fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「ここならば、落ち着けそうですね」
周囲を見回したジャンヌは、微かに安堵したように微笑した。
城塞からほどなくした距離に生い茂る、小さな林。日が暮れ始めた樹々の隙間には、鈍い橙の光が差し込んでいる。あと1時間もしたら、暗い夜が林に立ち込めることだろう。
それにしても―――と、トウマは思う。
「―――? どうしました、ムッシュー?」
「いえ、なんでも」
草の上にちょこなん、と正座するジャンヌ。そう、ジャンヌ・ダルク。あのジャンヌが、目の前に居るのだ。
綺麗だな、と思う。原作の雰囲気は、現実の人物像もあって勇猛果敢といった様子だが、小さく座り込む彼女は、可憐な少女といった方が似合っている。思えば、ジャンヌ・ダルクは17の前後が全盛期に相当する。高校二年生、17歳のトウマとは、同い年だ。
「何鼻の下伸ばしてるのよ」
「え。いや、そんなことはないヨ?」
「ふーん、トーマはジャンヌみたいな人が好みなんだ?」
悪戯っぽいにやにや笑いをしたクロが、ずい、とのぞき込む。挑むような鋭い嫣然―――強い。
ジャンヌはぽかんとしている。まるで正反対の反応だ。
ごほん、とリツカが咳払いすると、ひょい、とクロは身を翻した。
「―――えぇと、まず互いの現状を確認しましょう。私はつい2時間30分前に召喚されました。
クラスはルーラーですが、各能力・スキルが大幅にランクダウンしています。神明決裁、真名看破は使用できません。カリスマ、聖人は使用できますが……啓示も、うまく機能していないようです。聖人はリジェネを選択しています」
彼女は、一層身体を小さくした。申し訳なさげな表情が、全てを雄弁に物語っていた。
即座に、トウマは思案した。
ルーラーというクラスの絶対的な優位性、神明決裁と真名看破が使用不可能では、自分の存在意義そのものへの疑義、とすら呼べる事態である。不安か、それとも情けなさか。小さくなっているのは、そういう、ことだ。
「それと、気になる点があります。皆さんと合流する前、小さな村に寄ったのですが」
ジャンヌは真直ぐに4人を見回した。
「私のことを、“竜の魔女”と呼びました」
「“竜の魔女”―――ですか?」
はい、と彼女は首肯した。
ワイバーンの姿が、脳裏を過る―――直観的に、理解する。多分、その言葉はこの特異点の本質を衝く言葉に違いない。
「あの、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。優しいのですねマシュは」
マシュは、ちょっと照れたように身を縮ませた。それだけ、ジャンヌの表情は無垢だった。
「私たちの情報は、さっきそちらに送ったデータの通りだよ」
「誤った時代を修正するために未来から来た、ですよね。はい、全て目は通しました」言うなり、ジャンヌは軽く頭を下げた。「リツカにマシュ、クロエに、トーマ。それと、カルデアの皆さん。はい、覚えました。よろしくお願いしますね」
ジャンヌはそういうと、どことも知れない空間に手を振った。多分、モニター越しにカルデアのスタッフに向けたもの、だろう。
「すみません、皆さまからいただいた情報の方に比べて、私の情報量は左程ではありませんね」
「いや、そんなことないよ。ね?」
(そうだね。竜の魔女、そしてさっきのワイバーン。断片的だけど、見えてきた。
竜の魔女、と呼ばれる誰かが、さっきの飛竜を召喚。百年戦争になんらかの形で干渉、フランスという国そのものに影響を及ぼそうとしているんだと思う。フランスという文明の現代史での重要性は、今さら説くまでもないよね)
「そして、竜の召喚に、聖杯が使われてるってことね。竜の召喚なんて、魔法に近い大魔術だもの、この時代の魔術師でもそう簡単にできるものじゃないわ」
そこでなんだけど、とリツカは改まってジャンヌに向き直った。
「私たちと貴女の目的は、利害が一致してると思う。私たちは聖杯を止めて、この特異点を修正しなければならない。そして貴女は―――」
「竜の魔女、と呼ばれるものが何者なのかわかりません。ですが、何者であれそれを止めなければならない―――協力、してくださいますか」
「うん! もちろん」
ジャンヌの顔が華やぐ。緊張から解されたような顔は、それだけ、彼女が今まで背負ってきた不安の大きさを物語っているようだ。
「貴女の旗の下に集うことを、許してくださいますか、聖女ジャンヌ?」
ジャンヌは、照れたように笑った。改まった立膝をついたリツカの礼が、気恥ずかしかったのだろう。薄く瞼を閉じるのも一瞬、ジャンヌは静かな御稜威を湛えた、怜悧な表情を浮かべた。
「汝らの戦列を許しましょう。我が真名ジャンヌ・ダルク、主の御名のもとに、汝らの盾となり、剣となりましょう」
※
「お二人は、もうお休みになられたようですね」
「そうね、二人ともぐっすり。野宿、なんて慣れてないはずなのにね」
切り株に腰かけたまま、ジャンヌは毛布にくるまる二人の寝顔をのぞき込んでいた。懐かしむようなその慈愛に満ちた表情は、聖女、というよりは、もっと親しみのある顔色だった。
