fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
間近に見る聖剣の解放。溢れんばかりの光子を巻き上げた一閃は、脳に焼き付くほどの景色だっただろう。
恐らく、それに並ぶ宝具を、何度か見ている。
オルレアンで見た、ジャンヌ・オルタの『
ローマで見た、アルテラとネロの『
大海で見た、メルトリリスの『
単純な出力であれば、この聖剣の宝具を超えるものもあっただろう。だが、その聖剣の名はそのどれにも比類なきものだった。音も、光も、何もかもを凌駕する絶対の静謐。聖なる御稜威そのものが押し広がるかのように、凪いだ光の海が五感だけでなく理性まで埋め尽くしていく。その精錬さと輝きは、唯一抜きんでて並ぶものはない。
──聖剣、エクスカリバー。アーサー王伝説に姿を現す、鍛え直された剣こそは、セイバーの宝具の銘。そしてその剣を振るう英霊は、ただ、1人しかいないはずで、その真名は……。
……今、それはどうでもいいこと。振るわれたエクスカリバーの奔騰を目にしながら、トウマは放心する自意識を無理やりに引き戻した。
為すべきことを為すには、今しかない。真名解放とともに突き立てられたエクスカリバーの剣先が黒い球を抉り、深々と切断痕を刻む。直径5mはあろうかという球に穿たれた溝は化け物の口を思わせた。
トウマは一瞬だけ尻込みした。
予想通り、ではあった。
多分、この球の内面がより三次元的空間よりも高次に広がっていることは最初から予想していた。令呪に感じるクロの
一瞬だけ、自分を抱きかかえるセイバーと目配せする。どこか淀んだような黄金の双眸が、洞の奥で閃いている。
行け、と目が言っている。微かな躊躇を滲ませて、それでも行けと言っている。
返した首肯は、単なる了承ではなかった。この無謀と無茶に付き合ってくれたことへの感謝だった。
抱きかかえる力が緩む。セイバーの脇からすり抜けたトウマは、エクスカリバーによって穿たれた溝へと堕ちていった。
怖い、という気持ちはもちろんあった。逃げ出したいという気持ちもあったし、墜落するこの最中にも、泣き出してしまいそうなほどだった。
でも、それ以上に、思うことがある。思わず瞑ってしまった瞼の裏に彼女の姿を思い描いて、トウマは、睨むように目を見開いた。
「クロ──!」
どぷん。
※
海の、中。
淡く浮上した感覚は、それだった。
自分の身体が、何かの中に揺蕩っている。自分だけではない。妙な形の生物──はたして、生物として呼称するのが正しいかどうかすら不明な不定の生物たちも、前後左右、上下に浮遊しているらしい。
周囲は、酷く昏い。なのに、透き通るように見渡せる、遍く潮騒。すぐに、不味いな、と思った。
遮二無二にここへ落ちてきたけれど、どうやって出ればいいのだろう。上に行けば出られる、なんていう単純な話ではない、と思う。前後左右はともかく、そもそもどっちが上か下かも判然としない。上を見れば、逆さになった管状の生物がぷかぷか浮いている。
そして、何よりこの感覚──多分、今、自分は“食われている”
恐る恐る、自分の手を、見る。開いた五指の尖端、第一関節まで、指が融溶している。疼痛の感覚こそ無かったけれど、時間がないことは火を見るよりも明らかだ。
歯を噛みしめたのは、改めて無味乾燥に突き付けられた消尽の感覚への恐怖を堪えるためだった。けれど、それ以上に、今さらに自覚した己の無能を悔いていたようでもあった。
左手を握りこむ。目線の先に残る赤い紋章は一画。赤い刃の如き令呪に、静かに、命令を下した。
──此処に、来て。
じわ、と最後の令呪が解けていく。目の前に、朧な淡い光が灯ったのは、令呪が全て黒ずんだ時だった。
光の塊に過ぎなかったものが輪郭を戻した時、さっき味わった後悔を、また、反芻した。
彼女の名を、思わず声に漏らした。もう、大分、消化されていた。四肢は、もうない。胴ももうほとんどない。残っているのは胸郭と頭だけで、今もどんどん形がなくなっている。既に意識はないらしい。瞑目した姿は、もう生命を終えているようにも見えた。
この事態を呼んだのは、間違いなく自分の無能さだ。あそこでアリスを助けようと無理な提案をしたのは自分で、客観的には無駄な行為の為に、みんなを危険に晒した結果がこれなのだ。いくつも判断を間違えた結果が、
後悔しようと思えば山ほどある。自分の無能は、悔いても悔いても尽きない。だが、今すべきことはそれじゃあない。この結果の責任を取ることが、曲がりなりにも上に立つ人間のすることなのだから。
霊核は残っている、と冷静に思考したのは、日ごろの鍛錬の賜物だったろうか。前頭葉に浮かんだ思考を解決策に繋げることは、そう難しいことではなかった。BDUの疑似魔術刻印を自分の魔術回路に繋げて、あとは、すべきことは一つだけだった。
辛うじて残った肘先で彼女の身体を抱き寄せる。腰から下が亡いせいでうまく姿勢をとれないのが煩わしい。混濁し始めた意識の中、彼が抱いた感慨は、途方もない申し訳なさだった。
自分を送り出してくれた人たちの顔を思い浮かべると、自分の無能が招いた事態をただただ情けなくなる。彼ら、彼女らに何も返せないまま、ただ消えていくしかできない己の力に羞恥にも似たものを感じている。そして、何より、目の前の彼女に。こんな目に合わせてしまって、なんと言ったらいいものか───。
だから、これは贖罪のようなものだった。債務の感触と、それに端を発する義務感。肘でなんとか彼女を抱き寄せて、揺蕩う前髪をかきあげた。
これが、マスターとしてできる、最後の行為。いや、マスターとしての行為、それだけだっただろうか。もっと個人的な感傷もあった。サーヴァントだろうがなんだろうが、そんなことは関係なく。彼は、彼女に生きていて欲しかったのだ。こんな非力で何も知らない自分を、ずっと見守ってくれていた彼女に生きていて欲しかったのだ。
微かに首を傾け、そうして、彼女の薄い桜色の唇に──。
ごめん、じゃあ、さようなら。
微かに触れる感触が口先を過る。最期に過った思考が霧散した時、
今回短いので、近日中に次の話投稿を予定しております。