fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅶ-1”バラの花輪だ、手をつなごうよ(We all fall down)

 彼が、何がしかの違和感を抱き始めたのは、戦闘開始から既に10分が経過してから、のことだった。

 最初は愚昧な抵抗をするので精一杯であるかのように認識していた。攻勢らしい攻勢も苦し紛れに散発的に撃たれる程度で、自身を害するには程遠い攻撃で、意に介する必要すらないはずだった、のに。

 「何をしている、さっさと狩れ」

 幾分か、苛立ちを感じていた。頑張っている、と控えめな反論が配下の魔物から上がってくることも苛立ちの原因だった。経過がどうあれ、結果が出ていないのは現実なのだから。

 その上、なんだか動きづらい。まるで地面に、この大地に自分の足から根が生えて、己の生命力(オド)を吸われていくような感覚。その感覚が、徐々に増大している気がする──。

 結果を出さない部下と、遅々として進まない戦況、そして身体を蝕み始めた何か。こんな痴態を見せられるなどついぞ思ったことも無かっただけに、苛立ちはいや増しだった。

 無論、根本的な視野狭窄に過ぎなかった。心情的にも、物理的にも、だ。遍くを見通すはずの千里眼が効かないというだけで、彼にとってみればストレスなのだ。要するに、全ての状況が彼にとって煩わしく、苛立ちの種しかないという状況だった。

 理性的存在であるが故に免れない、不都合な状況での苛立ち。正常な判断能力を削ぐ状況に追い込まれた時点で、もう、勝敗は決まっていたのだ。もし彼が十全な判断力を以ていたならば、攻めきれないと悟ったこの瞬間に撤退を判断していただろう。この特異点自体が、そう重要ではなく、偵察程度のものに過ぎなかったのだから。

 だが、そうできなかった。そういう判断が下せるほど、もう冷静ではなかったのだ──要するに、熱くなりすぎていた。

 だから、最後のその事態にも気づかないでいた。何故か、この特異点への顕現体の出力が落ちている、という状況に気を払えなかった。気づいていても、それを何がしかの誤差としか判断しきれなかった。

 13番、ベレトの魔が果敢にバーサーカーに触手を振るい熱線を浴びせかけようとしたその瞬間。

 「ん?」

 つと、彼は、自分の皮膚に赤く浮かんだ徴に視線を落し、

 「今!」

 女の声は、酷く耳に突き刺さった。

 あ? という感慨が、まず来た。ぐらりと視界が歪んだなぁ、と思った時には、気が付いたら、左半身が抉れて、吹っ飛ばされいた。

 何が起きたんだ、と思ったときには、1km後方の壁に頭から激突していた。壁に埋もれたまま、呆然としながら、彼は広場に立ち尽くす屈強な男の人型を、見た。

 紫電を迸らせた、黄金のサーヴァント。振り下ろした巨大な鉞の下には、ぶった切らた自分の半身が、どす黒い肉の塊となって落ちていた。

 まず、彼が感じたのは混乱だった。何が起きた、という判断がまずできなかった。そして、次の瞬間に猛烈な勢いで襲ってきた激痛で、判断そのものが下せなかった。

 彼にとってみれば、痛い、なんて言葉は初めて感じたものなのだ。知識で、そういう苦しみや忍従の感情自体はよく知っていた。それに、吐き気がするほどの死の陳列を眺めてきただけに、それがどれだけ忌まわしいものなのかも、知っていた。

 知っていたはずなのに、その痛みは恐るべきものだった。完全に近しい存在であっただけに、唐突に、明瞭に突き付けられた瑕疵は発狂するに足るものだっただろう。むしろ、そこで気狂いしなかっただけ、立派な精神性と言うほかなかった。

 「野蛮な極東人風情が! 抑止力に呼ばれたというだけで、魔術王たるこの私に傷をつけようというのか!? 」

 だから、そんな益体の無い悪罵が口をついて出てしまうのは仕方のないことだった。西洋の魔術体系と全く起源を異にする東洋の術への偏見と蔑視があっても、やはり仕方のないことだった。

 「そうだよ。今から俺はアンタを殺す。それが、今はとりあえず正しいことだからな」

 罵倒の返答は、あまりにもあっさりとしていた。身動きが取れずにまごついている間に、目と鼻の先に迫った巨躯。日本生まれのサーヴァントが……平安武者が、翡翠の目を突き刺していた。

