fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
1日後、朝8時
アリスの屋敷、リビングにて
トウマが入室したのは、実は1時間も前のことだった。ダ・ヴィンチから任された会場設営を手早く終わらせると、タブレット端末で今日のブリーフィングの内容をしっかり復習していた。
ブリーフィング。つまり、明日が作戦の決行日で、今日は明日の作戦推移が知らされる機会というわけだ。一応、ライネスとリツカの作戦立案の際はトウマも参加するのだが、正直2人の話をきちんとその場で理解しきるのは、彼にはまだ難しいことだった。
幾ばくか、感じる緊張。これまでの特異点の中で、戦いの前に緊張しなかったことはない。殺し合い、という言葉にはあまり現実感がない。事実そうであることは理解しているが、そこに納得して恐怖に囚われるだけ、トウマには心理的余裕はない。
他方、これは結構矛盾することだけれど、だからこそトウマは慣れのようなものを感じていた。いつものような緊張を感じ、いつものように、余裕がない。そんな自分を対自的に眺めて、いつものことだな、となんとなく脱力する。脳内活動の6割は駆動して、残り3割はただの焦りで、そうして残りの1割は、ぼんやりと自分を客観視している。
1割の思惟の中に、漠然と、アリスの姿が過る。“何故戦うのか”と問うたアリスの〈貌〉、その口唇が視覚野から盲斑の奥に遁走して、棲みついている。
帰りたいのかな、と、自問する。元の世界への望郷は、胸の内から探り出そうとすると、ごく自然に意識の底の嵌頓、無意識の上澄みから浮上する。朝起きて朝食を摂り、学校に行って、気ままに下校し、街中で遊んで、家に帰る。当然そこでは戦う必要なんてなく、平凡な日常が、外見上、無限のように延長している。
恐らく、自分がしていることはそれを取り戻すことなのだ。自分が取り返すのではなくて、多分、この世界、型月設定が満ち満ちているこの世界でも、こんな出来事が起きる前に当たり前に満ちていた日常を、取り戻すことが、1つの大きな意味なのだ。部外者でも、一度関わってしまった世界であることに変わりはない。
掴みどころの無い思案である。掌に乗せても、ふわふわと取り留めもない意味の塊。原初的な真核細胞のような思案。
ソファの背もたれに寄り掛かる。1割だけだった思案が6割の思考を蚕食していくのを感じながら、ただ思惟が恣になるのを、ぼう、と眺めている。拡大し始めた散漫な思惟は、脳髄の奥底に堆積する無意識から、ごそごそと古い納屋から土のついた農機具でも持ちだすように、記憶をかき混ぜる。これまでの戦い。ともに戦ってきた英雄の御霊たちを、厳かに掬する。
はずだったのだけれど。
ちょっと思い出して、トウマは笑ってしまった。
ジークフリードは、思いの他、情けないところがある人だった。言い合いをするジャンヌとサリエリに、おどおどしていた。まるで、学校で生徒同士がいがみ合いになった時におろおろしていた世界史の先生みたいだ。
ネロは割と、ゲームでプレイしたネロ・クラウディスウそのものだった。でも、思っていたより繊細で、弱いところもあったな、とも思う。子を想うようにアルテラを弔った彼女は、多分、ゲームで語られた彼女よりももっと私人に近く、それでいて公人であることを忘れない気高さを持っていた。
メルトリリスは怜悧なようで、結構激情的なところがあった。あの見たこともなかった宝具、リヴァイアサンとしての権能を一時的に振るった際に流れ込んできたあまりに雑多で強い情動。CCCで描かれたあまりに純粋な恋への傾向性が彼女の艶やかな刃の具象だとするなら、大海で出会った彼女の印象は、その刃を支える質朴で堅牢な柄、のようなものだったろうか。
掘り起こされる思案を、虚空の向こうに眺めている。探るように蠢く手先、指先に残る記憶の手触りが、神経を伝って、身体全体に遍在していく。
「あら、早いじゃない」
