fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅵ-10

「クロエ!」

 その瞬間、エリザベスはほんのちょっとだけ、意識を背後に向けた。戦闘の要であるクロが捕食された、という事態への驚愕か。それとも、もっと私的な感情故の気の紛れだったか。だが、どちらにせよ、その一瞬は致命的な隙だった。

 (よそ見をするな、リン!)

 ライネスの声が、強く鼓膜を叩いた。叱咤の色調を帯びながらも、悲鳴にも似た声音に、すぐエリザベスは自らの失態を悟った。

 だが、もう遅い。咄嗟に視線を戻した瞬間には、もう、目の前に黄金の影が迫っていた。

 「速ッ!?」

 「遅い!」

 突き出される“真祖”の剛爪。エリザベスは、反応するのでやっとだった。つまるところ、反応はできても身体動作はワンテンポ遅れた。

 ざ、と自意識が握りつぶされかけた。激痛、という名の反応が脳みそ全部を塗りつぶし、声にもならない悲鳴が咽頭で漏れた。

 “真祖”の腕が腹部を貫通していた。剛性と靭性に富むエーテルの身体など、なんの役にも立たない。星の触覚の打撃は、サーヴァントの身体など、濡れた和紙を裂くような容易さで抉った。

 エリザベス女王は、確かに性能だけならトップサーヴァントに比肩しうる。だが、彼女は元から戦闘者ではないのだ。“真祖”と渡り合った剣技は、高ランクの【皇帝特権】によって得たものに過ぎない。総合的に“真祖”と互角以上の戦闘ができていたのは、彼女があらゆる面で全力を出していたからに過ぎない。ほんの一瞬でもリンが気を抜けば崩れる、危うい均衡にあったのだ。

その均衡は、彼女の気散じによって崩れた。英雄と呼ばれる者であれば、その手抜かりは生じなかっただろう。だが、彼女は元より人の上に立ち、弁舌で以て神意を輔弼する立場であればこそ、直接剣を以て戦うことは経験のないことなのだ……。

だが。

 「オラァ!」

 エリザベスは、剣を振るった。袈裟切りのように放った宝石剣は“真祖”の頸を切り裂き頚椎まで切断した。

 「コイツ、化け物っ!」

 “真祖”の腕がリンの右腕を掴まねば、そこで首を刎ね飛ばされていたただろう。間一髪の出来事に恐怖を覚えながら、“真祖”は実のところ、別な恐怖を上塗りしていた。

 腹を砕かれているにも関わらず、反撃を繰り出してくるその精神性。消滅一歩手前になりながら、平然と致命傷を放ってくる気質。

 確かに、エリザベス女王は自ら手に剣を以て戦う人間ではなかった。だが、その気質の強靭さは、なまじ戦場などで生死のやり取りをしているだけ人間などよりも遥かに勝っていた。

 彼女が負っていたものは、己の生だけではない。そのか弱い肩に、偉大な英国の人民全てを背負っていたのだ。剛毅な精神性は、平凡な人間では想像することすらできないほどの、ものなのだ。たとえ自分の死を前にしたとしても、最適解を選ぼうとする意志には一切差し障りはなかった。

そんな精神性。真性ならともかく、紛い物に過ぎない“真祖”には、到底理解すべくもなかった。

 「は、放せ! アンタ、このままじゃ死ぬぞ!」

 「放したらあなたに殺される、の間違いじゃないかしら」

 腹を貫通した“真祖”の腕をこっちは左手で、抑え込む。【剣術】はもう要らない。【皇帝特権】で再現した【怪力】から繰り出される膂力は、“真祖”であってすら振り切れぬほどの、文字通りの怪力だった。

 と、いうより。この相手であるが故に、スキル勝負に持ちこめている───物凄い力で振りほどこうとする“真祖”の右手首を握りつぶすほどに鷲掴みにしながら、思考する。

……ライネスの言う通り、“真祖”には何がしかのリミッターがかけてある。真祖と呼ばれる種族全般に共通するものなのか、それとも個体としてのこの“真祖”だけがそうなのかは不明だが、ちょうどこちらのステータスの一つ上の出力しか出せていない。

