fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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投稿予約を試してみました。が、うまくできているでしょうか……


享楽に耽る

「ええねぇ、えろう楽しそうやないの。そう、思わへん?」

ころん、と彼女は小首を傾げる。

にこりと、童女めいた笑みが浮かぶ。珠のような肌色は如何にも健やかに見えたが、その額から生える角は、明らかに人間のそれでは無かった。

酒呑童子―――日本の伝承に現れる、鬼。人間を超えた魔性、その首魁こそ、あの少女然としたサーヴァントの正体だった。

「私には、よくわかりません」

マシュは、生真面目に返答していた。戦うことと、楽しいという概念が何故結びつくのか、理解に苦しむことだった。

「そう、残念やわぁ。まぁ、そないに些細な事どうでもええんやけどねぇ。うちが楽しければそれでええんやし。」

彼女は、顔に張り付けた微笑をぴくりとも崩さない。ただころころと笑いながら、肩に担いだ身の丈を優に超える剣を、軽々と擡げた。

「それじゃあ、うちらも始めよかね」

踏み込み一つ。はんなりした笑みはそのままに、艶やかな矮躯が跳んだ。

打ち下ろされる銀の大剣。十字の盾を叩きつけようとした瞬間、マシュは肌を粟立てた。

咄嗟に、床を蹴り上げる。大剣の切っ先が前髪を微かに切り裂き、はらりと宙を舞った。続けて掬い上げる様に振りぬかれた剣戟を、身を翻して躱す。剣圧が頬を撃ち、汗腺から噴き出た冷や汗を吹き飛ばした。続いて横薙ぎの振り払いも飛び退いて逸らしたマシュは、詰まるように喉を鳴らした。

あの少女の攻撃は、まともに打ち合ってはダメだ。あの大剣をまともに受け止めれば、盾ごと腕が千切れ跳ぶ―――奇妙な直感が、マシュの身体の奥底で震えた。

自分の感覚ではない。自分の内側に眠る名も知れぬ英霊、その戦闘経験が齎す心眼めいた直感が、あの攻撃は躱せと告げていた。

「曲芸師みたいやねぇ。それかお猿さんみたいやわぁ、楽しいなぁ」

大剣を担いだ酒呑童子は、特に気を害するでもなく、ころりころりと笑っている。追撃しようと思えば、息をもつかせぬ連撃を繰り出せただろう。恐らく敏捷はクロと変わらない―――敏捷:Dのマシュではついていくので精一杯の速度だ。

にも拘わらず、酒呑童子に攻撃の気配は無い。あまつさえ子供のように笑う姿には、到底戦意と呼べるものは伺い知れない。

ぞっと、マシュは体を震わせた。得体のしれない恐れが惹起する。底の知れない童女の嬌声が、ねばつくように耳道に淀んだ。

「―――マシュ!?」

気づいたときには、足を踏み込んでいた。怖気を振り払うように、その細い首めがけて盾を一閃する。

巨大な質量そのままに振りぬかれる盾の一撃は、如何なサーヴァントと言えども一撃で致命傷足り得る。それこそ、首への直撃は間違いなく必殺の一撃だった。

「ふぅん―――かいらしい顔して、えろうえげつないこと」

酒呑童子は、ぴくりとも可愛らしい顔を崩さなかった。自身の神話的弱点―――自分の首への攻撃が間近に迫りながら、蠱惑的な微笑のまま、盾を受けた。

酷く、鈍い音がした。妙に水気のある、はじけるような音。なのに、盾越しに腕に伝わった鈍さは、まるで、激流に身体を打ち付けたようだった。

「お嬢ちゃん、力強いなぁ。こんなんなってもうたわぁ」

からり、と酒呑童子は嗤った。

彼女は、その場から一歩たりとも動いていなかった。マシュが降りぬいた一撃を、軽々と左手一本だけで抑えていた。

左手は、無事ではなかった。盾の衝撃を諸に受け止めた前腕の尺骨は砕けて皮膚を引き裂き、橈骨が肘から突き出ていた。ぼとりぼとりと血肉を滴らせながら、しかし―――否。やはりというべきか、蠱惑的な微笑に翳りは無い。

さらり、と雅な黒髪が揺れた。ほぼ同時、あの銀の大剣の薙ぎ払いが胴に迫る。だが、回避は間に合わない―――!