漠としていた思案が、その声で一気に凝固した。
跳ねるように、背もたれから身体を引き剥がす。凛とした声の方を振り向こうとすると、「楽にしていて?」と声が背を摩った。
ふわ、と桜のような薫りが鼻を擽る。黒い髪を緩く一つ結びにしているけれど、その外観は間違いなく、彼女だ。
エリザベス女王。遠坂凛の身体を依り代に成立する疑似サーヴァント。トウマの遠坂凛像よりも大人びて見えるのは、遠坂凛のおそらく王者としての気質をより前面に引き受けた形での召喚、なのだろうか。凛は思いのほか子供っぽいキャラクターなのだけれど、目の前にいるエリザベス女王は、端的に言って大人びて見える。お胸も、相応に成長遊ばされているようだ。
「何かしら?」
「いいえ」
そ、と軽い頷き一つ。ぽすん、とトウマの隣に座ると、品よく口元に手を当てて、エリザベスはあくびをもらした。
「ごめんなさい、朝は得意じゃなくて。1人で起きるのは辛いわ」
「構いません」
「あなた、なんだか呑気ね」
「え、そうですかね」
「誉めているのよ」
ちょっと釈然としない気分になったけれど、彼女の表情を見るに、嘘でもないし真実貶していないのは、伝わる。犀利で利発な整った顔立ちは、理性……それは良識を含み持った、本質的な意味での理性を、柔らかく湛えている。
「次の戦い、私はあなたのチームで戦うのよね?」
「そうですね、その予定だったような」
「よろしくね、タチバナ君。前の時はあまり力になれなくて、ごめんなさい」
にこりと爽やかに笑うエリザベス。気兼ねなく差し出された手に咄嗟に手を返してから、トウマは掌に感じた感触に、幾ばくか安堵した。
「エリザベス、女王」
「何かしら?」
「あ、いえ。その、とても礼を失したことを申し上げるのですが。僕、そんなに貴女のことは知らなくて」
「まぁそうよね。名前はともかく、イングランド以外の人で私が何をしたかなんてあまり知らないんじゃない?」
言ってから、エリザベスは納得したように一つ頷いた。彼女はとても話の理解が早い。それも、偉大な為政者たる所以なのだろう。「歴史好きならなおのことでしょうね」と独り言ちてから、もう一度、今度はトウマに対して、首肯した。
「私のことはどこまで知っているのかしら?」
「女王陛下の黄金のスピーチが聞けるの、とても楽しみです」
「ふぅん、いいじゃない。いいわ、あなたに出会ったのも、きっと主の御導きなのでしょうね」
思案顔のエリザベス。彼女に対する印象は、物腰の柔らかな泰然とした女性というものだ。毅然として利発、時に気焔に満ちた気宇の遠坂凛とは違った印象だけれども、何か、その芯を貫く勁さのようなものは、同じものであるように思われた。
「そう言えば、ドレイク卿とお知り合いなのよね?」
「まぁ一応」
「じゃあアルマダの時のお話でも。こういうのも、楽しいわね」
※
「あぁいいよ、別にそういうことはしなくてもね」
AM9:00
最後に入ってきたライネスに対し、皆皆立ち上がりかけたところで彼女は手で制した。カルデアの制姿ももう着慣れたもので、トレンチコート調の礼装の緩い袖口を優雅に振っている。頭に被った帽子のせいもあって、佐官クラスの軍人もかくやといった風采である。そして、それも様になっている。
「それじゃあライネスちゃん、お願い」
「はいはい。じゃあ、今次作戦のブリーフィングを開始する。全員、集まってるね?」
ライネスがぐるりと部屋を見回す。ソファの後ろ手に立つトウマも釣られるようにして部屋を見回すと、以前より幾分か広く配置変更されたリビングには、馴染みの顔が並んでいた。ソファに座る人に加えて、トウマと同じようにソファの背もたれに寄り掛かるように立つ金時。アリスは奥の椅子に一人で腰かけながら、ちょこなん、と小さく座っている。普段と変わらない無表情だけれど、そんなに不快は示していない……ように、見える。
「教授はもうおいでかな?」
(音、通ってるよ)
