fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅵ-9

 もう、何頭野犬を叩き切ったか。未だ鈍らないデュランダルの刀身に感心しながら、クロはほんの一呼吸を吐いた。改めて、装備の厳選に対する思考を重ねていて良かった、と思う。ふわ、と視界を掠めたマスターの顔に、どうしようもない情動を惹起させたクロは、すぐにそれを思考の片隅に置いた。

 マップを一瞥。サーヴァントの足を起点とした音紋センサーの最大補足数は100。それを上回る敵が橋の上に犇めいていることにうんざりしつつも、己の予定通りに集団が動いていることを把握する。

 マップ上には、おおよそ3つの集団が群れている。自分を取り巻いている野犬の群れとは別に、左翼に離れているセイバーに群れる野犬たち。そしてさらに別、既に橋の端にまで後退しているエリザベス女王と野犬……それと、“真祖”の闘技場。

 一番集団数が多いのが、己。野犬とは言え、その実態は幻想種だ。ランクは魔獣だろうが、それでも無限に等しい敵を戦っては堪える。

 だが、それもあと数秒。マップ上の戦闘集団の配置と、あの敵との相対距離。空間転移の射程距離とセイバーの殲滅能力も加味すれば、チャンスは───今。

 跳んできた野犬を切って捨て、クロはイメージを二重に加速させる。

 空間跳躍の想定。同時に開始する、投影のイメージ。まったく別個の、しかも高位の魔術を平然と並行して執行するクロエ・フォン・アインツベルンの手腕に淀みはない。そのように作られているが故の技能。

 そうして、彼女は跳んだ。

 

 

 阿吽の呼吸。

 一心同体、とでも言うべき呼吸が、セイバーとアーチャーの2人にはあった。

 元から指示されていたデータがあったから、というのもある。だが、クロが空間転移を行うちょうどその瞬間を悟ったのは、互いに高度に洗練された戦術的思考があったが故のものだった。戦術的合理性から照らして、彼女が跳ぶのは今しかない、という洞察。

 「風よ!」

 だから、セイバーも剣を抜く。間違いなくアーチャーはこのタイミングで跳ぶと判断し、その信頼に応える義務を、彼女は強く自覚した。

 刀身に纏っていた超高密度の風の一部が解き解れる。大蛇のように周囲にのたうった烈風の速度は、実に40ノットを超える。台風もかくやといった風圧に吹き散らされる野犬の群れには一切構わず、剣を背後へと振り抜いた。

 同時、一挙に“鞘”を解放する。ただ鞘を解いただけと異なる、指向性を持った宝具展開。背後に爆発的に生じた推力を背に、セイバーの体躯はロケットモーターを点火させるが如くに飛び出した。

 ぐん、と全身に伸し掛かるG。さらに+Gが増大したのは、高ランクの【竜の炉心】を駆使した魔力放出に依るものか。ナノセカンドの猪突の気勢で以て“死徒”との相対距離を一挙に詰めたセイバーの狙いは、ただ、その首だけだった。

 元より、作戦案の基調は撤退であって敵の撃破ではない。が、最終目標を考えればここで打倒するに越したことはない。鞘から解き放たれた黄金の剣を一閃した。

 鞘から放たれたその剣の出力、ただ振るうだけでDランクの真名解放に匹敵する。直撃すれば一溜りもないであろうその剣戟が“死徒”の頸を落とす刹那、セイバーは煩わし気に顔を顰めた。

 剣が首を刎ね飛ばす半瞬の間、躍りかかるように巨躯が視界を覆った。地面を割るように這い出した巨大な異形の生命が壁となって屹立し、首を刎ねんと迫る黄金の剣を阻む。

 16フィートはあろうか、という植物めいた円錐形の不定の生物。突端にあるのは口吻か? 体躯を切り刻まれ嗚咽のような悲鳴を上げながら、涎を撒き散らした円形の口が丸のみするように伸し掛かる。同時、胴体から生える6本の触手が不定に蠢くや、セイバーの小柄な体躯を縛り上げんと肉薄した。

