も使うし、だからあんな辺鄙な場所に呼ばれもする」
2人して、ちょっとだけ難しい顔をする。クロもライネスも、形はどうあれ名家の生まれで、どちらかというとラディカルな思考をするにしても、基本は魔術師なのだ。魔術は秘すべきで、己が根幹とする魔術基盤への傾倒は無意識のレベルで持つのが魔術師だ。まして、聖堂教会の“秘蹟”などというのを平然と使う人間は、魔術協会でもそう居ない。いたとしても、研究目的で調べているだけの変わり者だろう。
「現代魔術科にもいるよ、そういう変なのは。間違って使っちゃう奴とかね」
「変な学派」
「よく言われる」
軽口を叩き合う2人には、けれど、異端に対する保守的な嫌悪のようなものは一切ない。確かに彼女たちは名門の出だけれど、どちらかと言うと異端なのだ。アインツベルンは千年続く名家だが協会とは別で、ライネスもライネスで、彼女が次期当主になった時には、エルメロイ家は負債ばかりの没落貴族という体たらくだった。要するに、彼女らは、本流ではないのである。
「でも『秘蹟』が使えるなら」妙にその言葉にアクセントをつけるのは、やはり魔術協会の人間だからだろう。聖堂教会が述べる秘蹟という物言いは、協会の人間としては要するに自己欺瞞と自己撞着くらいにしか見えないのである。「自分で使えばいいじゃないか」
「リツカが見てるのは、あくまで聖女様のものだけだからね」
「あぁオルレアンの。でも、見ただけだろう?」
「彼女、勉強熱心だから。大正解の模範解答があったらできる、だって」
「だからとて、埋葬機関の真似事とはね」
互いに肩を竦め合った時、ドアノブが降りる小さな金属音を耳朶に響かせた。2人して廊下の先を視れば、ちょうどリツカの部屋のドアが開くところだった。
部屋から出てきた人影は、2つだった。ぺこぺこと日本人臭い動作で退室する1人に対して、もう1人は深々と頭を下げている。どちらもカルデアの戦闘用礼装服に身を包んだ、見慣れた姿だった。
「やあ、熱心なことだね」
ライネスは呑気そうに言った。日本人臭のする所作の1人……トウマは、手にタブレット端末を持ったままだった。
「あぁいや、大したことではないんですけど」
慌てて右のポーチに端末を仕舞い込んだトウマは、ちょっと決まり悪げに言う。マシュはなおのこと沈んだ表情で、何故かここでも頭を下げた。
はて、と呆気にとられたのはライネスである。伺うような彼女の空色の目を見返してから、クロは、自分のマスターを一瞥した。
彼の、ドングリみたいな粒のいい瞳と視線が絡む。一瞬だけ躊躇したかのようになりながら、一度隣のマシュを横目で伺ってから、しっかりとクロに視線を返した。その視線の精悍さに、ちょっとだけ、クロは気おじした。
良い顔をするようになったな、と思った。何故かその眼差しに急かされるようにライネスの方を見てから、クロは頷いた。
「そうだ、タチバナ」そんなクロの身振りでおおよそを理解して、ライネスは先ほどの呑気そうなテンションのまま続けた。「勉強家な君にお伺いしたいことがあってね。一緒に来てくれ」
「え゛っ」
「マシュ、君はどうする?」
さらっとトウマの抗議をもみ消しながら、ライネスはやはり何ら変わらない気分で話を振った。他者の機微に敏くなければ、巧妙な罵詈雑言は浮かばないということだろう。いや、巧妙な罵詈雑言をそんなことに費やすのもどうかと思うけれども。
「いえ、私はその、ちょっと疲れたので」
決まり悪げな苦笑を漏らすと、マシュは行儀よく頭を下げた。そうかい、と応えたライネスは、軽く、頷く仕草をした。無論、マシュの言論に納得したわけではない。彼女のその仕草を受容して、ただ、理解を示した仕草だった。
では、と再度軽く会釈をして、マシュは心持ち足早に、どこともしれない場所へと歩いていく。彼女の部屋は、リツカの部屋の隣なのだ。
「察するに」ライネスは特に感情も見せず、トウマをじろじろと見回した。「例の、水子の怨霊のことかな」
「もう読んだんですか」
「そりゃそうさ。君、私のことをただの置物とか思ってない? 随分礼儀正しい判断だね」
ライネスは心外そうに顔を顰めた。クロはそもそも、ジャック・ザ・リッパーという存在者のことを、トウマ本人からよくよく聞いている。
生きたい、という、ただそれだけの、どこにでもありふれた、普遍的で、それ故に極めて個体的な願い。その強度を、クロエ・フォン・アインツベルンはよく知っている。無論、彼女はそれを踏まえてなお、敵を殺すことに躊躇しないだけの強さがある。多分、それはライネスにもそうだろう。そしてリツカも。人間にはできることが限られていて、その限りの中で最善を尽くそうと思えば、救えないものが出てしまうのは避けがたいことなのだから。それを割り切れないほど、3人は見た目ほど子供ではないのだ。
トウマはどうだろうか、と思ったクロは、ちょっと目を丸くした。疑問が出た瞬間、もう、答えが頭に浮かんだからだ。多分、彼は、物凄く嫌な気分になりながら、倒す決断をするのだろう───そんな結論。
「?」
思わず、少年の顔をじい、と眺めていた。見返してきたトウマの不思議そうな表情にちょっと笑みを漏らしてから、なんでもないわ、と言うように肩を竦めた。多分、オルレアンで音楽家を弔ったときのように、きっと彼はその死を嘆き、悲しむのだろう。死者、というアナタのために。
