fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
暇。
だらだらと歩きながら、パッションリップは頓に思う。
暇。そう、ほんまに暇なのである。最初の階層から三番目。あの巨人の背後のドアを潜り抜けた先は、相も変わらずな通路が続いているだけなのだ。地味に複雑になっているところも、ものぐさなパッションリップには面倒極まりない。だらだらと歩いては時折止まって、リツカがやっていたように頭の中にマップのイメージを作っていく。どっかりと座ってぼけーっとイメージを作る姿は、傍目にはどう見てもサボタージュに勤しんでいるようにしか見えないだろう。実際、彼女としてもそのつもりである。
「これやり方あってるのかな」
これでも、まぁパッションリップとしては頑張っている方ではあるのだが。勤勉にサボタージュを行いながら、気怠い真面目さでリツカの言いつけを守っていた。彼女は、健気だった。
2割ほど仕事をしつつ、7割がたサボりながら、パッションリップはふわふわと思考を揺蕩わせている。リツカの顔を思い浮かべて独りでニコニコしながら、近くに居ないことに不機嫌になったり、むしろ居ない事実の意味を思いめぐらせて鼻歌を唄ったり、せわしなく情動を狂わせていた。
「今なにやってるのかなぁ」
思わず、独り言ちる。視覚情報を固定化して、脳みその記憶野から掘り返して網膜に再度投影する……などという、女神の力量を無駄遣いをしながら、パッションリップは視界に映る姿越しに幻視する。
藤丸立華、フジマルリツカ、ふじまるりつか。蠱惑的に五感に焼き付いた言葉に浮かされながら、パッションリップは嘆息を吐いた。
「暇ぁー」
じたじたと足をばたつかせて、パッションリップは、ただただ愛しい人のかんばせを想起することにした。
今何してるのかな。
何度目かの想起を繰り返した後、パッションリップは、今しばらく怠惰に勤しむことにした。
※
「てな感じで多分サボってるんじゃあないかな」
同時刻、同階層にて。
暗い通路をゆっくり下を見回しながら歩くリツカの背を、アーチャーは呆れというか困惑というか、ともかく眺めていた。
「リップちゃんはものぐさだからねえ。どこからその性格が来たのやら」
「古い付き合いなのか」
「いや? まだ……何時間だろう」
はて、と立ち止まるリツカ。数瞬ほど思案げに首を捻ったが、すぐに彼女は肩を竦めた。「まぁいいや」
「随分親しいと思っていたが」
「親しさに時間は関係ないんでしょ。デリダが言ってたよ」
「……そうだな」
「嘘だけど。いやでも言ってそうだな」
若干言い淀むアーチャー。リツカは特に気にした様子もなく、妄言を喋りながら、しゃがんで地面を調べているらしい。アーチャーはほっとした。疚しさというよりは、子供じみた羞恥心のようなものだった。
「デリダとはなんだ?」
「ジャック・デリダ。ジャッキー・デリダ。哲学者? まぁなんでもいいか。フランス人ではあるかな」
「フランス?」
「あなたフランス人ぽいけど」
「え、そうなの?」
「……」
「記憶がないんだ」
「うーん、まぁいいか」
「デリダは何を言っているんだ」
「さぁ、煙に巻いちゃうんだよ読者を」
「お前みたいだな」
「人でなしだ」
「大したものじゃあないんだろう」
「いやまぁ割と近現代の思想家なら重要じゃあないかな。賛成するにせよ否定にするにせよというか」
「お前はどうなんだ?」
「うーん。まぁ気持ちはわかるかな」
「何がだ?」
「コミュニケーションて怠いんだよね。言語を使うのって難しいから。まぁ喋らないわけにもいかないからアレだけど」
あ、と不意にしゃがみ込みなり、リツカは床下に落ちていた何かを拾い上げた。見るからに、手のひらサイズのボロの紙切れ……らしい。リツカがわざわざパッションリップを単独行動させてまで回収したがっていたもの、だ。
じい、と紙切れを眺めるリツカ。盛んに首を傾げたりしながら見下ろすこと数秒、一つ頷くと、スカートのポケットに割と雑に捻じ込んだ。
「目的のものか?」
「多分?」
どうにもリツカの言質は歯切れが悪い。不思議そうに見やるアーチャーの目線に気づいたらしく、彼女は若干不機嫌そうに眉を寄せた。若干、だ。
「言葉って疲れるじゃん。基本的に共同主観的に形成された言語は借り物に過ぎないんだから、それで喋るって変なことだよ。ツェランじゃあないけど」
そうかもしれないな、とアーチャーは思った。「ソイツはなんなんだ?」
「読んでみる?」
