fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
燈が奔った。
舌打ちをしたのは、不意打ちだったからではない。その光の色合いが妙に癪に障ったからだったが。
何はともあれ、舌打ちをする以前に、もう地面を蹴り上げていた。宝具で増強された筋力値と敏捷値は、不意打ち気味に放出された砲撃を悠々と躱して見せる。ホール入口、10時方向からの砲撃を右に跳んで躱し、咄嗟に
背後で炸裂した爆風に、マスターの短い悲鳴が漏れる。抱える力を僅かに緩めながら、続く攻撃に備えるように、次のマニューバのイメージを描く。
が、その夢想が実を結ぶことはなかった。射干玉を思わせる黝い眼差しの中、弾着後の噴煙を纏う影が佇立していた。あの“大型”のサーヴァントを守るように立ち塞がるその立ち姿。巨大な砲塔を抱えた偉丈夫の紅い目が、抉るように視線で射すくめた。
「大丈夫か」
反射的に、言っていた。大丈夫、と応えるオフェリアは気づいていない。
煙が、薄らいでいく。土煙の向こうから見えた立ち姿に、一瞬彼はたじろいだ。
その外見に気圧されたわけではなかった。むしろ、外見だけで言えば、むしろ親近感が湧いただろうか。近代的な軍装に、恐らくはその英雄の象徴たる武器も大砲と来た。十中八九が自分とそう変わらない年代に生きた英霊だろう、と見当がつく。ただ古いだけで強者足りうる古代の英雄は、それだけで厄介なものだ。
だが、目の前に屹立するその存在は、もっと別な何かだ。時代の区分など意味をなさない、もっと原初的な戦慄そのもの。コイツは、そういう部類の何かだ───。
知らず、オフェリアを抱きかかえる力が強くなった。畏怖、と呼ばれる情動が惹起したが、持ち前の克己心だけで捻じ伏せた。
「全く」嗤笑を僅かに口角に浮かべる。「監獄は脱するものであって、闖入するものではないはずなのだがな」
その砲兵が身動ぎする。僅かに紅い目に覗かせたのは、躊躇だったろうか。思いの他人間臭いその情動の揺らぎに、彼は素朴に感心した。
一瞬の、思考。迷いを刹那で即断するや、彼はやはり持ち前の行動力で以て、口にしていた。
「引け、こちらに戦闘の意思はない。我がマスターは、そこの女と事を構えるつもりはない」
「関係ない。用があるのはそちらだ」
硬質な声だ。鉱物的というより金属的。取り付く島もない物々しさは眼球の印象通りだ。しゃくった顎が挿した先、ぬらと舐めるような視線が、オフェリアを擦過する。
「人気者だな」
小さく呟き、腕の中のマスターの顔を見る。あの赤銅色の髪の女に対して見せた激情はない。怪しげな眼差しに対して、オフェリアはただ純粋な困惑を浮かべている。少なからず、オフェリアはこの砲兵の男を知らないらしい。
思考が可能性を探り始めたが、すぐに静止する。詮の無いこと、と判断して、今はただ運命の綾に嗤笑するだけに留めた。
「ならばなおのこと今は引くがいい。その女も、オフェリアに用があるのだからな」
微かに、だが確かに、眉間に皺が寄った。くつくつと嗤いを漏らしそうになるのを堪え、さらに続けることにした。
「貴様1人で、まさかこの俺を倒せると思い上がったわけではあるまい。その体に慣れていないなら、なおのことだ」
いよいよ、砲兵は怒気を隠そうともせずに紅い目で射抜いてくる。わかりやすい奴だ。生前は、よほど素直に生きていたに違いない。まるで機械のように、与えられた役割の通りに、実直に生きていたのだろう。サラリーマン気質とでも言うべきか。
……いや、だから、だろうか。だから、この男は、こんなところまで来ているのか。印象がごちゃつく奴だな、と、最終的に判断した。人間らしい、とも言うだろか。
要するに、コイツは俺好みな奴だ。
ふ、と空気が弛緩するのを感じた。大砲を持ったサーヴァントの紅い目は相変わらず敵意に満ちているが、今ここで害意を発露する気は失せている。理性的に敵愾心を滾らせるのは、善いことだ。
「貴様、名は」
感情の起伏に乏しい、硬質な声。じろりと射すくめる紅い目に一瞬たじろぎながら、