 なら、やりようはある。基礎ステータスを宝具で補うエリザベスであるが故、宝具のステータスバフをフラットにすれば、必然相手の基本性能もこちらに準じる。あとはスキルを駆使して、ステータス以外の面で勝負をすれば……倒せる。分類上、ステータスに恵まれない近代人であるが故の戦法を即座に組み立て、見出したライネスもとい司馬懿の戦術眼に、狂いはなかった。

ごき、という音が、全身を伝わった。自分の手が“真祖”の腕の骨を握りつぶした音と、宝石剣を握る右手首が“真祖”に握りつぶされた音だった。

 だが、どちらも一切気にしなかった。元より互いに死に瀕している。今更に激痛の1つや2つが追加されたところで、どうということはなかった。

 「悪いけど、悲劇のヒロインぶるのはごめんだわ」

 がくん、と視界がぶれた。視界が暗転(ブラックアウト)しかけるほどの、直上方向への猛烈なプラスGが脳髄を襲う。“真祖”が地面を蹴り上げたのだ、と気づいたときには、2人の身体が宙を舞っていた。

 瞬間、胸郭を衝撃が突いた。肺が押し潰れるほどの衝撃の中、視界が開けた瞬間に別ベクトルの衝撃が背中から肺を突き抜けた。

 ゲ、と声を漏らしたエリザベスは、それでも咄嗟に姿勢を直したのは、強靭な精神と、つい先ごろの反省か。

 だが、立ち上がったエリザベスが見たのは、現前する恐怖そのもの、だった。

 空に、“真祖”が浮いている。魔術において、空を飛ぶ、という行為がどれだけ高等技術なのかエリザベスの知る由もなかったが、空中で人型が静止している風景の異様さは彼女にも知れたことだった。

 だが、そんなものはどうでもいいことだった。

 左手で首を抑え、肩で息を吐きながら、掲げた左手の、その先に。

 朱、い、月。

 

 

 「イリヤスフィール! クソっ!」

 畸形の植物めいた生き物を切り捨てながら、セイバーは舌を打った。

 起死回生の策だった二重の陽動のせいで、セイバーは敵群の中で孤立していた。しかも前後左右を包囲される、という最悪の状況。如何にセイバーとて、ここを宝具の真名解放無しで突破するのは至難の業だった。

 群がる野犬を切り捨て、斬殺し、轢断し、それでも尽きぬ魔獣の海。未だセイバー単騎で抗戦できているのは、流石に彼女の力量の為せる業ではあったが、それも限度がきていた。

 ──負ける。

 直感的に、彼女は悟る。無限にも等しい敵を前に、ただ場当たり的な戦闘行動をしてしまっている。無心での戦闘、というのではない。消耗戦を強いられ、考える暇を根こそぎにされている。戦争、というものは、きっちりした理論があって、それを元にした合目的な行為であるべきなのだ。物量戦の本質は、その場しのぎの対応を相手に強いて、その合目的性を削ぐことにある……簡単に言えば、セイバーは、最早戦闘ではなく、ただ無為の殺しをしているに過ぎなかった。

 対自的に、それを理解している。遮二無二剣を振っているだけで、非生産的な行為をしているだけという自覚がある。一瞬でいい。仮に一瞬でも息さえ吐ければ、思考を巡らせる余裕が生まれる。

 でも、その一瞬すらないのだ。もう剣を振るう余裕すらないほどの密集戦の最中、いつの間にか握っていたアーチャーの長剣で畸形の植物を叩き切りながら。

 セイバーは、自らの衣に、手をかけ──。

 ざわ、と不意に肌を粟立てた。

 高ランクの【直感】による、未来予知のヴィジョン。ふわ、と浮かんだのは、今まさにこの戦場を俯瞰で眺めた風景だった。

 自分の右後方、30mに、野犬の死体が折り重なるようにして積み重なった防壁がある。先ほど“鞘”を解放した際に生じた颶風の刃で切り裂かれ、宙を舞った死体が積み上がった天然の防波堤。野犬たちは、その防波堤を左右から避けるようにしてこちらに向かっている。つまるところ、その防波堤の背後は、敵の包囲網が手薄になっている。あの死体の山さえ吹き飛ばせば、一時的に退避できる。

