fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~   作:七草探偵事務所

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Ⅱ-2

 「あ、花」

 つい、パッションリップは声を漏らして、あわてて口を噤んだ。ぷく、と唇を結んで頬を膨らませ、声を漏らさないようにしたりする。ついでにパスをとばしかけた自覚もあって、パッションリップはおそるおそる、ホールの入口の方を見る。

 方角にすると、だいたい2時方向。円形の室内、その外周を回るように歩いてきたパッションリップは、ホール入口に佇むリツカを見やる。相対距離にすれば50mほどだろうか、ばっちり視線がかち合うと、リツカは小さく手を振って返事をした。流石にうっかり連絡を取りかけたところまではわからないらしい。

 ほっと安堵しつつ、改めて、パッションリップは巨人の背を眺める。

 蹲るような姿勢の巨人、その首元。うなじのあたりに、小さな花が咲いている。白、というか薄紫色の花弁が硬い爬虫類の鱗のように突き立った花だ。何の花かまでは同定できない……というより、至近で見たとしても多分パッションリップにはわからないだろう……けれど、とりあえず花があることは確認できた。リツカが指示した内容の、2番目の一部をクリアした形だ。他に何か確認すべきことはあっただろうか。あまり覚えてないけれど、多分花があるかどうか確認できれば大丈夫だ。

 パッションリップは、ふと思う。花がある、ということは、つまりは前と同じなのではないだろうか。多分、50mほど円周を歩いた先にある出口に設置されている扉には、やはり錆びついた金色の南京錠がかけてあって、あの花の刻印があるはずだ。

 なら、いちいち確認する必要なんてあるんだろうか。いっそここでこの巨人を(こわ)して、あの花を抉り出せばいいんじゃないだろうか。

 ……魔が挿す、という言葉があるが、パッションリップの思案は、まさにそれだった。とは言え、思考自体はそうおどろおどろしくもない。邪なものが過る、というよりも人間臭く、もっと言えばどんくさい思考だった。要するに、パッションリップは彼女の本性を発揮したのだ。それが何かと言うと、“ものぐさ”である。わざわざ出口までいって確認する手間をかけるより、きっと出口は同じように施錠されているんだからさっさと倒してから確認してもいいじゃないか……みたいなことを、考えた。

 しばし、パッションリップは思考していた。時間にして、10秒ほど。思考というほど鋭いものではなく、緩慢な“考え事”をしてから、パッションリップは、のそのそと出口の方へと向かった。

 巨人の姿越し、ちょっとだけ、入り口にいるリツカを見る。鉱山排水の底に沈殿する酸化胴のような、濁った色の髪の毛。その下に静かに2つ空いた孔(眼)の存在に、パッションリップはわけもなく身を縮ませた。今は、怖さの方が勝った。リツカの期待に添えなかったときの、怖さだった。

 【気配遮断】を纏ったまま、静々とパッションリップが出口へと向かう。恨めし気に巨人の姿を見つつも、パッションリップはなんとか我慢して、その扉の前に立った。

 ホールから入って、20mほど直進した先。岩盤に埋め込まれたような錆びた鉄のドア、そのドアノブのすぐ下にやはり鍵がかかっている。ぼろい金具で留められただけの鍵なんて、パッションリップからすれば容易く破壊できそうだ。もちろん破壊できないことは、よくよく承知している。恨めし気に眺めてから、彼女はしげしげと南京錠を調べてみる。手で掴めればいいのだが、生憎、彼女の手はそういう器用さとは無縁だった。残念ながら、彼女はそうした自分の特質を、認識している。

 そんな様なので、調べるといっても顔を近づけるだけなのだが、今度は兎にも角にもバカでかい乳が邪魔だった。何せ顔を近づけようとすると、胸を扉に押し付けてしまうのである。しかもその乳、ただの脂肪と乳腺の塊ではないのである。間違って死の谷間にあの南京錠を挟んでしまえば、全て無に帰してしまう。結局5分か10分ほど、60cmから70cmくらい離れてまじまじと眺めてから、ようやっとそれを認めた。

 花の刻印だ。前と同じように、錆びついた南京錠には花の模様が描かれている。それがあの巨人の花と同じものなのか否かは不明だけれど、多分同じものだろう、と検討づけたのは自然な発想だろう。何せ前回とシチュエーションが同じなのだから。