「結構。では全員出席、とのことで。本日未明、国連人理保障機関フィニス・カルデア司令部より、我々特異点制圧部隊に対して、第一段階目の第四特異点攻略作戦が発令された。本作戦はこの停滞を極めていたロンドンにおいて、初めて本格的に実施される作戦だ。作戦名は国連人理保障決議案第7721号、通称『
本作戦の目的は、第一戦闘目標、作戦呼称“α-01”の無力化にある。本特異点において最初に現れた敵対勢力であり、未だ謎が多い本特異点を理解・攻略する鍵になると考えられている。
第二目標は真名“ジャック・ザ・リッパー、作戦呼称”α-02“の無力化だ。前回接敵時のデータから、サーヴァントではない可能性もある。サーヴァントではないにも関わらず宝具、あるいはそれに等しい神秘保有量を持つ攻撃行動を取ったことなども鑑み、こちらも本特異点に何某か重要な要素を持つ敵と考えられる。両者とも無力化、と表現したことからもわかるように、撃破・消滅させるのではなく、可能な限り捕縛することが求められる。ただし、こちらに関しては戦況推移や脅威度の多寡、こちらの戦力の被害度予測次第では撃破しても構わない。
第三目標は、ハイド邸に残されていると思われる敵性勢力に関する情報の収集である。しかし、こちらに関しては“α-01”の擬態能力によって残された置手紙である可能性があることから、第三目標に関して、優先度は高くない。
では次に、作戦の概要を説明する。まず、BSリーダーをマスターとするα-01撃破部隊“キロー”はホワイトチャペル第七区画に展開。SSリーダーをマスターとするα-02撃破部隊“ジョーカー”はハイドパーク外周部に存在するハイド邸付近に展開する。ジョーカーはまず第三目標の遂行を目的としてはハイド邸に潜入する。α-01出現予測マップ、及び先立って調査に当たっていた玉藻の前の報告から、ハイドパークにα-02が潜伏している可能性が高い。ハイド邸に潜入後はSSリーダーを中心に、邸宅内の捜査を行う。そのままα-02の出現が無ければ調査完了後、キローに合流。作戦は第二段階へ移行する。なお、調査の段階でα-02の出現が確認された場合、調査完了を待たずに作戦は第二段階へと移行する。
キロー部隊による宝具発動による、α-01の出現誘引を敢行。α-01の出現次第、キローはこれの捕獲に当たる。α-01の捕縛後、キローはハイドパークに敢行。カルデアの索敵網に加え、キャスター2騎、及び私による周辺走査によりα-02を索敵、これを無力化する。
なお、捜査段階でα-02の出現が確認された段階でキローは宝具発動によるα-01の出現誘引を実行。撃破にあたる。
α-01、及びα-02の無力化、ないし撃破した段階で、第三目標が達成されていた場合は作戦終了。α-02の出現などの事態により第三目標が未達成の場合、戦闘終了後に第三目標消化にあたる。
よし、じゃあリツカ。続きを宜しく」
「了解。じゃあ、私の担当は各戦術レベルでの作戦と、その推移にあたる。
まず、本時作戦では私を中心とするジョーカー、及びトウマ君を中心とするキローに分かれて作戦行動を行い、各個にα-01、02と交戦する。戦力を2分させた理由は2点。1点目は、現時点でこちらの戦力が敵の戦力を上回っていることから、戦力を分散させても戦力的優位を確保できているため。2点目は、敵戦力が集合することを防ぐことが目的だ。
どういうわけか、α-02が潜伏していると目されているハイド邸周辺は、幸いにしてα-01の出現予測マップには被っていない。ただし、これはマップの不備である可能性も否めない。敵の性能はどちらも強力だが、各個撃破に持ちこめば十分対処可能だ。逆に戦力を集中させれば、それだけ敵が取れる選択肢も多くなるということだ。
班編成はもう伝えていると思うけど、改めて提示しようかな。
私を中心とするジョーカーは、マシュと玉藻ちゃん、金時君の4人で編成。
