fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「お待ちしておりました、2人ともご無事で」
玉藻の前は声こそ平静を装っていたが、表情には言いようもない緊張が潜んでいる。
ハイド邸の扉を開いたマシュとリツカを出迎えるようにして駆け寄った玉藻の前に、リツカは泰然と応えた。「状況は?」
「アリス様、またライネス様たちとも連絡が取れなくなりました。アリス様とは書斎に入ったタイミングで、ライネス様たちとはα-02を撃破したタイミングです。2分ほどのタイムラグがありました」
「原因は」
「マップの動きから推察するに、アリス様によからぬ事態が生じて、タチバナ様たちがレスキューに入った、と思われます」
「了解、ありがとう。ライネスちゃんも向こうに?」
「そうなるかと」
「こっちは私に預ける、ってことかな」思案するように右側頭部の一房を弄った。「向こうはライネスちゃんとタチバナ君2人必要な事態、ってわけだ」
「それと、フジマル様。こちらへ」
不思議そうにするリツカの手を引くなり、玉藻の前は己の胸元に彼女を引き寄せた。
「酷く消耗されています。しばし私に身体をお預けください」
「いや」むにゅ、と押し付けられた感触に、リツカはめずらしく赤面していた。基本、彼女はどちらかというと攻める側で、受ける側は慣れていない。「でも」
「あなたの仕事は首から上があれば成立します。首から下が重しになっては本末転倒かと」
「ありがとう、任せる」
一瞬だけ顔を曇らせてから、リツカは頷いた。この火急に、少し頭を回せば理解できることに、無意味なやり取りをしてしまった。それだけ、消耗しているというわけだ。
彼女の肩と膝裏に手を回すと、玉藻の前は軽々ひょい、と持ち上げた。リツカの体重は、だいたい70kg。身長も160センチ無い。サーヴァントの玉藻の前にしてみれば、身軽なものだ。
「マシュ」玉藻の前に“お姫様抱っこ”されたリツカの表情は、か楽になっている。「あなたの役目は十二分に果たした。タマちゃんの役目は、みんなのサポートだ」
「はい、心得ています」
マシュの表情は、判然としなかった。静かな面持ちは、気落ちしているようにも見えた。だが、内に何か、熱い気宇を秘めた静けさにも見える。
「余計な事、言ったかな」
ぼそ、と独語めいた声が、微かに耳朶を打った。「少し、大人になられましたね」と返すと、胸元で、リツカはちょっとびっくりしたような顔をした。玉藻の前の耳は、人間よりはずっと効くのだ。
「タチバナ様」玉藻の前は、すぐに声音を切り替える。「お下知を」
「そうだね」リツカは一瞬だけ思案してから、「まず、この戦域を安定させよう」
「え、でも先輩。ここは」
「いいや。どうやら、こっちにも客人みたいだぜ」
ずい、と身を乗り出すなり、3人を庇うように金時が立ち塞がる。鉞を担いだ臨戦態勢のまま、額に巻いた鉢巻きの下で、翡翠の目が“敵”を捉えた。
ハイド邸の前に広がる、おおよそ1㎢の広場。だだっ広く、中央に設えられえた噴水だけが聳える森閑とした広場に、一つ、人影があった。
それだけで異常事態。ここには、アリスのプロイキッシャー“名無しの森”が敷いてある。常人ではまず入り込めない。そこに、こちらが感知していない人影がある。それだけで敵認定するに足る情報だった。
噴水の縁に腰かけていた人型……白髪に病的な浅黒い肌の、男が立ち上がる。虚無を讃えた、虚のような目、だった。
「箱庭を覗きに来てみれば」
ひや、と冷たい声が、心臓を刺した。この距離だというのに“届く”声。暗示の類、と咄嗟に理解してレジストしていなければ、今の一撃だけで行動が束縛されていた。
そうして、微かに、男の顔が訝し気に歪んだ。疑念は苛立ちへ、ぎちりと眉間に皺を寄せるなり、その人影が、一歩を踏みしめた。
「良かろう、既に人理は焼け落ちた。今更このロンドンがどうなろうが、大局に変わりはない。小賢しい人間どもも、外なる神などという不埒物どもも、ここで終わらせてくれる!」
