fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅴ-EX ”混沌の王(THE CHAOS)

 始まった。

 テムズ川の上、北緯51度西経0度地点。ロンドン橋の中ほどで、アリスは蹲った姿勢のまま、空に爆ぜた2つの閃光を見た。

 空に丸く刳り貫かれたようなそれは、多分、信号弾代わりに金時の刀を自壊させたのだろう。

 であれば、もう1つは、エリザベス女王が振るった聖剣というところか。

 その閃珖にどうしようもなく望郷めいたものを感じるのは、アリスの血のおおよそが、英国に根差したものであるからだろうか。あの剣とその事象の意味を、アリスはよくよく理解している。第二魔法を限定的に使用し、あらゆる並行世界の英国から御稜威を授かり、魔力として使用するという、エリザベスⅠ世とあの身体が融合しているが故の御業。殊イギリスの地にあって、それは限定的ながら、極めて再現度の高い“魔法”だっただろう。再現度の高い魔法、というのも、何やら語義矛盾的だとは思うけれど。

 果たして、その奇妙な望郷と言う名の感慨が、ただ英国人の血によるだけのものだったのか、アリス自身にも判然としなかった。魔術の徒たるもの、その窮極たる『魔法』を目撃し、平静でいられるはずもない。けれど、アリスの秘奥に淀む沈黙は、ただ一般論としての感慨だけを顕しているわけでも無かった。

エリザベスの紅い礼装に、いつか見たはずの、紅蓮の魔法が重なる。清廉で、凛としていた彼女とよく似ている。知り合いも、いずれ年を経て、英国の女王陛下のような柔和さを得たのだろうか。それは、アリスには、与り知らぬこと──。

 アリスは、静かに立ち上がった。作業は完了した。足元に広がるロンドン橋の小さな隙間に埋め込まれた薔薇の種を見下ろして、アリスは踵を、返した。

ごり、とショートブーツのヒールが、擦れた。

 空に浮かぶ、未だ冷めやらぬ光輝がロンドン橋の上を照らしている。満月にも等しい光に照らされて、何か、黒い影が浮かび上がっていた。

 人避けプロイ(名無しの森)は既に敷いていた。ロンドンに住まう市民であるはずがない。そして当然、味方であるはずもない。ならば答えは、ただの1つだけだった。

 敵。そうでない可能性、などという楽観は即座に切り捨てた。

 彼我距離、50m。即座に目測をつける。自分の特性を鑑みれば、接近戦はすべきではない。数歩後退り、情報端末に無線を入れかけたところで、アリスは顔を顰めた。

 カルデア式の通信手段は極めて魔術的で、マスター・サーヴァント間の念話をベースに形式上の契約を介して連絡を取り合う、という方法を取る。実際の方法としてはこの情報端末同士、という物同士を契約関係に置くことで、端末同士で連絡を取り合う形だが、それが繋がりすらしなかった。

 咄嗟、α-02の強襲が脳裏を過ったが、別な事象だと判断する。記録上、α-02の通信妨害は、通信そのものを遮断するのではなく、欺瞞情報を流す方法だった。今起きている事象は、それとは異なる。今起きているのは、そもそも途中でパスが断絶しているような状況だ。

 機器の故障の可能性はあるが、そんな気まぐれな理由ではないだろう。理由はそんな偶然性なのではなく、何か必然的な理由によって生じたと判断する方が良い。つまるところそれは作為的事象であり、目の前に突兀と立ち尽くす黒い影の仕業だ、ということだ。

 可能性への思案は、すぐに行き当たった。単純な発想だが、繋がりを断つには、小賢しい妨害ではなく、空間に閉じ込めてしまえばそれでいい。魔術的に表現するなら、結界の内に閉じ込めてしまえばいいのだ。だが、アリスに気づかれることなく魔術的な結界を展開するなど、おそらく時計塔の冠位に等しい魔術師であっても不可能だ。なら、可能性は物理的配置によって作り上げた天然の結界か、それとも、即自展開型の結界……固有結界、か。