トウマ君を中心とするキローには、クロちゃんとリンちゃん、それとライネスちゃんに行ってもらおうかな。アリスちゃんにも本当はついてもらいたいけど、十分倒せるメンバーだと思う。
さて、じゃあ実際の推移に行こう。まずライネスちゃんの言った通り、ジョーカーがハイド邸周辺に展開。併せてキローが所定位置に展開したのを確認後、邸宅に潜入する。
潜入するのは私とマシュの2人。玉藻ちゃんと金時君はハイド邸前の広場で待機。これはα-02がこちらの戦力に対して攻勢をかけやすくするための陽動と、加えて敵通信妨害が発生した際、通信妨害の範囲外に戦力を展開しておくことで、第二段階への移行をキローに伝えやすくするための意味合いも兼ねてる。
ハイド邸に潜入後は、ジキル邸で既に入手してある邸宅内のマップに従って進行。最奥に位置する書斎まで行った後、資料の収集を開始する。資料回収後はハイド邸を脱出。α-02の動向を探れる玉藻ちゃんを残し、キローに合流。合流後、宝具発動によるα-01の誘引を行う。
α-01の誘引後、まずクロちゃんの宝具一斉射で敵の運動性能を漸減。同時にリンちゃんの重力捕縛で敵を拘束後、金時君及びクロちゃん両名でα-01を無力化する。
α-01の無力化に成功した後は、再度ハイド邸に展開。キャスタークラス2人がかりで周辺走査し、α-02をいぶり出す。出現後は戦力的優位に基づき、これを無力化。成功した段階で、本作戦は終了だ。作戦終了後は、20時間以内にアリスちゃんの屋敷に帰還する。
予測される事態としては、ハイド邸探索時にジョーカーがα-02の襲撃に合うことだ。襲撃の際はマシュの宝具、加えてタマモちゃんのバックアップで防御。出現と同時に、キローに出現を報知。作戦を第二段階に移行だ。なお通信妨害圏内が所定より広い場合、別途手段でキローに伝える。
α-02との交戦時、まず私とマシュで遅滞戦闘を行う。玉藻ちゃん、金時君が増援で来次第、攻勢に転ずる手筈だ。
最も考えたくない状況は、α-01の戦域出現マップに誤りがあり、ハイド邸が出現予測地に含まれていた場合の対処だ。α-01、及び02が同時に出現した場合、即自撤退。ジョーカー、キローの戦力を合算した上で交戦。敵戦力を分断した上で、無力化に映る……予定だけど、この場合はとにかく撤退をメインに考え、本作戦はそこで強制的に終了の予定だ。
では、α-02の襲撃による第二段階への移行後の手順について説明する。トウマ君、お願いしていいかな?」
「はい、大丈夫です。
では僕から。ジャック……α-02の出現後、キローは指定座標にて宝具を発動。宝具発動はリンさんに任せ、α-01の出現誘引を行います。誘引に当たっては、僕を囮にしておびき寄せる予定です。これはα-01の狙いがどうやら僕であることから、確実に当該戦域に誘引、加えて逃走を防ぐためのものです。
α-01の出現時、僕とクロの狙撃でα-01を攻撃。近接格闘戦で対応。同時、指定地域に既に設置した宝具の斉射で捕縛します。
以上がα-02の襲撃の際の、第二段階への移行の手順に、なります」
言い切ってから、トウマは、大きく嘆息を吐いた。思いのほか、声が上ずってしまう。中々人前で話すことなどないのだから、緊張して当然だった。それにしては、ライネスとリツカが堂々と話しているので、プレッシャーも相応だ。
奮えるような足を折り、ゆっくりとソファに腰かける。ライネスは普段通り澄ました顔だったが、リツカはちらっとトウマを見ると、「お疲れ」と言葉を口唇で象った。
「本作戦の意義は大きい」
ライネスは一度部屋を見回した。
「何せ、この特異点は謎だらけだ。わからないことの方が多い……というより、ほとんどの事象が未だ不明だ。わかったことと言えば、敵が何者であるか、そしてそれに関する周辺情報だけだ。聖杯すら介在せずに特異点になるなど、正直予想し得る術がない。そんな中、本作戦は。停滞から次に踏み出すための一歩と言える。
作戦開始時刻は明日8時。この屋敷を経つのは、それより3時間前の5時に定める。各員、奮励し、努力せよ。以上」