「大将、来るぞ!」
金時とマシュの体躯が跳ねる。ワンテンポ遅れて地面を蹴り上げた玉藻の前は、足元の光景に、言いようもない嫌悪を覚えた。
石畳が割れる。その下、地の底から膨れ上がった巨大な黒い何かが裂け目から屹立し、1秒前まで4人が居た場所を不定にのたうった。
巨大な肉茎。無数の紅い目をぎらつかせた大樹のような、奇妙な触手だった。ぎょろりと閃いた眼光が一斉に玉藻の前を凝視し、冒涜的な蔑視が、彼女の神経を無性に逆撫でした。ぞわ、と尻尾が、総毛だった。
だが、そんな自分の感慨などよりも、腕の中で生じた変化の方に、彼女は気を取られた。
微かに、リツカの身体が強張った。全身の筋肉に走った緊張は、しかし、いわゆる怯懦に纏わりつかれたそれでは、なかった。もっと別……否、対極に位置する、情動だった。肌を触れ合わせる至近距離だからこそ直観的に理解した、その情動。極めてプリミティブで悍ましい情動の名を、恐らく──。
「金時君、マシュ! これから作戦概要を伝える。互いに離れすぎたらダメだ! タマモちゃんにも頑張ってもらうから!」
人は、殺意、と呼ぶのだろう。
※
同時刻
時計塔、尖塔上
「来た」
影のキャスターは、その声で顔を挙げた。
約100mある時計塔のほぼ突端に佇む、己がマスターの姿。白い蛾を思わせる髪に、病的な浅黒い肌の、まだ20にもならない少女の姿をしたマスターは、眼下に広がる景色を眺めている。
「魔術王のお出ましか」
影のキャスターも、マスターの隣に並ぶ。陳腐な感想だったが、見晴らす景色は、結構よい。古き神代に生きた影のキャスターにとり、近現代の整然と並ぶ街並みは、自然ではないが、とても端正で善い物のように見えた。人が栄え、広く生活を営むということは、多分、どんなものであれ善いものであろう。
「時間神殿の座標は?」特に詮のない仕草なのだが、マスターは何かを探すように空を仰いだ。
「捉えた。単独顕現はもう可能だ」
「了解。じゃあ、セイバーには悪いけど。みんなでお邪魔しようか。早くしないと、リツカさん、倒しちゃうよ」
いざいざ、と勇ましく言うマスター。子供らしいような姿は、一応は愛らしくも見える。だが、同時に影のキャスターは大人だ。「高い評価だ」と、若干否定的に振る舞ってみる。
「あのマスター。藤丸立華、と言ったか」影のキャスターは幾分かの苛立ちのような感慨を覚えた。「そもそも、倒せるのか。出来損ないの
ふら、とマスターが丐眄する。目を丸くしてポカンとする彼女の顔立は、とても印象的だった。影のキャスターが口にした言葉をよく理解できなければ飲み込むこともできていない、なんというか、出来の悪い子供のような顔だ。
「つまりだ」キャスターは、ちょっとだけ機嫌を善くした。彼女のそういう顔は、愛い、と思う。「勝てるとは思えない。この箱庭の中とは言え、たかだかサーヴァント3騎で御せるほど、獣なるものは弱くは」
言いかけたキャスターの声を、マスターの笑い声が遮った。子供の快活な笑いを思わせる、毒気のない表情。つまるところ、さっきの表情と同じだ。マスターの心情は、ただただ純粋なのだ。というよりは、単純か。
「3騎もサーヴァントがいれば十分だよ」うーん、と伸びをするマスター。「だって。全力のゲーティアすら、先輩1人で始末しちゃうんだよ」
「武勇伝か」信じがたいな、というように、キャスターは肩を竦める。最も、嘘だと思っているわけではない。
「アレはこの箱庭で十全の力が発揮できない、ただの分霊。大方、魔神柱の内の1柱を依り代に顕現しているだけの状態だ。そんな程度のゴミと比較すること自体、リツカさんに失礼」
からから、と嗤いながら、マスターは今一度、眼下を見下ろした。遥か視線の先、ハイドパークから伸びる奇妙な触手を、感慨深そうに眺望している。
マスターの体躯が微かに沈む。時計塔の屋根を軽く踏み込む彼女が、手を伸ばす。軽くキャスターの腰を抱き寄せると、
「さあ、行くよ」
虚空へと跳んだ。