 常人ならば、それで終いだっただろう。だがセイバーはサーヴァントで、しかもその実力は最上位のものだ。剣の一薙ぎで包囲せんとしていた触手をまとめて叩き切り、掬い上げるように振り抜いた返す刃が首……といっても円錐の身体ではどこからが首なのかは判然としないが……を切り落とした。

 噴水のように噴き出す、青緑色の体液。とても血液とは思えない飛沫を浴びながら、セイバーは、その光景にぎょっとした。

 腕を全て剥ぎ落され、首すら斬り落とされているというのに、まだソイツは死んでいない。既に悲鳴嗚咽すら漏らせない身体になりながら、しぶとく巨大な図体で圧し潰そうと倒れ込んでくる。死に瀕してなお奴隷めいた行為に身を窶す様は、端的に言って、セイバーの理解の埒外だった。とても知性があるとは思えない……むしろ生物的情感の持ち合わせすら欠如しているかのような奇態に怯みながら、それでもセイバーは、最優のクラスに相応しい勁さの持ち主だった。倒れ込んできた肉茎に、黄金の剣を深々と突き立てる。勢いよく噴き出した体液を浴びながら、串刺しにした肉の塊を、そのまま持ちあげた。

 超高ランクの魔力放出から繰り出される膂力は、値にすればA+に比肩する。持ち上げた格好のまま睨みつけた先に、その“死徒”が居た。

 宮廷魔術師風の、どこか達観したかのような、落ち着いた物腰の男……そんな風采だった。聖杯から授与されていた知識を参照すれば、“学者風”とでも言おうか。何にせよ、その“死徒”の風貌は、忌まわしい吸血鬼という印象とは随分異なるものだ。

 「サーヴァント、ゴーストライナー。なるほどそこそこ厄介だ」

 独語めいた声ごと押しつぶすように、セイバーは13フィートまで刻まれた肉塊を、そのままぶん投げた。剣を振り下ろす勢いに乗せ、射出された肉茎は豪速で打ち出される。重量にしてトンを超える巨体は、されど“死徒”を圧殺することは叶わなかった。

 即座に、湧き出すようにして群がる植物めいた奇怪な生物群が壁になり、内一匹に激突しただけだった。それでさらに一匹死んだが、他の肉茎どもは全く意に介していない。冒涜的な身振りでにじり寄るなり、無数の触手がセイバーを絡めとるように迫った。

 触手を斬り払うセイバーは舌打ちこそしたものの、冷静さは変わらなかった。じわり、と後退しながら剣を振るって一匹の頸を斬り飛ばす。躍起になった他の怪生物がセイバーを追い回すように身を揺する様を見ながら、真実彼女が観ていたものは、別なものだった。

 もっと高度のある、俯瞰風景。先ごろアーチャーから見せられた地図(マップ)と目の前の乱戦の風景を重ね合わせる。

 セイバーの任務はあくまで二回目の陽動。“死徒”から直掩を引き離すのが、目的だ。周囲の敵の布陣とさっきの予定図を重ね合わせれば、あと一手。

 壁のように迫る触手を斬り払い、さらに一匹を薪でも割るように両断する。猪突の気勢を察知した畸形の植物が包囲するようにセイバーの周囲に動いていく。

 包囲陣が完成するギリギリの速度で後退しながら、セイバーは思案する。

 この植物めいた化け物、基本的に知性らしきものは感じられない。目の前に動く生き物を捕食する、という原初的な本能行動だけで動いている。しかも、自分に対する侵襲に頓着しないという頑迷ぶり。だというのに、この統率のとれた動きは間違いなく知的活動としか言いようがない。

 いや、あの野犬たちもそうだ。ただ群がっているように見えて、物量にまかせた飽和攻撃で撤退する機会を潰しながら消耗戦を強いる戦術だ。

 あの“死徒”が指揮系統を為している、というアーチャーの推測は直感的に当たっている。なら、脱出の好機を生み出すために指揮官を潰す、という戦術は真っ当だ。

 そしてその好機は今。

 さらに背後へと飛び退き様、虚空に、剣を振り抜く。何もなかったはずの空間を剣が捉えるなり、真っ赤な血が不意に飛び散る。途端に、背景から沁みだすように姿を現した奇妙なゼリー状生物めいた何かが身を悶えさせながら地面に墜落して絶命した。その様を見届けるまでもなく、セイバーは声を張り上げた。