ごそごそとポケットから紙切れを取り出す。古代のパピルスをそんな無碍に扱って良いのかな、と現代魔術師的な考えなどしてみたが、まぁどうでもいいことか、と思い直した。アーチャーにしてみれば、さして古代エジプトなどさして関心のない話だった。
無造作極まりなく、拳で丸めた紙切れを投げやるリツカ。ふわりと飛んだ古ぼけた球形を手に取ると、アーチャーは特に頓着もなく紙を開いた。
「■■■■■■……。
陰キャですあんなの。なんであんなのが従妹なんでしょうこの人……。まぁいいですけど。ていうか、ちゃんと手伝ってくれるんでしょうね……
しかし困りましたねえ。黒山羊さんは無事にいったとしてスピネルさんで大丈夫なんでしょうか。アブさんマイペースだしヌンノスと仲良───」
「なんだこれは?」
「知らね」
投げやり過ぎる。一応目的のものの内の一つではあるらしいが、それにしてはリツカの素振りは雑然としているというか、テキトーだった。本当にこれが目的の物なのだろうか、と勘繰るレベルである。
とは言え、真実この珍妙な断片が探し物ではあるらしい。アーチャーが嫌々と紙を差し出すと、とりあえず受け取った。
それにしても、とアーチャーは想起する。
さっきの妙なテクスト。全体的に珍妙だけれど、あの冒頭に掲げられていたあの文字。いや、文字、なのだろうか。それなりに古い時代に生きていたアーチャーをして既視感を一切伴わない、妙な文字……のような何か。 非ユークリッド幾何学的な図形をむやみやたらに使ったような、謎の言語。あれを目にした時の言いようもない不快感は、なんだったのだろう。
「外なる神、という地球外の神性を書き記したもの。らしいよ」
「神?」アーチャーは怪訝そうに、あるいは不快そうに眉を寄せた。「随分と壮大な話だな」
「まぁ神っていうか超抜種っていうのか。前の特異て……旅の時に偶然知ったものなんだけど。その時はただの誇大妄想にしか思わなかったんだけどね」
「人理焼却にそのトンチキなものが関わってると?」
「それは」ちょっとだけ、リツカは言い淀んだ。「まだわからないけど」
「偶然、行く先々で同じような変な妄想を書き連ねた駄文に出くわす、っていうのも変でしょ。だから仕方ない」
それはそうだ、とアーチャーは頷きだけを返した。そんな身振りに、ますます不可解そうな表情のリツカは、仕方ない、というようにポケットにその紙切れを突っ込み直した。
「不安か?」
「ちょっと」
「なら俺に行かせればよかっただろうに」
「あーそっち?」慌てて、リツカは相好を崩した。それが照れ笑いであって、気まずさなのだ、とまではアーチャーはわからなかった。「リップちゃんはまぁ。大丈夫だって」
何故、と口では問わずながら、アーチャーは僅かに身動ぎしてリツカをみながした。幾ばくかの間……五瞬はなかったが、一瞬よりは長い間の後、リツカは、緩慢に歩き始めた。
「少し不安もあるけど。でもまあ、なんというのかな。あと一歩なんだよ、パッションリップは。だから任せなきゃ」
「そんな場合なのか。世界滅亡、の危機なのだろう」
我ながら、空疎な物言いだなと思った。アーチャーが自分の言質に鼻白んでいると、リツカはつと立ち止まって、上体だけを軽く逸らした。
「わかんない。でもそれを赦せないのなら、人理なんてのは焼け滅んだ方がいいよ。さっさとね」
知らず、アーチャーは肌を粟立たせた。フジマルリツカはこんな女だったのだろうか。記憶の底にある姿を思い出そうとしたが、あまりよく思い出せなかった。超えてきたせいなのか、そもそもあんな木っ端な
この女が纏う空気は、それとは別種のものだ。この女が、フジマルリツカが纏う空気感はもっと頽落的ではないか。狂信的とも違うが、どちらにせよ空恐ろしいことに大差はない。アーチャーは思わずたじろぎかけ、
「アーチャー」
ひた、と吸い付くようなリツカの声が耳朶を打った。
はっと気が付けば、リツカは立ち止まって、暗い通路の奥を注視している。敵、という思考にいきつくまで、アーチャーはたっぷり5秒かかった。慌てて持ちなれない大砲を抱えて踏み込むなり、リツカの前に猪突する。
敵の姿はまだ見えない。もう撃つべきなのか判断つきかねている。砲の間合いの取り方は何が適当なのか。この身体のサイズ感での挙動をとう取ればいいのか。ちぐはぐな身体感覚に煩わしさしか感じないが、それでもやるしかない。
威圧が増大する。間違いなく、何か強大なものが接近している。アーチャーをして冷や汗をかくほどのその感触は、彼自身、嫌と言うほどに覚えがあった。
この感覚、この威圧感。間違いなくこれは、
「来る」
神性の類──!