 彼女がその直感を得たのには、理由がある。Aランクを超える【直感】は、言わば未来予知に近い精度で状況を理解する。即ち、その俯瞰風景を直感できたのには、その防波堤が吹き飛ぶ未来が確定していた、ということだった。

 だから、セイバーは剣を薙ぎ払いしなに、4時方向に身を捩る。

 視界を魔力の閃きが掠めたのは、ほぼ同時だった。

 ロンドン橋にほど近い家屋の屋根から、閃光が迸る。高度の致死性を持った、指差しの呪い。物理的な破壊効果すら伴う呪詛が、防波堤めがけて投射された。

 秒速300mの速度で着弾した『フィンの一撃』が炸裂する。呪殺する対象不在のまま地面に着弾した呪いは四方八方に弾け飛んでいく。その衝撃で以て死体の山を吹き飛ばしながら、周囲に振りまかれた致死の呪いに憑りつかれた野犬たちが忽ちに絶命した。吹き飛ばされた死体に潰された野犬たちもいただろう。最も効果的に周囲に戦力の真空地帯を作り出す、絶妙な狙撃だった。

 一拍の、間。まさに目の前に拓けた一本道目掛け、セイバーは一気に踏み込む。竜種の心臓から生み出される膨大なオドを推進剤にする魔力放出で以て、強引に前方向への運動エネルギーを引き上げる。引き上げた運動エネルギーを、今度は“鞘”に封じ込めた大気を放射し安定させ、たちまちにセイバーはロンドン橋の端に着地(ランディング)した。

 地面に足を突き立て運動エネルギーを殺しながら、セイバーは目ざとく6時方向を振り向く。自分の足が砕いた石畳の噴煙を剣で斬り払いながら構えを取り、そうして静止した。

 魔獣たちの群れは、襲って来ようとしていなかった。中腹ほどに団子状になりながら、何故か魔獣たちが互いに食い散らかし合っている。

 ──巧い、と思った。攻撃目標であったセイバーが急に群れの中心から離脱したことで、集団中央に向かっていた魔獣の群れと、集団中央付近から脱出したセイバーを追撃しようとしていた魔獣の群れ同士が激突してしまったのだ。そのまま本能的に殺し合いを継続するとは思えないが、時間稼ぎをしながら自滅によって戦力を削る、優れた戦術判断だった。

 「セイバーさん!」

 その判断を下した少年の声が、どこか弱弱しく耳朶を打った。

 家の玄関口から転がるように出てきたその少年は、額に脂汗を滲ませていた。あの時の彼と同じほどの年齢の、黒髪の少年。右腕を左手で抑える表情はどう見ても苦痛に苛まれている様子の癖に、いたって普通、みたいな顔をしていた。

 「良かった、ご無事で」

 「あなたの攻撃ポイントが的確だったからです。あなたに感謝を」

 一瞬だけ、黒髪の少年は困ったように眉を寄せたが、すぐに表情を改めた。偶然です、と少年は肩を竦めた。

 「すまない。私のせいで、アーチャー、が」

 今度は明瞭に、痛まし気に表情を歪める。右手を抑える左手の指先が、皮膚に食い込んでいく。一度だけ強く瞑目したトウマの身体は、微かに、震えていた。

 「まだ、クロは消えていません」

 強く噛みしめた口蓋を押し開いて、やっとのことで、トウマは声を漏らした。

 「令呪はまだ生きてる。あの死徒の中で、クロはまだ、生きてる」

 恐る恐る、トウマが手を掲げる。手の甲に爛々と煌めく赤い紋章。双剣を象った残り一画の令呪は、まだ、己の生を主張するように淡く閃いている。

 形式的にも、実質的にも、マスターとサーヴァントの繋がりを示す令呪は、令呪越しに互いの存在を感じ取れもする──。

 「セイバーさん、頼みたいことがあります」

 ぐっ、とセイバー真正面から見据えるトウマの視線。セイバーが気圧されてしまったのは、その真直ぐな鋭さが、どこか、身に覚えがあったからだ。先鋭的なその眼差し。違いがあるとすれば、その鋭さには、しっかりした図太さを感じるところ、だろうか。そしてそれでも補いきれない脆さが、多分、セイバーの胸を打った。

