fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
「それで、なんだけど」
妙な出会いをしてから、大体20分ほど経った頃合い、だったろうか。やれどんなタイプの男がいいとか好きな食べ物とか、毒にも薬にもならない話をそれなりにした後、ごく自然にリツカは切り出してきた。
「ここ、どこなの?」
きょろきょろ、とわざとらしく周囲を見回してみるリツカ。彼女は、特に鉄柵の方を気にしているらしい。悩まし気に眉間にしわを寄せながら、黒々とした柵を眺めている。頭にクエスチョンマークを浮かべながら、パッションリップもリツカと同じように見回してみたり、柵を眺めたりしてみる。
まるで岩から切り出してきたかのような空間に、これ見よがしに張り巡らされる檻。飾り気なんてまるでない、擦り切れた人間の悪意が濃縮したかのような空間だ。はっきり言って、あんまり気分がよくならない空間だなぁ、と思うパッションリップである。
そして、もう一つ、気分が良くならないことがある。
「あの、私も気が付いたら、ここにいて」
ごめんなさい、と頭を下げる。なんだかそれだけで、物悲しいパッションリップだった。リツカの力になれないことが、無性に腹立たしく、また情けなく感じた。
フジマルリツカのことは、なんとなく好感が持てる、と思う。いや、この際だから言うと、多分、彼女のことが好きだと思う。
理由はよくわからない。
だって起きたら目の前に居たひとを見たら、心臓がどきどきしたのだから、理由を尋ねられても困るというものだ。
ともあれ、パッションリップはフジマルリツカに恋と同質の感情を持っている。広義における同性であることは、あんまり重要ではない。そんななので、力になれないことが、なんというか渋いことだった。
「そりゃごめん。てっきり」
リツカも、申し訳なさそうに頭をさげた。そうしてから、「じゃあ全くの未知、ってことか」と面倒そうに周囲を睨むように伺っていた。
「前に似たようなことがあってね。私の夢を媒介にした
ううむ、と地べたにペタン座りしながら、悩まし気に腕を組むリツカ。眉間にしわを寄せて身を揺するたびに、耳たぶから下がるルビーのイヤリングが、ちらちらと光を反射していた。
「リップちゃんは、何か気づいたこと、ある?」
話を向けられて、パッションリップはちょっとだけ、思考を発散させてみる。
目を覚ましてから、まだ30分未満。はっきり言うと、なにもわからないのだが……もちろん、リツカが問うているのは、何か客観的なものではないのだろう。もっと主観的で、内面的な感受性の問題なんだと思う。
であれば、ちょっと答えようはある、と思う。
「あの、私ここにいるの、嫌です。もっと、明るくて、広いところに行きたい、です」
でも、言ってからパッションリップは後悔した。あまりに抽象的で、捉えどころのない言語表現だった。彼女は、今ほど自分の鈍感さを後悔したことはなかった。だからメルトにどんくさい、と馬鹿にされるのだ。
……そう言えば、リツカはメルト……メルトリリスのことを、知っているらしい。どういう関係なんだろう、と陰鬱な思案が首を擡げはじめたところで、
「それもそうだね」
リツカは深く相槌を一つ打つと、不愉快そうに鼻息を吐き出した。
「私は、ニーチェの“力への意思”が好きでね。生命は、闊達に、健やかに、己が生を発露すべきだというのが私の考えなんだ」
「えっと……?」
「要するに」
リツカはハーフアップにまとめた髪の内、右側頭部の余りの毛をまとめた一房を指で弄ると、にへら、と笑って見せた。捉えどころのない、底抜けの哂い顔。秘密の花園の奥に蟠る深い池沼を思わせる黒い目が、するりとパッションリップを包んだ。
「ここにいるのは気分が悪いってことさ。こんなところはさっさとおさらばしよ」
はい、と応える声は、ちょっと思わず上ずった。多分、顔は緩んでると思う。自覚はあるけど直そうともせずに、リップは勢い立ち上がっていた。
「それじゃあ、こんなもの、こうしちゃいます!」
「あ、ちょっ」
むん、と振り上げる両腕の巨重。パッションリップ、という存在の
「えーい!」
彼女の鍵爪は、前述のとおり、神の武器そのものだ。
複合神性。
満面の笑みで振り返ってから、すぐにパッションリップは己の失策に気が付いた。座ったまま、呆然、とパッションリップを見やるリツカの視線。信じがたいものを目にした眼差しに、パッションリップは思わず身を縮めた。
あーいう目に、覚えがある。怪物を見る、そういう目。化け物を見る、そういう目だ。思わず勘違いしてしまった。だって、リツカはこの腕に、なんの頓着を見せなかったから。受け入れてくれる、と勝手に思ってしまって……。
「す」
「す?」
「すっごーい!」
ひゃあ、と悲鳴を上げるのと、彼女が抱き着いてくるのは、大体おんなじタイミングだった。相対距離、パッションリップはもう20cmとない近さのリツカの顔に顔を真っ赤にしていた。
