fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅰ-4

 ふう、ふう。

 息を吐きながら、パッションリップは、自分の緊張感をありありと自覚している。

 場所は扉より後方100m地点、天球状に開けた区画の、隅の方だ。ひっそりと息を殺しながら、パッションリップは、リツカの暗示の魔術によって表示された視界右上のタイマーを、目で追う。

 残り時間、32秒。あの鎧竜がこの場所にくるまでの時間。

 別に、気負う必要がないのは理解している。何せ、パッションリップは本当に強いのだ。彼女の驕りなどなく、事実として彼女は強いのだ。

 女神3柱のエッセンスを抽出され、製造された人工の神霊(ハイ・サーヴァント)。武具も肉体も神々のものであれば、サーヴァントすら彼女にとってはその辺のぺんぺん草と変わらない。まして幻想種でも最下位にカテゴライズされる魔獣種など、ぺんぺん草以下である。

 だから、この緊張は別種のもの。敵と戦う前の、高揚と同位の緊張ではなく。果たしてリツカの指示通りにできるかな、という、乙女のような精神性だった。

 リツカの作戦立案は、そう複雑なものではなかった。むしろ、明快を極めるといっていいだろう。あの鎧竜の行動パターンは、ここに至るまで把握している。うろうろと哨戒するように迷路を動き回った後、このホールに帰還。30分ほど休眠した後、再度哨戒行動を開始する。それがあの鎧竜の行動パターンで、ねらい目は休眠の瞬間だ。無防備を曝す敵に、【気配遮断】で接近して奇襲、一撃で仕留める。形式上も内容上も単純な、わかりやすい作戦だ。パッションリップがすべきことは、【気配遮断】を用いて接近し、スキルも宝具もなく、首を握りつぶす。それだけの、単純な作業だ。

 《きたよ》

 不意に。ないし、必然的に、リツカの声が耳朶を打つ。パスから通じてきたリツカの声に「ひゃい!」とヘンテコな返事をしてから、しまった、と思った。

 《大丈夫。バレてないよ》

 ほっと安心した。扉とホールの間の通路に身を潜ませるリツカの方が、視野は広いのだ。自分の失態に悪態をつきながら、パッションリップは逸る気持ちを、ひとまず抑える。まずは敵を倒すのだ、敵を。

 敵は来た。だが、まだ動くときではない。攻撃は敵が休眠に入ってから、だ。これに関してはデータがない。どのタイミングで休眠状態に入るのかまでは、道中では観測できなかったのだ。ただ、行動パターンからの推測……このホールで30分ほど留まるらしく、さらに一か所から動いていないらしい、ということまではわかっている。

 だから、まだしばらく待ち。攻撃タイミングの判断はリツカが下すことになっているから、パッションリップは気長に待てばいい。

 気長に待てばいいんだけども。パッションリップは我慢強いから、そうやって“待つ”ことは得意なのだけれども。

 得意ではあるが、パッションリップの主観的内面性としては、待つことは、好きなわけではないのだ。好きではないその時間……焦燥の時間そのものを耐えられてしまうだけなのだ。

 なので、じりじりとしたこの滞留を紛らわせるために……半ば無意識に、パッションリップは思惟を巡らせていた。

 自分が何者かはわかっている。ここではないどこかの、いつかの時間の果て。月の裏側で産み落とされたアルターエゴという存在の成り立ちと、その一柱として形成された自分(パッションリップ)。それは覚えている。

 そうして、自分が、誰に逢って、どう終わったのか、も。

 だから、よく、わからない。どうして自分は、フジマルリツカに好意を抱いているのかが、判然としない。

 終わったことは終わったこと。メルトリリスなら、そう理解するのだろうか。

 だが……。

 無暗な物悲しさ。思わず泣き出してしまいそうになってから、パッションリップは無意識の思考に気づいて、今の自分の置かれていた状況を捉え直した。焦燥から逃げるために哀愁に落込む、という不毛な身振りに、パッションリップは自罰的な煩悶に口を結んだ。以前までならそれでガキっぽく泣いていただろう。だが泣かなかったのは、多分、

 ……過去の、お陰で。

 《パッションリップ。来たよ》

 ぐるぐると回り始める思考を堰き止めたのは、どこかで聞いたことがあるような、違うような、リツカの声だった。

 からからの口腔のまま、唾液を嚥下する。嚥下動作だけが起きて、喉元がきしりと痛む。

 パッションリップは、のそのそと動き出した。重たい腕を慎重に動かして、【気配遮断】を損なわないように、ホールの中央まで歩いて行く。

 実時間にすれば、多分30秒とない行程だったろう。だのに恐ろしいほどに時間が延長していた。1時間も2時間も歩いているような、気がした。彼女の集中力全てを費やしていただけに、心労もひとしおである。鎧竜のすぐ隣、足元に灰色の体躯を見下ろすところまで来た時には、もう疲れて気絶するかと思うほどだった。