 「一時的で構いません。クロを助けたるために、俺のサーヴァントになってくれませんか」

 「なるほどな」橋の上で団子状になる獣たちを一瞥しながら、言う。「こちらのメリットは」

 「俺とクロのスペック……そういったこちらの手の内をあなたにお伝えします。俺たちと貴方たちは、きっといつか雌雄を決することになるでしょうから。それに、フレンド機能……こちらの召喚式による一時契約なら、今のあなたたちの契約を維持したままサーヴァントになれますし、多分俺如きではあなたに強権的には出られません」

 幾ばくか、トウマは表情暗く口にする。メリット、と言うに、あまりに薄いことを自覚しているのだ。

 「いいでしょう、トーマ、あなたの判断に従います」

 「そう仰られるのは無理もないと思いますけど、でも……は?」

 「時間がない、早く準備を済ませましょう」

 言って、セイバーは不可視の剣の切っ先を床に突き立てた。何事か厳かな儀式を執り行うかのような佇まいに、今度はトウマが気圧される番だった。

 応ずるように、セイバーの頭に手を翳すトウマの身振りは、とても厳かとは言えなかった。どこかおっかなびっくり、といった素振りの初々しさに、セイバーは少しだけ微笑した。

 「この命運、あなたの剣に預ける」

 「(けん)の英霊の銘において誓いを受けよう。一時、あなたを我が主と認める」

 契約の文言は、極めて簡素を極めた。互いに合意がある以上、形式上の正しさはさして重要ではなかった。

 だが、それはこの契約が表層のものであるという証左ではなかった。むしろ、逆。実質において充実した契約であることを、セイバーは実感した。

 契約が結ばれたことによる、抽象的に感じる少年との結びつき。その繋がりから直感的に感じる、立華藤丸、という少年の在り方。強い、というのではない。むしろ、その在り方の核に感じるのは、無力という名の弱さのようなもの。でもそれは、多分、忌避すべき弱さではないのだ、と思う。それは人として尊敬すべき弱さで──セイバーが、かつては、目を逸らしていたもの。

 そして多分。その弱さを受け入れているその在り方こそ、強さなのだろう、と今ならわかる。

 「出会いこそが運命、なのでしょうね」きょとん、とするトウマに、セイバーは肩を竦めた。「私は、いつも善きマスターに選ばれるなと思っただけです」

 何事か言いかけたトウマを手で制しながら、セイバーは顎をしゃくった。団子状に混ざり合った魔獣たちの動きに、ようやっと統率が取れ始めていた。

 「作戦は」契約を結んだ段階で、パスを介して作戦概要は既に得ていた。「なるほど」

 「無謀かもしれません。でも、マスターの俺がこうするのが多分確実です」

 「それまでにアーチャーが消化される可能性は?」

 「無いとは言い切れません」断言するトウマの口調に、力みにも似た力がこもる。「でも、令呪から感じる存在の減り具合からすれば、まだ時間は残されていると考えられます」

 「1つだけ」

 トウマが、僅かに身動ぎした。咳払いをしたセイバーは、生真面目そうな少年の鼻っ面に、声を差し出した。

 「あなたがアーチャーを助けようというのは、純軍事的な理由からですか?」

 一瞬、トウマは呆気に取られてから、なんとも場違いに顔を赤くした。16歳、という年相応のかんばせ、だった。すぐに顔の発赤を鎮めたけれど、要するにそれは、そういうことだ。