だからこそ、マシュの脆さが、今は際立つ。そもそも人間として無垢すぎる彼女は、リツカのような割きりもなければトウマのような感受性もなく、その重すぎるものを担い産むことは、難しいだろう……。
「ま、いいじゃない」ちょっと憮然とするライネスの背を、押した。「とりあえず、入ろ」
あぁ、と頷くライネスを背に、クロは扉を軽く叩いた。返事を前にドアを開けると、おや、と目を丸くした。
部屋は綺麗だった。本は無数にあるけれど、綺麗に積んである。本の群れの中地べたに胡坐をかいて座るリツカは、珍しく、難し気な顔をしていた。
「あれ」やっほ、と手を挙げると、ようやっと気づいたリツカが顔を挙げた。「トウマ君、また来たのかい」
「いやぁ、まあ色々」
ちょっと苦笑い。ふーん、と特に興味もなさそうにしながら、リツカはのそのそと立ち上がった。
「編成の話?」
腰を両手で押して、天井を見上げながらリツカが言う。そんなところ、と応えながら、ライネスは当たり前のようにデスクの前の椅子に腰を下ろした。
「というより、戦闘の推移の話」
「トウマ君たちの方は問題ないでしょ?」
伸びを終えたリツカは、積み上がった本に腰を下ろした。
逃げている、と思った。普段と変わらない泰然とした様子の内に、僅かな葛藤を見出せたのは、この関係が長いからだろう。僅かにだけ伺い知れる懊悩の表徴は、むしろリツカという存在者の存在の奥行の深さを示しているかのようにも見えた。
「本当に、マシュに任せていいのかという話だよ」
ライネスは、すっぱりと言い切った。回りくどいことは慣れているが、むしろ慣れているだけに煩わしいと思っているのだろう。リツカはやっと、うーん、とあからさまに眉を顰めてから、苦笑いとともに肩を竦めた。
「大人は子供に範を見せるのが仕事でしょう? 普段、どちらかというと後ろに居るだけだからねえ、私」
ねえ、とリツカが声を向ける。向けられた相手……トウマは幾ばくか逡巡してから、渋々といったように頷いた。マスター、という曖昧な立場であるが故の葛藤。そう理解もできるけれど、多分、リツカの身体の内側に立ち現れている思索は、それに限定されるものではない、気がする。
客観的には師父とかそういう雰囲気があるし、実際彼女はそういうことを嫌っていないけれど。それ以上に、多分、マシュという人間の寿命のこともあるのだろう。魔術界隈では、人造の生命がどうしても短命であることを克服できていないのだから。
とは言え、主観的感傷にばかり傾注できないのも事実である。腕組みしたライネスの表情は、事情を理解してなお懸念に満ちている、と言及しているように見えた。
「もちろん、もしもの場合は考えてるよ」
そしてもちろん、個人的感傷だけを露骨に持ちこむほど、リツカも魯鈍ではない。手遊びのように手近な本を手に取ると、特に意味もなく、片手でページを開いた。
「怨霊、というならより強い怨念に敵う道理はない。実際、あの不意打ちを完全に防御できたのはタマモちゃんの力も大きいからねぇ。とは言え、タマモちゃんじゃあ接近戦には向かない。閉所戦闘になると、金時君も得手ではない。となると、やっぱりマシュと私で撃破するのが道理にはなる──と、思うがね」
数瞬思案してから、ライネスは肩を落とした。リツカの物言いを、概ね認めたのだろう。「心の税金だね」認めはしたけれど、それはそれとして皮肉の一つも言いたくなるライネスである。
「税金を払うのは、市民社会に生きる人間の義務だと」
「……確かに、時計塔も大分英国には金を払っているけど。いや、いいんだ。余計なことを聞いた」
「殺し合いは万全を以て挑むが常道でしょ、指揮官様? どうあれ私たちがやってることなんて胸糞なんだから、せめてちょっとでも報われる方法を取るべきよ」
ライネスもリツカも、クロの言葉にただ頷いて肯定を返した。どれだけ美辞麗句を飾ろうとも、戦闘行為とは要するに他の生命を撲滅すること以外の意味はないのだ。戦争にあるのは各々の都合であって、各々の正義ではないのだ。耳聞こえのいい言葉は、精々気分を高揚させるときにだけ使うべきだろう。
「タチバナ、君の方は大丈夫か?」
それで話は終わり、というようにライネスは話を変えた。毛色の違う声音は、どこか重苦しい思案を払拭するような響きがある。トウマもそんな空気の変調を漠然と理解して、努めて朗らかな風に応えた。「大丈夫っすよ」
「俺はただ突っ立ってるだけですし……反撃するにしても倒すためじゃあないですし」
「あとは、ライネスのタイミングを間違えなければ大丈夫ね」
「言ってくれる」
いつも通りの、軽い舌触りの言葉のやり取りだ。それとなくリツカを一瞥すると、ちょっとだけ、クロは安堵する。彼女は、前と同じように右側頭部に手を回してから、前と違う位置に一房だけ編み込んだ紙を指先で弄っていた。表情はちょっとだけ悩まし気で、当たり前だけれど、フジマルリツカという彼女が、人間なんだという実感を醸し出していた。
「万全は期してる。あとは、万事恙なく終わらせるだけだね」
それとなく、リツカの声が耳朶を打つ。幾ばくかの余韻が沈黙となって残響し、厳かな和やかさを以て、染み入るように。