 最も、それは気分の話であって、実際パッションリップ自身のステータスは完調に近い。パッションリップは十全な火力を発揮して、任務を達成するだろう。それは間違いないことだった。

 腕を、振り上げる。500kgの巨重が身体に伸し掛かる。悍ましいほどの筋力値を誇るパッションリップにしてみればさして苦ではない。あとは、持ち上げた腕を振り下ろし、灰色の鎧竜の頭を潰す、それだけのことだった。

それだけの、ことだった。

 一瞬の間。一度目を瞑ってから、パッションリップはドゥルガーの剣を振り下ろした。

 

 ※

 

 ぶしゅ。

 

 ※

 

 「お待たせしました」

 扉の前。

 パッションリップは、手に握ってたそれを、リツカの前に、慎重に置いた。頭部だけでなく、前肢と肩部もすっかり肉塊に成り果てたあの鎧竜。どくどくと赤い血液を垂れ流して、残った下半身は僅かに痙攣していた。生きているわけではなく、何かしらの反射反応だろう。

 ありがとう、と口にして、リツカは死に果てた鎧竜を覗き込むようにしゃがみ込む。熱心に傷口やら甲羅やら、あの「NFF」というロゴマークやらを調べている、らしい。目視で、時に触って、あるいは嗅いでみて。

 そんなリツカの姿を、パッションリップはしげしげと見下ろしていた。

 鉱山排水を思わせる、鈍い赤銅色の髪。右腕を覆うように描かれた赤い(つるぎ)の紋章。華奢な体つき。肌はすべすべ……というほどでもないけれど、触ったら柔らかそうだった。モデル体型、というには身長150cmと少ししかないちんちくりんな感じだけれど、それなりに発育している胸元と腰つきには、子どもっぽさは感じない。均整の取れた体つきで、パッションリップは素朴に綺麗だな、と思った。

 セザンヌがそう世界を見るように、パッションリップはフジマルリツカという女性の姿を、己が魂に溶け合わせていく。要素に分解されながらされつくされない、リツカという全体性。狂おしいまでのホーリズムに思わず眩暈すら覚えながら、パッションリップが抱いたのは、やっぱり無暗なまでの物悲しさと、同じ強度の恋しさだった。

 最後、リツカはようやっと甲羅の花へと、手を伸ばした。八重咲の、豊かな花弁の雛罌粟。白い花をほっそりとした茎で支える姿は、細い体に宿る意志の強さを感じられもしたし、また逆に、己を強く見せようとする繊弱な身体性を、感じさせもした。リツカは、そのどちらなのだろう、と思った。多分、どちらもなんだろう、とも思った。

 ふと、パッションリップは静止し続けるリツカが気になった。かれこれ10秒、思案している風でもなく、リツカは身体を強張らせたまま、その花を静止して正視している。

 それでも何か考え事かな、と楽観することさらに30秒。流石に変だな、と思ったパッションリップは、たまらずに、さりとておずおずと声をかけた。

 「リツカ、さん?」

 一拍ほど置いてから、はっとしたようにリツカは顔を挙げた。怪訝な顔で周囲を見回して、リツカは最後、パッションリップを見つめた。

 「ヒナちゃん?」

 「え?」

 「あれ」

 目を強く(しばた)いてから、リツカはちょっと恥ずかしそうに顔を赤くした。右側頭部で一房結んだ髪を右の人差し指でねじねじと弄りながら、なんだか大儀そうに立ち上がった。

 「多分、これで合ってそうだね」

 左手に握った雛罌粟の花。淡い花弁を見つめる彼女の目、秘密の花園の奥に淀む深い池沼のような(くら)い鈍色の目に宿るものを、パッションリップは理解しかねた。いや、誰とても、それをうかがい知ることはできないだろう。まして今のパッションリップでは、まだ。

 「よし、じゃあ試してみようか」

 立ち上がった彼女の顔は、もう、普段の顔に戻っていた。その上で、僅かに漂うにべもない雰囲気。取り付く島もないその微笑に、パッションリップは声もなく、ただ反射反応的に首を縦に振った。振らざるを得なかった。

 なんだかおぼつかない足取りのリツカの背。凪いだ海の中でぎこちなく揺れる、淡く白い波濤の背。パッションリップはその後ろ姿に、いつか見た人の背が、被るような、気がする。

 扉の前に立つと、リツカは急いで屈み、南京錠に手を伸ばした。瞬間、錆びのついた南京錠は音をたてて砕けていく。リツカの掌に収まることもなく地面に転がった金属塊は、一瞬の後に霧散していった。

 一拍、彼女は消えた南京錠を幻視するように地面を注視した。だが、それもまた、一瞬のことだった。屈めた身をもう一度伸ばして振り返ると、小さく頷いた。

 思惑通りに、扉は開いた。リツカの見立て通り、この扉を開くには何某かの”鍵“が必要で、その通りだったというのに。

 どうして、リツカはこんなに、申し訳なさそうな顔をしたのだろう?