 「今だ!」

 

 ※

 

 セイバーの声を待つまでもなく、クロは躊躇なく跳んだ。

 空間転移の魔術は、使用難易度がそもそも高い。どこに跳びたいか、という座標設定を誤れば、目的の場所とはズレた場所に跳ぶことになる。こと戦闘において、その誤差は決して無視できるものではない。イメージするだけで結果を手繰り寄せてしまう彼女の魔術特性を以てしても、その難易度は易しいとは言い難い。

 だが、彼女にはそれができる。類まれな戦争の才能。たとえ疲労に身を窶していても衰えることのない判断力。【心眼(偽)】の根拠とも言うべき、英霊エミヤから継承し、そして彼女自身によって育まれた戦闘経験こそがクロエ・フォン・アインツベルンの強さを支える根拠の1つだ。

 意識がひっぺ替えされるような感覚。自らを量子化させ拡散状態にすると同時に、特定座標に己を集束状態にする、世界そのものに干渉する魔術を以て彼女は跳ぶ。ある意味で、レイシフトに近いその行程は、決して気分がいいものではない。ぶつ、と意識が切られた瞬間に嗣がれる感覚。まるで映画の場面転換のように、目の前が切り替わる。

 囲まれていたはずの野犬の群れから、あの“死徒”の向こう正面へと即座に視野が切り替わる。

 互いの視線が擦過する。既に、クロの手には槍が握られている。突けば必ず心臓を穿つ、光の御子が振るう赤き呪槍。彼女の身丈を遥かに上回る長槍の穂先は、既に敵を捕捉している。

 「刺し穿つ(ゲイ)

 収束する殺意は、間違いなく絶殺への専心だった。セイバーと同じくして、クロもここでのこの敵の撃破を狙っている。敵が何者か不明だが、不明だからこそ倒せるべき時に、迅速に排除する。先手必殺。それこそ戦場(いくさば)の心得に他ならない。

 その純粋までの殺意の最中。彼女のスゴ味に、ほんの少しだけ、僅かだけ、陰が挿した。

 “死徒”は、嗤笑を浮かべている。この槍に無知だったとしても、目の前に迫る死の予感は明確に感じていたはずだった。だのに、敵はその死に怯えていない。

 「死棘の槍(ボルグ))!」

 微かな躊躇を引きずって、呪いの槍は放たれた。

 既に相対距離はクロスレンジ。一度放たれた因果逆転の槍を躱す術は、通常の理には存在しない。そして通常通りに、真紅の槍は呪詛を迸らせた。

 突き刺した手応えが、まず腕を打った。皮膚を貫き骨を砕き肺を抉り、そのまま心臓を刳り貫く。槍を起点に、体内で巻き起こった槍の乱舞は凄絶の一言だった。

 体内殲滅。心臓を持ちえない敵ですら確実に殺す、死の呪い。それこそが魔槍ゲイ・ボルグの本質であり、この槍が凶悪たる所以だ。

 そして、この槍はその最強たるを証明した。心臓を貫き間違いなく殺した、という感触のあと、放たれた槍が防御せんと突き出した敵の腕の掻い潜るように軌跡を捻じ曲げ、そうして過程が結果に追いついた。

 “死徒”の体躯に、赤い呪いが駆け巡っていく。赤い茨が全身に巻き付くように這い回ったあと、“死徒”は全身から黝い体液を吹き出して絶命した。

 ぐい、と槍にかかる重さが増す。“死徒”が死とともに肢体を萎えさせた、からだ。腕に感じる重さに、クロは困惑した。

 あの時感じた妙な予感は、ただの気のせい、だったのか。あの時“死徒”が浮かべていた嫣然は、ただの無知でしかなかった、ということだろうか。

 それは不明だ。だが、この結果こそが全てだ。クロは空間転移を行い、ゲイ・ボルグの真名解放を行った。その結果、正しく槍は心臓を穿ち、敵は死んだのだ。それ以上でも、以下でもない。そしてその結果は、予想していた中で最優のものであったはずだ。

 迷いは半瞬ほどすらもなかった。マップと背後を素早く流し見、思惑通りに魔獣たちの動きに秩序がなくなったことを看破する。

 (脱出ルートを策定した! 凛の下へ急ぐぞ!)