「ジャンヌは寝なくて大丈夫なの?」
「私ですか? 大丈夫です、確かに不完全な現界ですが、基本的なスペックはサーヴァントのそれですから。睡眠も、食事も基本的には不要です」
「レーションですが、食事の用意はできています。サーヴァントもメンタル面の整調のために食事は必要、と聞いていますから」
そうですか、と応えたジャンヌは、いつもみたいに人のよさそうな表情だ。彼女は小さく会釈をすると―――しかし、ふと、彼女は小さくため息を吐いた。
クロは、ちらとマシュを横目で見た。マシュもその視線に気づくと、頷きを返した。
「あの、ジャンヌさん。まだ、何か話していらっしゃらないことがありますか?」
ジャンヌは、つと顔を上げた。困惑するように肩をすくめながら、2人の間を視線を彷徨わせた。
「後顧の憂いは、断っておくべきか、と思いまして。詮索するつもりは、無いのですが……」
マシュも、最後はしりすぼみになりながら、ジャンヌの顔色を伺った。
束の間、ジャンヌは薄く目を閉じた。今一度嘆息を吐くと、わかりました、と目を見開いた。
「今の私は、なんとなく、サーヴァントの新人のような感覚なんです」
「新人、ですか?」
「はい。英霊の座は時間の干渉の外に存在します。ですが、今の私は、その記録にすら触れられない。サーヴァントとして振る舞うことが難しい状況です。
街の人々には魔女と蔑まれ、主の御声も聞こえない……こんな状況で、ただ一人で戦うのかと思っていました。戦うことに疑いの余地はありませんでしたが、それでもその」
ジャンヌは言ってから、照れるように顔を赤くした。
「寂しい、と思ってしまって。弱気になっていました」
すみません、とジャンヌは頭を下げた。彼女は、情けないですね、と照れ隠しのように笑った。
「皆さんと一緒に戦えることになって、今は安堵しています。でも、今の私では足を引っ張るだけなのでは、と」
「ジャンヌさん。それなら、大丈夫です」
虚を突かれたように、ジャンヌはマシュを見上げた。
「私も、まだ、戦うことに慣れてはいなくて。私もまだ、英霊としての全力を発揮できていません。でも、みんな、そんな私を認めてくれてます。
マスターは、強い、です。何があっても前を見てる。どんな状況でも、マスターは正しく見てくれています。私の現状も正確に判断して、そのうえで、私を信頼してくれています。
タチバナ先輩は、多分、あんまり考えてないと思います。でも、だから、何気なく接してくれています。
それに―――クロさんが居るから、私も今の全力を出そう、と思えるんです」
「え、私?」
「はい。クロさんは、私よりずっと優れているサーヴァントです。こと戦術面においては、多分マスターは私よりクロさんに信頼を置いている、と思います。
ですから、私は頑張れる。恐くても、全力でできることをやってヘマしても、きっとクロさんがカバーしてくれると、勝手に思っています」
「私、そんなに凄くないんだけど」
凄いですよ、と返したマシュに、むー、とクロは眉間に皺を寄せた。
クロは、決して真っ当な英霊ではない。彼女の主観的な感情はともかく―――そもそも、彼女の核になった英霊からして、客観的には二流三流のものだ。そのデッドコピーに過ぎないクロの実力は、決して優れるものではない。
「頼りになるのですね、クロエは。では、私も何かあったらあとは任せる、くらいの気持ちでいられますね」
「不謹慎じゃない、そういうの。死亡フラグっていうのよ?」
くすりと、ジャンヌは笑う。気兼ねの無い微笑は、先ほどまでの気負いが既に無いことを示していた。
「為すべきことは多く、そして困難です。ですが、皆が力を併せれば、きっとこのオーダーは為し得ましょう」
※
「見えてきました。ラ・シャリテ、ですね」
ジャンヌが遠く、指をさす。
なだらか丘陵の先に、確かに小さく街が見えた。
草原の中、山吹色の屋根が連なる、古い町並み。遠方からでも目立つ尖塔を突き立てた教会は、いかにもヨーロッパの街だなぁ……なんて、トウマは思ってみる。
「そろそろ行きましょう。お疲れではないですか、もう少し休憩を取りますか?」
「私はそうでも。トーマ君は大丈夫?」
「……まぁ、なんとか大丈夫です」
ふう、と嘆息一つ。額に薄く滲んだ汗を袖口で拭って見せたが、実際には疲労感は無い。
早朝4時前に目を覚ましたのち、森を抜けたトウマ達は、3つ連なる山脈を踏破して、今は14時少しといったところだろうか。時折小休憩を挟んだとは言え、ペースとしてはかなり早かった。
この短期間で体力をつけた、というわけではもちろんない。理由は単純で、リツカとトウマが着ている服にあった。
「とりあえずはあの町で情報収集、ですね。十分な情報を得られない場合は、オルレアンに向かうべきでしょう」
「リスキーですがリターンも大きい、ということでしょうか」
「そうですね。今私たちの手札はあまりに乏しい。敵が誰かすら判明していないのは、今後の方針にも関わりますから」
マシュは目を細めながら、丘の先の町並みを眺めている。小さく映る橙の屋根は、なんだか、酷く呑気なようで―――。
(―――ロマン、広域索敵できる?)
