fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
──終わったか。
スモッグが垂れこめた空を見て、ジェームズ・モリアーティは軽い嘆息を吐く。似合わぬことをした、という自覚に頬を緩めながら、呑気そうに公園のベンチに腰を掛ける。右たない浮浪者が地面に転がっている。
「所詮は悪ぶっているだけの善人さ」独り、言ちる。哀れみが少し。ほとんどは侮蔑の感情から発せられている悪罵であった。「そんな小童に悪事は為せないってね」
モリアーティは空を見上げる。分厚いスモッグの上はどこまでも薄暗いばかりだ。
己の役目は終わった。外から来た者たちとどう相対していくか、それは彼らの仕事である。表舞台に出るのはそもそも趣味ではないし、まして自分でドンパチするなんてのも面倒なことだ。
あとは、この特異点が消えゆく束の間の自由を楽しむばかりである。
と、モリアーティは背後からの足音に気が付いた。英霊とは言え、彼は老体である。身体を動かすのは、そもそも気怠いのだ。それでもきちんと立ち上がって身を振ったのは、彼が悪人でこそあるが紳士でもあったからだった。
おや、と思った。
紫紺を思わせる、深い色のブルネット。澄んだ眼差しは深淵の宇宙そのものか。結った赤いリボンは、さくらんぼを思わせた。
「なるほど」
モリアーティはまたも独り言のように呟く。自分に対しての、納得と同時に思考の呼びかけのようなものであった。
「君が──」
遠く。
闇に、吠え声が響いていた。
※
どうして、こうなったのだ。
這う這うの体で這い回りながら、彼は、帰路についていた。
負けた理由は腐るほどに思い付く。そもそも全力の神体ではなかった。あの小娘に踊らされた。あの特異点では千里眼が効かなかった。何故か、魔力が上手く回せなかった。魔神柱どもが勝手に好き放題し始めた。思い返せば敗因しかない。
全能であるが故の驕慢。それだけならば、まだ良かった。だが、驕慢であるが故に油断してしまった。根拠もなく油断してしまった。全知全能でさえあれば、たとえ実際戦ったことなどなくとも、遍くを赤子の手をひねる用に蹂躙できると誤解していた。
だが違ったのだ。赤子でしかなかったのは、まさに自分だった。全能に酔いしれ、
悔しい、と、思った。そんな醜く、子供じみた感情を持ったことが驚きだったが、その感情だけはどうしようもなかった。あの赤毛の女にいいように遊ばれたことが、我慢ならなかった。既に薪は消え、大業成就のための燃料は失せていたが、そんなことは、もう、どうでも良かったのだ。3000年の夢など今更にどうでもよく──ただ、その魔術式は、人間染みた感情だけに囚われていた。
「バエル! バエルはいないか!」
“神殿”に戻るなり、彼がしたことの第一がそれだった。
「私には為すべきことがある! 七番目の特異点まで待たぬ! 力を貸さぬか、バエル……」
そこまで言いかけて、彼は足を止めた。
静か、だった。彼の第二宝具によって顕現するこの神殿が、夥しいまでの闃然を膨らませていた。いつもであれば、無限にも等しい魔神柱たちの蠢きが軋んでいるというのに……ただ、無だけが、厳粛にのたうっている。
知らず、彼は人間がそうするように、焦って走り出した。壮絶な化身の損傷で消耗しきった身体は思うように動かず、時々転んで顔面を強打したり肩をぶつけたりしながら、己が玉座へと、向かい、
「やぁ、おかえり」
あの、沼のような双眸が睥睨していた。
「思ってたより早かったね。まぁ、今のあなた如きじゃあ、先輩は止められない。当然の帰結だ」
愉快そうに言う、小柄な女。病的な白い髪に、悍ましい赤い目が、ガキっぽく揺れている。横柄に玉座に腰を下ろした女は、あまりに無思慮に、本来座るべき者を見下していた。
「それで、逃げ帰ってきたわけだ。人の道理がようやくわかって、これでやっと先輩ともちょっとはいい勝負はできるだろうけど」