 これで、一つ目も達成だ。パッションリップは、自然、にこにこと表情を綻ばせた。順番は違ったけれど、リツカの言いつけをちゃんと守れたのは、結構嬉しいことだった。彼女のためになっていることが、そこはかとなく嬉しかった。

 パッションリップは、とりあえず振り返った。早くリツカに知らせたい、という質朴な欲求だった。そうして振り返って視界に入ったものを見た。

 ホールの中央、こんもりと盛り上がった巨躯。巌のように蹲る巨人の姿を見て、唐突に……というよりは必然的に、パッションリップは思った。

 もう、倒してしまっていいかな。

 思考の底、無意識に押し込めていた(さが)が、のっそりと浮上した。重く浮かび上がったその思考を、今度はしっかり掴み取った。先ごろも似たようなものを考えたけれど、あの時はただのものぐさでしかなかった。ある種の疚しさが彼女を抑制したけれど、今度は真逆だった。ものぐさはないわけではなかったけれど、もっと積極的だった。要するに“面倒くさい”からではなくて、“そっちの方が効率的”、とパッションリップは判断した。どうしてそんなことを考えたかと言えばとても単純で、そっちの方が喜ばれるかな、と思ったのだ。

 一度、ほんの僅かに頷く。彼女なりに素早く判断を下すと、あとは早かった。

 じりじり、背後から忍び寄るように距離を縮めていく。自分の敏捷値は自覚している。値にしてC。サーヴァントとしては低すぎるとは言えないが、高いとはとても言えない。要するに低めで、戦うに際してあまりウリにはならない。

 だが、それを補い得るスキルこそ【気配遮断】。値にすればA+、アサシンのサーヴァントの多くを上回るそれは、運動性能に劣るパッションリップが相手に致命的一撃を与えるに際して優秀な武器になる。前までは使えないスキルだったけれど、“あの時”以降、彼女はこのスキルを使用し得る。この巨腕を認識した、あの時から。

 いける。咽頭に嚥下動作をさせ、パッションリップは跳んだ。

 ホール天井付近まで跳び上がる。位置エネルギーを最大まで上昇させてから、あとは重力に従って、重量1tの少女が墜落していく。位置エネルギーの漸減と比例して上昇していく運動エネルギー。魔力放出を上乗せし、十分以上に加速したパッションリップが、右腕を持ち上げた。

 それが、トリガーだった。パッションリップの攻撃の意思に反応し、【気配遮断】が消滅する。彼女の存在を察知して蹲っていた巨人が身動ぎしたのは、当然の理だ。もちろん、パッションリップもそんなことは承知している。承知した上で、問題ないと理解していた。この距離で気づかれても問題なく殺しきれる。それは単なる思考以上に、確信に近かった。この巨人種……異聞から来た巨人種の運動性能は、よく、理解している。いた。

 持ち上げた腕、神の武具を束ねた黄金の牙を振り下ろす。狙いはうなじで、そうすれば呆気なく、この巨人は死滅するはずだ。

 振り下ろし、その首筋に爪が直撃する寸前。パッションリップは、一瞬だけ怯んだ。右手が強張るように痙攣しかけ、彼女は僅かにぎょっとした。

 咄嗟、パッションリップは身体を捩りながら腕を振り抜く。とまりかけた腕は当初彼女がイメージした通りの軌道を描く。

 鈍く、水っぽい反動が手のひらに弾けた。指先が肉を切り裂き、衝撃が肉塊を轢き潰していく。腕を伝って昇ってきた感触にぎょっとした時には、胸と顔面を強打していた。

 視界が灰色に明滅した。鼻先をぶった衝撃なのか、それとも別なのか。酩酊にも似た感触に囚われて、パッションリップは朽ちるように倒れかけ───。

 「リップちゃん!」

 ふ、と意識が途切れた。

 と思った次の瞬間、一挙に視界が開けた。不意に身体を包んだ浮遊感も束の間、鈍くも柔らかな感触が身体を打った。

 「いてて」

 呆然としていたのは5秒ほど。視界の先に拡がる天井の景色に、尻に感じる柔さと硬さが混じった感触……人間の肉体の感触に、すぐに事態を悟った。

 「リツカさん!」

 慌てて、パッションリップは立ち上がった。おろおろと足元……さっきまで彼女の敷布団にしていたマスターを見下ろした。

 「いやー重いよリップちゃん」

 にへら、と笑いながら、リツカはよたつきながら立ち上がる。動作に不自然なところはない。右側頭部をかき回す右腕、その前腕に刻印された大型の令呪は、二画が喪失していた。