「巌窟王とでもモンテ・クリスト伯とでも、好きに呼びやれ。呼ばれた名の如く、俺は俺として振る舞おう」
エドモン・ダンテスは、視線を外套で攫うように身を翻した。
「大丈夫なの?」
小脇に抱えたオフェリアが、抗議めいた顔になる。特にその表情を気にも留めず、エドモン・ダンテスは軽く地を蹴る。宙を舞うのと同時、ぽかりと目の前に空いた孔に溶け込んでいく。微睡むような感覚に絡めとられゆく中、一度だけ、背後を盗み見る格好で正視した。
「馬鹿は来る」
「え?」
くつくつと、口角を持ち上げた。
※
「えーと、えーと」
見慣れた牢屋の中、パッションリップはおろおろと2人を見比べた。
自然体であぐらをかく赤銅色の髪の彼女。
それはともかく(?)、パッションリップは、もう一方の人物をおずおずと見上げた。むんず、とあぐらをかいて腕を組む、ごっつい男。筋骨隆々に、精悍というよりは瑞々しい死生命力を感じさせるかんばせ……なのだが、妙に饐えた雰囲気が漂う、偉丈夫だ。目を引くのは床に転がした大砲だろう。風采も併せればまさしく近代の英雄という佇まいである。
「それで、改めてなんけども」
右側頭部の髪の一房をかき回しながら、立華は割と隔てもなくに言う。巨漢の男は特に反応もせずに、ただ黙然と鎮座するだけだ。
「あなたはここに召喚された時から記憶が不鮮明で、なんでここにいるかわからないと」
「そうだ」
「オフェリアのこと探しに来たって言ってなかったっけ」
「それは間違いない」
「でも記憶はないと」
「そうだ」
「オフェリアって寝るとき下着きな」
「何?」
「……」
「なんだ」
「記憶はないと」
「ない。それと早く今の話をしろ」
慌てて居住まいを糺して不躾に言う巨漢に、パッションリップはしげしげとジト目を向けた。
絶対嘘である。そわそわしながら、なおさらむすっと顔を顰める仕草はどう見ても嘘をついている。同意を求めるようにリツカの方を見ると、彼女も肩を竦めただけだった。
「とりあえずアーチャー、でいいのかなこれ。
「ありがたいことにな。不本意だが」
粛々、と首肯する大男。とりあえずアーチャークラスのサーヴァントではあるらしい。いわゆる三騎士なのだから、それなりには優秀なのだろう。むむむ、と頬を膨らませて困り眉になるパッションリップである。
「目標が同じなら、とりあえず手を組むのが順当だと思うんですけども、どうかしらね」
アーチャーはなおのこと顔を顰めた。明らかに鬱陶しそうな面持ちである。何やらリツカを見やる眼差しは、不気味なものでも眺めやるよう。ただ睥睨している、という以上の何か奇妙な眼差しである。
そして。
「……」
「むむむ」
じろり、とあの紅い目がパッションリップを睨む。こちらはもっと、なんか人間臭い胡乱さだ。ぼろ雑巾みたいな自尊心で伺うような、妙な仕草である。なんだか腹立たしい……というか、むかむかする気がするパッションリップであった。
「一つだけ聞きたい」
「はいはい」
「お前は、フジマルリツカ、なのか」
アーチャーの声は、どこか探るよう。尊大ですらあったこれまでの声とは色の違う声だった。
「一応そうだけど」
リツカは、泰然と応えた。少なからず、パッションリップの目から、彼女が何某か感情を動かした素振りは見えない。ただアーチャーの問いに、ごく自然に解答した……というところか。
一拍、間が開いた。妙に張り詰めた空気に思わずパッションリップは身を竦めた。戦意とも異なるが、それに類する鋭い逡巡が周った。
「フジマルリツカか」
ほとんど、独語めいた呟きだった。宛先もなく漏れた声は呆気なく霧散した。
微か、アーチャーの口角が揺れた。くつくつと嗤うように吐息を零して、アーチャーは納得げに首肯した。
「いいだろう。お前をマスターと仰ぎ見てやろう」
「そこまで要求しないけど?」
「マズいか?」
「いや、マズくはないないけど」
目を丸くしながら、リツカはそろりそろりと視線を動かしていく。彼女らしからぬ身振りで動いた視線が、恐々と静止する。留まった眼差す先、
「むー!」
パッションリップは、まんまると頬を膨らませていた。
もう明らかな抗議である。幼児である。パッションリップ自身も自覚しつつも、じたじたとしていた。