 「俺は馬鹿だから、アンタがどんな高邁なお考えを持ってるのかわかんねえけどよ。人を殺してまで求める価値なんてのはな、どうあがいてもクソなんだよ」

 鉞が、振り上がる。半狂乱状態に陥って放心していた彼は、もうほとんど何もすることがなかった。ただその絶命の瞬間がやってくる様を、眺めていることしかできなかった。

 だからだろうか。何故か、その男の顔が、妙に印象的に映った。ほとんど無表情だったが、決して無感動なわけではなかった。

 何故、その感情を彼が察知できたのかは、とても単純な理由だった。何せ、彼の起源がその感情だったから。あの時、衣類を渡してきた少年と同じ顔。

 その感情の銘は、

 「必殺!」

 多分、

 「『黄金衝撃(ゴールデンスパーク)』!」

 憐憫、

 

 

 

 「アーチャー! 返事をなさい、アーチャー!」

 雨が、強くなっている。

 破壊されたロンドン橋の端、セイバーはずぶ濡れになりながら、荒れ始めた黒いテムズ川から引き揚げてきたばかりの小さな身体を揺すっていた。

 トウマが黒い球に吸い込まれるように滑落して、その直後に川面に黒い球が墜落してから10分。セイバーには、永遠にも思えるほどに長い10分間の後、浮かんできた人型……イリヤスフィールを救い出してきたのが、つい十数秒も前のことだった。

「あの者の想いに応えてやりなさい、イリヤスフィール! 」

 げほ、と彼女が咳き込んだ時は、もう本当に安堵した。全身の力が抜けるかと思った。力とともに抜けていく嘆息を感じながら、セイバーはほぼ同時に、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 「セイバー?」

 薄く、彼女が目を開ける。記憶にある雪のような少女と瓜二つのかんばせは、まるで氷のようだな、と思った。下手に動かせば、たちまちに脆く崩れてしまいそう。

 「気が付いたか」

 思わず、いつも通りの声音で言う。どこかあてもなく虚空を彷徨っていた視線の焦点が、セイバーの表情で重なる。ぎこちない動きで手を持ち上げると、彼女は、恐る恐る己の唇に触れた。探るように、求めるように、細い指先が唇を撫でた。

 音もなく、動きもなく、まるで制止したかのような時間の中、じわりと滲んだものだけが物悲しい生命の吐息を漏らしていた。雨に紛れて流れたものに、セイバーはただ痛ましく声を喪うしかなかった。彼女はまだ、こういう時、なんと口にしていいか、わからなかった。沈黙という身振りで困惑しながら、さりとてその困惑を受け止めることしか、できなかった。何せ、彼女自身すら喪失のただ中にいるのだから。

 一時的なものとはいえ、あの少年は、自分のマスターだったのだ。極めて短時間だったけれど、あの少年に何か惹かれるものがあるのは、彼女自身も感ずるところだった。年相応の子供っぽさを感じるけれど、上に立つ者としての自覚を持ち始めた見所のある少年だった。ただ短時間だけの出会いだったというのに、個人的にも客観的にも、喪失感は少なくない。

 まして、それがずっと寄り添ってきたサーヴァントならば……推し量ることすら、烏滸がましい、だろう。

 「私ね、あの人を、守ってあげたかったの」

 無表情以外の情動をとれない、こわばった表情のまま、彼女は嘔吐するように声を漏らした。

 「元の世界に帰れるまで、私が守ってあげたかったの。あなたに、生きていて欲しかったのに」

 くしゃりと歪みかける表情。それができない強張り。情動を喪失した《貌》の現象の中で、無と無限がせめぎ合っている。

 (しず)かに、骨が軋む。セイバーの控えめな静止も効かず、アーチャーはおぼつかない様子で立ち上がった。

 「投影、開始(トレース・オン)

 右手に、短刀(ナイフ)が現れる。刃渡り20cmほどのコンバットナイフの柄を逆手で握りこむなり、彼女は大きく腕を振り上げた。

 「トーマの命を吸った魔物、なんて」

 そうして、そのまま己の胸へと、

 「生かしておくか──!」

 

 