「―――あら」

大剣が滑る。身を屈めたマシュの盾の上をするりとすっぽ抜け、酒呑童子は気の抜けたような声を上げた。

剣を振りぬいた彼女の姿は、あまりに無防備だった。そして、マシュは抜け目なく、その隙を察知した。

マシュは身を屈めたまま、盾ごと無防備な身体に突撃した。

また、鈍い衝撃が跳ね返る。激流に押し流されるような錯覚が全身を打つ。押し負けるイメージが脳裏を過り、足が一歩、踏鞴を踏みかける―――。

裂けるように、声を迸らせた。面前に屹立する敗北の現実を突き飛ばすように、覚束ない足を前に踏み出すや、酒呑童子の体躯は遂に、弾き飛ばされた。

毬のように、酒呑童子の身体が宙を飛ぶ。石造りの壁に頭から激突すると、壁を崩しながら、ぐちゃり、と音を立てた。

がらがらと壁が崩れていく。ただ一撃の錯綜だけで息を切らしたマシュは、崩れ行く塀を眺めながら―――息を飲んだ。

灰色の土煙の中、ゆらゆらと影が立ち上がる。

土煙越しに見えた影のシルエットは、人間の形をしていなかった。正確には、首が圧し折れ、あらぬ方向を向いていた。

「思い出すわぁ―――思い出すわぁ。あんたはん、小僧と同じ、力持ちさんなんやねぇ」

珠のような声だけが、耳朶に触れる。ゆらめくのも一瞬、影は両手で千切れかけた頭を持ち上げると、元の場所に、ねじ込んだ。びちゃり、と何か、奇妙な音がした。

土煙が晴れる。瓦礫の山からゆらりと立ち現れた酒呑童子は―――まだ、嗤っていた。楽し気な表情は、まるで、友達と砂遊びをする幼児のように、無垢だった。

「ええなぁ、あんたはん―――昂るわぁ!」

疵だらけの姿のまま、朗らかに笑う。歪んだ口角から艶やかに滴った鮮血が、ビスクドールのような肌をなぞる。

白磁の肌に、さらりと軌跡を描く紅の血液。つるりと人差し指で救うと、酒呑童子はさくらんぼみたいな口唇に含ませた。

不気味だった。不気味にもかかわらず、マシュは何故か―――綺麗だな、と思った。

 

 

頸、頸、頸、頸―――。

狙いは全て、頸への一太刀。構えすらなく放たれる横薙ぎ袈裟切り打ち上げ刺突、東洋の剣士の放つ剣は、どれもが必殺の一撃だった。

目視すら敵わない剣筋。剣の達人ですら瞬きの間に首を刎ねられるであろう太刀筋の殺到を、しかし、その小さな少女は全て跳ねのけていた。

既に剣戟は100を超えた。100を超える必殺を、2振りの双剣で打ち払う。剣を弾かれ、砕かれ、切り裂かれながら、瞬く間に次の剣を造り上げ、次の一太刀を叩き伏せる。

神話的な暴力はそこに無く、ただぶつかり合う錬成された人間の業と業。それは、まさに英雄譚に効く剣士の凌ぎ合いだった。

剣士が身体ごと逆袈裟の剣閃を放つ。小さなクロの身体はそれだけで優に弾かれながらも、くるりと宙で身体をよじり、油断なく着地する。小次郎は特段構えもせず、ただ刀を担いで、その様を鑑賞していた。

「サーヴァント、とは奇妙なものよなぁ。華のように愛らしいが、その剣はまるで鍛えられた鋼のように味気ない」

「なぁに、ナンパ?」ふ、とクロは吐息を放った。余裕そうな表情だが、額には、薄く汗が滲んでいた。「貴方も結構、優男(ロメオ)じゃない?」

「そうよなぁ、童子女(わらしめ)を眺めて朗らかに飲む昼の酒というのも一興よな」

剣士が笑う。質朴な笑い声は風雅な剣士のいで立ちからは似付かわしくないが、何故かしっくりくるような気がした。

―――軽口をたたきながら、クロは観察する。

極東の侍の恰好のサーヴァント、セイバー。その真名は、佐々木小次郎。【千里眼】と【心眼(偽)】でなんとか互角に渡り合うことが出来たが、これ以上の継続戦闘は不利だ、と理解していた。

無数の剣戟を交わしながらも、あの剣士の挙動パターンが読めない。英霊エミヤから継承する高ランクの心眼を以てしても見切れない剣の正体は、藤丸から聞いていた。

【宗和の心得】。自身の剣技を見切らせない、達人の業。純粋な剣技だけならかの騎士王すら上回る技倆も相まって、このセイバーのサーヴァント、佐々木小次郎はステータスこそ凡百の英霊すらに劣るものの、対人戦においては怪物じみた強敵だった。

だが―――それらは、あくまでこの佐々木小次郎の強さの一端に過ぎない。

「では―――幕引きと行こう」

剣士が、この時初めて、構えた。風のように身を翻し、長い太刀を水平に構える。一本の柳のようだった剣士の体躯が、この時だけは、すっくと立つ欅のように見えた。

《クロ、来る!》

藤丸の声が、頭に響く。焦りに満ちたマスターの声―――。

無銘の剣士を佐々木小次郎たらしめる魔剣。あの男の人生の唯一の真価が、放たれる。人生を捧げて錬成された人類の登攀図、その具現が襲い掛かる―――!