「大丈夫です」
「いや大丈夫じゃないって顔してますけどもね」
「いーです。リツカさんは私じゃ頼りないから仲間が欲しいんです」
「リップちゃんてば」
ふい、と顔を背けてから、パッションリップはすぐに自己嫌悪する。自分の身振りが不毛であることくらいは理解できるのだ。
「別に構う必要もあるまい。所詮は子供の戯れだ」
突き放すような、アーチャーの声だった。
流石にカチン、と来た。反射的に右腕で捻り潰そうとして、実際そう身動ぎするくらいには彼女の憤懣を惹起させた。それでもそうしなかったのは、視界にリツカの姿が入ったからだった。困ったように眉を寄せて思案する彼女のかんばせに、手が止まってしまっていた。
アーチャーが正論を語っていると、リツカの表情は語っているのだ。そのくらいのことは、理解できるようにはなったのだ。
「大丈夫、です」
さっきと同じ言い回しになった、と、言ってから思った。おずおずとリツカの表情を伺うと、酷く気落ちしたように、眉尻を下げていた。ただ、それが居たたまれなかった。
「わかった」眉尻を下げたまま、リツカは右側頭部に一房結んだ髪を掻きまわした。「この話はこれで終わり」
「うじうじとお前らしいことだ、フジマルリツカ」
コイツのことは嫌いだ、と思った。知ったような口を聞く素振りが、凄まじく不快だった。勝手に自分のものを弄られるような、そんな不快───。
ふと、何か変だ、と思った。でも何が変なのかわからず、ただただ彼女は戸惑った。
「本当に記憶ないんすか」
「ない」
「そうですか」
「うん」
「……じゃあとりあえず現状の確認でもしようか。慌てて戻ってきちゃったし」
やれやれ、と困ったように、またリツカは髪を掻きまわしている。でもさっきみたいに、本当に困惑している風とは違う。困ってないわけではないんだろうけど、まだ状況を楽観しているというか、その困惑を甘受できる余裕のある素振りだ。彼女らしい、身振り。パッションリップは、そこはかとなく安堵した。
「少なからず、オフェリアが言ってたことは本当みたいね」
さっき、柄になくオフェリアとリツカが言い合いをしていた時の話だ。
最初に、出口がある。オフェリアが言ったこと、とはそのことだ。そしてその出口こそ、この最初の牢獄の一画にぽかりと空いた孔、だった。間違いなく、こんな孔はなかったはずだ。自分だったら見落としてたかもしれないけれど、リツカなら、多分気づいていただろう。パッションリップは、素直にそう確信していた。それに、オフェリアは「用意する」っていう言いまわしをしていたはずだ。多分。
リツカは、じい、とその穴を眺めている。孔が開くほどに物を見る、なんて言いまわしがあるけれど、リツカの素振りはそれだった。空虚な排気孔の底をさらに掘削して、孔そのものを削り取るように眺めている。微動だにせずに睨みつける姿は、ちょっと、怖いな、と思っ
「嘘つき」
「え?」
「や、なんでも」
リツカは、慌てて首を横に振った。パッションリップが何か言いかけるより早く、リツカはそそくさと「じゃあ改めて」と言い継いだ。
「アーチャー、あなたの目的はオフェリアを助けること。そう?」
軽く、アーチャーが頷く。会話をする、ということそのものが面倒そうに眉を寄せながらも、渋々コミュニケーションをとろう、という姿勢である。
「私の目的はここから出ること。その過程で、多分オフェリアに関わることもあるはず。つまるところ、あなたと私にはある程度の利害の一致がある。そういう共通理解でおけ?」
アーチャーは、少しだけ困惑げに頷いた。探るようにリツカの表情を伺いつつも、アーチャーは無言のままだった。
「多分、さっきの階層の上もこれまでと同じ構造だと思う。ツリー状の迷宮が広がってて、最奥部にホールがあって、そこにキーを持ってる番人がいる……っていう構造。何階まであるかはわからないけど、とりあえず進んでいくしかない、っていう状況かな」
「つまり、どうすればいいんだ?」
酷く堅物そうな表情のまま、アーチャーはそんなことを言った。