 「あなたね。この特異点の、鍵になったのは」

 問いかけ、というよりは、ほとんど自問。ただ己の思考を整理するためだけの行為、だったのだが。

 微かなくぐもりの後、荘重さすら感じる声音が、アリスの耳朶を打った。「そうだろうな。何分、窮屈な身体だが」

 「意外そうだな」目を見張るアリスの素振りに、黒い見姿が身動ぎした。それが嗤っているのだ、と理解して、アリスは、何故か怖気を奔らせた。

 何か、その人型が人の形をしていることが、極めて冒涜的なことのように思えた。人間、という存在そのものを侮蔑しているかのよう。ぎょっとしたのは次の瞬間で、アリスは、自分が凄まじい形相で睨めつけていることに、今さらに気づいた。

 直感的に、というより直観的に理解する。元よりそのつもりだったが、相対して確信したのだ。

 あれは、生かしておいてはいけない、敵。

 「この身体にも随分馴染んできた。言葉、というのは随分不出来だ。喋りたいことに限って、沈黙しなければならない」

 「その割に、随分おしゃべり」

 「そういうお前は、人間の癖に喋るのが苦手と見える」

 「あなたと違って、人類は言語を話すようにできていない」

 いま一歩、アリスは下がった。なんとなく、頭に浮かんだリツカの顔に、内心で頷き返した。アリスは、元より戦いは不得手だ。魔術戦ならいざ知らず、この戦いはそんな上品なものではない。

 「質問を返すようだが、私の邪魔をしているのはお前だと理解している。その認識であっているな?」

 「質問に答えが返ってくると思うのはガキの発想」

 「結構。ただ、嬲るのみだ」

 揺曳と、黒い姿が身動ぎする。未だ嗤笑を纏った姿に、アリスは咄嗟に身構えた。

 接近を赦せば負ける。両足の構造にオドを流して強化を施しかけたアリスは、しかし、目の前で爆ぜた景色に、激情を惹起させた。

 光芒の中、黒い影が歪に広がる。長い、外套を広げたのだ。裾の擦り切れた外套が風にはためくなり、その奥の黒い肉体から、ずるりと何かが這い出した。

 1匹、2匹ではない。たちまちに、ロンドン橋の上に無数に溢れかえった四つ足の生物は、何か、野犬に見えた。

 「親玉というから少しはマシかと思ったけど、あの人狼もどきよりも下品で下賤。愚劣極まりない」

 はっきり言って、全く以て不愉快極まりない景色だった。全身に惹起した疼痛すら伴うほどの激情に身を焦がされ、アリスはケープの裾に手を差し入れた。

 引き抜くガラス細工の猫鈴。艶やかな藍色のそれを、ばら撒くように地面に投擲した。

 緩慢な彼女の立ち振る舞いからは想像だにできない、芸術的な身振り。積み重ねた久遠の歴史が為せる業か。大胆にして鮮やかな指芸(カット)を思わせる。

 ほぼ同時、背後に飛び退く黒い影。地面に藍色の鈴が吸い込まれるより数瞬早く、左目を起動させる。

 深い夜闇を孕んだ黒い眼球が、禍々しい紅玉に反転する。

 最速のシングルアクション。視界に捉えたものに干渉する暗示の一形態。投射型の魅了の魔眼で以て、溢れんばかりに猪突をしかけた獣の群体を捕縛した。

 先頭集団の10匹あまりの獣が硬直し、背後から雪崩れ込んできた獣の群れに轢殺されていく。無数の獣が一塊になって互いに食らい合い肉塊になりながら、さらに押し寄せた別な野犬めいた獣が肉の壁を乗り越えていく。