 「了解!」ワンテンポ、セイバーへの返答が遅れた。「援護するわ、セイバーは先に」

 (イリヤスフィール、下だ!)セイバーの声が、切り裂くように鼓膜を叩く。(まだやってない!)

 下。セイバーの声につられるように足元を見たクロは、言い知れない怖気を惹起させた。

 黝い体液が、延々と広がっている。淀んだ池沼のような有り様──。

 早く逃げなければ、と判断を下したのは、実に半瞬ほどもなかった。判断の速度はいつも以上に迅速だった。

 だが、それでも遅かった。クロが膝に力を込めて飛び上がろうとした瞬間、ぐにゃりと体液の水溜まりから無数の腕が這い出した。腕、というよりは触手か。爬虫類の口腔めいた突端の生えた触手が跳びかけたクロの足に、腕に噛み付くなり、暴戻の限りを以て彼女を地面に引き倒した。

 咄嗟、ゲイ・ボルグを振り払いかけたが、無駄だ。呪いの槍は群がる触手の一部を斬殺したが、それでも無数の触手の前では付け焼刃に過ぎなかった。長槍、という取り回しなど既に関係なく、全身を覆うように巻き付いた触手を斬り払う術はもうなかった。

 「驚いたな、その槍。よもや8割も殺されるとは思わなんだ」

 ぞわ、と声が背筋を舐めた。あの“死徒”は未だ死に体となって目の前に転がっている。声はこの体液の沼そのものから発せられている。

 「だが構わない。その体、喰らわせてもらう」

 「トレース!」

 半ば悲鳴のように叫びながら、剣を投影する。捻じれた魔剣を即座に爆破しかけた瞬間、左腕の神経に迸った激痛に、声を轢き殺した。上腕から切断されたクロの左腕が宙を舞い、水気のある音をたてて墜落した。

 ぱす、という小気味良い音とともに、左腕の激痛が遠のいていく。圧迫注射で投与された鎮痛剤の作用を漠と感じながら、次を、考える。

 空間転移をするしかない。空間転移は連続使用するには脳への負荷が重すぎる……最悪霊核損傷から消滅しかねない。だが、そんなことを言っている場合ではない。座標はどこでもいい。とにかく跳ばなければ!

 クロの判断は遅すぎるということはなかったし、むしろ迅速を極めた。それでも、ほんの僅かにだけ遅かった。

 遅かった、というよりは、相手が早かったと言うべきか。何せ“死徒”の狙いは最初からこれであり、言わばクロはトラップに捕縛された虫でしかなかったのだから。

 黝い体液の沼地から、彼女の足元を起点に巨大な顎が屹立する。開いた大鰐の口腔は人間など容易く飲み込むほどに大きく、ましてクロの小さな身体などは一飲みにするほどだった。

 彼女には最早為す術なく、ただ、彼女は捕食された。走馬燈、なんてものが駆け巡るほどの猶予もなく、だから最期に過ったのは刹那だけのヴィジョンだった。彼が、どうか酷い目に合わないように──そんな思考が浮上した直後、彼女の自意識は挽肉のように咀嚼されていった。

 喧噪の中、異様な静謐が横たわった。ただ残された浅黒い肌の左腕だけが、微かに、痙攣していた。

 不意に、ぐにゃ、と巨大な顎がしなやかに撓む。たちまちに汚泥のように形状を喪った獣の顎は、何物も通さぬ黒いスフィアへと蜷局を、巻いた。

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