 「いや、あのその」

 「結構。十分です。あなたは、善いマスターだ。端的に言って、私はあなたが好きですね」

 ふふん、と鼻を鳴らしてみる。困ったような、拗ねたような、奇妙な表情だ。それも可愛らしい、なんて思ったり───。

 「あの、俺からも」ちょっと言いにくそうに、トウマは口にした。

 「その。トーマ、って呼び方、別な感じにしていただけないかと」

 何事か作戦概要の説明──と思っていただけに、セイバーはちょっと、虚を突かれるように目を丸くした。

 「トーマ……ト、ト…トウマ? これで、大丈夫ですか?」

 「大丈夫です、すみませんわざわざ」

 申し訳なさげに、トウマは肩を竦める。そんな様も可愛らしい、と思うあたり、自分は大人になったということなのだろうか。幾分か自分の人生を回顧してから、セイバーは「構わない」と言うように、首を振った。最も、ローブを纏っている都合、奇妙な身動ぎにしか見えなかったかもしれないが。

 「さて」

 セイバーは、居住まいを糺した。構えは正眼に近い。両の手で握った不可視の剣は、次の瞬間、50ノットを超える颶風を吐き出した。

 周囲に転がっていた野犬の死体を吹き飛ばし、石畳をひっぺ返ししていく。

 高密度の大気そのものを圧縮した風の鞘──『風王結界(インヴィジブル・エア)』。かの伝承に現れる、姿隠しのマントの具現。鞘から解き放たれた時、その聖剣は、厳かに姿を現した。

 幾百もの松明を重ねても足らない煌めきを持つ。そう尊称された、王の剣。星の内海から流出するその剣を振るう騎士は、人理に満ちる英傑たちの中でもただ独りしか居はしない。

 その、真名は──。

 野犬の群れが、動き出していた。地面を浚う津波のような怒涛を以て押し寄せる魔獣の群れ。セイバーは全く意にも介さず、その津波へ向かって一歩を踏み出す。元より怯懦に足を取られるような質でもなかったが、いやましにその一歩は勇躍とする。その背にマスターの姿を感じるが故の、満ち満ちた気質。

 「カウント開始します!」トウマの声が、耳朶を打った。「10、9、8───」

 剣を、持ち直す。槍を投擲するように、逆手に構えたセイバーの目は、同時に2つを凝視していた。

 現実のロンドン橋の、ある一点。それに重ね合わせるように幻視していたのは、つい先ごろマスターからもたらされた戦略図──ロンドン橋の耐久強度の予測図。

 「2、1、0!」

 ふっ、と息を詰まらせた。

 全身をそのまま、弓にする。自らの肢体を撓ませ武器と為す、154㎝の弓。ならば、矢として射出されたのは、アーチャーが投影した黒い聖遺の剣だった。たとえ魔力を通わせずとも発揮する強靭性に、切断性。騎士ローランが用いたとされる絶世の銘剣、デュランダルが矢となって空を切る。秒速800mに達する一擲がロンドン橋の石畳を貫通し、橋脚に突き刺さった。

 如何に宝具とは言え、真名解放もせずただ投擲しただけでは、巨大な構造物を破壊するには居たらない。微かな振動が橋全体を震わせたが、それだけだった。

 そして、そんな動作など、魔獣の群れには何の意味もない。怯懦などという言葉は知らず、ただ肉欲にだけ突き動かされる獣の波。相対距離10m、目と鼻の先にまで迫った獣の濁流を前に、セイバーは一切怖れを抱かずに、身を屈めた。

 「トウマ!」

 左手を、伸ばす。自分より一回り大きなマスターの身体を左脇に抱えるなり、セイバーは魔力放出で以て宙を跳んだ。

 んげ、と漏れそうな声を噛み殺したトウマが、縋るようにセイバーの身体にしがみつく。竜の炉心から繰り出されるセイバーの魔力放出から生み出される推力は、生身の人間であれば骨の一本や二本を砕かれて当然の出力を誇る。対G性能の高いBDUを着ているとはいえ、瞬間的な加速で気絶しなかっただけ、トウマはよく訓練されていた。