両手に持った双剣を放擲する。代わり、もう一対の双剣を投影する。

「――同調、開始(トレース・オン)

―――イメージする。

既に手に馴染んだ剣。基本骨子を解明するまでも無く、構成材質を解明するまでも無く。基本骨子を作り替え、構成材質を補強する。

全行程、完了(トレース・オフ)―――投影・強化(オーバーエッジ)

両手に構えた双剣に葉脈のような魔力が明滅する。刀身を覆うように走る葉脈が剣を覆いつくすなり、ぐにゃりと剣が形を変えた。

無骨なはずの双剣は、既にそこに無い。猛禽の翼を想起させる二振りの長剣が、そこに在った。

剣士の微笑は変わらない。不敵な笑み、という言葉そのものの泰然とした鋭い笑みは変わらず―――。

瞬間、剣士の体躯が跳んだ。

僅かに一歩。ただ一つの歩様だけで、佐々木小次郎は、彼我距離を消し飛ばした。

「秘剣―――『燕返し』!」

剣士が、太刀を放った。

剣士の振り下ろした剣は、確かに、一つだった。頭から股まで切り裂く、振り下ろし。だが、クロの【千里眼】が捉えたのは、それだけではなかった。

縦割りの太刀から逃れんとする得物を切り裂く、円の軌跡を描く2の太刀。

左右へと逃れる得物を刎ねる、薙ぎ払いの3の太刀。

計、3つの剣閃が、全く同時に襲い掛かった。

ほぼ同時、ではない。全く同時、寸分の狂いすらなく、佐々木小次郎は3つの斬撃を振りぬいた。

それこそ、多次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)。並行世界から自らの太刀筋を引きずり出し、振るうことで全く同時の剣戟を放つ、絶技だった。

回避は不可能。どのような回避軌道をとったところで、いずれかの太刀に首を切り落とされる。まさに、必殺の魔剣。

クロは長剣を構えたまま、躱す素振りを見せなかった。あまつさえその剣の暴威の最中へと、飛び込んだ。

剣が迫る。目にもとまらぬ速度の太刀が、肌に触れた。

 

 

佐々木小次郎は、確信を抱いていた。この秘剣は必ず、赤い双剣使いの首を刎ね飛ばす―――その確信である。

小次郎もまた、【心眼(偽)】スキルを有しているが、特に彼の心眼は敵対する剣士の戦力評価において、群を抜く。

筋力値、敏捷、耐久―――基礎身体ステータスから剣を振りぬく速度、癖、予備動作などを忽ちに見抜く、天性の勘を持っていた。

敵対する双剣使いの少女のステータスもまた、彼には既に明らかだった。筋力値:D、耐久:C、敏捷:B。小柄ながら剣筋は酷く生真面目。センスは無いが、ただ無暗に鍛えられた剣は、堅実だった。

