fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「目標地点に到達。これより探索を開始する」
歴史上の人物、というのは、得てして誇大に感じるものだ。紙の教科書にせよタブレット端末から参照するライブラリデータにせよ、何か自分とは異なる大人物、という感触を惹起させる。この旅を始めてから、そうしたギャップにもある種慣れてきたけれど、今回のそれは全く違ったものだった。
「案外、綺麗なものだね」
気の抜けたような、リツカの声。意外そうな感のある声音に、マシュはまた違った意味で、首肯を返した。
ヘンリー・ジキルとハイドの事件から伺い知れるのは、紳士然としたジキルに対して、粗暴粗雑なハイド、という印象だ。
だが、この書斎……わずか11㎡ほどの小さな地下書斎は、両側の壁にびしりと本が並ぶ。なんの木材か検討もつかないながら、綺麗に整理された古びたデスクが奥まっていた。
何はともあれ、狭い。1人暮らしのアパルトメントの一室がこのくらいの狭さだと知識上あったが、何故か、物凄く狭く感じる。歴史上の人物が、こんな場末の地下に蔵書を蓄えていると思うと、妙な生々しさがあった。
と、同時。
マシュは、改めて理解する。この閉所での近接格闘戦を行うならば、武器に求められる特性は、取り回しであって火力や防御力ではない。如何に素早く、的確に打撃を与えられるかが勝負の分かれ目だ。マシュの大盾は、この戦場では使えない。
「本の内容は似通ってる。ハイドなんだから当然だけど、薬学もあれば宗教学のものもある。あの、わけのわからない妄想の書き連ねは、無いようだね」
まるで、リツカの態度は古本屋にでも来たかのような気楽さだ。何かボタンの掛け違いが起きれば死ぬ、という状況にも関わらず、この呑気さである。
どうしてこんなに、泰然としているのだろう。リツカとの付き合いは決して長いとは言えないけれど、短くもない。半年近くを共に過ごしているけれど、彼女の佇まいは、どうにも理解が及ばない。
「マシュ、これ」
奥まったデスクの傍で、リツカが手招きする。慌てて彼女に駆け寄ると、リツカの手元を覗き込んだ。リツカは、マシュよりも、小柄だった。
「どうやら、手製の本……らしいね。随分古いようだけど」
表紙には、タイトルらしきものはない。背表紙もそうだ、紙は大分古びて、茶色く変色し、古紙のあの乾いた黴のような臭いが膨れ上がった。
「なんで、こんなものが此処にあるんだろうね」
リツカが、本を開く。最初の1ページに、滲んだような文字で、タイトルが記されていた。
『暫定呼称“
筆者:■■■■
筆者名は、酷く塗りつぶされていて伺いしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。
「先輩、これって」
「マキリ・ゾォルケンなる人物が残した本……英霊召喚式について書かれた本に、確か冠位のサーヴァントに関する記載があったと思う。曰く、通常の英霊召喚によって呼ばれるサーヴァント達とは異なる、文字通り規格外のサーヴァント。霊長の敵なる“獣”を討ち果たすために世界によって召喚される、抑止の決戦兵器。それが、グランド」
途中、ほとんどうわ言のように言いながら、リツカはデスクの上を眺めた。何かを探るような視線の動きの後、「誰の仕業なのやら」と、苛立たし気に嘯いた。
「マシュ、見てごらん」
「えっと?」
「本棚とかは埃が被ってるけどさ。机の上、拭いた跡がある」
「本当……」
「私たちに、何かを教えようとしている勢力がある。その意図も、何もかも不明だけど」
忌々し気な口ぶりは相変わらず、リツカは本のページを捲る。ぱらぱら、と捲る様は、速読ですらない流し見だ。漠、と文字情報を眺めているだけの仕草が、直後に停止した。
「これ、は」
リツカが手にした、ポストカードほどの、それは絵だった。色鉛筆かクレヨンかで描かれた、お世辞にも綺麗とは言い難い絵。赤く燃えるような戦士と、対照的な黒い冷徹な戦士が、竜虎相討つように描かれた、絵──。
「マシュ!」
リツカの声が、鋭く耳朶を衝いた。
あ、と思った。
マシュは、それなりに戦いを経て、敵を攻撃する漠然としたタイミング、というものを理解し始めていた。感覚的だけれど、敵が息を抜き、次の一息を吸う瞬間。一呼吸が、隙を産む。