不意に、通信ウィンドウが視界の中に立ち上がった。網膜投影されたウィンドウには、クロからの通信を示すアイコンが表示されていた。
斥候として一足先に展開するクロからの、通信。トウマは、妙な心臓のざわつきを覚えた。
(あと1km前に行けば入るけど……どうしたのかな?)
(わかった、急ぐわ―――何か今、飛んだように見えた)
「ワイバーン、ってこと?」
(違う。この距離からじゃ正確にはわからないけど、もっと小型の……人、に見えた)
彼女の声の奥底に、微かな焦燥が滲む。何か不味いことが起きている、と彼女は確信している。視界の端に映るマップ上、クロを現す光点は、瞬く間に
(索敵圏内に入った。スキャン開始―――サーヴァントの反応だ。丁度ラ・シャリテの中央に検知!)
「フォウ、フォーウ!」
つんざくような声が、耳朶を衝いた。
フォウがマシュの頭の上に乗っかるなり、遠吠えのような雄たけびを唸らせた。
「あれは―――」
ジャンヌが顔を上げる。切迫した彼女の表情を追って、丘の下の町を見下ろす。
相変わらず、間延びしたような緑の丘が続いている。のんびりしたような淡い暖色の屋根が並ぶ街の中に、何か、赤いものが渦を巻いていた。
真直ぐと青い空に立ち上る、赤い柱。黒煙を巻き上げながら町を蹂躙する、深紅の柱―――。
炎、だった。穏やかな街を食らうように、炎が巻き上がっていた。
「マシュ、ジャンヌ、お願い!」
「了解です、先輩!」
ぐん、と身体が浮いた。ぎょっとしたのも束の間、目と鼻の先に、ジャンヌの顔があった。
「すみません―――急ぎます!」
ジャンヌはトウマを軽々と抱き上げると、突風のように駆けだした。
※
クロは喉が枯れるような焦燥の中、地を蹴り上げる。
周囲の町並みに、かつての穏やかさは無い。石造りの家は崩れ落ち、骨組みは剥き出しになり、街のシンボルだったはずの尖塔も崩れ落ちている。
そして。
クロは、足を止めた。彼女のルビーみたいな目は、床に倒れこむものを、凝視した。
手がある。胴がある。足がある。間違いなく人間のはずなのに、肝心の、頭が、無い。上顎から上を食い千切られたように、飛び散っていた。
それも、一つではない。あるところでは右半身を食われ、あるものは下半身を切り飛ばされ、あるものは、砕けた頭だけだった。そこには、既に物になりはてた遺骸が、転がっていた。
彼女は、取り乱さなかった。彼女は、それを、正視できた。
生前、これほどの惨劇は見たことはない。確かに苛烈な生を生きた自覚はあるけれど、人の死がこれほど無造作に投げ出された惨状は、目にしたことが無い。
にもかかわらずそれを耐えられたのは、多分、生前のさらに古い記憶―――クロエがクロエたる核を為す弓兵の、擦り切れた記憶があったからだ、と思う。
あるいは、それは『耐える』とは別種の何かだった。感情として固定されきらない不定の情動だけが身体の内側で渦を巻き、打ち震えていたのかもしれない。クロには、自分のソレが何なのかは、わからなかった。わかろうとして思案したところを、何かの雑音が耳朶を掠めた。
ずるり、と何かが路地から顔を覗かせた。野太い体躯を不定にくねらせる、厳めしい爬虫類。巨大な蛇のように見えたが、もちろん、そんな可愛げのある生き物ではなかった。
蛇のように見えながら、胴体からは野太い腕が突き出ている。
ワーム。ワイバーンと同じ亜竜種の一つ。15世紀のフランスに居て良い生き物では、ない。
ワームが首を擡げる、ぐえ、とカエルみたいな鳴き声を上げたワームの口の中に、何かがのぞいた。