全て、彼女の戦闘能力を把握する。結論は、自身の秘剣を躱すことは不可能、と判断した。故に、彼は、自らの剣を抜いた。

理屈は不明、論理も不明。だが彼の剣は、論理を超えて過程を飛ばし、第二魔法(キシュア・ゼルレッチ)をここに再現する。

顕現する3つの太刀。双剣使いの少女を包囲するように迫る太刀は、寸分たがわずに、小さな体躯を切り裂き―――。

瞬間―――小次郎は、目を見張った。

彼の目は、その瞬間を、確かに見た。3本の剣が少女を叩き切る刹那、その姿が掻き消えた。

太刀が、虚空を斬る。虚ろなだけの手応えに瞠目するのも一瞬、即座に察知した小次郎は、周囲を見渡した。

薙ぎ払うように迫る黒い剣。

回避する獲物を切り裂くように飛来する白亜の剣。

そして、背後―――いつの間にか回り込んでいた少女が、頭から股まで叩き切るように、2振りの長刀を振り上げていた。

どうやって、という疑問は、今は無かった。ぞわり、と臓腑から沸き上がった奇怪な情動に口角を上げた佐々木小次郎は、再度、刀を構えた。

「秘剣―――燕舞!」

再度、秘剣が奔る。横薙ぎの干将を薙ぎ払い、飛来した莫耶に円の軌跡の剣筋を見舞う。そして斬りかかる少女めがけ、打ち上げるように太刀を放った。

錯綜は、一瞬だった。刃同士が打ち合う甲高い音が炸裂する。破裂音にも似た金属音の合間、ぶしゅ、と飛沫が舞った。

地面に、赤い影が転がる。その外套よりもなお鮮やかな飛沫を纏った矮躯が、地に臥した。

斬った。今度こそ、手応えはあった。

だが、浅い。ただ防御のために放った剣は首ではなく、あの少女の脇腹を裂くに留まった。

血糊のついた太刀を担ぎ、小次郎は思案する。

彼女は、どうやって『燕返し』を躱したのだろう。あの敏捷値では、間違いなく躱せるわけがない。剣の包囲網を抜け出すことなど、通常の論理ではできるはずがない。

だとすれば―――それは、物理法則すら超える、英霊の逸話の具現。宝具の為せる技だろう。

どちらにせよ、と思う。無限にも思える中華剣の複製、強化。そして謎の宝具らしきものの存在。佐々木小次郎は微かな口角の皺を刻むと―――膝をついた。

「華に舞う蝶かと思えば―――意匠返しとはまた興趣のある」

咳き込み一つ。吐血が石畳に飛び散る。肩に手を当てれば、腰まで一文字に斬られていた。

相打ち。一瞬の錯綜の中、剣士が一撃を入れたのと同時に、少女もまた、長剣を剣士に届かせていた。

「第二魔法の切れ端と第三魔法の残り滓。半端者同士の戦いには似合いでしょ?」

よろり、と少女が立ち上がる。切り裂かれた脇腹を抑えながらも、皮肉を叩く表情は挑むようだ。

「さて。拙者、小難しいことはとんと理解が無いものでな」

「あ、そう。そういえばアナタ、ただ剣を振っただけでゼルレッチに至ってるんだったわね」

はぁ、と少女はため息を吐いた。呆れたような失意のような顔も一瞬、彼女は再び、双剣を投影した。

―――人の世とは、本当に、奇妙だなと思う。生涯一度も剣を振るう機会は無く、ただ己の剣に満足して、没した。それで己の人生は終わり―――かと思えば、英霊の座などに召し上げられ、佐々木小次郎という虚ろな殻を被せられて異郷に召喚され。

そして、生前振るうことの無かった剣を、振るっている。そして敵は秘剣を躱し、あまつさえあの秘剣を疑似的に再現して見せた。そして、その敵は、年端もいかない少女の姿を取っている。

これほど、奇妙なことがあるだろうか。そしてこれほど、愉快なことがあるだろうか。

セイバー、佐々木小次郎。無冠の武芸者は、三度の構えを取った。

『燕返し』はあの少女に通じない。だが、佐々木小次郎の名を関する剣士が振るうべき剣は、これしか存在しない。

ならば、抜く剣は是のみ。己の全生涯を以て磨き上げた秘剣でもって、なんとしても、あの鳥を撃ち落とす。

「秘剣―――」

無銘の剣士は、その一歩を踏み込む。

敏捷:A+に到達する、およそサーヴァントの中で最上位の速度。【千里眼】を以て、ようやく目で追えるほどの速度で以て近接格闘戦領域に侵入する。

刀を叩き下ろす。玄翁を叩きつける要領で、身長を優に超える長刀、備中青江の刃を少女の頭蓋へと定め―――。

瞬間、何かが弛緩した。

少女の目が、僅かに逸れる。右から横殴りに迫る物体に舌を打った小次郎は、寸でのところで背後に飛び退いた。

がちゃり、と鎧が床に叩きつけられる。脇から飛んできた物体―――聖女の体躯がまるでゴム毬みたいに地面に叩きつけられ、少女の前に転がった。

「ジャンヌ!」

思わず、といったように少女が駆け寄る。血だらけで地面に転がる金の髪の少女は、とても無事ではない。

ジャンヌ・ダルクに駆け寄った少女は、はっとしたように顔を上げた。身を屈める姿は、どう見ても隙だらけだった。あるいはその他のサーヴァントが相手ならば、ジャンヌを気遣いながらも、攻撃に備えられただろう。だが、佐々木小次郎の極度の敏捷から繰り出される速烈の前では、あまりに、無防備だった。