 這う這うの体で岸壁に張り付いた時、“死徒”が抱いた感慨は、苛立ちと喜悦の両方だった。

 「人間風情などそこいらの下級隷属種と同じ戯けと思っていたがな! この私に仇名すとは不愉快極まりない。あの魔女め、何を仕込んだ?」

 口では悪し様にののしりながら、その声音の奥に、厳かな尊敬が滲んでいる。肩で息をしながら、“死徒”は、降りしきる雨の中、ずぶ濡れの姿で川縁にまで這い上がっていく。スフィアからこの身体に戻ってからこの方、妙に身体が気怠く、動くことすら億劫だった。よく見れば、橋の上に転がる魔獣たちもほとんどが死に絶えている。赤い斑点を全身に浮かんで、苦悶の顔を浮かべて死んでいる。

 ──この身体(ボディ)自体は悪くない。

 ごろりと寝転がった“死徒”は、心臓に穿たれた孔を感じながら、浅い呼吸を繰り返している。 ()()()との親和性が高い。格も申し分ない。あの“真祖”の身体を使えなかったのはもったいなかったが、それを補ってあまりある。もう少し時間があれば、この身体を完全に使役することもできただろう。だが、もう時間がない。この身体をベースにするならば、完全な顕現に至るまで百年単位の時間を要する。普段であればその程度の時間、瞬きのようなものなのだが。今だけは、時間がない。

 この身体では、あの()()()()()に、勝てない。

 いや、そもそも。

 「来たか」

 今まさに顕現する”外なる神”に、勝てる要素がない。

 微かに、背に振動を感じる。表情が歪んだのは、喜悦か恐怖かそれとも別か。盤踞、と立ち上がった“死徒”は、真正面に、その姿を見据えた。

 赤い死が、そこに立っていた。

 ゆらゆら、と食腕が背中で蠢いている。千切れた左腕を右手に持ちながら、蒼白の眼光がぎらりと視線を見返した。

 「返せ」

 千切れた左腕を、腕の切断面に押し当てる。不定に蠢くなり、瞬きの間すらなく、腕が復元した。

 「トーマを、返せ!」

 ふ、と視界からあの赤い影が跳んだのと、“死徒”が魔獣を吐き出したのは同時だった。

 外套の裏から、溢れるように湧き出す魔獣の群体。畸形の人型めいた怪物、四足の獣、植物めいたおぞましい生物。あのサーヴァントとかいう生命体すら、この生物の壁を突破するのは至難の業だろう。

 だが。

 「『是、射殺す百頭(ナインライヴス・ブレイド・ワークス)』──!」

 一瞬、魔獣たちが宙を舞う。ただの一瞬だけで数十匹が巨大な石斧に叩き切られ轢断され押しつぶされて絶命し、次の瞬間でさらに数十が同じ末路を辿った。そして三瞬目には、もう、あの魔獣の群れを突破した颶風が迫っていた。

 「投影、開始(トレース・オン)!」

 「凄まじい強さだ、黒森の魔女! かつてのように貴様と交われなかったのは本当に残っ」

 「雑音が嘯くな!」

 ずぶ、と突き出された黄金の剣が開いた口に飛び込み、そのまま頚椎まで貫通した。構わずに“死徒”が右腕を持ち上げかけたが、遅すぎる反応だった。いつの間にか、傷だらけの左手に握られていた剣が迸った。

 さらに2太刀、3太刀。神速の剣戟は、刹那の間すらなく“死徒”の四肢を切り刻んでいた。

 「『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』!」

 「て、転移を!?」

 黄金の剣が頭をかち割る瞬間、視界が空転した。

 どぷり、と視界が切り替わる。真名解放の瞬間に開いた大転移構造体(グレートツリー)への入口に、間一髪で飛びこめた、らしい。

 この地球の英霊なるものが振るう、宝具。あれを侮ってはいけない──胸に穿たれた孔を意識しながら、思案が回っていく。

 たかが下等種の武器と侮っていたが、この身体をあそこまで滅ぼすあの魔槍。そもそもあの下等種族の分際で、高次元の窓を開き得る武具を作るなど、想像すらしていなかった。人間、という生き物を侮るべきではない。