「私からも1つ。ライネスちゃんはこういったけど、リラックスすることは忘れないでね。ロマンは良い顔しないけど、負けたとしても、ただ、人理の一つが終わるだけの話だ。人類、ましてこの宇宙すらいずれ滅亡するんだ。ただ、その時期が早いか遅いかの違いしか、ない。だから気楽に、大胆に行こう。そういう腹積もりの方が、物事はいい結果に行きつくものさ。
じゃあみんな、死力を尽くして任務に当たるとしよう。そして、生ある限りは、せめて最善を尽くすとしよう」
※
「よお、なんだこんな時間に」
多分、その声は、運命だったのだと思う。
当日、PM8:00。
ブリーフィングを終えた後、作戦行動開始時刻までは即応待機で過ごす時間だった。事実上の、作戦前の休憩時間だ。PM5:00に各々夕食を終え、その後は全員が、何をするでもない時間を過ごしていた。
それからの、PM8:00。明日の時間を考えれば、そろそろ寝た方が良い時間だったが、タチバナトウマは、なんとなく、1階テラスで無為の時間を過ごしていた。
「体調管理は、戦う人間の仕事だろう」
ドアから顔を出した顔は、言葉尻とは反対に、なんとなく呑気そうだ。坂田金時は図体のデカい身体を揺さぶりながら、のっそりと熊みたいな素振りで椅子に腰を掛けた。
ぎい、と椅子が軋む。体重100kgを優に超える肉体は、見事に歴戦で鍛えられたものだろう。
「すみません、なにも出せるものなくて」
「いやいいさ。俺も、手持無沙汰で居ただけだしな」ふわ、と欠伸なんかを漏らす金時。小指を立てて耳滓を穿りながら、「それに、サーヴァントだからな」
もう一度、金時は呑気そうなあくびをした。咎め立てるような口ぶりだったけれど、その振舞には一切、剣呑さはない。いや、声色だって、いつもの、どこか大らかな金時のものではなかったか。
座れよ、という金時の視線が、多分何よりの証拠だか。窓辺に立っていたトウマは、おずおずと、金時の正面の椅子に座った。
丸テーブルを挟んで、向かいに座る金時の姿は岩と見紛うばかりだ。先ごろ感じた印象……頑健さを、よく表している。善し悪しはともあれ、戦う、ということが日常の中にあった人間の佇まいだ。
「あの、金時さん」だから、多分聞いた。「相談と言うか、お伺いしたいことが」
「なんだ? 俺っち、あんま頭良くないからな。勉強熱心なアンタに教えられることが、あればいいが」
「大したことではないんですけど」おどけた様子の金時がテーブルにダラダラと身体を伸ばしているのに対し、トウマは努めて真面目そうに椅子に座っていた。「戦う心構えというか、理由みたいなのありますか」
「何も考えないこと、だな。どうやったら敵を効率よく、且つ高い打撃力を以て攻撃できるか。そんなもんだ。それ以外は何も考えないようにしてる。なるべくな」
素っ気なく、金時は言う。トウマが意外そうに目を丸くしている間に、身体を起こした金時は変わらない呑気さで続けた。
「そりゃあ色々理由はあるさ、世のため人のため、ってな。でもなぁ、戦いってのは誰が相手であれ、理不尽なもんだ。どんな心構えがあっても、どんな大層な理由があっても、死に神は来ちまうもんなんだ。ただ、強いものが生き残る。それが殺し合いの現実だ」
「そういう、ものですか」
「戦う理由とやらを探して迷いが生まれるくらいなら、いっそ何も考えるべきじゃあねえさ。特に、誰かの上に立って戦うならなおさらな」
寝ぼけた様子で、シニカルに口角を挙げる。そんな金時の仕草は、「意外か?」とでも問うかのようだ。
確かに、意外だ。なんとなく、金時という人物の風貌からは、心地よい快男児という印象が強い。きっと正義感に根差して、それでいて身近ですらある強度の高い動機、のようなものを持っている、そう思わせる人物だ。先入見と言えば、そうなのだが。
「察するに、迷いが生まれてるってわけだ」
今度は揶揄うように、にたりと金時が笑う。トウマが居心地悪そうに肩を竦めると、深々と首肯した金時が言う。「御伽噺の見過ぎだよ」