 一文字にマニューバを描くセイバーの姿は、アフターバーナーを全開にした戦闘機を思わせた。だが、どれだけの加速度であろうが、それは無謀な突撃でしかなかったはずだ。何せ壁のように押し寄せる獣の群れには、どこにも隙があるように見えなかったし、事実無かったのだから。

 「今!」

 獣の群れに激突する、ほんの僅かコンマ1秒前。ぐら、と視界が歪むなり、壮絶な轢音とともに視界がぐらりと揺れた。獣たちが、視界から落ちていく。足元に纏わりついた浮遊感は、ともすれば一瞬の酩酊にも似ていたか。

 だが、その感覚はセイバーの内で生じたものではなかった。獣たちが視界から落ちたのは、むしろ物理的な必然に依るものだったのだ。足場になっていたロンドン橋が音を立てて崩落し、魔獣たちは崩壊するロンドン橋の瓦礫に飲み込まれていった。

 幾多の戦闘によって耐久限界を迎えていたロンドン橋、その最脆弱部位に、橋が崩壊しないぎりぎりの威力でデュランダルを突き立てる。あとは押し寄せた野犬の群体の自重が引き金となって橋が崩落した瞬間こそが、攻めの刻。

 舞い上がった飛沫は、テムズ川に墜落した瓦礫と挽肉が巻き起こしたものだったか、それとも強まった雨水によるものだったか。影衣の隙間から滲む冷たさを感じながら、セイバーは魔力放出の推力のまま、中腹まで崩壊した橋を跳ぶ。墜落する野犬を時に蹴り上げながら強引に進路を捻じ曲げ、八艘跳びもかくやの機動で以てセイバーが目指すはただ一点。

野犬の群れの中、墜落する獣の最中にそれを見る。

 黒い、スフィア。まるで時間が静止したかのような純黒の球形が、呑気そうに、重力落下していく。

 ぞわ、と何か肌が泡立った。正統な英霊であるが故の、異様な怖気。触れてはいけない、という負の情動。本来英霊と“死徒”が相容れない存在であるが故の忌避感?

 いや、これはそんなものではない。もっと根源的な、唾棄すべきおぞましさ、だ。

 「あの中に居る!」

 鋭く、トウマの声が耳元で耳朶を打つ。

 同じ感情を、多分、トウマも味わっている。僅かに一瞥した彼の顔は、血の気が引いたように青白く震えていた。声まで震えている。だが、恐怖に引きつりながら、その声は、その眼は、あの敵を見据えている。

 本当に、好いマスターに巡り合うものだ、と思う。だからセイバーは、作戦通りにその黄金の剣を熾した。

 唸るように、両断せんばかりに剣を振る。スフィアをパスする瞬間、その球面めがけて振るった剣は、

 「“深い”!?」

 ただ、球面を撫でるような手触りが返ってきた。

 いや、手応えがなかったわけではない。確かにこの剣は、あの球体を切り裂いた。だが、届かなかったのだ。

 ()()()()()()。だが、その核に届いていないかのような手触り。ともすれば、無数の小魚が群れることで巨大な生命体のように振る舞っている、かのような。

 「セイバーさん!」

 電撃が奔るように、少年の声が脳みそにイメージを象った。パスを通じて明瞭に閃くヴィジョン。

 何故、という疑念はどうでもよかった。ただ、自分にはその使い方ができる。

 「令呪を以て命ずる!」

 「!」

 「その聖剣の真なる名において、切り裂け!」

 振り抜いた剣のモーメントに乗せ、無理やり身体を捩じる。魔力放出も併せて無理やり運動エネルギーを0にしたセイバーの眼下に、黒い球を見据えた。

 「是は、勇者を共に在る戦いである!」

 剣を逆手に、さらに魔力放出を重ね掛けしてパワーダイブをしかける。隕石のように黒い球めがけて墜落したセイバーは、その、聖剣の銘を言祝ぐ。

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』──!」

 




大分お話も佳境になってきましたね。

ご感想等ございましたら、お気軽に言っていただけると大変うれしいです。また誤字脱字等ございましたら、そちらもお気兼ねなくお申しつけください。それではまた次回もよろしくお願いします!
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