 肉の津波。脳裏に過った言葉は、一切詩的ではない。事実、目の前で黒い肉どもがのたうちながら迫る様は、ただ不快しか惹起させない。

 青い目を爛々と輝かせながら詰め寄る野犬の波。相対距離10mまで迫った黒い肉は、

 「──“Diddle Diddle”」

 石畳から突き出した無数の銀に貫かれ、そこで惨死した。

 あるものは三叉の矛に貫かれ、あるものは直下から突き出した銀に突き上げられて横死した。倒壊した巨大な食器に圧し潰されて死ぬものもいれば、銀の柄に激突して頭部を肉みそにして死ぬものもいた。

 さしずめ、銀の防波堤。無数に生えた巨大な白銀の“食器”が橋の上を横切るように展開し、アリスを飲み込まんとしていた獣の群れを堰き止めていた。

 寸でディドルディドルの刃を逃れた野犬、総数5。内、3頭は瀕死で、放っておいても勝手に死ぬだろう。であれば敵は残り、2。

 コンマセカンド以下の判断。そして決断すれば、アリスの行動は迅速果断を極めた。

 再度、彼女の手がケープの裡に延びる。流れるように疾駆する黒衣。引き出したものは、何か、小瓶のようなものだった。

 

  ──Beware the Jabberwock, my son.

  ──The jaws that bite, the claws that catch.

──Beware the Jubjub bird, and shun,

──The frumious Bandersnatch

 

 コルクキャップの淵に親指を引っかけ、小気味よく開け放つ。滑るような音に引きつられるように噴き出した薔薇の濃霧が、アリスの手に纏わりつく。

 2頭の野犬が飛び掛かる。

 本当に下賤だ、とアリスは侮蔑を投げつける。これなら、まだあの時の野犬の方がまだマシだった。あの野犬どもはまだ、クソほどでも理性があった。これは違う。相対する神秘の異様など構いもせず、ただ肉欲だけを怒張させただけの機械のようなもの。古より生きる魔女にとり、そんな生き物は存在するだけで罪だった。

 罪には、罰が伴う。そんな当たり前の自然の摂理が行使されるように、野犬一頭がまず両断された。開いた上あごから頭部、さらには背中から尾まで一刀の下に切り離され、2つ別れになった肉はそのまま石畳に潰れた。

 ようやっと、もう1頭が恐怖に囚われた身振りを見せたが、遅すぎた反応だった。それは戦闘速度という意味でも、また畏敬という意味でもだ。

 ディドルディドルを取り込んだロンドン橋は、まさしくアリスの戦闘領域でしかなかった。本来得手ではない強化の精度も高ければ、魔眼の精度も普段の比ではない。漠と視界に入っただけで野犬は身を硬直させ、あとは石のように動くことすら許されなかった。だが、それは罰というには温いだろう。何せ、久遠なりし魔女の尊厳を侵した馬鹿者に下される罰は、死以外には在り得ない。

 一歩の接近と同時、濃霧を纏った右手を掲げた。薄れ始めた霧の中、黄金に煌めく刀身が屹立していた。

 

 ──One, two One, two

   And through and through

   The vorpal blade went snicker-snack

 

 閃珖なりしや、勝利すべき黄金の剣。かつてこのロンディニウムに謳い上げられ、そして久遠に失われた選定の剣。残り2つとなったグレートスリーの一画、至高の幻想(クラウン・ファンタズム)を糧として錬成された、貴顕の幻想(ノーブル・ファンタズム)。混沌を断ち秩序を齎すその剣こそは、マインスターの魔女が編み出した最強への鍵だった。

 黄金の刃は、呆気なく野犬の首を刎ねた。ただ触れただけで濡れ紙を裂くように頸椎を切り裂き、噴き出た血が散らばった。傷みすらなく獣は死んだだろう。ただ、それだけが不愉快だった。