「マジであんなに簡単にぶち抜いちゃうなんて! なんの女神のフレンズなのかな?」
「そんなに大したことは……」
「いやーまぁ
いい子いい子、とでもするように、リツカの手がわしゃわしゃと髪を掻きまわしていく。なおのこと顔を真っ赤にしつつ、パッションリップの胸中に過ったのは、底抜けなほどの、柔和さと、己の浅ましさへの羞恥だった。彼女は、リツカのなされるがままになでなでされることにした。
「ただ、もう少しその真直ぐさをちゃんと使ってあげる必要があると思うな」
「あっ」
ずきり、と胸が痛んだ。
リツカの顔立はまだ柔らかい。少女めいた……というより少年めいた顔には、何の悪意も感じられない。でも、パッションリップは彼女の視線から逃げるように俯いた。
「だから、私と契約しないかな?」
今度は、顔を挙げた。真直ぐに見つめてくるリツカの沼色の眼に、自分の姿が映っている。多分、あの目は今の一瞬を、ちゃんと見ている。自分の言葉がパッションリップを傷つけたことも。むしろその外傷が意図的で、その上で、リツカは言っている。
「私はあんまり強くない代わりに、ものを考えるのはそれなりに経験がある。あなた1人でも大丈夫だろうけど、2人で協力すれば、スマートにここを抜け出せる。そう思わない?」
思案は、多分無かった。最初から、パッションリップはそのつもりだったのだから。だから、即答しなかったのは、思案と言うよりは躊躇に近い。
躊躇。そう、躊躇。酷く重たい両腕が、なんだか気怠い。
それでも最終的に頷き返したのは、多分、パッションリップという存在の、弱さのようなものだったのだろう。そして、その弱さも、フジマルリツカには見えていて、だからこそ、彼女は頷きもしたのだ。
よし、と頷くリツカ。彼女の腕には、既に赤い紋章が浮かんでいる。鋭利な刃を象った、サーヴァントへの絶対命令権『令呪』。右前腕に大きく穿たれた模様は、なんだか痛ましく見えた。
神霊の複合体であるパッションリップに、実のところ令呪の強制力はあまりない。【女神の神核】に複合される対魔力値の計数は実にA+に及び、令呪の魔力でさえ大方弾いてしまう。だから、この契約は、主従というよりも、対等な関係に近しい。もちろんリツカもそれはわかった上でのことで、だから、パッションリップは、ちょっとだけ嬉しいな、と思った。
「その十の剣はドゥルガーのものなんだね。宝具がブリュンヒルデで……パールヴァティ―はその在り方、というところかな」
「その……メルトのこと、知ってるんですか?」
多分、視野投影される像からパッションリップのステータスを確認しているらしいリツカに、おずおずと尋ねてみる。寝起き様、憎らしいことに、リツカはあの名前を口にしていた。
メルトリリス。ここよりずっと
「ん、あぁ。ちょっとまあ、友達のようなもの」
何気なく、リツカは言う。特に、「友達のようなもの」の言い方の素っ気なさったらありはしない。でも、それが声音以上に、物凄いことであることをパッションリップは知っている。
友達。あのメルトリリスの?
あまりの理解の外にある言葉に、パッションリップはおおよそ思考停止していた。その2つの単語が、同時に並列している必然性が理解不能である。マグロと火星くらい結びつかないと思う。
「やっぱり、メルトと関係あるの? リップちゃんは」
メルト、という言い方に、自然と柔さが滲む。なおのことむくれたパッションリップは「知りません」と平然と、そしてぬけぬけと嘘を吐いた。
「仲いいんだね」
「悪いですっ! 大体メルトは」
ふふふ、と小さく笑うリツカ。瀟洒で女の子らしいその笑い声は、なんだか妖精みたいだな、と思った。多分誤解されて伝わっているぞっ、と思ったパッションリップはそれからやけになってメルトリリスの悪口を言い連ねたが、その度に、リツカは可愛らしく品よく笑うばかりだ。
「百万の味方を得た、というのは、こういうことを言うんだろうね」まだむくれ気味のパッションリップに、リツカは独り言を言うみたいに頷く。「私と契約して、損をしたと思われないようにしないとなぁ」
緩く笑うリツカ。
なんだか、その一見頼りなさげに見えるおぼつかない佇まいが、記憶にあるあの人とよく似ている、ような気がした。もちろん別人、というのはわかっているけれど。
「よし。じゃあ早速、ここを出ようか」
意気揚々、と破壊された檻から、牢屋の外へ向かうリツカ。はい、と元気よく答えたパッションリップは、まず、「よいしょ」と掛け声をする。
重い腕。この禍つ巨腕を持ち上げないと、パッションリップは上手く歩けない。この、重く、巨大な腕を、ちゃんと認識しないといけない。
「リップちゃん」
もう、リツカは10mくらい先に居る。振り返って、気だるげに佇んで、足の遅いパッションリップを待っている姿に、パッションリップは慌てて歩を進めた。早く、追いつかないと。