 今更にどっと噴き出す汗を感じながら、“死徒”は、神代へと伸びていく一本道にかじを取りかけた瞬間、ぐえ、と声を漏らした。

 首根っこを掴まれたかのような感覚だった。というより、真実、“死徒”の首根っこを何かが鷲掴みにしていた。ぎょっとする束の間すらなく転移構造の中で引き倒され引きずりまわされるなり、また、ぐにゃりと視界が反転した。

 びちゃ、と水の槍が頬を突く。空から降りしきる雨、昏い空。また、あの煙る都市が、目の前に広がっていた。

 「転移構造から直接サルベージして──!?」

 続く言葉はなかった。右で首をねじ切るほどに鷲掴みにされ、声すら出なかった。そうして、ずぶ、と胸に空いた孔に、赤い影の左手が突き刺さっていた。ぶちぶち、と何かを引き千切る音は、多分実際体組織が千切れる音だったし、何か別なものが自分の身体に浸潤してくる悍ましい感触に神経が悲鳴を上げた音でもあった。

 ずるずると自分の身体から何かが引きずりだされていく。数多の生命情報が無理やりに引き出され、下界に吐き出されていく。滂沱のように噴き出す未成熟の魔獣たちがのたうちまわり、周囲の魔獣たちに捕食されるがままになっていた。

 「見つけた!」

 苦し紛れに再生させた腕を振るった時には、もう、敵は一歩引き下がっていた。小さな身体に、あの地球人の身体を、亡骸を、抱きかかえていた。

 「セイバー、トーマのこと、見てて!」

 宙に、その体を放り投げる。いつの間にか魔獣の群れを突破していた黒い影が飛び出すなり、宙に舞った体躯を抱き留めていた。

 「あとは、私が()る!」

 

 ※

 

 アーチャーが再度、魔獣の群れに猪突していく。群がる魔獣たちなどまるで居ないかのような機動で突破し、近づくものは背中から生える対の刃で斬殺し、既に肢体を再生させた“死徒”に斬りかかっていく。

 ただの蹂躙。あの“死徒”の本体がそもそも強くない、ということもあるだろう。だが、サーヴァントと同程度の強さではあろう。それを問答無用で斬殺し刺殺し轢殺し続けるアーチャーの強さは、常軌を逸していた。

 ──あれでは、呑まれる。

 常軌を逸した強さには必ず理由があって、その理由次第では、自らの破滅すら呼びこみかねないものだ。あれは、そういった類のものなのではないか? 卑王が、卑王に成り果てたように。いや、既に飲まれ始めている。彼女は、自らの裡に巣食う魔性に食われ始めている。そんな時に、何が必要なのか、セイバーはよく知っている──。

 「トウマ」

 戦慄とともに、セイバーは、腕に抱きかかえた少年を見下ろした。

 こうして、触れているとよくわかる。蒼褪めた肌。冷たい感触。動かない胸郭。もう、生きて、いない。

 顔に触れる。まだまだ未熟ながら、精悍さを帯び始めた少年の面影だけが、蒼褪めた顔に微かに残っている。体つきも、セイバーからすれば十分とは言い難いが、それでも太い筋肉質の体躯からは、相応の鍛錬の痕を感じさせた。

 1つだけ。この死の淵に落ちた少年を、この現世に留まらせる術がある。魔法にも並ぶ、死者蘇生にも等しい禁忌の術を、セイバーは知っている。しかも、知っているだけでなく、それを実行する術すらも、ある。

 だが、彼女は、その術をすぐに行えなかった。

 逡巡があったわけではない。迷いすらも、なかった。彼女は彼女の正しきと信ずる道に従い、それを、実行するのになんの躊躇いもありはしなかった。ただ、1個だけ。自分の勝手な行為によって、きっと悲しむであろう今のマスターとかつてのマスターに対して、申し訳なさのようなものを感じてしまったのだ。彼女が彼女であるが故の、高潔さだった。でも、だからこそ、彼女はその己の未熟を受容した。きっと彼も、彼女も、むしろ今ここでその術を為すことに反対するはずがない、と知っていたから。

 聖剣を、地面に置いた。今は、敵を害し人を護る剣は不要(いらない)。今必要なのは、癒しによって人を護る、理想の(さと)。 

 想起(イメージ)する。かの黄金の聖剣、そして白銀の聖槍に並ぶ尊きもの。

 ──燈が、腕の中に熾る。

 「現れよ、我が心の鞘」

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