 「だ、だだだ大丈夫ですか!?」

 思わず詰め寄ってしまったけれど、パッションリップはそんな自分の大胆さを自覚する余裕すらなかった。

 「大丈夫大丈夫」リツカはちょっと目を丸くしながらも、本当に普段通りのつかみどころのない微笑を浮かべた。

 「頑丈って……それどころじゃ」

 まじまじと、パッションリップはリツカの頭から足の先まで見回した。だってそうだ。パッションリップの重量がどれほどなのか、彼女は“自覚”している。ドゥルガーの武具を顕す両腕を含めた彼女の総重量は、SⅠ単位表記における1000kg、1tに及ぶ。日常生活ならトラックとかそういうものにリツカは圧し潰されたはず……なの、だけれど。

 本当に、彼女は無傷だった。骨折だってしていない。

 「あの、なんで」

 「花は取ったんだね」

 パッションリップの声を遮るように、リツカは声を被せた。至って平静な風なだけに、リツカの声に角を感じた彼女は、思わず肩を竦めた。この話はしない方がいい、と独り、頷いた。

 「はい、一応」代わり、リツカの話に乗ることにした。そっちの方が、嬉しい、と思った。「何の花でしょう」

 恐る恐る、といった手つきでパッションリップは巨腕を差し出した。人間など容易く捻り潰せるほど巨大な掌の上に、巨人のうなじごと削り取った花が、血だらけになりながらも綻んでいる。

 「睡蓮……じゃあないかな」リツカがパッションリップの背後に一瞥を投げる。うなじから胸元を抉られた巨人は、蹲ったまま頓死していた。「いや。蓮の花だ」

 「違うんですか?」

 「別な種類の花なんだよね、科も独立してるし。見た目は結構似てるけど」

 そうらしい。一応出典的には馴染みのあるはずの花なのだけれど、パッションリップのものぐさっぷりからして無知だった。へー、と素朴に感心したように頷くパッションリップに対し、リツカは苦笑めいた不思議そうな顔を浮かべた。

 「蓮。蓮の花」

 そっと、リツカが手を伸ばす。手が、指先が触れる。大体一拍ほどの間の後、リツカは少しだけ顔を顰めてから、周囲を振り仰いだ。

 「ねえ、居るんでしょう? オフェリア・ファムルソローネ!」

 一節の沈黙。

 軽くヒールが地面を打つ音が耳朶に触れた。

 いつの間に、そこにいたのか。瞬きの合間にそこに現れた亜麻色の髪の女の単眼が、リツカの隣にいるパッションリップをざくりと射抜いた。

 オフェリア・ファムルソローネ。リツカが親し気に、不躾に呼んだ名前だ。それが、あの女の名前なのだろうか。

 パッションリップに惹起した情動は、この時2種類だった。

 1つ目は多分、嫉妬と呼ばれるものだった。

 2つ目は何故か、無暗矢鱈な郷愁だった。いや、望郷、だろうか。相反する、というよりはまったく別種の強い志向性にまず驚愕して、そして混乱した。

 オフェリア。私は、あの女を知っている───しかも、何か、戦友でもあるかのような気分で。

 「来たの」

 呟く、というより零れるような声だった。オフェリアの声は、細雪から延びた垂氷(たるひ)のようだった。

 「呼んだわけじゃないんだ」

 「誰が」

 「ここはオフェリアの世界なんでしょう?」

 「帰って、出口はもうあるから」

 「嫌です」

 「出口は用意するから」

 「嫌だって」

 「帰って!」

 「嫌!」

 ぎょっとした。ビスクドールみたいな端正な顔を歪ませるオフェリアにも吃驚したけれど、そんなことより稚児みたいに癇癪を起したリツカに、ずっと肩を竦めた。沈着冷静、というよりは泰然自若という在り方をする彼女から全然イメージできない素振りじゃあないか。

