fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

206 / 243
Ⅵ-3

 魔術の世界において、優劣を決するのはおよそ2つの要素から成り立つ。端的に言えば、以下の2点だ。

 1つ、魔力の質。言い換えれば、神秘の濃さ。

 2つ、魔力の量。言い換えれば、神秘の量。。

 神秘そのものに相性の有無があるため、そう簡単な話ではないのだが。

 魔術世界の常識としては、量は質に敵わない、というのが鉄則だ。どれだけ些末な神秘をかき集めようとも、100年程度の神秘では、1000年に及ぶ神秘には敵わない。もしそれを打倒し得るならば、途方もないほどの量で質を押し切るという、極めて資本主義的思想で以て解決しなければならない。そして、魔術の世界は、常に枯渇に向かっていくことを宿命づけられている。神秘の濃さを量で覆す、などという発想は、とても出てこない。

 その点において、アリスの“橋の巨人(テムズトロル)”は、およそ最強の使い魔と言って過言ではない。初代マインスターの魔女が手掛けた、偉大なる三つのプロイキッシャー。グレート・オールド・スリーの内の1つ、橋の巨人の神秘は1000年に達する。その上で、この巨体。とても近現代の魔術師では、これに敵うものはありはしない。いや、果たして古き魔術師でさえも、これを打倒し得る者は、そう多くない。

 その上で、その質そのものも、生前のそれとは比較にならない。サーヴァント、というそれ自体が最強の使い魔として顕現するアリスは、生前よりもスペックが高い。加えて、テムズトロルに使用した素材そのものも、一級のものだった。ただの森の中や、あるいは公園で具現させたのとは、訳が違う。テムズトロルの真の姿……黄金と銀で作られた巨人にこそ及ばねど、今のそれは、格落ちしていない神霊と渡り合うことすら可能としただろう。事実、先ほど手軽に挽き潰したあの5mほどの不定に身体をくねらせていた巨体も、格こそ低いが、神獣の類だった。それを、難なく捻り潰したのだ。

巨人が、腕を振るう。ただそれだけの所作に、1000年生きた魔術師が昏倒する程の神秘が秘められている。退路を無くした野犬たちは無残に圧し潰されてぺしゃんこになるか、殴り飛ばされ五体が引き千切れながら宙を舞うかの、おおよそ2択だった。

 敗北など考えられないという予感は正しく、事実巨人の勁さは圧倒的だった。野犬は惑い逃げ行くことしかできていない。敵に、テムズトロルを攻略する術はなく、無限にも思えた獣の群れも、ただ暴戻の中で死に砕かれていくだけ、だった。

 だ、が、。

 「これはこれは、大変驚いた。本当の私ならいざ知らず、今の私ではお前には勝ち目はない」

 異様に軽薄な声が、耳朶を蝕んだ。

 「なので。私は素直に、負けを認めよう」

 あ。

 泡沫のような呟きが、脳みその奥で弾けた。

 ふわ、と夢のように揺れた色は、どうしようもなく見覚えがあった。かつん、とブーツが地面に噛み付いた音が、異界的な響きとなって耳朶を打った。

 声になりきれない衝動と、“橋の巨人”の動作は全くの同時だった。巨人が腕を振り上げる、という動作はアリスの思考そのものだった。

 あの時は、ただ、愚かにも、そして魔術師としては自然な身振りで見とれてしまっていた。

 だが、今は違う。咄嗟に自分のすべきことを理解して、“橋の巨人”の打撃を、殺すべき敵へと振り下ろした。ミリセカンド以下の判断と挙措、回避できるものはおよそランサークラスのサーヴァントでもなければ不可能だっただろう。単純であるが故の、必殺の一撃だった。

 ……今は違う。それは間違いない。だが、もう1つ、違うことがある。あの時は見惚れるだけで思いもしなかったけれど、今は思ってしまったこと。

 それは多分、使命感、のようなもの。自らの存在理由を、魔術師ではなく、別なものに位置付けたからこその感慨。

 ──詰んだ。

 赤い、血のような光が閃いた。悍ましいほどの衝撃が全身を打ち付ける。巨人の肩から放り出されなかったのは偶然だったが、それが致命傷だった。

 赤い光に轢断されて、巨人の右腕が吹き飛んでいた。腕が宙を舞う間に、足元の橋を割るようにして屹立した無数の鎖が“橋の巨人”の体躯をのたうちながら貫き、雁字搦めにしていく。既に巨人は崩壊を始め、周囲に岩塊を散らばらせていく。テムズ川に墜落した岩が飛沫を挙げた。