 だから、というわけではなかったが。ディドルディドルの防波堤が軋み、日々が入った様に、アリスはなお不快を増長させた。

 一体どれだけの“貯蔵”があるのか、という理性的判断と、逆巻くような激情が脳みそで目まぐるしく駆けている。何にせよ結論は簡単で、アリスは背後に飛び退いた。

 防波堤が結界したのは、その直後だった。およそ4mはあろうかという巨大なフォークとスプーンがぐにゃりと曲がるなり、鈍い金属音を吐きながら砕け散った。

 汒乎と立ち上がる不気味な巨体。軟体生物を思わせる触手を蠢かせたそれは、有り体に言って、肢体を持った巨大な蛸のような外見だった。人間の神経を逆なですることしか考えて居ない、冒涜的な佇まい。アリスは、本気で頭にきていた。

 大きさは5mほどもあろうか。巨体を燻らすようににじり寄るその足元から、うぞうぞと無数の野犬が湧きだしてくる。

 「気に入っていただけたかな、星の落とし仔は」

 「饒舌が過ぎる」

 朗々、とした声に対するアリスの返答は、ただただ侮蔑でしかなかった。

 冷たいアリスの眼差しなど知ってか知らずか、緩慢な動きで、5mの巨躯が迫る。引き連れられた野犬は意気揚々とばかりに疾駆する。

 野犬が到達するまであと5秒。無感動に理解して、アリスは、剣をロンドン橋に突き立てた。

 

 ──London Bridge is broken down,

 ──Broken down, broken down.

 ──London Bridge is broken down,

 ──My fair lady.“

 

 眼下に迫る白灰の牙。撒き散らされる唾液とぎょろりとした目に、アリスは、最後の最後にプッツンした。

 恐らくは、音すらなかった。無音だったわけではない。ただ、足元から鬱勃と迸った轟音が、周囲の不愉快な鳴き声を文字通りに引き潰していったから、だった。

 微かに紛れる甲高い悲鳴。助けを請うように逃げ惑う野犬どもを無慈悲に挽肉にしながら、その巨人が屹立した。

 

 ──Build it up with silver and gold,

 ──Silver and gold, silver and gold,

 ──Build it up with silver and gold,

 ……My fair lady───.

 

 轟いた叫喚は、違えようもなく怒声だった。主たる魔女の清貧な激情を代弁するように、身の丈10mを超える巨人が眼下を睥睨した。

 精々5mほどの巨人など、橋の巨人の前では、そこいらに群れる野犬と大差ない。逃げ惑うように背中を向けた刹那の合間に、振り下ろされた巨大な拳がただの一撃で頭を潰し、周囲の野犬ごと肉のスープに粗挽いた。

 橋の巨人、テムズトロル。アリスが使役するプロイキッシャーの内、初代の魔女から永く伝わる偉大な幻想の内の1体。千年クラスの神秘を内包した巨人ながら、何か特異な魔術特性を有しているわけでもない。というよりも、そんな小賢しいものに頼る必要など、この巨人にはありはしない。

 ただ巨体。それだけでありながら、それだけであるが故に最強の使い魔。テムズより強力なプロイは2体あるが、信頼という意味では橋の巨人を置いて他には居ない。

 巨人の眼差しとともに、アリスも眼下へと蔑視を投げる。巨人の肩から見下ろす先に、我先にと逃亡する野犬たちが映っていた。

 19世紀末、ロンドン。先端の文明都市でありながら、既に頽廃の兆しを孕み、人間の闇と言う名の幻想を蓄えたこの森は、アリスの肌に、却って馴染む。素材はロンドン橋に、核に担われた黄金の剣。薔薇の猟犬を糧に、アリスのプロイキッシャーと化した剣を核にした巨人は、その最終形態に手をかけている。

 果たして、魔法ですら打倒し得るか。こと、この特異点ロンドンにて顕現した橋の巨人は、その域に達してた。

 敗北など考えられない。巨人の肩から眼下を睥睨して、アリスは、それでも峻厳を極めていた。

 巨人に圧し殺される野犬のような生き物たちの、群れ、群れ、群れ。逃げ惑う愚かで憐れな姿にかける情の持ち合わせなどは当然なく、ならば、その冷ややかな険しさは、全く別な感慨だった。

 爛々と闇夜に蠢く双眸。いつかの記憶が、惹起した。嫌だな、と、思った。

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