 ドアノブに手をかける。重く錆びついたドアを開く。いそいそとリツカの背に近づいたパッションリップは、扉の向こう───暗く延びていく径を、見た。

 「じゃあ、行こう。せめて、慎ましくね」

 

 ※

 

 「はぁ? 花?」

 ……芥ヒナ子は、気難しい人だ、とは思っている。そして多分、その感想は、間違っていない。

 カルデアの共同スペース、ロビーに設置されたカフェテリアの隅。彼女はいつも、猫の本を片手に、孤独な時間を過ごしている。

 孤独、というのとは、ちょっと違う。もっと黙々として、排他的。簡単に言うと拒絶的な生活をしている。

 だから、彼女が嫌そうな顔をしたのは、当然のことだろう、と思われる。人と関わりたくなさそうな人に、ずけずけと喋りかければ、嫌悪的に振る舞われるのは当然の仕儀だろう。予想していたけれど、ちょっと……というか大分、“私”の胸郭は凋んだ。

 「確か、あなたフラワーアレンジメントみたいなの、してたわね。イケバナ」

 それでも取り付く島を滲ませながら応えてくれたのは、人理修復に挑む人員の中でも、同じAチームという()()()だろう。あるいは、その()()()を理解して忖度できる、彼女の人間性……のお陰だろう。

 そんな専門的なものではない、と応えると、芥ヒナ子はぎゅっと表情を顰めた。思案している、確かにそうだ。だがその思案はもっと気難しく、且つ、とても個体的なもののように思われた。

 応えなくても良いですよ、と、咄嗟に言った。ごめんなさい、と頭を下げる。不躾だった、と思って踵を返しかけたところで、声が手を掴んだ。「待って」

 ぎょっとした。振り返ると、テーブルから立ち上がった芥ヒナ子は手を伸ばして、手を掴んでいた。

 「雛罌粟」

 え、と聞き返した。芥ヒナ子の表情は、さっきと変わらない。眉間には深い皺が寄って、額にも緊張が皺を作っている。噤んで結ばれた淡いサーモンピンクの唇は、小刻みに震えていた。

 「雛罌粟」

 それで、彼女の寛容さは限度だったのだろう。自分で掴んでおきながら、ヒナ子はすぐに“私”の手を振りほどいた。振りほどいたヒナ子は、忌々し気に眉を寄せながらも、抑えきれない何か……ほんの少しだけ滲んだ、淡い情動を覗かせていた。多分、期待、というような。

 “私”が左目を丸くしたのは、そんな無礼さに呆気にとられたわけではなかった。いや、確かに芥ヒナ子の無礼さはびっくりしたけれど、無礼であることは実はどうでもよかった。“私”が感心したのは、別なところなのだ。

 雛罌粟、という花を、恥ずかしながら“私”は知らなかった。そもそも、実はあんまり花について詳しくなかった。じゃあなんで、と言われると恥ずかしいけれど……。ぼんやりと頭に浮かんだ彼女たちの顔にちょっとだけ恥かしさを覚えつつ、知らなければ調べればいいんだ、と前向きに考えてみる。カルデアに来てから使い始めたこの情報端末……タッチスクリーン式のタブレット端末を、ウェストポーチから取り出してみる。芥ヒナ子の胡乱な目を気にしながら、ライブラリの検索エンジンに入力してみる……。

 ……あなたみたいですね、と、口にしていた。

 すっくと立ちあがる、強い芯。それでいて、葉のない芯は、孤高にも、あるいは孤独にも見えた。それでいて、鮮やかな花弁の色合いは……なんとなく、芥ヒナ子、という人物を思わせた。多分深い考えはなく、綺麗な花の雰囲気が、実は化粧っ気はなく飾らないながら、品良い佇まいの芥ヒナ子によく似ていると思ったのだと思う。

 一瞬、芥ヒナ子は鋭い視線を向けてきた。怒気? それもあっただろう。哀愁、それもあったと思われる。だが、あまりに鋭い刃の如き眼差しは、もっと貧困なペシミスティックを感じさせた。それをヒューマニズムというのは、多分表層的な物言いだろうか。

 でも、その啓けは一瞬だけのものだった。鋭い眼差しは素早く鳴りを潜め、これ見よがしな無関心を身に纏い、芥ヒナ子は手にもった本の文字に視線を滑らせ始めた。本が逆になっている、とは言いにくかった。

言いにくい代わりに、ありがとうございます、と口にした。他者の時間を使用することは、何にせよありがたいことだ。それに贈与があるならば、なお。

 芥ヒナ子は、本越しにちらっとこちらを見やってきた。色の無い眼差しに、さっきの生々しさはない。彼女らしい、露悪的ですらある無垢な眼差しだけがそこにあった。今は、それでいいんだな、と思いながら……。

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