「戦う理由は、良くも悪くも所詮は精神的な支柱だ。あったら無論役に立つが、本質はそこじゃない。きちんと勝つべき算段を取ること、それが重要で、指揮官であるアンタが考えなきゃいけないことはそっちだ。
そうして、戦いが終わった後は死ぬほど悩むといいさ」
金時の言葉は、どこまでも突き放すような色彩だ。ともすれば糾弾するかのような、あるいは詰問するような、そんな雰囲気。幾分か気をくれしながらも、トウマはその振舞の意味をちゃんと彼なりに理解した。
「俺、寝ます。明日、万全の体調で挑まなきゃ」
「そう、良い心がけだ。そういう割切りを、忘れんじゃねえぞ」
「はい、ありがとうございます」
深く、頭を下げる。おう、と応える金時の声を背に、トウマはテラスのドアを潜った。
───坂田金時と、立華藤丸の人生の関わりはそう濃くなく、また今後交わることもなかった。
あまりに短い交錯の中。
多分それは、その刹那の交わりの中で許される、最優のものであっただろう。既に灯の落ちた暗い廊下を小走りに走るトウマには知る由が無く……。
「行ったか」
また、坂田金時にも、そんな確信は1つもなかった。
「いるんだろう?」
気の抜けたように、虚空へ問う。金時の言葉に応えた声は、思いの他早かった。
「はい、ここに」
空間の一部が、どろりと溶けるように落ちた。光学的操作の魔術……というより呪術の隠蔽から顔を出した狐耳のキャスターは、柄になく、そしていつになく落ち着いたように見える。
「
「リツカ様からお託を……この屋敷とて、何があるかわかりませんから」
穏やかな口ぶりだが、それを温和さを介するのは、多分違う。坂田金時の直観するところ、それは冷厳ですらあるほどの穏やかさで、超越種が覚束無い雑多な生命を慈愛を以て睥睨する、眼差しのそれであった。
「もし手違いがあったら、俺っちはアンタを殺さなきゃならなかったのかもな」
玉藻の前は、ほんの少しだけ笑った。氷が解けて、少しだけ丸くなるように。生半の人間……いや、音に聞こえし英雄であったとて、この玉藻の前の姿に畏怖しないものはないだろう。金時が平然としているのは、所詮そういったモノに慣れているから、それだけに過ぎないことだった。
「タチバナ様は、少々似ておられまして。弱き者が蛮勇を振るわんとする……とでも言いましょうか。愚かですが、また同時に尊くもありましょう」
「アンタの“戦う理由”って奴か?」
「まぁーそんなところですねぇ」
途端、にへら、と玉藻の前の顔が変わった。先ほどまでの超然とした佇まいは一息で霧散して、目の前にいるのはなんだか緩い顔のいつもの玉藻の前だ。すぐにハッとして咳払いをしてみせたけれど、まぁ崩れた威厳はもう戻りそうもなかった。
「アイツ、弱いと思うか?」
「いいえ。本当に弱いのでしたら、既に屍を曝しておいででしょう。皆さまのお力添えあってのこそではありましょうが、この戦い、無能者が生き残れるほど優しいものではありますまい」
「あぁ、そうだ。アイツは多分、自分が思っているよりちゃんと強い」
「で、その強さは、ちゃんと下支えがあるから。そう思っておいででしょう?」
金時は、静かに立ち上がった。もう、概ねみんな寝静まった時間だ。
ガラス張りの壁に触れてみる。ひやりと冷たい感触が、手のひらを咬んだ。空を見上げれば、灰色の雲間から、ちらちらと光が瞬いている。
「もう、答えは得ているんだよ。いや、最初からか。気づいていないだけで、あの男にはちゃんと立脚点がある……だから、大丈夫さ」
はい、と隣に並んだ玉藻の前も、空を見上げていた。
「お優しいのですね」
「優しかったら、英霊なんかにゃなってねえさ」
玉藻の前は、ただ無言のまま、柔和な嗤笑を浮かべていた。金時は己の裡まで見透かすほどの眼差しに気まずくなって、頬をかきながら、見上げる宙を胸に刻む。
綺麗だな、と思った。
「優しいから、英霊になってしまったのでしょうに」