 だが、次の一撃こそが本命で、それまでの攻撃などは前座だったのだ。

 ただ、単純な攻撃だった。猪突の気勢のままに爪で薙ぐ、という極めて原始的な身振り。だが、それだけであまりに十分だった。振るわれた鋭利な一撃は、本当に、紙でも裂くように“橋の巨人”を切り裂いた。10mに及ぶ巨体がただの一撃で両断され、襲い掛かった斬撃の余波だけで、アリスの細い身体が、ほとんど千切れた。衝撃波に飲まれたアリスの身体は嵐に飲まれる木の葉のように宙を錐揉みしていく。

意識が断絶する刹那、アリスは無限にも等しい浮遊感の中で、それを見た。

 “橋の巨人”の頭部を、玩具のようにへし折る人型。月の眩さを孕んだ黄金の髪が、ふわ、と揺れている。星そのものから削り出されたかのようなその風采の中、紅い双眸だけが、妖しく閃いていた。

 

 …………。

 

 ぎぎぎ。

 言葉に起こせば、多分、そんな音だった。

 底抜けに白い断絶から意識を浮上させたアリスが感知したのは、その不快な音と、途方もない激痛だった。

 「酷いものだ。人間というのは、こんなことまでするのか」

 「お前たちよりよっぽど下劣よ。人間なんてものはね」

 すぐ近くで、あるいは遠くで、女の声がする。どうしようもなく志向性を引き寄せられる、蠱惑的な声。普段のアリスであればガードできるものだったが、今のアリスには、そんな技術的余裕も、心理的余裕も、、ありはしなかった。

 ぎぎぎ、という音は、絶えず続いている。抉れた内臓や筋線維、骨を、全身の魔術刻印がせっせと修復している、音だった。服も、皮膚も、内蔵まで抉り飛ばされ、即死しなかったのは、多分偶然や幸運などではないだろう。アリスの魔術刻印の執念深さは、多分即死程度なら強制的に蘇生させる。ただそれだけのこと。

 「どう、幻滅した?」

 「いいや……いや、そうだな。やはりこの(ソラ)は壊さねばならぬ、と思い直したまでのことだ」

 全身が、痛い。腹の瑕も大概だが、衝撃にさらされ、全身の骨格も筋線維も滅茶苦茶になっている。

 傷みには、慣れている。魔術に、痛みは付き物だから。でも、多分気絶したのは疼痛に対する慣れの閾値を超えてしまった生体防御のようなものだっただろう。あの時はどちらかというと魔術的な、そしてそれに関わる心理的な要因からだったが。どちらにしても、情けないことに変わりはない、と思った。マインスターの魔女など名乗っていても、所詮このザマだった。

 「それで、これ、どうするわけ」

 ざ、と軽い痛みが、こめかみを打った。瞼を啓いたのはなんらかの意思があったからではなくて、ただその反動で、肉体的に開いただけのことだった。

 金の髪が、目に入る。短く切りそろえた、満月のような黄金の髪。白い、肌。すらりとした肢体。人間の形をとっているけれど、人間などとは比べものにならない存在の威容。朔月のような赫い目だけが、完成された美の中に、悍ましいものを漂わせている。

 「真、祖……」

 思わず、声がついて出る。それだけでも途方もない激痛で、喘ぐように酸素を求める口を、無理やりに強張らせた。

 へえ、と女の顔が揺れる。無感動そうな顔に、微かに興味のようなものが混じる。あの、“橋の巨人”を粉砕した手がゆらりと伸びると、アリスの頭をむんずと鷲掴みにした。

 「物知りね、お嬢さん。お勉強熱心だこと。まぁ所詮、私も紛い物だけど。頭は空っぽで手足はスカスカ。胃袋はそもそも無しときた」

 明らかに嘲弄が滲む声音。頭を、髪を鷲掴みにされたまま、アリスは為すがままに宙に引きずり上げられていた。ぶちぶち、と髪が抜ける音が、皮膚を伝った。

 「丁重に扱え」

 「紳士的だこと。外側に引っ張られているのかしら」

 「我が眷属への贄だ。その値を損ねてもらっては困る」

 「悪趣味ね。やっぱり外側(ネロ・カオス)に引っ張られているのかしらね」

 それで興味を失ったように、女は腕を振った。ゴミでも捨てるようにアリスの身体を放り投げる。というより、事実もう、アリスの肉体などゴミと大差ないという認識だったのだろう。骨が折れる音を虚しく響かせることが、何故か、恥ずかしかった。