そして、マシュは素直に理解した。自分に隙があるとしたら、今がその時だった。リツカはその一呼吸を正しく読み取って、だからこそ、その奇襲を予知した。
ちり、とうなじを黒く焼くような感触は、その半の半瞬の後に、来た。
あ、と思いながらも、マシュの動きはまるで機械のようだった。
熟練された身体記憶は、反射にも等しく人間を駆動させる。前意識的な迅速な素振り。マシュは素早く身を翻し、背後に迫った姿を捉えた。
「──“
その姿、間違いなく、マシュの知る、あの小さな姿だった。病的な白い髪に、やはり病的な白い肌には、無数の傷が散りばめられていた。あの時は、ちょっと痛ましい、くらいに考えなかった、創の痕。多分、恐らく、それらは胎からかき出される時の瑕、掻き出されて四散した肉体のモザイク画。
マシュは、手に握っていた石くれを放り投げると同時、両手を前に掲げた。飛び掛かる矮躯を拒絶するように、そして同時に抱き留めるように、啓いた手のひらが、起点だった。
「疑似展開……『
本来的に、マシュは宝具の展開に盾を必要とするわけではない。彼女の宝具は、自らの特質たる【魔力防御】と、それにより具象させる強力なパワーフィールドこそが本質だった。盾は、彼女の精神を巧く伝わらせる象徴で、最も強力に宝具を発動させるためのインターフェース。言わば、彼女の拠所。本質的に、戦うことを好むわけではないマシュ・キリエライトの精神の待避所。それが盾だった。
突き出した両手の先に、鮮やかな閃光が押し広がる。マシュ1人を包むので精一杯、というような、薄い膜。とても繊弱で、触れれば砕けそうな薄膜。
敵の攻撃は、黒い霧が鎌鼬のように襲い掛かるように見えた。黒い斬撃がマシュの“盾”を切り裂く刹那に、割って入るように、なお黒い濃密な瘴気の如き壁が斬撃に食らいついた。玉藻の前の切り札たる呪術、呪相・黒天洞が発動したのだ。マップの座標と、マシュに持たせた呪物を起点にした、遠距離での呪術操作。一寸たりとも精度を違えない呪術の発動は、玉藻の前というサーヴァントの卓越たる所作の証明そのものだった。
だが、急ごしらえの呪物を触媒にしただけの呪術の出力は、彼女本体が発動したそれに比べて遥かに劣る。彼女自身が発動すれば、その呪術だけで8割は減衰させていただろう。だが、遠隔操作でのそれは、およそ4割を削るに留まった。
残りの4割。切り裂きジャックの攻撃、斬撃に見える怨嗟の投射は、もろにマシュの盾に殺到した。
怨念が盾を食む。単なる物理的な衝突ではない、精神そのものに憑りつくようなそれは、彼女の特質から言えば、鬼門中の鬼門であったかもしれない。何せ、精神の勁さそのものが、力場の、ひいては宝具そのものの出力に直結する。精神そのものに干渉されれば、宝具の出力低下は、免れない──はずだった。
互いの神秘が、互いを否定するように食い合う干渉光が月虹のように押し広がった。防眩処置が視界にかかっているはずなのに目も明けられない光の渦の中、マシュは、寒いなぁ、と思った。
うなじを昇ってくる、黒い幻影。全身を覆い尽くす、冷たい闇黒。肌を粟立たせることすらできない戦きの中、マシュは、酷くか細い泣き声を聞いたような、気がした。数人の女性を“解体”し、無残に死を与えた、悪魔の泣き声。
──まだ、マシュの盾は、保っていた。
※
マシュの宝具は、玉藻の前のバックアップも加味して、5秒まで耐えられる。
それが、マシュ本人や玉藻の前、アリスやカルデアのダ・ヴィンチと算出した防御の時間だった。故に、勝負を決めるならこの5秒間しかなかった。
5秒。人間のリツカにとってみればあまりに短く……だが、十分すぎる時間、だった。
マシュが一呼吸を見せたのは、リツカにとってみれば、むしろ好機だった。α-02が攻撃に入るそおよそ半瞬ほど早く、自分の攻撃タイミングに移れていた。
その時点で、リツカは勝利が見えていた。
身を屈めると同時に、ほとんどシングルアクションすら遅い速度で一工を詠唱。一切の淀みなく身を屈める動作と地面を蹴り上げる動作を連ね、マシュの小脇を掻い潜る。宝具同士が拮抗し、迸り飛び散るマナの残滓が肌に張り付き、霊子展開されたBDUの相転移構造被膜が接触したエネルギーを弾き返す中、リツカはその、敵、を捕捉した。
半瞬ほど遅れて、太腿のベルトに装備していたグリップ2本を引き抜く。ただ、柄だけが存在していたそれに、魔力を通す。秘蹟の基盤を以て励起されたグリップから、忽ちに70cmの刀身が発現する。