何か思案気な表情である。のだが、むっつりと眉を寄せた顔立ちは、思案している、というより……何も考えてないんじゃね、と、パッションリップは思った。なんでそんなことを彼女が思ったかは簡単だ。何せ彼女も同じだからである。リツカの言うことを生真面目そうな表情で聞いているけれど、あんまり頭が回っていない。
「最後のボスは2人一緒に戦ってもらう。これは大前提」
2人して一緒に、リツカの言葉に首を縦に振った。それはわかる話だ。
「問題は道中なんだけど」
ちら、とリツカがリップを向いた。何かが蟠ったような目だった。
「2班に分かれて探索をしようと思う。リップちゃんには単独で動いてもらって、これまでと同じように探索をして欲しいかな。私とアーチャーは別行動をして、これの情報集めをしたいと思ってる」
リツカがスカートのポケットから、襤褸の紙片を取り出した。
さっきの、珍妙で不埒な妄言が書き連ねてある紙片、だ。あの紙切れを見ているだけでむかむかしてくるけれど、それどころではなかった。何せ、リツカは1人でパッションリップにこの頑迷な洞窟を歩き回れ、と言っているではないか。はっきり言って嫌だった。嫌すぎる。
「あの私」
「リップちゃんは高ランクの【気配遮断】持ちだからね。本来は単独潜入して情報収集するのに向いてる……それでいて生存性が高い。大分リップちゃんのこともわかったから、任せようかなと思ったんだけど、どう?」」
「やります!」
パッションリップは単純だった。単純というより、素直と言うべきか。神霊の習合体だとかなんとか言いながらも、彼女の人格そのものはむしろ幼いのだ。ニコニコするリツカの表情に、彼女はあっさりと陥落していった。
えへらえへらと気の抜けた表情のパッションリップの髪を掻きまわしながら、リツカはそれとなくアーチャーと目配せしていた。パッションリップは、当然わかっていない。
「俺が自分で言うのもなんだが、俺と2人でいいのか」
「利害が一致してるんだからいいと思うよ。契約してるし」
「確かに。叛意を持とう、という気さえ起こさせないな」
「慣れてますから、マスターとかいう業務に」
リツカは肩を竦めて、眉も寄せていた。その声音に、何か誇らしいものが一切混じっていないことくらいはわかる。自嘲気味というか自虐的というか、奇妙な情動だけが覗いている。リツカが見せる表情は、どれも斑模様で混交的で、いつもわかりにくい、と思う。リツカの掌を頭頂部で感じながら、パッションリップは、ただ不思議そうにリツカのかんばせを見上げた。
「リップちゃんとはそれなりに繋がりが強くなってきたからね。離れても大丈夫だけど、あなたとはまだ契約したばっかだから」
「お前らしい」
「記憶ありますよね」
「ないです言いがかりはよしてください」
アーチャーは頑なだった。加えて言うなら、なんか薄っぺらい強情さだった。2人の呆れた視線にさらされて気まずそうに視線を彷徨わせるくらいに、アーチャーの態度は幾分か情けなかった。
「早くするぞ」アーチャーはさっさと立ち上がった。「早くこんなところは終わらせるんだ、こんなところはな」
「そうだねぇ。オフェリアには、こんなところ似合わないから」
対照的に、のっそりと立ち上がるリツカ。立ち止まったアーチャーがリツカの仕草を注視する様は、印象的だった。憎悪にも似た眼差し。さりとて敵意があるわけでもなく、むしろそこにあるのは、得体の知れない親近感のようなもの、だろうか。アーチャーは、自分がそんな感情を持っていること自体に、何か戸惑っている、らしかった。
人間は、難解。パッションリップは不可解なものを感じながらも、えっちらおっちらと立ち上がった。自分のアイデンティティを形成する巨腕だけれども、ちょっとした日常動作をするのには正直邪魔だなぁ、と認識する。
「リップちゃん」
「あ、はい」
リツカに背中を支えられてなんとか立ち上がると、軽く、彼女の手が肩を叩いた。
「ガンバってね、無茶はしないで」
ぎゅ、と胸が締まった。何か言いかけたけれどうまく喋れず、あわあわしている間に、リツカは右側頭部の髪を一房、かきあげた。
「よぉし行こう。慎ましくね」