小さな、肉の塊だった。ボンレスハムみたいな肉の塊には、5つの指がついている。腕、だ。子供のそれよりももっと、小さな―――。
深紅の颯が駆ける。両の手に握る、黒白の陰陽剣。ワームが反応するより早く懐に潜り込むなり、首めがけて双剣を薙ぐ。
堅牢なはずの鱗は、あっさりと切り裂かれた。赤い飛沫を噴き上げた蛇のような巨体が地に臥すより早く、クロはさらに一歩、路地へと踏み込む。
もう一匹が居た。腐肉を食い散らかすもう一匹のワームは、今更に顔を上げた。
そこで絶命した。胴体に1本、頭蓋に1本。投擲された剣が突き刺さり、そして、続いて生じた小爆発でミンチになり果てた。
宙に舞った肉片が、はらはらと地面に落ちていく。袖口で頬についた粘っこい血を拭い取り―――。
「―――
脳裏に描いた剣は、正しく毀れずの銘剣、デュランダル。輝煌の剣の柄が出現するなり、身をよじりながら背後へと振りぬいた。
剣先が走る。背後からの強襲を迎え打つように、絶世の剣光が掬い上げるように振りぬいた。
が。
「―――嘘!?」
拮抗は秒ほども無かった。
クロの目は、その瞬間を刻銘に見た。決して刃毀れせず、岩をも裂いた聖なる剣は、あっけなく砕けた。
衝撃が顎を衝く。気絶しかねないほどの衝撃はクロの身体を台風に煽られた木の葉のように吹き飛ばし、石壁へと叩き付けた。
げ、と声が染みた。肺の空気が全て絞り出されたかのような痛撃が全身に広がったが、【心眼(偽)】は次に来るだろう攻撃を察知し、彼女の矮躯を跳ね上げた。
デュランダルすら砕く攻撃、ならば干将莫耶を投影して防戦に徹するか、アイアスの盾を投影するか。あるいは―――。
逡巡は刹那、双剣を投影しかけたクロは、寸前で魔術行使を中止した。
攻撃は、来ない。【心眼(偽)】による直感的な攻撃予知にも関わらず、敵の攻撃は無かった。
「―――ふーん、どんな子リスかと思ってきてみたら、薄汚いネズミね。折角出向いたのに、大損じゃない」
驕慢な声が空から降った。
咳を一つ、クロは静々と、尖塔の上に立つ影を睨みつけた。
きらびやかな衣装に身を包んだ、少女だった。衣服から覗く手足は華奢、というよりは痩せぎすとすら呼べるだろう。無思慮な睥睨を自然にぶつける端正な顔立ちも相まって、それだけならば箱入り娘の無垢な美少女といった様子ですら、あった。
だが。
明らかに、その少女は、人間ではなかった。腰から延びる黒黒とした尾、背で揺らめく蝙蝠めいた翼、そして頭部に戴く古木のように捻じれた双角。
サーヴァントだ。それも、恐らく真っ当な英雄ではなく反英雄の、類。
―――敵。
直感的に、クロは判断した。あれは人間に害をなす怪物、即座に斃すべき敵、だ。
「ちょっと、そんな目で私を見ないでくれる? ドブネズミの癖に生意気ね。ネズミはネズミらしく隅っこで震えていなさいよ」
からから、とサーヴァントは嗤った。笑っているくせに、目は全く笑っていない。むしろ不快感を露わにした目が、ぬらりとクロをなめた。
「私、可愛らしいものは好きよ。貴女はそこだけなら合格。でも、臭くて汚いものは趣味じゃないの。だから」
ふわ、と羽根が開いた。蝙蝠めいた翼で飛び上がった彼女の姿は―――。
「殺すわ」
竜のようだ、と思った。
「―――
サブタイトルですが、蘿蔔が投稿するときのノリとテンションでつけてます。
初話でつけてしまったが故に謎の意地で毎話付けていますが、もっとこう、かっこいいサブタイトルを付けてみたいものです。