 「どうして」

 「紛い物だ、本人が言うようにな。器とする予定だったが、この器は星との癒着が強すぎる」

 「やっぱり」

 「喋りすぎたな。やれ」

 遠ざかる声。押し寄せるような足音。微かに開いた目に、不浄な双眸がいくつも重なる。野犬の唸り声が鬱勃と膨れあがり、じわじわ、と迫る。一気に襲ってこないのは、多分、アリスという存在にまだ怖がっているからだ。魔獣の癖に情けない、と思いながら、そんな情けない奴らにこれから嬲られるのだ、と思うと、なお情けなかった。

 呼吸は、浅いながらも繰り返している。腕はもう動ける。でも、足はまだダメだ。脊椎を砕かれて、思うように下半身が動かせない。治るのには多分30分はかかる。生身の人間からすれば驚異的な回復速度だが、そんなものは何の役にも立たない。今動けなければ、意味はないのだから。

 ぽつん、と肌に何かが落ちた。雨、だ。仰向けのまま横たわるだけのアリスは、黒い空を、ただ眺めることしかできなかった。振り始めた雨に打たれるのも。周りを取り囲む野犬の吠え声を浴びせられるのも。見世物のように蔑視を寄越す、あの敵の卑しい視線に晒されるのも。

 ぼんやりと、アリスは夢想した。母親のこと、同居人のこと、同居人の姉のこと、下宿人のこと。それから、この特異点で出会った人間たちのこと。走馬燈、というには緩慢で、気怠い追想。結局何もできなかった、という後悔と周囲の破廉恥な視線が、思惟を塗りつぶしていく。

 知らず電話ボックスなど探してしまったのは、彼女の弱さだった。この19世紀のロンドンに、そんなものなどありはしないのに。代わりに視界に入ったのは野犬の群れ、群れ、群れ。どうしようもなく失望したアリスは、ただ漫然とその光景を眺めていた。

 偶然目が合った一頭が、のそのそと向かってくる。本当はもっと俊敏だったかもしれないが、アリスの目には、酷く鈍く見えた。必死に身体を動かそうとした脳みそが、懸命にアドレナリンを分泌でもしている。獣が接近するのも鈍ければ、その背後の光景も、何か他人事のように遠かった。捻じれた剣が野犬の群れの中心に殺到し、爆発して数十頭が千切れ飛びながら四散するのも、その爆炎の中にあの女が平然と佇む様も。近づいていた野犬が怯懦に竦んだ瞬間に、横殴りに殺到したガンドに頭を跳ね飛ばされ、眼球やら脳みそやらが散らばる様も。

 ぐい、と身体が持ち上がった。軽々とアリス持ち上げる仕草は、柔かった。さっきの、あの女の所作とは天地ほども違う。硬い力こぶの入った上腕二頭筋に首を支えられて、アリスは、その顔を見た。あまり器用そうではない、朴訥とした顔。日本人らしい黄色の肌に黒い髪。いるはずのない人の姿を幻視して。仮に居たとしてもこの状況では全く役に立たない人の姿を、幻視して。

 「しず……、君?」

 「キャプチャー! 戦域離脱する、援護(カバー・ミー)!」

 再度の爆炎が、背後で膨れがある。男が走り出した、と気づいたのは、視界が流れ始めたからだった。

 ……だから、それが幻視なのはわかっている。彼は、彼に、別に似ていない。日本人だから姿かたちに類似点はあっても、大した相同性ではない。

 それでも、アリスは安堵した。気が緩んだ、といってもいい。さっきとは違う、泥濘に沈降していくような感覚。優しい闇に、静かに飲まれるように。アリスは意識を手のひらから、水面に解放するように零した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。