相対距離、僅かに70cm。近すぎる、だが問題ないという判断より遥かに早く、彼女の体躯が跳ねた。
軸足は左。猪突の気勢を強化と相転移被膜の負荷軽減によって漸減させながら殺しきれない分を慣性モーメントに乗せるや、蹴り出した右足を、その小さな身体の下腹部に捻じ込んだ。
ぎゃ、という悲鳴が聞こえる。リツカの所作は、一切躊躇がない。軽々と吹っ飛ぶ矮躯を見据えながら、右足を振り抜いたモーメントをさらに乗せて身体を反転。両手に握った聖堂教会の装備──黒鍵を振り下ろししなに、投擲した。
投擲のために振り下ろした両手には、既に4本、指に挟み込むように、別なグリップが握りこまれていた。励起と同時に再度刀身が立ち上がるなり、今度は両手を掬い上げるように振り抜きざまに、投擲。計、6発投擲された黒鍵は、壁に激突した敵の体を貫いた。
2本は手首を、2本は大腿部を。残り1本が深々と胎を抉り、壁に縫い付けていた。一発一発が、単純な物理的エネルギーに換算すれば対戦車狙撃銃にも等しい火力を有する。上級のサーヴァントならいざ知らず、そこいらの怨霊如きに、引き抜けるものではなかった。
ぱらぱら、と天井から落ちる埃を手で払いながら、リツカは磔にされて身悶えする敵を眺める。秘蹟の牢獄から抜け出せない様を確認してから、一瞥を、床にへたり込むマシュに贈与した。
ほんの、一瞥だけの眼差し。顔を挙げたマシュと視線が行きかうと、リツカは微かにだけ頷きを返して、最後の一本を引き抜いた。
余分なことだな、と思った。エリザベス女王風に言うなら、多分、心の贅肉という奴だろうか。だが、人は贅肉無しには生きていけないものだ。「まぁ、贅肉が無いと、低栄養で死ぬしね人間」というのは、おおよそ独語でしかなかったが。
「あなたの名前は、切り裂きジャック。それで、合っているかな」
ゆら、と顔を挙げる様は幽鬼のようだった。暗い洞窟のような目に見返されながら、リツカは、ただ、虚無のようにその眼差しを受容した。
「私は、今からあなたを滅ぼさなければならないんだ。人類の為、という大義名分のためだ。加えて言うなら、あなたと言う人間は、罪のない人を、まぁ何人も殺めたわけだ。私は唯物論者だけど、実在論者でもあるんでね。実存主義者なんだな、私は。罪には、罰が在るべきだと思う訳さ。まぁこれは個人的な話だから、今はどうでもいいんだ……あなたという人を殺める言い訳を、自分で誤魔化してるだけだから。
それで、まぁ、なんというか、要するに。
今から私は、君を殺すんだ。何か、言うべきことがあるなら、聞くよ。神父の真似事くらいしなきゃ、あの子たちに申し訳もたたないしね」
「────」
「そっか。いや、当然だろよ、謝らなくていいんだよ。あなたは間違いなく悪人だけど、立派な一人の人間だ。高潔な、人間だったよ。
いいかい。あなたは心優しい人だけれど、あなたを産み落として、勝手に殺す、この人類史を許してはいけないよ。あなたを滅ぼすことしかできなかった、私の無能を、許してはいけないよ。この世界を、決して許してはいけないよ……」
リツカは、剣を振り上げた。両の手で逆手に構えた黒鍵の切っ先は、過たずに、敵の、心臓に突き立てた。
ずぶ、という感触は、酷く柔らかかった。エーテル体で構成されていようとも、肉は、肉なのだ。柔らかな感触が剣先から手に伝わり、腕を這い回り、全身に伝播、していく。びゅ、と飛び散った血飛沫が、顔面に降り注いだ。
一息。肺からCO2を、吐き出した。
“主の恵みは深く、慈しみは永久とこしえに絶えず”
“あなたは人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず”
“餓え、渇き、魂は衰えていく”
“彼かの名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を”
“渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす”
“深い闇の中、苦しみと鉄くろがねに縛られし者に救いあれ”
“今、枷を壊し、深い闇から救い出される”
“罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ”
“正しき者には喜びの歌を、不義の者には、”
“……
──。