 まじまじと赤銅色の髪の彼女を眺めてみる。実は何かの演技をしているのか、と思って見てみても、ただパッションリップは身を竦めるばかりだった。だって本当にリツカは怒っている。青筋なんかは立てないけれど、きつく結んだ口唇と、眉間に刻んだ皺が、情動そのものの苛烈さを物語っている。

 ……まただ、と思った。オフェリアとリツカが言い合って、睨み合っているこの瞬間が、物凄く()だな、と思った。早くこの瞬間が終わってほしかった。何故なのかは自覚している。リツカが他の女にかかずらっているのが愉快じゃなかった、というのはあるけれど、それ以上に、

 もう、身体は動いていた。踏み込んでから飛び出すまで1秒未満、亜麻色の髪の女との彼我距離は一瞬で詰まった。敏捷値が低いとは言え、それはあくまでサーヴァントを基準とした運動性能評価である。戦闘速度でのそれは、人間のそれを優に上回る。

 辛うじて、オフェリア、という名前の女はパッションリップの動きに反応していた。それだけに優秀な魔術師なのだろう、と理解する一方で、それが限界に過ぎないことも理解している。パッションリップが振るう巨大な掌の斬撃を躱す術などありはせず、あと2秒もすれば、彼女は挽肉になっているはず、だった。

 瞬間、彼女は思った。というより思考以前に、身体は硬直していた。人間の形をしている彼女へと振るうはずの手は凄まじく鈍重で、一挙に臓腑から押し寄せた悪心と振戦に、酩酊にも似た気の遠さが惹起した。あの時巨人を絶命させたときと同位の、疚しさと言うなの怖気だった。

 《パッションリップ!》

 後を追うように、ざくりと声が鼓膜を刺した。糺すような声音に聞こえたのは一瞬で、次の瞬間抉るような衝撃が腹から頭の先まで突き抜けていった。

 その一撃で、ほとんど終わっていた。だから、次の一撃なんてのは過剰だった。うげえ、と蹲った後、側頭部に食らった重い打撃……後から聞いた限りでは、後ろ回し蹴り……で、完全に意識は引き潰れた。

 それでもすぐに潰れた自我をとりあえず積み上げられたのは、彼女が耐えることに特化したサーヴァントだったからだろうか。おぼつかなく目を開けた彼女が見たのは、檜扇の種子を思わせる色合いの、黒い幻影だった。

 一目見て、近現代のサーヴァントと知れた。全体的に暗い色調の装いは、直観的にモダンという言葉を想起させる。黒いハットにマント、パンツはフォーマルに整えられ、それだけなら知悉と品性を感じさせるだろう。だが、その男から受ける印象はその真逆だ。軽く瞥を堕とす男の眼差しに宿る闃寂の底、花崗岩めいた硬質な何かが凝固している。知性や品性などというのは、所詮この男にとっては上辺に取り繕ったものに過ぎないのだ、とその眼球は語っていた。

 「ごめんなさい」

 男に対し、オフェリアは控えめに言う。男は僅かに身動ぎだけして応えると、くい、と顎をしゃくった。

 「ダメ。リツカはダメ」

 じゃあ、と言うように、再度男が暗い眼差しをパッションリップに向ける。無感動に見える目に射すくめられ、パッションリップは我知らずに身を強張らせた。

 オフェリアは何も言わなかった。ただ無言のまま、小さく俯いた。いや、俯いたわけじゃあないんだな、となんだか間抜けに思考が巡る。俯いたわけではなくて、あれは、頷いたのだ。つまるところ、パッションリップは処理しても良い、と言明したわけで。

 ざり、と男の靴が砂を咬む。持ち上がる手の動作は酷く緩慢に見えた。

 「どこから忍び込んだのやら」

 つと、男が独語を漏らした。言ってしまったことを今更に悔いるように眉を寄せてから、首を横に振った。

 「余計なことだ」幽らめくように、男の手に射干玉色の炎めいた何かが膨れ上がった。「せめて穏やかに逝け、外なる者」

 燈が、顕った。

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