静かに、女が立ち上がる。彼は、その一挙動の度に、心底身を震わせた。
だって、その女は。あの女と、同じ見た目をしているのだから。
「何者だ」
やっと絞り出せた台詞は、ただそれだけだった。だが、女の反応は、努めて失望気味だった。
「この物語の過去でしかないあなたは知る必要が無い人。それだけだよ」
「ふざけるな! どうして貴様の如き凡人が、この領域にいる!」
ほとんど、感情任せの一撃だった。自らの身体より這い出した魔神柱の1つが、猛烈な勢いで殺到する。肌で感じた女の強さは、それこそ魔術のまの字も知らない凡夫と大差ない。通常ならば、反応すらできずに死滅していて当然だった。
だが、そうはならなかった。
柱が追突する瞬間、何かが奔った。鮮やかな一太刀、だった。ただその一撃だけで魔神柱は両断され、黝い血肉を撒き散らして、すごすごと彼の肉体へと戻っていった。
「危ないっすよ、マスター。あんな様でも、まだビーストⅠなんすから」
「どうも」
「いえいえ」
折れた剣を携えた、影なる英霊。何物をも見通し得ぬ洞の奥で、胡乱げな視線が、見返してきた。
咄嗟、彼ができたのは、条件反射的な防御反応だった。同じように自身の肉体から這い出した魔神柱を叩きつける、という愚直な行動。そんな単純な防衛機制が当然成立するはずもなく、全て迎撃された。
1柱は鎖に貫かれ、1柱は拳にへし折られ、1柱は車輪の如き武器に引き潰された。最後の1柱は──十字の如き、盾の宝具に激突し、合えなく粗びき肉団子と化していた。
「うむ。魔術の祖、というのだからどれほどのものかと思えば。左程のものではなかったな」
そうして、あと2騎。玉座の裏から顔を出した、影なる英霊。不可視の武具を持ちうる英霊と、魔術使いらしき英霊も加えて、計7騎が、玉座の女を囲んでいた。
「申し訳ありません、遅れてしまいました。それと、鞘を」
「まぁまぁセイバー。今はいいよ。ほら、
ころころ、と嗤うように女が言う。凄まじいまでの彼への侮蔑だったが、もう、彼はそれどころではなかったのだ。
だってそうだ。この場に顕現する、あの英霊7騎。その全ての霊基は、間違いなく、
「ありえん! 何故貴様が……
「あなたに、そんなことを言われたくはないよ。ソロモン王でお人形遊びするのは楽しかった?」
ゆっくりと、大儀そうに玉座から立ち上がる。肩でも凝った、とでも言うように肩を回してから、ゆっくりと、手を挙げた。
「
女の五指が啓いたのが、合図だった。
7騎の影衣が、解けていく。その力、その姿を欺いていた欺瞞が、消滅していく。
「汝、三大の言霊を纏う七天。堕天の檻より来たれ、抑止の守護者」
黒い環が、頭上に浮かぶ。天よりの御使いを示すはずの光輪が、どす黒く、堕落している。
「殺すのか? この私を、お前如きが殺すのか!?」
「そうだよ! センパイがやったみたいに、一本残らずぶっ殺してあげるよ──ゲーティア!」
これにて4章終了です。
年単位で前に書いたものなので今見ると粗削りといいますか、若い文章だなぁと感慨深くもあり、それだけにこの文章でいいものかと思いもしました。が、とりあえず過去の自分が頑張って書いたものなので、なるべくはそのままお出ししようかと思い投稿しておりました。少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
5章なのですが、こちらかなり難航しておりまして。文字数で言えば2023年12月時点で35万字くらい書き終え、文量で言えば1章分は書いているのですがまだ構想では5章全体の1/3程度しか消化していなくてですね……もしかしたら年単位で投稿できないかと思うので、本当に気長にお待ちいただけたら幸いです。エタることはないと思いますので、その点はご安心いただけたらと思います。
それでは次回、第5章『虚空神話大戦アメリカ-黒き窮極の神- 前編”ローレライの魔女”』でお会いしましょう。