だが。

小次郎は、剣を抜かなかった。無手のまま少女を見下ろすと、鋭い一瞥を、別な影に見やった。

「ランサー」

一瞥の先、槍使いの魔女が空に浮かんでいた。鋭利な眼差しを平然と受け流したランサーは、冷たい侮蔑を剣士に返した。

「何よ、文句があるならそこの襤褸雑巾に言ってよね。ちょっとぶっただけで飛んで行っちゃうんだもの」

はらり、とランサーが地面に足をつける。臆面も無く言ってのけると、蛇のような目を二人に向けた。

「事故なら仕方いわよねぇ。アタシはあくまであの聖女サマを殺すだけ、ついでにあのドブネズミを巻き込んじゃってもさぁ!」

凄絶に表情を歪める。獰猛な鰐の如く口角を歪めたエリザベートは、自らの正面に突き立てた槍の上に飛び乗ると、弓なりに大きく仰け反った。

背中の翼が展開する。同じく広げた両の手の五指が開き、周囲の大源を根こそぎに簒奪する。

「ランサー、貴様!」

「しょうがないじゃない、悪いのはアタシじゃないわ、雑魚い聖女とネズミが全部悪いのよ―――『竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)』!」

竜の咆哮が、地表を薙ぎ払った。

 

 

―――『竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)』。

古来、ハンガリーに伝わる天候の精霊にして雷鳴竜の暴威を形にした宝具である。無辜の怪物により亜竜(デミ・ドラゴン)と化したエリザベート・バートリーが有する、第一の宝具だ。自身の声に宿る特性を増幅・精神異常を付与し、さらにダメージを与えるその宝具は、エリザべートという英霊が座に召し上げられた際に後天的に付与されたものであり、そして、彼女の特性に、絶望的に合致した宝具だった。

人理に仇名す反英雄の叫喚は同じ反英雄を鼓舞し、人理に与する英霊に呪詛を付与する。さらにその凶悪なまでに歪んだ美声は物理的な破壊すら齎し、攻撃範囲内のあらゆるものを振動破壊する宝具を防御する手立ては、概念防御による呪い・ブレスの防御が必要だった。

直感的に、クロは理解していた。

アイアスの盾でも、あれは防げない。物理的破壊は防げても、呪詛が巻き起こす精神汚染と破壊だけは防げない。

だが、それでも防御しないわけにはいかなかった。何もせずに喰らえば、間違いなく二人とも死ぬ―――!

「『熾天覆う(ロー)』―――っ、ジャンヌ!?」

ぽん、とクロの身体が宙を舞った。

軽々と宙を舞い、床に転がったクロは、顔を上げてその光景を見た。

視界の先、よろりとジャンヌが立ち上がる。全身の衣装を血に染め上げながら、左腕を欠損しながら、右目を抉られながら、腹に風穴を開けながら―――そんな姿になりながら、ジャンヌは、すまなそうに眉を寄せていた。

「すみません、不躾な方法になってしまいました。ですが、こうするほかありませんので」

覚束ない足取りで、ジャンヌが正面に向き直る。対峙するは竜の暴威、されどジャンヌは一歩も引かずに、旗を天上へと掲げた。

「主の御業をここに。我が旗よ、我が同胞を厄災より守りたまえ―――!」

暴威が、聖女を飲み込んだ。

クロの与り知らぬことだが、確かにジャンヌ・ダルクの宝具であれば、エリザベート・バートリーの宝具を完全に防ぎきれただろう。だが、それは彼女がせめて標準以上のコンディションであれば、という限定が付く。召喚の際の不具合とそれに伴うステータスの低下、あまつさえ瀕死の状況である彼女には、宝具を発動することすら想像を絶する苦痛だった。

そんな状態での宝具である。完全に防ぎきることなど当然敵わず、防御と引き換えに、ジャンヌ・ダルクは、そこで消滅した。

 

 

 

消滅した。

はず、だった。

噴煙が、晴れていく。竜の怒声が撒き散らした暴威の最中―――ジャンヌは、まだ、立っていた。それどころか欠損していた部位すらも修復していた。

【聖人】のリジェネスキルではない。己の宝具の回復効果でもない。であれば、これは―――。

 

「―――諦めてはだめよ、聖女ジャンヌ。それは優雅ではありませんもの」

 

誰かが、居た。ジャンヌを守るように立ちふさがる、赤い衣の女性。透き通るような白い髪は、絹を想起させた。

「聖女ジャンヌ、お辛いでしょうが、今はお立ちになって。貴女が膝を折ってしまわれたら、この国は本当に終わってしまうもの」

「貴方、は―――」

彼女は、小さく笑った。自分と左程年恰好は変わらないのに、大人びて、秘密めいて、それでも無邪気な表情だった。

「我が名はマリー、マリー・アントワネット! 我らが祖国の為に馳せ参じた! ……ふふ、これで合っているかしら、正義の味方として名乗りをあげるって」

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