「優しいね、あなた」
応えなかった。
※
殉教者。
その背に抱いた観念に、マシュは、どうしようもない憐れを感じることしかできなかった。
両の手を添えて、縋るようにあの小さな少女に剣を突き立てるその後ろ姿は、何か、祈りを捧げる修道女のよう。
立ち上がって、マシュは、その背に駆け寄った。ほとんど叫ぶように先輩の名を呼んで、そうして情けなくもすっ転んだ。
「何やってんの?」
ふと気がつくと、リツカがぽかんとした目でこちらを見下ろしていた。顔にへばりついた血と袖口で拭いながら近づくと、緩慢な動作でしゃがんだ。
「大丈夫?」
「はい、なんとか。お恥ずかしいところを」
「ケガしてないなら、いいんだ。立てるかい」
消え入りそうな声で応じながら、マシュは、腰にあてられたリツカの手の支えに従って、すっくと立ちあがった。
「当たり前だけど、いつも楽をしている人間が、偉そうに戦うものではないね。身体が痛くて仕方ないや」
苦笑いをしつつ、リツカは身体を動かして見せる。視野投影されたステータスボードには、マスターのバイタルデータに加えて、身体の損壊部位も表示されていた。
損傷こそしていないけれど、身体へのダメージは少なくない。疑似魔術刻印と元からの魔術刻印による再生と、そもそもBDUの負荷減少措置で極力身体的ダメージは起きていないようだったけれど、逆に言えばそれだけの防御策を敷いても負荷を防ぎきれなかったのだ。特殊な体術を用いた、黒鍵の投擲術、だったろうか。
「マシュは大丈夫かい。大分無理をさせてしまったね。私が、もう少しちゃあんとできればいいんだけどね、申し訳なかった」
リツカが、手を伸ばす。微かに振戦の残る指先がマシュの前髪を手すきする。
そんなの、嘘だ。マシュは咄嗟に言い出したくなった。無理をしたのはリツカの方じゃあないか。この作戦は隙がなく構築されていて、だからこそこうしてほぼ無傷で敵を制圧できたのだろうけれど……そもそも、この作戦自体は非合理的なのだ。例えば、この屋敷自体を破壊して、敵の動きを誘った方がまだ戦いやすかったはずなのだ。指揮官が前線に出る、などという愚行を、リツカが犯す必要は、なかったのだ。
自分のせいなのだ。自分が不甲斐なかったからこそ、リツカは自ら矢面に立って、自らの手で以て、ただ憐れなだけの悪人を手にかけたのだ。
ただただ、哀しかった。橈骨、尺骨神経が嘔吐するように震えて、頼光の首を刎ねた時の残心が励起する。ぐるりと跳ね飛んだ彼女の頭が、最後に錯綜して交わった視線が、どこか見守るかのように、浮かんだ。どうして、肝心な時に、自分は弱いのだろう。
「君のような存在を、なるだけ減らすんだって。そう、彼女に伝えたが」
リツカは、酷く疲れた様子だった。
「ジャック・ザ・リッパーのような存在を前にして、月並みな言葉しか出てこないんだ。人間賛歌、なんてのは、古い時代に唱えられただけで、今は空虚になっただけの、黴の生えたお題目なんだ……所詮、人間なんてのは、くだらない生き物なんだよ。マシュ・キリエライト」
ごりごり、とリツカは側頭部の髪を掻いた。むしろ皮膚を毟るように書きながら、リツカは、不愉快そうな顔をしていた。そうして、自分が不愉快な顔をしているという自覚が、なお彼女には不愉快らしい。不愉快さを消すように、自然にリツカは普段の大人びた微笑を浮かべた。あまりにいつも通りの笑顔で、却って、軋んでいるように、見えた。
それも、一瞬だった。苦痛に歪んだような表情は風が吹くように掻き消え、もう、リツカの表情は普段の様子に戻っていた。
「こちらSSリーダー。コマンドポスト」マシュの肩に触れて促しながら、リツカは入り口に向かった。「……おかしいな。コマンドポスト、ライネスちゃん?」
マシュは、その、痕を、注視した。
7つの剣が突き刺さった壁。着弾の衝撃ですっかり破断してしまった壁には、もう彼女の姿はない。洗礼詠唱によって浄化された影が、ただ僅かにへばりつくだけだった。既に過ぎ越してしまった空無だけが、そこに磔にされていた。
あの瞬間。『人理の礎』の向こうに見た、永遠にも等しいあの瞬間の眼差しが、頼光の視線と、奇妙に溶け合った。
(お二人ともご無事で!?)
「無事。タマちゃんも、金時君もなんともないね」
(はい、それはもう……それよりですね、お耳に入れたいことが。アリスさんと連絡が取れていません。それに、タチバナ様たちとも……!)